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ヴァンパイア編。

73.確りしろ小娘っ、アルっ!?

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 食糧危機。
 それは、死活問題だ。

 今回の出港はかなり唐突だった為、食糧の補充が充分だとは言えない。

 ということで、船底にやって来た。

「おーい、アマラー。次はいつ上陸するのー?」

 ノックをすると、ドアが開いた。

「未定よ」

 不機嫌そうなアマラが顔を出す。
 アマラは基本、ヒトを呼び付けてパシらせるが、自分が呼び付けられるのを嫌がる我が儘な奴だ。

「ふ~ん…アルの追っ手ってやつ?」

 アル本人に、追っ手のことを言うのはやめておこうとなっている。アル本人も、自分ミクリヤ達が既に海に出ている理由をなにも聞かない。
 アルが聞いて来ないことを疑問に思うが、なぜなにも聞かないのかと聞くのも、なんか変だろう。

 カイルは突然の出港理由を聞いて来たが、アマラの気紛れだと言ったら納得した。

 まあ、この女装人魚は…男のクセに…女王様気質なので、他の連中を振り回すことが多い。
 自分ミクリヤも含め、家主アマラの我が儘と言えば、大抵のことは聞かざるをえないから仕方ない。

 アイスクリームが食べたいだとか、美容にいい飯を作れだとか…木材や猫足バスタブ入手しろだとか、化粧品やらドレスを買って来い、新聞や本を買って来い、楽器や楽譜等々・・・

「そうよ。アンタが聞くってことは食糧?」
「そう。食糧だよー。今回は、食糧補充する前に出港しちゃったからねー」
「どのくらいちそう?」

 食糧庫の中に有る食材を頭にリストアップ。

「・・・粉類はたっぷりだが、生肉や生鮮食品はとっくに切れてる。芋と玉葱、人参があと十日程。燻製くんせいやベーコンなんかの加工品が三、四日程。釣りでもすりゃもっと保つかなー? って感じ」
「どっか適当な島に船寄せるわ」

 ということは…

「食糧調達、か・・・」
「なによ? 浮かない顔ね?」

 アマラが怪訝けげんそうに自分ミクリヤを見下ろす。

「いや、アル君がちょっとねー…」
「? 小娘がどうしたってのよ?」
「・・・たち悪そうだなーって」
「? なにがよ?」
「アイツ、毒効かねぇから…」

 以前、アルが言っていたことを思い出す。

「? それがなんなのよ?」
「拾って来た毒茸どくきのこの料理作って、レオンさん…狼の兄貴を何度もノックアウトしているらしい」

 何度も毒料理を食わされて尚、アルの料理を食べンなら、あのヒトはおそらくシスコンと称されるたぐいのヒトなのだろう。
 勇気を讃えるべきか、愚か者と言うべきか・・・それは、聞いたヒトが決めることだ。

 とりあえず、自分ミクリヤは絶対ぇ食わん。

「小娘に食糧調達させるのは禁止!」
「だよな? 普通に」

 と、頷いたとき、

『…ぁ…ぁ…あ゛あぁぁァァァ゛ァ゛っ!?!?!?』

 船に響き渡った絶叫。アルの、声だ。

「なんなのっ!?」

※※※※※※※※※※※※※※※

 尋常ではない絶叫に、ミクリヤを見る。

「アルはどこだっ!?」

 言われて、アルの位置を特定。

「部屋。先行ってるわ」

 ミクリヤに言い、アルの部屋へと転移すると…

「があ゛あァァァ゛ァっ!?!?」

 アルが、額を押さえて床にうずくまっていた。
 額から流れる血が鼻筋を伝い落ちる。
 叫びを上げるその口が大きく開き、赤い舌が覗いて閉じることを忘れた口の端からは、唾液が垂れる。
 見開いた瞳が血の色に染まり、零れ落ちる涙。
 ビクンビクンと痙攣けいれんする身体。

 これが、アルの頭痛・・・?
 既に自傷が始まっているというの?

しっかりしろ小娘っ、アルっ!?」

 痙攣するアルの身体を仰向けにし、舌を噛まないようハンカチを噛ませて両手首を掴み、上に乗って体重を掛け、強く押さえ付ける。

「悪く思うなよっ?」
「ぁ゛あ゛っっっ!?!?」

 そして、夢魔から預かった小瓶こびんを取り出し、キャップを歯でじ開けて中身の赤い液体を、アルの口へ突っ込んだハンカチへと染み込ませる。

「飲み込みなさいっ!」
「っっ!?!?・・・カハッ、ぁ・・・」

 効果は覿面てきめんだった。
 途端に、見開いたあかい瞳のまぶたがふっと閉じ、アルの身体から力が抜けてくたりと崩れ落ちた。

「・・・はぁ…すっごい効き目だわ…」

 少し、気が抜けた。

 夢魔から預かったのは、強力な眠り薬。
 匂い的に、血液。あの夢魔のものだろうか?
 アルになにかあったら、飲ませてと言われた。薬の効かないアルにも効く眠り薬だから、と。

「アルちゃんっ!?」
「アルっ!?」
「大丈夫かっ!?」
「ど、どうしたのっ?」

 ドアの前に騒がしい足音と声。ドンドンドンっ! と乱暴にノックする音。

「アマラっ、開けろっ!!!」

 ミクリヤの怒鳴る声に怒鳴り返す。

「ちょっと待ってろっ!? 今取り込み中だっ!!!」

 さすがに、この体勢はあれだ。

 アタシが小娘を押し倒しているように見える。
 それになにより、アルの顔が悲惨だ。顔が血やら涙やらでぐちゃぐちゃ・・・
 もう少し、見られる格好に整えてあげよう。
 アルを抱き上げてベッドへ寝かせる。

 血と汗で額に張り付いた淡いプラチナブロンドの前髪をそっと掻き分け、タオルを引き寄せて空気中の水蒸気を集めて濡らす。そのタオルで、アルの顔を慎重に拭う。傷に障らないよう・・・

「?」

 額の真ん中に走る、紅い線。
 けれど、そこに傷は無い。
 これは、疵痕きずあとだ。

「血が、流れてた筈だ。治った、のか…?」

 アルは、治癒能力が低かった筈だ。

「おいっ、アマラっ!?」

 焦れたような声がドンドン! とドアを叩く音。

「もうちょっと待ちなさいっ!」

 そう返して、乱れたアルの服を整える。
 アルの全身を見て・・・
 まあ、いいでしょう。
 さっきよりは見れるようになった。

 鍵を開け、

「入りなさい」

 と、言い終える前に勢いよくドアが開く。

「「「アルはっ!?」」」
「アルちゃんはっ!?」

 そして、ドタドタと飛び込んで来る野郎共。

「落ち着いたわ」
「診る。アルちゃん、少し触るよ?」

 ジンが意識の無いアルに声を掛け、診察する。

「・・・アマラ、アルちゃん…怪我してた?」
「ええ…多分…」

 アルは自己治癒力が低い。だから、怪我の治りは遅い・・・筈だった。

「これ・・・」

 ジンがアルの手を取って見せる。赤く染まる爪。その先はギザギザになっている。

「床…」

 カイルが床を指差す。
 そこには、爪で引っ掻いたような傷と赤い線。赤い色の剥がれた爪と、爪の欠片とが落ちていた。

「治っているんだ。爪は、ちゃんと生えている」
「・・・どういうこと? 小娘は確か、怪我の治りが遅かった筈よね?」
「? 怪我が治ってるのはいいことでしょ?」

 不安そうにカイルが言う。

「とりあえず、医務室へ運ぶ。アマラとミクリヤは、話しが聞きたいから一緒に来て」
「おう」
「…わかったわ」

 アルを抱き上げるジンに続いて部屋を後にする。

「アマラ。アルちゃんはどんな様子だった?」

 医務室のベッドにアルを寝かせ、カーテンを引いたジンが振り返る。

「・・・痛みにのたうち回る手前、かしら? 正気ではなかったわね」
「ミクリヤ。アルちゃんの頭痛は、昔からあんな風だったのか?」
「悪いが、知らん。あんなアルの声は……初めて聞いた。多分、あんな風になる前に、レオンさんがアルを隔離してていたんだと、思う」

 苦い顔でミクリヤが言う。

「そう。わかった。ミクリヤは戻っていいよ」

 と、ジンがミクリヤを部屋から出す。

「それで、アマラ。アルちゃんになにをした?」

 薄い琥珀の瞳が眼鏡越しにアタシを見詰める。

「・・・これ、飲ませたの」

 夢魔から預かった赤い液体を見せる。
 ミクリヤは、あの夢魔を毛嫌いしている。ミクリヤがいると、話ができない。

「これは?」
「多分、あの淫魔の血液。強力な眠りを付与してあるそうよ。薬効じゃなくて、呪いに近いわね」

 赤い液体に宿るのは強い魔力。

「呪い・・・」
「ええ。一度口にすると、数日は覚めない眠りに落ちる呪いってとこかしら? 魔力であの淫魔を上回らないと、解けないと思うわ」

 ある意味では人魚の唄と同系統の魔術となるが、威力は桁外れだ。魔力が拡散する唄と、血に凝縮させた魔力の差とでも言うべきかしら?
 あの夢魔は、アタシよりもずっと年上だと言っていた。かなりふるい部類になるのだろう。その夢魔の魔力を上回るのは、難しい。

「つまりアルちゃんは、数日間はこのまま?」
「多分ね」
「・・・他に血液は?」

 ジンの質問に首を傾げる。

「? …どういう意味よ?」
「アルちゃんは、怪我をしていた…筈だ。血の匂いと、怪我のあとがあったからね」

 痕だけで、傷自体は治っていたけど・・・

「ええ。それが?」
「血の匂いが、三種類あるんだ」
「三種類?」
「ああ。アルちゃんの血と、多分そのびんのクラウド君の血。そして、俺の知らない血の匂い」
「は?」
「誰か、いた?」
「ンなワケないわ。アタシが行くまで、小娘は確かに一人だったもの」
「アルちゃんの額からなんだけど・・・ヴァンパイアの血の匂いがする。多分、純血の」

 純血の、ヴァンパイア・・・
 アルの背後には、どうしても純血のヴァンパイアの影がちらつく。

「・・・どういうこと?」
「・・・匂い的に、アルちゃんの親族に当たる…のかな? 結構遠いけど、多分血族だよ」
「・・・それで、治癒力が上がった?」
「それか…アルちゃんは、元から持っている治癒力を抑制されているか、だ」
「は? 治癒力の抑制? そんなの、デメリットしかないじゃない。なんでそんなことするのよ?」
「わからない。単なる推測だからね」

 ジンが首を振る。

「・・・」
「多分、アルちゃん本人も、知らないと思う」

 アルについては、わからないことだらけだ。
 本人も、わからないこと、か・・・

※※※※※※※※※※※※※※※

 ジン達がアルを連れて行って、僕とヒューが部屋に取り残された。

 床には赤い爪痕と、血の付いた爪が落ちる。
 生々しくて、痛々しい。

 ここがアルの部屋になって、入ったことはない。
 けれど、この部屋は、僕が定期的に掃除をしていた頃とあまり変わらない。

 アルの私物が、ほとんど置かれていない。
 クローゼットの中とかには私物があるかもしれないけど、さすがに確かめるワケにはいかない。

 アルがこの船に来てから、三ヶ月は経つのに…
 この部屋は、どこか寂しい。

「大丈夫かな……アル」

 あんな苦しそうな声・・・

「大丈夫だ。あれでもジンは腕はいいからな」

 と、ヒューが僕の頭を撫でる。
 多分、心配させないようにだろう。

「…そうだね。チャラいけど」

 アルのことは心配だ。
 けど、僕にできることは無い。
 ・・・掃除、しようかな。
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