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2章

南の海を渡る

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BATARAの蝶は空に舞った。
一面は、太陽がふりそそぐ赤茶けた大地だった。
以前は、深々としたジャングルだった。

荒野をこえると、目の前に海が広がった。
紺碧こんぺきの海がどこまでも続いていた。
海の上を何日も飛んだ。

とちゅう、馬蹄形ばていけい珊瑚礁さんごしょうの島の上にさしかかった。
海水上昇で、海に沈むツバルという島国だった。
BATARAは、眼下の超粘菌からその話をパルスで聞かせてもらっていた。
それは、マスコミが流したフェイクニュースだった。

『海水上昇は温暖化の影響である』『それはCO2が原因だ』『各国はCO2の排出を押さえなければならない』『だから太陽光発電、風力発電がいい』『エコ産業の時代だ』『手遅れになれば地球は滅びる』
マスコミを使い、アピールした。
でも、ツバルは今も元気な姿を見せている。

とにかく海の上を東に向かう。
朝がきて、また夜がくる。
BATARAの蝶は、輝く南の海を飛び、また島影をとらえる。

「パプアニューギニアだ。ギラデに着陸する。島の超粘菌の仲間に連絡をとってくれ」
長老が命じた。
通信係がすぐに対応する。
「こちらBATARA、ギラデのだれか、連絡をくれ」

一呼吸してから返事がきた。
「こちらギラデ、BATARAを歓迎する。ここには、だれにも邪魔されない平和な生活がある。ゆっくり静養していってくれ」
 

家長のヤンカは、毎朝森で焚き木を拾ってくる。
ヤンカが焚き木を集め終えたとき、アカシアの木に舞い降りようとしている一匹の紋白蝶を目撃した。

ところが、その蝶が幹に止まろうとした瞬間、粉々になって消えたのだ。
ちりちり頭でフンドシ一つのヤンカンは、黒目をまばたかせた。
超粘菌たちが休憩と栄養補給のため、いっせいに森に散ろうとした瞬間だった。
ヤンカは家に戻ると、つるで巻いた焚き木の束を妻のイブガに渡した。

「どうしたの? さえない顔して」
「ちょうちょうが、ぱっと消えたんでおどろいてんだ」
 ヤンカンが肩をそびやかした。
「あなたの目、おかしいんじゃない」
イブカは朝の支度で忙しかった。

かまどの炎がゆらめき、いい匂いがした。
蒸した魚が食べごろになったのだ。
家族全員で食事を終え、ようやく射してきた。
朝の陽光の中で、女たちは網かけのかごを、男たちは弓矢を作る作業にとりかかった。
のんびりした一時ひとときである

そんなギラデの村にも、いつか白い人がきて語りかけた。
『裸の生活はいけません。女の人は、おっぱいをだして歩いてはいけません。用がないからといって、なにもしないでぶらぶらしていてはいけません。いけないことは、まだまだ幾らでもあります。

このまま努力もなにもしないでいれは、あなたたちは永遠に森の中で裸で生きていくことになります。あなたたちは動物ではないのです。まずは芋の代わりに、畑にコーヒーの木を植えましょう。

そうすれば現金が手に入り、村は豊かになります。薬もランプもタバコも、鉄の斧もナイフも酒も、なんでも買えるようになります。そして神様に祈るのです。一日もはやく、みんなで幸せになりましょう』
白い人は使命感にあふれ、青い目の中に決意の炎を揺らめかせた。


陽がだいぶ強くなり、風が部族の家々の軒をかるく揺すった。
ヤンカは目を光らせ、風に舞った土埃つちぼこりを観察した。
「今日は狩りをしよう。みんなで肉を食おう」
そういって弓と矢を持ちだした。

「ホホホー、ホホホー、アップ、アップ、アップ」
二階のベランダに上がり、叫んだ。狩にいくときの合図である。
ものの二、三分もしないうち、左と右に並んだ小屋から、男たちが弓矢を持って現れた。

みんな腰に小さな袋を下げている。男たちだけではない。
いままで手足をのばし、地面に寝そべっていた犬たちまでもが、きゃんきゃんと吠え、跳んできた。
かごを持った女たちもおっぱいを揺らし、腰蓑こしみのをつけてやってきた。何人かが、先端を斜めに切り落としたすき代わりの太い竹棒を持っている。

女たちは畑で芋を掘り、子供たちが川で魚を捕まえる。
子供たちは丸裸だ。
「今日の狩は、ヤップでやろう」
ヤップというのは、木の生えた草原である。疎林そりん地帯ともいう。

ヤンカを先頭に、全員が列を作った。村の出入り口で女たちが右に、少年たちが左に、男たちが真っ直ぐ、それぞれの方向に進んだ。
ヤップの一面のやぶのあちこちに木が生えている。
この藪の中や木の下に、大小の動物が潜んでいるのだ。

男たちが腰の袋から火打石を取りだし、枯れ草に火をつけながら素早く移動した。
直径一キロほどの円弧を描いた煙と火は、ぱちぱちと音をたてた。
ヤンカたちが立っている場所だけが、ぽっかり空いている。
ヤンカを中心にした三人の男が横一列に並び、弓を引き絞った。

犬が煙の上がる円の内側を走り、わんわん吠えた。
ヤップに潜んでいた動物たちが、火の付いていないヤンカたちのほうに逃げてくる。
最初に現れたのは大型の鹿だ。
風を切り、矢が飛んだ。
鹿はがくんと膝をつき、横倒しになった。

ついで犬に吠えたてられたワラビーが、跳ねながらでてきた。
次は猪だ。ヤンカとほかの二人の矢が、横から胸を射抜く。
それでも、きききーと鳴いて逃げるところを、犬が白目を剥き、後ろ足に噛みつく。
次々に獲物が跳びだしてくる。それらを確実に仕留めていく。

「よーし、おわり」
ヤンカンは叫んだ。
それ以上の獲物は不要だった。必要なとき、また狩ればいいのだ。


鹿や猪のような大きな獲物は棒に吊るし、二人がかりで運んだ。
女たちもたくさんの芋を掘ってきた。少年たちの魚も大漁だ。
おじいさんたちが草原のアリ塚を壊し、塚の破片でかまどを造った。
熱くなっている竈の石の上にバナナの葉が敷かれ、切り裂かれた肉、そして芋や魚などが並べられた。その上に再びバナナの葉が被せられる。

すでに太陽は西に傾きはじめた。
太鼓の音とともに、村人は踊りながら時を待った。
やがて蒸し焼きの山から、幾筋もの白い蒸気が昇りだす。
白い蒸気が弱くなったとき、女たちが上に乗せた木の皮とバナナの葉を剥いだ。

「できたよ。できたよー」
女の声が広場に響いた。
太鼓の音が止んだ。村人が料理の周りに集り、腰を下ろした。
全員が料理の山に手をのばす。前の者は、後ろの者に取ってやる。
男も女も母親も子供も、おじいさんもおばあさんも、いっせいに口を動かした。
食べ物の匂いと物を食べる音が、村を支配する。
活躍した犬も歯茎はぐきを見せ、けんめいに骨にかぶりついている。

「おいしい。おいしい」
「うん、おいしいね」
全員が、黙々と蒸し料理に熱中した。
薄暮の空に、いつもの月と星が浮んでいる。やがて満天の星空になる。

202☆年現在、パプアニューギニアのギラデ村は、祖先の生活そのままである。
ギラデ社会のルールはただひとつ。『互いに助け合う』である。
ギラデに指導者はいても、権力者はいない。


「明日、出発する。集合せよ」
ギラデの超粘菌から、この村の人々の生活についての話を聞き終え、BATARAの粘菌たちは納得した。
自分たちが永年住んでいたジャングルも昔はそうだったのだ。

長老のパルスを受け、超粘菌たちはアカシアの木の方向に移動を開始した。
やがて紋白蝶は、アカシアの幹からパプアニューギニアの空に飛び立った。
このギラデに、他人の富を狙う文明とやらが訪れてこないように、と超粘菌たちは祈った。互いに助け合い自立して生きている人たちを、いつまでもそっとしておいて欲しいと。

⦅そうだ、それがわれわれの考えだ⦆
ふいに長老の耳に言葉が飛び込んできた。
長老は姿勢を正した。それが微生物をふくめ、地球に住むあらゆる生き物を代表するメッセージであることは分かっていた。

⦅少し前、あなたたちに協力してもらった少女一件を覚えているか⦆
問われた長老は、脳裏に一人の少女の姿を浮かべた。
地球創成期の時間的表現であるから、一ヶ月二ヶ月という単位ではない。
「あの娘さんですね。おぼえています」

⦅また彼女に協力してもらう。だが彼女は永い眠りから覚めたばかりで、記憶もあいまいだ。久しぶりの人間の世界に戸惑っているが、すこしづつ思い出してもらうので、ときどきパルスで話しかけ、目覚めさせてやってくれ⦆
「了解しました。とにかく、このまま東にむかって飛びつづけます」

長老の身が引きしまった。
メッセージを聞いているうち、幾度となく地球滅亡の危機に関わった過去を思い出した。
(2-2 了)
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