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ヴァンパイア編。

32.・・・重い…そして、暑い。

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 逸らそうとした銀色の浮かぶ翡翠。けれど、頬へ手を添えて逸らせないようじっと覗き込む。と、根負けしたような溜息。

「…寝てない、ワケじゃない。ただ、少し・・・熟睡できてないだけだ」

 ぼそりと呟くアルト。

 アルは意地っ張りだが、実は繊細。動物的…とでも言うのだろうか? どこででもすぐに眠れるおれと違って、信頼できる場所でないと眠れないらしい。もしくは、信頼できる誰かがいないと駄目?

 アルの悪夢はよくわからないが、『それ』が酷くつらいだろうということは、知っている。
 昔から、よくうなされることがあるのも知っている。そういうときは養父ちち養母はは、またはレオにぃにくっ付いて寝ていた。狼はもふもふ。あと、偶におれ。そして、父。

 兄貴と姐御あねごは、アルが魘されることを知らないだろう。二人とは、あまり暮らしていないから。
 一応、姐御の家族と一時期同居はしていたが、あのときのアルはとある事情でへろへろだったので、魘される暇がなかった。

 父とは、普段会うことはあまりない。だが、アルが頭痛でバーサクしているときには必ず駆けつけて来る。そして、アルの頭痛がましになるか、体力が尽きて動けなくなるまで強制的に寝かせるのだ。まあ、強制的に寝かせるなら、養父達狼に拠る肉体的ダメージで寝かせるより、父の電撃で意識を刈る方がアルへの身体的ダメージが少ないのだろうと思うが。
 繰り返しアルの意識を刈り取るあのヒトは、とても辛そうな顔をする。あのヒトの辛そうな顔は、なかなか見られるものじゃないと思う。
 だから、あのヒトはアルをとても大切にしていた筈なのだ。おれにも判るくらいに。

 なのに、あのヒトは、こんな問題を抱えたアルを追い出した。意味がわからない。養父達だって、アルがとても弱いことを十二分に理解しているのに、あのヒトに同意した。

 はっきり言って、アルは弱い。真祖の血筋としては、有り得ないレベルの脆さ。父や養父達に、大事に大事に庇護されて、ようやく生きて来れたのだ。
 それを、今更アルを放り出す意味がわからない。

 いつもなら絶対アルの身方をする筈のレオ兄や養母も、今回は父の意見に賛成らしい。理不尽。
 まあ、レオ兄は兄貴がアルに逢おうと動くのを止めていたが・・・そして、微妙にへこんでいた。へこむくらいなら、アルの味方をすればいいのに。変。

 だから、おれがアルのそばにいてもいいと思う。

「・・・なんだよ、シーフ」

 ムスっとした顔のアル。

「・・・寝た方が、いい…」
「ウルサい」

 そんなことは、アルも判っているだろう。

「・・・不眠症。は、大変…?」
「イヤミかよ…」
「?」
「・・・もう、いい。放せ、このアホ」
「…や」

 身じろぐアルを、逃がさないよう腕に力を籠めてぎゅっと抱き締める。じたばたするが、気にしない。

「は~な~せ~っ!」

 眠いのに、眠れないのは大変。だから、アルを寝かせてあげよう。痛いのは、可哀想・・・というか、体術はアルの方が上。体力や地力は低いが技術は高い。今も、転がされたばかり。そして、アルに暗示や支配のたぐいは効き難い。兄貴の暗示もアルには効かないらしい。おれ程度の暗示なら、もっと無理。

「や・・・」

 どうする、か…

「や、じゃねぇンだよこのボケがっ!?」

 アルが怒る。そうだ。こうしよう。

「寝て、いい。大丈夫…おれが、いる。から…」
「はあっ! なんで、…? なに…し、た…? しー…」

 ふっとまぶたが落ち、閉じる翡翠。くてんと力が抜けて意識を失ったアルを支える。成功。

「アルちゃん?」
「おい、アル?」
「ちょっ、どうしちゃったのさ? アル?」
「シーフ君、アルちゃんになにをしたの?」

 眼鏡越しに険しい色を見せる薄い琥珀。

「・・・寝かせた。だけ…」
「いや、それは判ってるよ。どうやって、って訊いているんだ」

 低い声が言う。

「…酸素、濃度?」
「っ!? 君っ、そんなことしたのっ!?」

「「?」」

 慌てるのは、銀髪のヒトだけ。あとの二人は意味が判っていないようだ。

「そんなことして大丈夫なのっ!?アルちゃんはっ?」
「ん。平気・・・多分…」

 アルの息継ぎのタイミングで、周囲の酸素濃度を低くしただけ。そしてアルは、低酸素で気絶。普段ならかく、弱っているアルには効いたようだ。※低酸素状態は、脳に重篤な障害を引き起こす可能性があり、大変危険です。

「多分って、そんな…」

 そう心配しなくても、ヴァンパイアは簡単に死んだりはしない。アルも、ハーフの個体としては弱くても、人間よりは丈夫だ。

「ん。寝た。…ベッド、どこ?」※寝たのではなく、気絶、または意識障害です。

 アルを抱き上げて立ち上がる。

「え? あ、こっち」

 と、小さい子が案内したのは、小さめの部屋。

「…ん。ありが、と…」
「へ? あ、うん」

 ドアを閉める。物は少ないが、少しアルの匂いがする。アルの部屋のようだ。気配が染み付いてはいないから、ここで暮らしてからあまり時間は経っていなさそう。例えるなら、仕事などで数週間程滞在中のホテルや宿屋に近い…だろうか? 本人はそこにいても、どこか余所余所よそよそしい感じ。

 アルをベッドに降ろし、ブーツを脱がせる。相変わらず重い靴。蹴られるとそこそこ痛い。そして、色々と仕込んでいる上着を脱がせて服をくつろげる。

 アルの服は、姐御の織った布の服。半分、女郎蜘蛛じょろうぐもでもある姐御の紡ぐいとはとても丈夫で、耐刃性に優れている。あと、着心地もいい。けど、火には弱め。一応、普通の炎では燃えにくいらしいが、おれの焔では簡単に燃える。燃やすと、姐御に怒られる。そして、「いつかアンタの焔でも絶対燃えない絲を創ってやるからね!」と姐御が奮起する。燃えない絲、楽しみ。超期待。

 アルの頭を持ち上げ、髪留めを外す。サラリと流れる月色の髪。きらきらして、綺麗。癖が少なくて、するすると柔らかい。アルは、鬱陶うっとうしくて邪魔。と言って切りたがるが、その度に姐御やリリアン、兄貴が止める。こうして、この美しい髪が守られている。グッジョブ、姐御とリリアン。

 髪を下ろすだけでもガラリと雰囲気が変わり、小柄な美少年から、物語の姫のように見えて来る。姫は、寝ていることが条件だが・・・眠り姫?
 起きているときには凛とした雰囲気の強いアルだが、目を閉じて寝ていると、その整った顔は丹精籠めて創られたビスクドールのような人形に見えて来る。
 閉じた瞼に隠れるのは、翡翠に浮かぶ銀色の瞳孔。おれのエメラルドと灰色よりも、柔らかくて淡い色合い。兄貴の灰色の浮かぶセピア色の瞳や、銀環ぎんかんが取り囲む漆黒の瞳を持つ姐御よりも、アルに近い。色違いのお揃いみたいで、ちょっと自慢。

 寝ているアルも見飽きない程綺麗なのだが、やはりおれは、起きているアルが好きだ。
 早く、いつものアルになってほしい。

 寝ているアルの唇にそっと口付け、軽くついばみながらゆっくりと精気を分け与える。おれの母は焔の聖霊イフリータ。その血が濃いおれは、ヴァンパイアよりも聖霊に近しい。だからアルは、純血種の父や兄貴の強い魔力や精気よりも、おれの血や精気の方が吸収し易いらしい。そして魔力許容量の低いアルは、血よりも精気の方を好む。
 今はリリアンの血の方を好むアルだが、おれの方がアルの非常食歴は長い。昔から、起きているときよりも、寝ているアルに精気を分け与えることの方が多かったし。バーサクの後や、兄貴がやらかした後なんか・・・

「・・・ふゎ…眠く、なって来た…」

 精気を大量に分け与えると、眠くなる。おれもそろそろ寝よう。上着を脱いで、柔らかいアルの身体を抱き締める。

「おやすみ…アル。ん…」

 白い頬へ口付け、意識を手放した。

※※※※※※※※※※※※※※※

 ・・・重い…そして、暑い。

 気怠く、閉じようとする瞼をどうにか開く。と、身動きが取れなかった。

「?」

 なんだろうと思ったら、シーフだった。意味がわからない。なんでシーフが?

「・・・?」

 眠くて頭が回らない。
 とりあえず、オレはまだ眠い。暑いのは嫌いだ。暑いと眠れない。だから、

「・・・邪魔…」

 と、オレに抱き付いて密着しているシーフを引き剥がしてベッドから蹴り落とす。これでよし。

「…ふゎ・・・眠…」

 必要無いのは判っているが、毛布をシーフに掛け、オレも別の毛布に包まって意識を手放す。

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 シーフはキス以上はしてません。念の為。
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