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70 王太子とムーンシュタイナー卿
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この日、メイテール城は緊迫した空気に包まれていた。
魔物討伐が終了し、キラ率いる討伐隊は死傷者の弔いを以て解散。権限は再びメイテール領主へと集約された。
これまで怪我で療養を余儀なくされていたメイテール領主は、治療魔法士の尽力により危機的状況は脱している。だがメイテール領主は、引き続き長男に領主代行を継続せよと命じた。どうやら、これを機に代替わりを画策しているらしい。
ということで、オージンは非常に緊張していた。これまでは自領の統率を行なってきたが、外交は初となる。しかも相手は大物だ。これが緊張しない訳がなかった。
そしてオージンが緊張すれば、それは当然周りにも伝染する。
かくして城も城下町も、領民は皆固唾を呑んで状況を見守っていた。
その日最初に城門前に到着したのは、自国ウィスロー王国の若き王子、ロイだった。
まだ十八と年若いこともあり、幼さの残る顔立ちをしている。だが纏う雰囲気には王者の風格が漂い、穏やかに微笑まれる姿を見た者が自然と頭を垂れてしまうだけの何かを持っていた。現国王からは感じられないものだ。
白馬に跨る彼の横でがっしりとした黒馬に乗るのは、赤味を帯びた金髪の男だ。肩を落として俯いており、わざとらしく何度も大きく「はあ……」と切なげな溜息を吐いている。どこからどう見ても「来たくなかった」と訴えている様にしか見えない。
大袈裟な溜息が確実に聞こえている筈のロイは、そんな不敬な彼の行動にも一切触れることはなく、にこやかな笑みを浮かべたままだ。
「どうしたムーンシュタイナー卿。そなたの愛するマーリカ嬢にようやく会えるのだぞ」
白馬を降りたロイが、からかう様にムーンシュタイナー卿に語りかける。疲れ切った様子のムーンシュタイナー卿も同様に馬から降りると、実に嫌そうに返した。
「貴方に娘を持つ父親の気持ちが分かりますか」
駆け寄る馬丁に手綱を渡す。
「すまない、分からない」
ははは、と明るい笑い声を上げるロイ王子に対し、ムーンシュタイナー卿は恨みがましい目を向けた。
「こんなことなら、早くから準備しておくんじゃなかった……」
「費用のことなら心配するな。王家御用達の仕立て屋を紹介してやろうじゃないか」
「貴方に借りを作ったら怖いから結構です」
「その言葉はそっくりそのままそなたに返すぞ」
軽口を叩き合いながら城門を潜ると、メイテールの面々が出迎える。ムーンシュタイナー卿は緊張した面持ちの男たちの中に自身の娘の元気な姿を見つけると、会いたかったが会いたくない様な複雑な思いを胸に、微笑んだ。
「王太子殿下、ようこそおいで下さいました」
オージンが大きな身体で窮屈そうな礼をすると、ロイはスタスタとオージンの前まで進む。オージンの分厚い肩に手を置くと、優しい声色で語りかけた。
「顔をあげてくれ、メイテール侯爵オージンよ。こちらこそ、本当にすまなかった。頭を下げねばならないのは私の方だ」
「殿下……っ」
弾けた様に顔を上げたオージンに、ロイは申し訳なさそうな表情を見せる。
「本来であれば、メイテールからの救援要請を受けた段階で、即座に国軍を向かわせるべきだったのだ」
「殿下、勿体ないお言葉です」
オージンが涙ぐむと、ロイはにっこりと笑った。
「――ということで、わずかにユーリスの一軍しか進軍許可をしなかった父の愚行には、さすがに日和見な臣下たちもこの国の将来を憂いてな」
「……はい?」
一体何を話そうとしているのか。オージンは、ロイの次の言葉を待つ。
「議会の決議を経て、ようやく父の引退が決定した」
「は……?」
オージンもその他の面々も、目を丸くしてロイを見つめた。
「ああそれと、父の愚行を見てみぬふりをし、国を衰退させる甘言を繰り返した者たちには、自主的に退陣するよう勧告した」
「…………」
オージンは、もう完全に言葉を失っていた。
「そうそう。メイテール領に縁のある公爵が『甘言を繰り返した者を炙り出しましょう』などと積極的に動き始めてくれたのでな、丁度よかったのでこれまでの公爵がしたことへの証拠を見せてやったら、何故か急に病にかかったらしく屋敷に引きこもってしまったのだ」
ふふふ、とロイが笑う。
「病となると身体も辛いだろう。公爵の位を返上し、代わりに男爵の位を与えた。この爵位は彼一代限りとし、領地を縮小した上で、穏やかに余生を過ごしてもらうつもりだ」
それとね、困りごとにすぐ対応できるよう国軍に警護を続けてもらうつもりだよ。ロイの楽しそうな様子に、隣に無言で立っていたムーンシュタイナー卿がぼそりと言った。
「陛下。メイテールの皆様が恐怖を覚えている様ですよ」
「なに? そんなことはないと思うのだが」
「来て早々粛清の話を笑顔で聞かされたら、そりゃ怖いですって」
「粛清などと、人聞きの悪いことを」
オージンは、「陛下……」と口の中で呟く。つい先日オージンがムーンシュタイナー卿を尋ねた際は、ロイはまだ王太子のままだった。オージンがムーンシュタイナー卿を頼り王太子に取り次ぎを頼んだ後、何か大きなことが起きたのだ。
最後に会った時、オージンがムーンシュタイナー卿にメイテール領が置かれた状況を事細かに説明すると、彼は「なるほど」と言ったきり黙ってしまった。今日の日程を決め、この日までに何とかするから帰って大丈夫だと笑顔で送り出されたのだが、何がどうしてこうなったのか、オージンはまだ知らされていない。
とりあえず、目の前の王太子殿下だと思っていた人物は、知らない間に国王陛下に変貌していた。それだけは、辛うじて理解した。
ムーンシュタイナー卿に気安い雰囲気で話しかけるロイが、事も無げに言う。
「そもそもこの方向を私に示したのはそなただろう? ムーンシュタイナー公爵よ」
「あ、ちょっと陛下、その話は」
ムーンシュタイナー卿は慌てた様子でロイを止めようとしたが、ロイは止まらなかった。にこやかな笑顔で、一同を見渡す。
「皆にも伝えておこう。ここにいるムーンシュタイナー卿は、新たに宰相の座に就くことになった」
「ああ……言っちゃった」
ムーンシュタイナー卿が、両手で顔を覆った。
「本人は男爵のままでよいとのことだったが、それだと従わない権威主義の者もまだまだ多い。ということで、空きとなった公爵の位を与えることにした」
ゆっくりと見渡していたロイの目線が、キラのところで止まる。
「そなたがメイテール家の三男、『精霊の御子』のキーラムか?」
突然名指しされたキラだったが、その場で片膝を付き頭を下げると、「はい、陛下」と返答した。
「実は、メイテール卿は『領主の仕事があるので宰相にはなれません』と奥ゆかしいことを申しているのでな」
「陛下、本当にそれは今は……っ!」
ムーンシュタイナー卿が慌ててロイの腕を掴むが、ロイは笑顔を保持したまま続ける。
「早急にムーンシュタイナー領をムーンシュタイナー卿から引き継いでもらいたい」
「はい。すぐに対処いたします」
キラが涼やかな表情のまま、即答した。ムーンシュタイナー卿は悔しそうに唇を噛むと、ジト目でキラを睨む。
「キラ……あのさ、君そうは言うけど、それってマーリカの了承がないと駄目なやつだよ? 分かってる?」
「勿論分かってますよ。お義父様」
「お、お義父様……っ!」
さらりとキラが返すと、ムーンシュタイナー卿は半泣きになりながら顔を赤く染めている自分の娘、マーリカを見た。
「僕のマーリカ? 君、そんなすぐにお嫁になんていきたくないよね? まだ数年はさ、独身でいたいよね?」
するとマーリカは、胸の前でふたつの拳を握り締め、笑顔で答える。
「いいえお父様! お父様が憂いなく宰相の任に就ける様、キラと私でしっかりとムーンシュタイナー領を守り抜いてみせますから!」
「ええー……」
「素敵ですお父様!」
興奮気味にムーンシュタイナー卿を褒めるマーリカを見て、ムーンシュタイナー卿は。
「……へへ、素敵? そう? まあマーリカがそう言うならそうなのかもなあー」
頭を掻きながら、にへらと笑った。
魔物討伐が終了し、キラ率いる討伐隊は死傷者の弔いを以て解散。権限は再びメイテール領主へと集約された。
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そしてオージンが緊張すれば、それは当然周りにも伝染する。
かくして城も城下町も、領民は皆固唾を呑んで状況を見守っていた。
その日最初に城門前に到着したのは、自国ウィスロー王国の若き王子、ロイだった。
まだ十八と年若いこともあり、幼さの残る顔立ちをしている。だが纏う雰囲気には王者の風格が漂い、穏やかに微笑まれる姿を見た者が自然と頭を垂れてしまうだけの何かを持っていた。現国王からは感じられないものだ。
白馬に跨る彼の横でがっしりとした黒馬に乗るのは、赤味を帯びた金髪の男だ。肩を落として俯いており、わざとらしく何度も大きく「はあ……」と切なげな溜息を吐いている。どこからどう見ても「来たくなかった」と訴えている様にしか見えない。
大袈裟な溜息が確実に聞こえている筈のロイは、そんな不敬な彼の行動にも一切触れることはなく、にこやかな笑みを浮かべたままだ。
「どうしたムーンシュタイナー卿。そなたの愛するマーリカ嬢にようやく会えるのだぞ」
白馬を降りたロイが、からかう様にムーンシュタイナー卿に語りかける。疲れ切った様子のムーンシュタイナー卿も同様に馬から降りると、実に嫌そうに返した。
「貴方に娘を持つ父親の気持ちが分かりますか」
駆け寄る馬丁に手綱を渡す。
「すまない、分からない」
ははは、と明るい笑い声を上げるロイ王子に対し、ムーンシュタイナー卿は恨みがましい目を向けた。
「こんなことなら、早くから準備しておくんじゃなかった……」
「費用のことなら心配するな。王家御用達の仕立て屋を紹介してやろうじゃないか」
「貴方に借りを作ったら怖いから結構です」
「その言葉はそっくりそのままそなたに返すぞ」
軽口を叩き合いながら城門を潜ると、メイテールの面々が出迎える。ムーンシュタイナー卿は緊張した面持ちの男たちの中に自身の娘の元気な姿を見つけると、会いたかったが会いたくない様な複雑な思いを胸に、微笑んだ。
「王太子殿下、ようこそおいで下さいました」
オージンが大きな身体で窮屈そうな礼をすると、ロイはスタスタとオージンの前まで進む。オージンの分厚い肩に手を置くと、優しい声色で語りかけた。
「顔をあげてくれ、メイテール侯爵オージンよ。こちらこそ、本当にすまなかった。頭を下げねばならないのは私の方だ」
「殿下……っ」
弾けた様に顔を上げたオージンに、ロイは申し訳なさそうな表情を見せる。
「本来であれば、メイテールからの救援要請を受けた段階で、即座に国軍を向かわせるべきだったのだ」
「殿下、勿体ないお言葉です」
オージンが涙ぐむと、ロイはにっこりと笑った。
「――ということで、わずかにユーリスの一軍しか進軍許可をしなかった父の愚行には、さすがに日和見な臣下たちもこの国の将来を憂いてな」
「……はい?」
一体何を話そうとしているのか。オージンは、ロイの次の言葉を待つ。
「議会の決議を経て、ようやく父の引退が決定した」
「は……?」
オージンもその他の面々も、目を丸くしてロイを見つめた。
「ああそれと、父の愚行を見てみぬふりをし、国を衰退させる甘言を繰り返した者たちには、自主的に退陣するよう勧告した」
「…………」
オージンは、もう完全に言葉を失っていた。
「そうそう。メイテール領に縁のある公爵が『甘言を繰り返した者を炙り出しましょう』などと積極的に動き始めてくれたのでな、丁度よかったのでこれまでの公爵がしたことへの証拠を見せてやったら、何故か急に病にかかったらしく屋敷に引きこもってしまったのだ」
ふふふ、とロイが笑う。
「病となると身体も辛いだろう。公爵の位を返上し、代わりに男爵の位を与えた。この爵位は彼一代限りとし、領地を縮小した上で、穏やかに余生を過ごしてもらうつもりだ」
それとね、困りごとにすぐ対応できるよう国軍に警護を続けてもらうつもりだよ。ロイの楽しそうな様子に、隣に無言で立っていたムーンシュタイナー卿がぼそりと言った。
「陛下。メイテールの皆様が恐怖を覚えている様ですよ」
「なに? そんなことはないと思うのだが」
「来て早々粛清の話を笑顔で聞かされたら、そりゃ怖いですって」
「粛清などと、人聞きの悪いことを」
オージンは、「陛下……」と口の中で呟く。つい先日オージンがムーンシュタイナー卿を尋ねた際は、ロイはまだ王太子のままだった。オージンがムーンシュタイナー卿を頼り王太子に取り次ぎを頼んだ後、何か大きなことが起きたのだ。
最後に会った時、オージンがムーンシュタイナー卿にメイテール領が置かれた状況を事細かに説明すると、彼は「なるほど」と言ったきり黙ってしまった。今日の日程を決め、この日までに何とかするから帰って大丈夫だと笑顔で送り出されたのだが、何がどうしてこうなったのか、オージンはまだ知らされていない。
とりあえず、目の前の王太子殿下だと思っていた人物は、知らない間に国王陛下に変貌していた。それだけは、辛うじて理解した。
ムーンシュタイナー卿に気安い雰囲気で話しかけるロイが、事も無げに言う。
「そもそもこの方向を私に示したのはそなただろう? ムーンシュタイナー公爵よ」
「あ、ちょっと陛下、その話は」
ムーンシュタイナー卿は慌てた様子でロイを止めようとしたが、ロイは止まらなかった。にこやかな笑顔で、一同を見渡す。
「皆にも伝えておこう。ここにいるムーンシュタイナー卿は、新たに宰相の座に就くことになった」
「ああ……言っちゃった」
ムーンシュタイナー卿が、両手で顔を覆った。
「本人は男爵のままでよいとのことだったが、それだと従わない権威主義の者もまだまだ多い。ということで、空きとなった公爵の位を与えることにした」
ゆっくりと見渡していたロイの目線が、キラのところで止まる。
「そなたがメイテール家の三男、『精霊の御子』のキーラムか?」
突然名指しされたキラだったが、その場で片膝を付き頭を下げると、「はい、陛下」と返答した。
「実は、メイテール卿は『領主の仕事があるので宰相にはなれません』と奥ゆかしいことを申しているのでな」
「陛下、本当にそれは今は……っ!」
ムーンシュタイナー卿が慌ててロイの腕を掴むが、ロイは笑顔を保持したまま続ける。
「早急にムーンシュタイナー領をムーンシュタイナー卿から引き継いでもらいたい」
「はい。すぐに対処いたします」
キラが涼やかな表情のまま、即答した。ムーンシュタイナー卿は悔しそうに唇を噛むと、ジト目でキラを睨む。
「キラ……あのさ、君そうは言うけど、それってマーリカの了承がないと駄目なやつだよ? 分かってる?」
「勿論分かってますよ。お義父様」
「お、お義父様……っ!」
さらりとキラが返すと、ムーンシュタイナー卿は半泣きになりながら顔を赤く染めている自分の娘、マーリカを見た。
「僕のマーリカ? 君、そんなすぐにお嫁になんていきたくないよね? まだ数年はさ、独身でいたいよね?」
するとマーリカは、胸の前でふたつの拳を握り締め、笑顔で答える。
「いいえお父様! お父様が憂いなく宰相の任に就ける様、キラと私でしっかりとムーンシュタイナー領を守り抜いてみせますから!」
「ええー……」
「素敵ですお父様!」
興奮気味にムーンシュタイナー卿を褒めるマーリカを見て、ムーンシュタイナー卿は。
「……へへ、素敵? そう? まあマーリカがそう言うならそうなのかもなあー」
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