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ヴァンパイア編。

37.ほら、こっち向けよ。

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「・・・聞いてください、ハルト」

 冷たさを湛えたテノールが、深刻そうに言う。

「なんだ?」
「僕の愛する妹が・・・家出を…したそうなのです。あの子は硝子細工のようにか弱く繊細で、美しくも脆くて儚い。そんな愛らしい妹が、一人で生きて行ける筈がありません。今頃、僕を恋しがって心細い思いをしているに違いありません。いえ、きっとそうです! あの子は、僕を呼んでいるのです! ということで、早速ですが保護しに行こうかと思います」
「そいつは奇遇だな? 丁度、俺の妹・・・も家出中だ。それとお前、変な電波か? 頭診てもらえ」
「っ! 誰が君の妹ですか! あの子は、僕の、妹です!あと、僕は正常ですよ? ハルト」
「ハッ、お前はまともじゃねぇだろ。が、そういえばアイツは、お前の妹…だったか? いやぁ、アイツはもうほぼうちの家族だし、お前よりも、俺に、懐いてるからな? 忘れてたぜ。だから、アイツが呼ぶなら、お前じゃなくて俺の方だろ?」
「・・・殺しますよ? ハルト」
「ハッ、ってみろよ?」

 そんなやり取りから始まった軽い殺り合いで、狂気のシスコン野郎の足止めをすること、約二月ふたつき程。

 シスコンに妹の結婚話は厳禁。絶対に自分を選べと強要するのが目に見えているからな? 奴には、アイツが家出したということにしている。
 アイツからも、『兄さんに監禁されたら絶対に助けてね? 絶対だからね? 約束だよ? 破ったら恨むから!! あと、養父さんにも伝えて! 絶対にだよ!』という必死さを感じる手紙が来てたしな。
 まあ、奴がアイツにしたことを思えば当然だが。

 その後で…シーフが出て行ってからは、そろそろ一月ひとつき近くだろうか?
 連れ戻せとの命令が下った。
 普段ぼーっとして、あまり感情を動かさないあのシーフが、珍しく怒っていた。
 ローレルさんと親父が、アイツを追い出したと文句を言って飛び出す程に・・・
 だから、しばらく放って置かれたのだろう。だが、さすがにもう限界ということだ。
 シーフは、有能な鍛冶師。いないと困る。
 そして、場所はもう判っている。
 アイツ…アルが足にしている船だ。
 全く、手の掛かる奴だぜ。

 その間あのシスコンを押さえるのは、お袋がやってくれるそうだ。警護がてらに、あのシスコンを鍛えてやると言っていた。お袋は護身術を仕込んだアルとやる気の無いシーフには甘めだったが、本格的に鍛えるとなると、非情な程にスパルタだ。俺には相当厳しかったからな・・・まあ、死なない程度に頑張れ。
 いや、やっぱりへたばりやがれシスコン野郎が!

「さて、行くか…」

 ・・・アルは、元気にしているだろうか?

※※※※※※※※※※※※※※※

「・・・アル。お前、具合悪ぃのか?」

 なんというか、シーフが来てからアルはよく寝ている。数日とか単位で。今も、眠そうな顔をしていて若干顔色が悪い。ずっと寝ていないよりはいいと思うんだが、寝過ぎも心配になる。

「いえ、特には」
「いや、顔色が悪い」
「そうですか?」

 気怠げな翡翠を見下ろす。

「・・・アル。お前、シーフとなにをしているんだ? シーフも、具合悪そうだよな?」

 二人で部屋に籠ると、数日間はそのまま出て来ない。そして、出て来てからは具合が悪そうにしている。二人共、だ。まあ、シーフはいつも通り、どこでも寝ているんだが・・・カイルへの反応が鈍いような気もする。

「なにと言われても・・・寝てますが?」
「…血の匂いをさせて、か?」

 二人が部屋へ籠ると、部屋から血の匂いが漂う。

「ヴァンパイアが血の匂いをさせていることの、なにがおかしいんですか?」
「二人揃って具合が悪そうじゃなければ、な? 普通、飯の後は元気になると思うんだが?」
「・・・ふっ、甘いですね。お互いに吸血し合って、貧血なだけですよ。仲の良い身内同士のヴァンパイアならよくあることです」
「は? なんだそりゃ」
「そういうものです。…?」

 ふっと、獣染みた動きで顔を上げるアル。

「アル? どうかしたのか?」
「・・・」

 きょろきょろとなにかを探す素振り。そして、そろりと部屋へ戻ろうとする。

「アル?」
「オレはいないと言ってください!」

 アルがそう言った瞬間、バッと通り過ぎたなにかが、アルをかっさらっていた。

「それはないんじゃないか? アル」

 親しげにアルを呼ぶ低い声。

「・・・なんで、ここに…」
「久し振りだな。元気だったか? 相変わらず、逃げるのが下手だな? お前は」

 苦い顔をするアルを荷物のように抱えるのはくすんだ金髪に緑灰色の瞳の、かなり上背のある男。

「狼から逃げるとか、割と無理ゲーじゃね?」
「ははっ、飛べば逃げられンだろ?よっ、と」

 鋭い犬歯を覗かせて笑い、男はアルを軽々と抱え直してその肩へと座らせる。その表情と仕種、たたずまいとがどうもあのスティングを思わせる男だ。

「誰だ? 手前ぇは・・・」

 低く問い掛けると、男がニヤリと獰猛に笑う。

「よう、妹が世話になってるようだな?」

 妹…ということは、コイツはアルの保護者、か? 男へ、慎重に問い掛ける。

「なにをしに来た…」
「連れ戻しに、だな」
「・・・アルを、か?」

 スティングの言葉は忘れていない。保護者が迎えに来たら、アルは幽閉される。または、望まぬ結婚を強いられるという。まだガキだというのに、それはあんまりだろう。
 俺は、そんなことから逃げているアルの手助けがしたい。色々とアルにやらかしてしまった償いも籠めて。だから、コイツの答え次第では・・・

「いや、もう一人いンだろ?眠たい奴が」

 眠たい奴、と言えば・・・

「…シーフ、か?」
「ああ。連れてくぜ? アル」

 肩へ乗せたアルを見上げる緑灰色の瞳。

「おう。持ってけ」

 けれど、男から視線を逸らす翡翠。

「お、おい、アル、いいのか? アイツは、お前を追って来たんだろ?」
「ええ。ですが、アイツは、仕事を途中で放り出して来ているので、いずれ帰す予定でしたから」

 そして、丁寧な言葉が一変。

「つか・・・よく一月近くも、アイツを野放しにしてたな? まさか、レオが来るとは思わなかったぜ…」

 どことなく迷惑そうな顔でアルが言う。

「なんだ? さっきっから随分な挨拶じゃねぇか。眠くて機嫌悪ぃのか? ん?」

 あやすような仕種と顔付きでアルの顎へと伸ばされる長い指先。

「やめろ」

 アルはムッとした顔で長い指を掴んで止める。

「アル…本格的にご機嫌斜めか? 全く・・・ほら、こっち向けよ。アールー?」

 困ったような男の顔は、確かに保護者のもので…

「嫌だ」

 ムッとしたままのアル。と、そこに慌てたような足音がして、ジンが走って来た。

「レオンハルトっ?」
「よう、ジン。妹が世話になっているな」

 ニヤリと犬歯を覗かせる男の名は、レオンハルトというらしい。二人は知り合いのようだ。そして、若干緊張したようにジンが問い掛ける。

「・・・君は、なにをしに?」
「回収だ。弟の方を、な」
「弟?」
「そこかしこに転がる眠たい奴がいるだろう?」
「シーフ君も、弟なのか?」
「ああ、シーフの奴も、弟だ」
「・・・アルちゃんは?」
「アルちゃん・・・、な? 馴れ馴れしい呼び方だ…」

 緑灰色の瞳が軽く眇められる。

「が、まあいいだろう。妹は、預けておく」

 と、レオンハルトは、迷惑そうな顔のアルを肩から降ろしながら、その首へがぶりと噛み付き、

「ちょっ、レオ? わっ」

 ぺろりとそのうなじを舐め上げる。

「言っておくが、俺の妹に手を出したらぶち殺す。そのつもりでいろ」
「は? レオ?」
「それと・・・よくもアルに怪我をさせたな!」

 低く、怒りの籠った声が言い・・・

※※※※※※※※※※※※※※※

 ドン、と吹っ飛ばされるヒュー。
 アルちゃんを降ろしたレオンハルトが一瞬でヒューへと距離を詰め、そのスピードを乗せた拳で、顎へと強烈なストレートを放ったのだ。
 床に倒れて動かないヒュー。おそらくは脳震盪のうしんとう。完璧にノックアウトされたな。後で診ておかないと・・・

「おい、レオ!」
「ふっ、手加減はしておいた」
「いや、そういうことじゃねぇだろっ!」
ようやくこっち向いたな? アル」

 柔らかい声でしゃがみ込んだレオンハルトが、アルちゃんの両頬を挟み、上を向かせて鼻と鼻をくっ付けて匂いを嗅いぐ犬科同士の親愛の挨拶。

「じゃあ、俺はもう行くが、帰りたくなったら何時いつでも呼べ。駆け付ける」
「帰らねぇよ。ばーか」
「そう拗ねるな」
「・・・」

 面白くなさそうなアルちゃんの頬を宥めるように舐め、レオンハルトが囁く。

「全部終わらせたら、迎えに来る。待ってろ」
「? レオ?」

 そう言って、レオンハルトは寝転けたままのシーフ君を担いで船を後にした。

 っていうか、レオンハルトめ。
 どこが、『妹』なんだ。全く・・・
 狼が、異性の首を噛んで唾液…自分の匂いを付ける行為は、マーキングだ。
 『これ』は自分のモノだという示威行為に当たる。これでもかというくらいに、俺達へと牽制して行きやがった。「俺のモノに手を出すな」と・・・
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