上 下
24 / 58
塩むすびは友との約束と忘れがたき味ー過去ー

【24】

しおりを挟む
「はぁ……」

 柄にもなく溜め息を吐いていると、男が本殿に供えた塩おにぎりと竹筒が目に入る。本殿の前に降りて周囲に誰もいないことを確認すると、神は仮の姿である光の球体を大きく膨らませる。白い光と蝶の鱗粉にも似た粒子を煌めかせながら球体を粘土のように縦長に伸ばしていくと、本来の姿である人型に姿を転じたのだった。

(たかが人の子に、ここまで弄されるとは……)
 
 冬の月のように寒々とした雰囲気を纏う若い男性を模した姿になると、腰まで伸びる銀色に輝く長い髪を鬱陶しそうに背中に払う。腕の動きに合わせて、神が身に付ける白い狩衣の袖が空を切ったのだった。
 豊かさを司る神らしくもない、白皙の肌と切れ長の黒目、鼻梁の整った顔立ちと月明かりを反射させたような長い銀髪。そしてただ笑っただけでも冷笑主義者として捉えられてしまうこの姿は、神をこの地に祀った最初の宮司が空想した姿だった。
 神々の姿形というのは、人の想像に左右される。人と違って神々は見目や美醜を重要視しない。神力の大きさや信仰の篤さに度合いを置いている。そのため、神々の中には人型や獣型といった決まった姿を持たない者さえ存在していた。
 神々が人の手によって祀られた際、その当時の人たちが想像した神々の姿を絵に描いて奉納することがある。姿形を持たない神々にとって、人前に降臨する際には依代となる器が必要となるため、人が空想した神々の姿というのは大切になってくる。神々の受け皿となる依代は何でもいいが、時代によっては適した依代が見つからないこともある。そこで手軽に借りられる依代として重宝されるのが、当時の人たちが想像して絵姿に残した神々の姿であった。
 神も祀られた当時は決まった姿を持っていなかったため、最初の宮司が想像したこの姿を依代として借り続けていた。最初の宮司は神の絵姿を残さなかったが、文章として空想上の神の姿を記していたのでそれを拝借した。神饌を捧げる清き乙女たちにもこの姿で対面してきたのだった。
 今日まで姿を変えていないのは、他に依代となるものが存在しなかったというのもあるが、一番は幾度となく激動の時代を経験してもなお、信心深く神を祀り続ける宮司たちへの密かな感謝の意味もあった。
 神は切れ長の目をますます細めると、不快そうに眉を顰める。

「男の握った飯など美味いはずがない」

 そうは言いつつも、男の言う通り、手つかずの神饌が本殿から下げられる度に生産から運搬まで携わった人間たちのことを考えてしまい、全く胸が痛まなかったわけではない。清き乙女が供える神饌しか受け取らないと知っていても、今の宮司一族が神饌を供さなかった日は一度もない。その前の宮司一族も。それは数百年前に起こった大災害や大飢饉の際も変わらなかった。
 その時も当時の宮司一族は自分たちの食事よりも、神への神饌を優先した。蓄えていたのか知らないが、清水以外の貴重な米や酒、塩をどこからか入手してきては、神を祀る本殿に捧げ続けた。そこには神に早くこの状況を解決してほしいという願いもあったのだろう。それで自分たちが倒れたら、意味がないというのに……。
 災害や飢饉も規模が大きくなると、神のような小さな本殿に祀られるような下級の神には手も足も出ない。せいぜい自分が守護する土地に被害が広まらないように守るのが精一杯であった。宮司一族にこのことを伝えたくても、先程の男のように神を視認できる者がいなかったため、もどかしさを抱えたまま、全て収束するのを待つしかなかった。
 それで仕方なく、当時の神は神饌を捧げて恐る恐る事態の終息を懇願する祓詞を唱える痩せ細った処女を見つめながら、高みの見物をしていた。
 明日の食事に困り、食べる物を血眼で探している民が神饌のことを知ったら、きっと怒り心頭に発するだろうと、そんなことを考えながら――。
 
(アイツの労に報いて、今回くらいは食ってやるか)
 
 渋々といった体で、神は男が握った塩おにぎりを口に入れる。その瞬間、神の身体から神聖な光が迸り、周囲の空気が変わる。聖なる光を纏った厳かな風が芽生え、本殿を中心としてこの土地を守るように円状に広がって行く。遠くまで澄み渡るような清浄な空気には覚えがあった。神が神力を使って、この土地を加護した時に吹き荒ぶ清風であった。

「まさか……!?」

 長らく神饌を受け取らなかったことで力が弱まった神には、ここまでの神力を使うことは出来ない。全盛期でも起こせるか微妙なところだ。
 ただの神饌を食べただけで、ここまでの力が発現できるわけがない。あの男が何か仕掛けを施したとしか考えられない。
 しかしそうは言っても、塩おにぎりは苦みを含んだ塩と甘みのある新米が使われているだけである。海苔や高菜が巻かれているわけでも、塩おにぎりの中に梅干しや鮭のほぐし身などの具材が入っているわけではない。舌で感じられるのは塩と米の味のみ。それだけなのにこれまで食べた神饌の中で最も美味に思えるのは何故だろう。
 
「神として長らく神饌を食してきて、一番神力に効いたのは、まさか男の作る握り飯だったとはな」

 神は短く鼻で笑う。このままあの男が作る塩おにぎりを食べれば、きっと力を取り戻せるだろう。
 これまでの神が抱いてきた男たちに対する主観を変えることになるが。
 
 神は残りの塩おにぎりも食す。しばらく無言で食べていたが、やがてポツリと漏らしたのだった。

「塩辛いな。この塩むすび……」

 竹筒を開けると、神酒で口の中を薄めたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

陽だまりカフェ・れんげ草

如月つばさ
ライト文芸
都会から少し離れた、小さな町の路地裏商店街の一角に、カフェがあります。 店主・美鈴(みすず)と、看板娘の少女・みーこが営む、ポプラの木を贅沢に使ったシンプルでナチュラルなカフェには、日々ぽつりぽつりと人々がやって来ます。 いつの頃からそこにあるのか。 年齢も素性もわからない不思議な店主と、ふらりと訪れるお客さんとの、優しく、あたたかい。ほんのり甘酸っぱい物語。

祇園七福堂の見習い店主 神様の御用達はじめました

卯月みか
キャラ文芸
旧題:祇園七福堂繁盛記~神様の御用達~ 勤めていた雑貨屋が閉店し、意気消沈していた繁昌真璃は、焼き鳥屋で飲んだ帰り、居眠りをして電車を乗り過ごしてしまう。 財布も盗まれ、終電もなくなり、困り切った末、京都の祇園に住んでいる祖母の家を訪ねると、祖母は、自分を七福神の恵比寿だと名乗る謎の男性・八束と一緒に暮らしていた。 八束と同居することになった真璃は、彼と協力して、祖母から受け継いだ和雑貨店『七福堂』を立て直そうとする。 けれど、訪れるお客は神様ばかりで!? ※キャラ文芸大賞に応募しています。気に入っていただけましたら、投票していただけると嬉しいです。 ------------------- 実在の神社仏閣、場所等が出てきますが、このお話はフィクションです。実在の神社、場所、人物等、一切の関係はございません。

【完結】失くし物屋の付喪神たち 京都に集う「物」の想い

ヲダツバサ
キャラ文芸
「これは、私達だけの秘密ね」 京都の料亭を継ぐ予定の兄を支えるため、召使いのように尽くしていた少女、こがね。 兄や家族にこき使われ、言いなりになって働く毎日だった。 しかし、青年の姿をした日本刀の付喪神「美雲丸」との出会いで全てが変わり始める。 女の子の姿をした招き猫の付喪神。 京都弁で喋る深鍋の付喪神。 神秘的な女性の姿をした提灯の付喪神。 彼らと、失くし物と持ち主を合わせるための店「失くし物屋」を通して、こがねは大切なものを見つける。 ●不安や恐怖で思っている事をハッキリ言えない女の子が成長していく物語です。 ●自分の持ち物にも付喪神が宿っているのかも…と想像しながら楽しんでください。 2024.03.12 完結しました。

フリーの祓い屋ですが、誠に不本意ながら極道の跡取りを弟子に取ることになりました

あーもんど
キャラ文芸
腕はいいが、万年金欠の祓い屋────小鳥遊 壱成。 明るくていいやつだが、時折極道の片鱗を見せる若頭────氷室 悟史。 明らかにミスマッチな二人が、ひょんなことから師弟関係に発展!? 悪霊、神様、妖など様々な者達が織り成す怪奇現象を見事解決していく! *ゆるゆる設定です。温かい目で見守っていただけると、助かります*

いたずら妖狐の目付け役

ススキ荻経
キャラ文芸
【京都×動物妖怪のお仕事小説!】 「目付け役」――。それは、平時から妖怪が悪さをしないように見張る役目を任された者たち。 しかし、妖狐を専門とする目付け役「狐番」の京都担当は、まさかのサボり魔だった!? 京の平和を全力で守ろうとする新米陰陽師の賀茂紬は、ひねくれものの狐番の手を(半ば強引に)借り、今日も動物妖怪たちが引き起こすトラブルを解決するために奔走する! これは京都に潜むもふもふなあやかしたちの物語。 エブリスタにも掲載しています。

横浜で空に一番近いカフェ

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 大卒二年目のシステムエンジニア千晴が出会ったのは、千年を生きる妖狐。  転職を決意した千晴の転職先は、ランドマークタワー高層にあるカフェだった。  最高の展望で働く千晴は、新しい仕事を通じて自分の人生を考える。  新しい職場は高層カフェ! 接客業は忙しいけど、眺めは最高です!

Lizette~オーダーケーキは食べないで~

蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
忽然と現れ消えるカフェ【Lizette】 そこにいるのは心の闇をオーダーケーキにする少女リゼットと、彼女を守る青年リンフォード。 殺意を向けられた人間が今日もLizetteに辿り着く。 ■ORDER01. 殺意の生クリーム 向日葵(むかいあおい)の片想い相手が弟の遺体と共に失踪した。 失踪理由は弟の死に目に会えなかったからだと噂され、その時一緒にいたのが葵だった。 犯人扱いをされ陰口を叩かれた葵は引きこもった。 そんなある日、芸術的なオーダーケーキに魅了され半年ぶりに外へ出る。 そして葵はLizetteでミルクティのようなお姫様、リゼットに出会う。 「オーダーの打ち合わせをしましょうか、向日葵(ひまわり)ちゃん」

孤独な銀弾は、冷たい陽だまりに焦がれて

霖しのぐ
キャラ文芸
ある目的を果たすためにだけ生きていた主人公〈空木櫂人/うつぎ・かいと〉は、毎日通うスーパーで顔を合わせる女性〈伊吹澪/いぶき・みお〉のことをなんとなく気にしていた。 ある日の夜、暗がりで男性と揉めていた澪を助けた櫂人は、その礼にと彼女の家に招かれ、彼女のとんでもない秘密を知ってしまう。しかし、櫂人もまた澪には話すことのできない秘密を持っていた。 人を喰らう吸血鬼と、それを討つ処刑人。決して交わってはならない二人が、お互いに正体を隠したまま絆を深め、しだいに惹かれあっていく。 しかし、とうとうその関係も限界を迎える時が来た。追い詰められてしまった中で、気持ちが通じ合った二人が迎える結末とは?

処理中です...