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音楽家セスの場合。
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飽きることなく楽器が演奏される様を眺めていると、奏者がセスに気付いて言った。
『楽の音が好きか?』
演奏の手を止めることなく問われたその声は頭に響くような不思議な感覚がした。頷いたセスに、
『そうか。なれば、存分に聴くがよい。喰われぬよう、気を付けてな』
上機嫌に笑みを含む声。そして、セスの手にしたちゃちな竪琴に視線を落とす。
『・・・ああ、其も楽師か?』
セスはううんと首を振る。
「まだ、弾けない」
『ほう・・・楽が好きならば、其は奏者と成るを望むか? さすれば、我が楽器に触れることを許可しよう。奏者なれば、此処へ長居しても喰われまいし、そうそう無体なこともされぬであろう』
「?」
セスには言われたことの意味がよくわからなかった。けれど、頷けばここにある楽器に触ってもいいのだということだけを、理解した。
セスは音楽が好きで、楽器を弾くことにとても憧れていた。偶に村にやって来る旅芸人や吟遊詩人達にくっ付いて回り、いつまでも演奏を、楽器を眺めていたかった。けれど、そんなことはセスの家族や周囲の村人達は誰も望まなかったし、絶対に許してはくれないことだった。
それが、叶う。
今頷けば、セスは楽器に触れられて、そして演奏することをも、許可される。
だからセスは、頷いた。
「演奏を、教えてください。きれいな音を」
頷いた奏者が、手を止める。
『では、宣誓を。我に続き復唱せよ』
すっと立ち上がった奏者の指の長い手がセスの両手を取り、セスを立ち上がらせる。
『其の身は全て、楽を奏でる為に』
其、とは其方という意味。だから・・・
「此の身は全て、楽を奏でる為に」
『其の頭は、音を記憶する為に』
「音を記憶する為に」
『其の瞳は、楽譜を読む為に』
「楽譜を読む為に」
『其の耳は、音を聴く為に』
「音を聴く為に」
『其の声は、音を伝える為に』
「音を伝える為に」
『其の腕は、楽器を支える為に』
「楽器を支える為に」
『其の手は、楽器を奏でる為に』
「楽器を奏でる為に」
『其の、名は』
「セス」
『宣誓は成った。さあ、奏でよ。我等が楽器よ。我等が宴へ、久遠の調べを。・・・とは言え、ほんに久遠という訳でもないがな。約束じゃ、セス。其が此処に居る間は、主催の我の楽器として其に手出しはさせぬ。飽くるまでゆるりと、心行くまま存分に楽を奏でるがよい。我が許可しよう』
柔らかい上機嫌な声が、セスが楽器に触れることを、そして演奏することを許可した。
それからセスは、楽器の持ち主である奏者を手本とし、楽器へと手を伸ばした。
一年で夜が最も短い夏至の夜。
おとぎ話のような光景の中、何時間も何時間も楽器を演奏しているというのに、煌々と明るい満月は沈むどころか中天から位置を変えず、飲めや歌えの陽気な宴会場を照らし続ける。
セスは宴会場にいるモノ達から示されたリクエストに応じて、葦でできた笛、木でできた横笛、土を焼いた笛、木でできた縦笛、角笛、バルバッド、ヴァイオリン、レベック、ツィター、ハープ、木琴、太鼓、カスタネットなどなど楽器を変えながら、演奏を続けた。
絃楽器や打楽器に比べると、管楽器はあまり上達したとは言えないが、セスは時間を忘れていつまでもいつまでも演奏を続けた。
変わらずの沈まない月、明けない夜。騒がしい陽気な宴会が続けられる進まない時間の中で、不思議と空腹や眠気を覚えず、演奏が続けられた。
そして酷くゆったりとした長い、長い時間の楽器演奏で習熟度が上がって行くと、曲のリクエストを頼むモノに合わせて即興で演奏をしたりするようにもなった。
やがて、彼の中からは色々なことが少しずつ失われて行った。食事を忘れ、睡眠を忘れ、時間を忘れ、家族を忘れ、家を忘れ、住んでいた場所を忘れ、他人との会話のし方を忘れ、音楽に関すること以外の言葉を忘れ、仕舞いには自分の名前さえも忘れかけていたときだった。
「ぅ、お! なんだここっ!? あれかっ!? アレなのかっ!? さっき食ったキノコに当たった、のか・・・? なんかヤベー幻覚と幻聴症状かっ!!」
騒がしい声がした。
『楽の音が好きか?』
演奏の手を止めることなく問われたその声は頭に響くような不思議な感覚がした。頷いたセスに、
『そうか。なれば、存分に聴くがよい。喰われぬよう、気を付けてな』
上機嫌に笑みを含む声。そして、セスの手にしたちゃちな竪琴に視線を落とす。
『・・・ああ、其も楽師か?』
セスはううんと首を振る。
「まだ、弾けない」
『ほう・・・楽が好きならば、其は奏者と成るを望むか? さすれば、我が楽器に触れることを許可しよう。奏者なれば、此処へ長居しても喰われまいし、そうそう無体なこともされぬであろう』
「?」
セスには言われたことの意味がよくわからなかった。けれど、頷けばここにある楽器に触ってもいいのだということだけを、理解した。
セスは音楽が好きで、楽器を弾くことにとても憧れていた。偶に村にやって来る旅芸人や吟遊詩人達にくっ付いて回り、いつまでも演奏を、楽器を眺めていたかった。けれど、そんなことはセスの家族や周囲の村人達は誰も望まなかったし、絶対に許してはくれないことだった。
それが、叶う。
今頷けば、セスは楽器に触れられて、そして演奏することをも、許可される。
だからセスは、頷いた。
「演奏を、教えてください。きれいな音を」
頷いた奏者が、手を止める。
『では、宣誓を。我に続き復唱せよ』
すっと立ち上がった奏者の指の長い手がセスの両手を取り、セスを立ち上がらせる。
『其の身は全て、楽を奏でる為に』
其、とは其方という意味。だから・・・
「此の身は全て、楽を奏でる為に」
『其の頭は、音を記憶する為に』
「音を記憶する為に」
『其の瞳は、楽譜を読む為に』
「楽譜を読む為に」
『其の耳は、音を聴く為に』
「音を聴く為に」
『其の声は、音を伝える為に』
「音を伝える為に」
『其の腕は、楽器を支える為に』
「楽器を支える為に」
『其の手は、楽器を奏でる為に』
「楽器を奏でる為に」
『其の、名は』
「セス」
『宣誓は成った。さあ、奏でよ。我等が楽器よ。我等が宴へ、久遠の調べを。・・・とは言え、ほんに久遠という訳でもないがな。約束じゃ、セス。其が此処に居る間は、主催の我の楽器として其に手出しはさせぬ。飽くるまでゆるりと、心行くまま存分に楽を奏でるがよい。我が許可しよう』
柔らかい上機嫌な声が、セスが楽器に触れることを、そして演奏することを許可した。
それからセスは、楽器の持ち主である奏者を手本とし、楽器へと手を伸ばした。
一年で夜が最も短い夏至の夜。
おとぎ話のような光景の中、何時間も何時間も楽器を演奏しているというのに、煌々と明るい満月は沈むどころか中天から位置を変えず、飲めや歌えの陽気な宴会場を照らし続ける。
セスは宴会場にいるモノ達から示されたリクエストに応じて、葦でできた笛、木でできた横笛、土を焼いた笛、木でできた縦笛、角笛、バルバッド、ヴァイオリン、レベック、ツィター、ハープ、木琴、太鼓、カスタネットなどなど楽器を変えながら、演奏を続けた。
絃楽器や打楽器に比べると、管楽器はあまり上達したとは言えないが、セスは時間を忘れていつまでもいつまでも演奏を続けた。
変わらずの沈まない月、明けない夜。騒がしい陽気な宴会が続けられる進まない時間の中で、不思議と空腹や眠気を覚えず、演奏が続けられた。
そして酷くゆったりとした長い、長い時間の楽器演奏で習熟度が上がって行くと、曲のリクエストを頼むモノに合わせて即興で演奏をしたりするようにもなった。
やがて、彼の中からは色々なことが少しずつ失われて行った。食事を忘れ、睡眠を忘れ、時間を忘れ、家族を忘れ、家を忘れ、住んでいた場所を忘れ、他人との会話のし方を忘れ、音楽に関すること以外の言葉を忘れ、仕舞いには自分の名前さえも忘れかけていたときだった。
「ぅ、お! なんだここっ!? あれかっ!? アレなのかっ!? さっき食ったキノコに当たった、のか・・・? なんかヤベー幻覚と幻聴症状かっ!!」
騒がしい声がした。
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