扉の先のブックカフェ

ミドリ

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31 信じないで

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 マスターお手製のカフェモカをいただきながら、大川さんが受けた梨花による一連の悪質な行為についてざっと説明した。今日は定休日だからか、マスターも私の横に座り、カウンターに片肘を付いて聞いている。

 大川さんが私に全容を説明した理由は、私まで梨花に取り上げられたくないからだ。照れながらそう話すと、マスターは無精髭を撫で回しながらにやついた。

「大川さん、マリちゃんが本気で好きなんだなあ」
「ぶ……っちょ、ちょっと、真面目な話をしてるんだからからかわないで下さいよマスター」
「あ。マスターじゃなくて、克也かつやさんって呼んでよマリちゃん」

 おどけた顔で、マスターが言った。思わず「へ?」と返すと、私の顔を覗き込み、上目遣いでボソリと呟く。

「だって俺、仮だけど今はマリちゃんの彼氏だろ。恋人のことをマスターって呼ぶのはおかしくないか?」
「え、いや、その、でも」
「あのあざとそうな子、こういうのはすぐにおかしいって思っちゃうんじゃない?」

 嘘つきってさ、人の嘘には敏感になるもんじゃない。そうマスターに言われ、確かにそうかもと思った。

 自分が嘘で塗り固められている人間は、他人も同じだと考えそうだ。逆に、嘘なんてつかなくてもいい人間は、他人もそうだと信じていそうだ。かつての大川さんの様に。

 自分の為に生きる道を選んだ弟。弟を支えてくれた親子。大川さんにとって、自分に素直に生きる姿は輝いて見えたんだと思う。

 だから同じ様に生きてみようと思った。そしてそれが梨花にも通じる筈と信じて、梨花の話に親身に寄り添った。

 それが何もかも嘘だったとは思いもしないで。

 梨花にとって、自分の容姿はコンプレックスだった。事実はどうであれ、母親が梨花を置いていった理由が父親似の容姿の所為だという母親の言葉を鵜呑みにしたからだ。

 前髪を出来るだけ伸ばし、眼鏡をかけて、母親に捨てられるほどの容姿だと思い込んだ顔を必死で隠した。

 大川さんについた嘘は、咄嗟に考えたものだったんじゃないかと思う。自分を捨てた母親を悪者にすることで、援交をしていた事実は梨花の責任ではなくなると考えたのでは。

 そして、最初の嘘で大川さんが同情し、もう後戻りは出来なくなった。

 少しずつ、嘘を上塗りしていく。その度に、本来の梨花の姿からは遠ざかり――梨花が語る梨花は、全くの別人となっていった。

 いつから援交を始めたのかは分からない。だけど、タイミング的に大学に入る前に生まれ変わりたい、そう思って大川さんが見かけた時期あたりから始めたんじゃないか。

 整形して、これまでの人生は忘れて楽しく生きよう。もしかしたら、散々大川さんに嘘をついた梨花も、大学に進学した当初はそう思ったのかもしれない。

 だけど、梨花の立ち振る舞いは、最初からおかしかった。

 片っ端から合コンに参加してつまみ食いしていくと評されたのは、大川さんと再会する前から、既に人の上に位置したいという願望があったからじゃないか。これまでの、自分の殻に閉じ籠もった状態からの反動で。

 梨花の今の姿は可愛い。声は変わらないだろうから、あの可愛らしい声と姿、更に仕草を女性らしくしたら、これまで近寄ってこなかった男たちも梨花の周りを彷徨き始めたんだろう。

 大学生に成り立ての頃は、まだその加減の調整が出来ていなかったのかもしれないな、と思った。

 私は梨花のことは会社に入ってからしか知らないけど、最初の方はそこまで目立つ行動は取っていなかった記憶がうっすらとある。

 病んで辞めていった同期とのトラブルがあるまで、梨花のことは少しお姫様気質の、仕事よりは旦那さんを探しに来ている感じの子なんだろうなあ、という認識しかなかった。

 それがガラリと変わったのは、同期の彼女が辞めてからだ。だから、もしかしたら梨花は、それまでは全力で支配する対象をひとりに絞っていたのかもしれない。

 大川さんの話しぶりでは、大学を卒業した後は物理的に離れたからか、絡んでくる頻度や程度は若干ではあるものの大人しくなった印象だったみたいだ。

 もしかしたら、社長という浮気相手が常に身近にいたからかもしれないし、――身近に同期の彼女という絶好の対象がいたからなんじゃないか。

 彼女は、周りに必死で訴えた。それが解決の糸口になると信じて。

 だけど、トップに梨花の愛人が君臨しているあの会社で、少しずつ周りの先輩社員を取り込んできた梨花に面と向かって敵対する行為は、多分一番やっちゃいけないことだったんだろう。

 私に関しては、別部署だったことと、それまでの三年間の経験から今でも何とかなっている。癒やしスポットの『ピート』とマスターもずっと傍にいてくれたし、のらりくらりと躱すことで梨花は正面切って私をどうこうすることは出来なかった。

 だけど、これからはきっと来る。

 大川さんと私の関係は彼女が最初に疑ったものじゃない、とマスターがさらりと嘘をついてくれたから、あの場はあれで済んだ。

 だけど、梨花は元々私を支配下に置きたいんじゃないか。最近の態度は、そういったものばかりだったから。

 だとすると、マスターという存在を私の彼氏だと認識した以上、私を取り込む為にマスターに近づく可能性は大だった。

「……梨花がここにまで来るようになったらどうしよう」

 お客さんである以上、私たちの勝手な都合で『ピート』に来るなとは言えない。

 すると、マスターが俯いていた私のおでこを人差し指で押し上げた。

「起きてもないことでへこむのはなしだよ、マリちゃん」
「マスター……」
「克也さん」

 少し不貞腐れた顔で、唇を軽く尖らせるマスター。きっと、私を励ましてくれようとしているんだろう。いつだって私に親身に寄り添ってくれる、人を放っておけない優しい人だから。

「ほら」
「ふふ……。はい、克也さん」
「うお……っこそばゆいな、これ」

 マスターがぶるっと震える仕草をする。私たちは顔を見合わせると、笑い合った。

 笑いが収まると、マスターが悪戯っ子の様な目をする。

「付き合うまでの経緯を打ち合わせしておこうか」
「あ、確かに。決めましょう」

 二人で話し合った結果、出会いはそのまま四年前にして、お付き合いしかけた人とのトラブルで落ち込んでいた私にマスターが告白し、という流れに設定した。

「定休日の日曜はいつもデートしてるってことも付け加えておこう」

 マスターは、何だか楽しそうだ。私の呆れた視線に気付いたんだろう、頬杖をつきながら、へへ、と笑った。

「普段華のない生活を送ってるんだからさ、ちょっとくらい楽しんだっていいだろ」
「マス……克也さんてば」
「はは、いいねえその呼び方」

 本来であれば暗く沈んでしまいそうになる今回のことも、マスターにかかれば明るく前向きなものに見えてくるから不思議だ。

 この人のこの明るさに、何度助けられたことだろう。

 詳細を詰め終わったところで、マスターが私を駅まで送って行ってくれることになった。帰り支度をして席から立ち上がった、その時。

 私の携帯が鳴った。

「大川さん!」

 急いで出ると、電話の向こうから、疲れ切った様子の大川さんの声が聞こえてくる。

『月島さん……今はどこにいるの?』
「あ、『ピート』にいて、マスターにこれまでの説明と、今後の打ち合わせをしてたの。今から帰るところで。その……梨花はどうなったの?」

 私が尋ねると、大川さんは悲しそうな乾いた笑い声をたてた。

『駅前でひたすら探りを入れられたよ。明日は早いからって何度も説得して、帰ってもらうまで一時間かかった』
「大川さん……」
『まさか僕と月島さんを悩ませていたのが同一人物だったなんてね。道理で行動が似てる筈だよ……』

 似た様な人は世の中にいるもんだと思っていたら、同じ人だった訳だ。行動エリアが近いから可能性は十分あったけど、全く思いもしなかった。

『月島さん。僕は、計画通り真山にばれない様に事実を探っていく。ちょっと時間が掛かるかもしれないけど、方法を考えていくから』
「うん……」
『だから、会社で真山に何か言われても、信じないで。お願いだから、信じないで――』

 大川さんの、辛そうな懇願の声。それを聞いた私は、切なくて息が詰まりそうになった。

「うん、私はね、私が見てきた大川さんだけを信じる。約束するよ」
「ありがとう、月島さん……!」

 後でマスターに電話するって伝えて欲しい。大川さんはそう言うと、いつもの柔らかい声で「おやすみ」と言って電話を切った。
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