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ヴァンパイア編。

80.どこへ行った? オレの自制心…

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 喉が渇いたと、アルが言う。
 翡翠の瞳が、赤い燐光をまとう。
 あたしの首筋を見詰める艶めく表情。

 あまり、あたしの血はあげたくない。

 ダメ? と見上げる翡翠。

 首は駄目。というか、アルに噛ませるワケには行かない。仕方ないので、弟君達のしている手法。

 アルの唇を塞いで、舌を軽く噛み切った。ついでに、精気も流し込む。

「んっ、ふ…」

 赤い燐光を纏う翡翠が嬉しげに細められ、閉じる。ぬるりと舌が絡められた。
 傷が塞がって血の風味がしなくなると、

「っ!」

 ガリっと舌が噛まれた。痛い。
 けど、すぐに気持ちくなる。

「ちょっ、ア、ルっ…ん、ぅ・・・」

 とろんとうるむ翡翠。赤く染まる頬。抗議の声は、アルの口内へと飲まれる。と、

「っ!?」

 襟首を掴まれ、くるっと視界が反転した。アルに押し倒されたようだ。

「はっ、ぁ・・・熱…」

 上になったアルが片手でボタンを外し、シャツをはだける。白い肌が露になり、覗く胸元。

「アル?」

 もう片方の腕が、あたし鎖骨さこつの辺りをぐっと押さえて起き上がれないようにしている。

「…もっと、飲ませて…」

 荒い吐息。開いた口から覗く白い牙。
 赤みを増す翡翠の瞳。

吸血キス、させて?」
「や、駄目だって!」

 喉が、渇いた。もっと。お腹空いた。好き。血が。喉渇いた。欲しい。だから、もっと。足りない。喉が渇く。好きだから。欲しい。もっと。血。足りない。血。甘い血。欲しい。紅い血が。好き。血。紅。真紅の。甘い。血。欲しい。

 アルの思考が、喉の渇きに偏って行く。

 なんというか、マズいな・・・

 最近の貧血気味に合わせて、あたしの血にか、魔力…それとも両方? に酔ってしまったようだ。

 どうする? このまま寝かせたとしても、起きたときには血に飢えた状態が続くだけだ。

 仕方ない・・・

「アル」
「? ・・・」

 ほんの少し、眠りに落ちないギリギリの眠気を付与する。とろんと、落ちかけるまぶた
 ふっとあたしを押さえ付ける腕が緩む。
 この隙に、アルの両腕を掴んでくるっと体勢を入れ替え、アルを上から押さえる。

「??」

 きょとんとまばたく赤みを帯びた翡翠。そして、

吸血キス、させてくれないの?」

 甘えるような声。幼げな表情。

「ごめん、あたしの血はアルにはやっぱり…少し強いみたいだから。人魚ちゃん、手を貸して!」

 アルへ眠気を与えつつ、人魚ちゃんを呼ぶ。

「ったく、なんなのよ?」

 呆れたようなハスキー。

「人魚ちゃんの血を、分けてくれたら嬉しいな」
「は?」

※※※※※※※※※※※※※※※

 小娘と夢魔がイチャイチャするからと席を外せば、しばらくして夢魔に呼ばれた。

 そして、手を貸してと言うから来てみれば・・・夢魔が小娘を押し倒していた。

 挙げ句、血を分けて欲しい?
 意味わかんないんだけど?

「俺の血はアルには強いみたいで、酔ってるんだ。人魚ちゃんの血なら、アルと相性いいかなって」
「・・・酔ってるってなによ?」
「う~ん…例えるなら、貧血の空きっ腹にテキーラを流し込んだ感じかな? 悪酔い気味だね」

 それは悪酔い必至だろう。というか・・・

「・・・肝臓弱いと死ぬわね」
「というワケで、駄目かな? アルは、人魚の血を飲み慣れてるから」

 にこりと微笑む夢魔。

「断ったら?」
「寝かせるよ。まあ、多分起きたときには血に飢えた状態だから、問題の先送りだね。俺の血はあげられないから、誰かに献血をお願いしないといけない。狼の子か鬼の子か・・・さすがに、妖精の子には頼めないよね」

 嫌な言い方だ。

 ミクリヤを挙げない辺り、自分がどう思われているかをよく判っているというか・・・

「…なに? 人魚は再生力高いんだから、小娘に血を提供しろって言いたいワケ?」
「それか、街に行くか」
「…人間を襲わせるつもり?」
「そんなことはさせないよ。アダマスが出資している病院には、人間の血液がストックされてるからね。そこで血液を買えばいい」

 アダマス・・・どうしたって、付いて回るのか…

「・・・ああもうっ、仕方ないわねっ! いい、これは貸しなんだからっ! 後でちゃんと取り立てるわよっ? 覚えてなさいっ!」

 ビッと、夢魔を指差してやる。

「ありがとう、人魚ちゃん。それで俺は、なにを払えばいいのかな?」
「新作のドレスかアクセサリー。宝石でもいいわ」
「OK。後で払うよ」

 夢魔の言葉に、手首を掻き切ろうとして…躊躇ためらう。爪で掻き切ると折角せっかくのネイルが汚れ…というか、多分剥げちゃうわね。
 あの百合娘の真似をするのはしゃくだけど、手首を噛み切ることにした。

 左の手首へ歯を立て、ガリっと皮膚ごと血管を噛み切り、血が流れ落ちないよう手首をぎゅっと強く押さえる。そして、意図的に傷の再生を遅らせる。傷の治りを遅くするという、微妙だが役に立つ技能。
 人間並みに、治癒力を落とす。

 昔は、これができないと、海から上がって人間に交じることを禁止されていたものだ。

 人間に人外だということがバレると不味いもの。

 百合娘はこれができないらしいから、今の若い人魚達には伝わってないのかもしれない。

 まあ、痛いのを我慢するのは普通は嫌だものね。

 アタシは・・・マッドな馬鹿姉のせいで痛みにはそこそこ強くなったけど・・・

 あの馬鹿姉、一体どこでなにしてンのかしら?
 ・・・生きてるとは思うけど、きっとろくなことしてないわね。あの女、えげつない性格だもの。

 まあ、そんなことはどうでもいいわ。

「人魚ちゃん、アルを放すよ? いい?」
「ええ。いいわ」

 返事をすると、夢魔がアルの上から退いた。のそりと起き上がるアル。

「?」

 そして、赤い燐光を帯びる翡翠がアタシを見た。

 上気する白い肌。とろんとした表情。
 ふらりと立ち上がり、血を流すアタシの手首へと引き寄せられる。
 白い手が無言でアタシの手を取り、

「はぁ…んっ…」

 薄い色の唇が手首へと口付けた。

「っ!」

 れろりと、傷口を這う赤い舌。少し痛い。

 無心に血をすする小娘。

 なんて貌《かお》してンのよ・・・見てられないわ。視線を逸らす。

 本っ当に・・・世話の焼ける小娘だこと。

※※※※※※※※※※※※※※※

 ああ、美味しい。
 とろりと、甘い血の味が口に広がる。

「・・・?」

 気が付くと、オレは・・・

 血を、飲んでいた。

 白い手首の、傷口から。

 誰の? と、顔を上げると・・・

「…あ、れ? アマラ? なんで?」
「なんで? じゃ…ないわよ。満足したんならさっさと放しなさいよ、小娘がっ」

 蒼白なアマラが言った。

「え? あ、ごめん…なさい」

 慌ててアマラの手を放す。と、あっという間に塞がる手首の傷口。

「ったく…やっと正気に戻ったようね。っていうかアンタ、どこがあまり血を必要としないタイプなのよ? ガッツリ飲むじゃないの」

 手首をさすりながら、呆れたようなハスキー。

「ごめん。本っ当に、ごめんアマラ。普段はあんまり必要としないけど、体調悪いと、ガッツリ血が欲しくなるっていうか・・・」
「・・・体調、悪いの? 頭は?」
「え、と…多分、大丈夫かな? 今は」

 頭は痛くない。貧血は…まあ、ある程度血を飲めば数日で治るだろう。

 というか、どこへ行った? オレの自制心…

 貧血で完璧に理性飛ばすとか、久々だ。

 姉さん家に居候して以来。あのときは甥っ子に血あげ捲って、年中貧血だったからなぁ・・・シーフがぶっ倒れるまで血を飲んでやったぜ。
 そして、連鎖的に広がる貧血の嵐。あのときは、血液が幾らあっても足りなかった。

「そう。言っとくけど、アタシの血は高いわよ」
「あ、うん。なにを差し出せばいいの?」

 キランと、アイスブルーが光った気がする。オレをじっくりと眺め回す視線。

「・・・そうねぇ…着せ替え人形」
「は?」
「アンタ、アタシの着せ替え人形になんなさい」
「着せ替え、人形…?」
「そう! ドレス! アクセサリー! メイク! 全部アタシが言う通りにしてもらうわよっ!?」

 蒼白だったアマラの頬に赤みが差す。キラキラ…というか、ギラギラした視線がオレを見下ろす。

「え~と、アマラ?」
「常日頃から思ってたのよっ! この、超一級品の素材をどう着飾ってやろうかってっ! この、飾りっ気も素っ気もない、シンプル一辺倒の勿体無くも残念で憐れな小娘を、それ相応に着飾ったら、さぞや胸がすっとするに違いないわっ!?」
「なんかオレ、ヒドい言われようじゃね?」
「お黙り! ヒドいのはアンタの方だから! 生まれ持った美貌を活かさないだなんて、美の神への冒涜なんだから!」
「は? なに? カイルと似たことを…」
「ああそうだったわね…カイルも呼んで、ヘアアレンジの相談もしなくちゃ♪」
「それ駄目。絶っ対、いやだから」
「は? なにアンタ、アタシの血値切ろうっての!」
「いや、そうじゃなくてっ、駄目なのはヘアアレンジの方っ! 頭触られんのは本当に駄目なんだよ…下手したら、カイル半殺しにしちゃうから!」
「そうそう、落ち着きなよ? 人魚ちゃん」

 クスクスと笑みを含んだ声が割り込んだ。

「アルは、上から触られるのが苦手なんだから」
「クラウド…」
「え? ああ、そうだったわね…仕方ないから、ドレスの着せ替えだけで我慢してあげるわ」
「マジか・・・」
「嫌とは言わさないわよっ!?」

 うわ、めんどくさそう。
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