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待ち合わせの階段
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偉大な青の魔法使いの弟子になったクルトは、腹を減らしていた。
極貧生活の中、一家の大黒柱としてがむしゃらに働いていた頃は、いくら腹が減っても弟たちの笑顔を見たら我慢出来ていた。
それが、青の魔法使いであるレナードの弟子となってひと月も経つと、段々とその飢餓が抑えられなくなってきたのだ。
クルトは、十五歳という年齢の割には小柄だ。師匠レナードの召使いであるひとつ年上のリーナと、ほぼ同じ背。そのリーナの手料理を食べる様になって以降、夜寝る時に身体の中がギシギシと痛む様になってしまい、毎日が辛い。
自分に一体何が起こっているのか。不安を覚えたクルトが、黒い前髪が脂汗で貼り付く額に膝を付けて溜息をついていると。
「クルトどうしたの? 具合が悪いの?」
ひと晩中研究室に籠もり研究をしている師匠に朝食を届けて戻ってきたリーナが、クルトを心配そうに覗く。
「あの……毎日、身体の中が引っ張られる様に痛くて。俺、一体どうしちゃったんだろ」
半泣きのクルトを見て一瞬キョトンとしたリーナだったが、やがて得心がいった様に微笑んだ。
「クルト、立ってみて」
「え?」
言われるがままに立ち上がる。リーナが一歩近付き、クルトを見上げた。
「急に背が伸びたわね。気付いてた?」
「え? ……あ、本当だ」
「身体が痛むのは、成長痛だと思う。痛い部分を揉んで、あとは寝る時に温かくしたらいいと思うわ」
弟がいるからか、リーナはクルトのことも年下扱いすることが多い。それが少し面白くない時もあるが、辛い時に親身になってくれるのは純粋に嬉しかった。
今も。
だからクルトは、リーナに思い切り甘えることにした。
「実はさ、晩飯にどんだけ食べても、寝る前に腹減っちゃって。何とかならない?」
「まだまだガリガリだものねえ」
うーん、とリーナが考え込む。その仕草が可愛らしくて、クルトの心臓はいつもより早く鼓動した。最近、リーナといるといつもこうだ。
「じゃあ、夜食を用意するわ。部屋で食べられる様な物をね」
「やった! リーナ大好き!」
「きゃっ」
嬉しくなって、思わずリーナに抱きつくと。
「――何をしている」
むんずとクルトの首元が引っ張られたかと思うと、ふわりと身体が宙に浮いた。眼下には、いつの間にかやってきてリーナを背に庇う、恐ろしく見目麗しい師匠の苛立ちを隠さない姿。クルトを見る目が冷たすぎる。
一瞬ゾクッとしたが、それにしてもこの状況はさすがは師匠だ。
「師匠! この魔法も凄いっすね!」
クルトが感動して宙でくるくる泳ぐと、師匠は大きな溜息を吐き、クルトにかけた魔法を解いた。「うわっ」と、クルトが地面に落ちる。
「イテテテ……」
「気安く抱きつくな」
ここは作法を教える場所じゃないんだ、と師匠が苦虫を噛み潰した様な顔で言うと、リーナに一瞥をくれた。
「リーナも、もっと厳しく接しろ」
「レナード様ってば」
リーナが可笑しそうにクスクスと笑う。この二人を見ていると、最近クルトの心の中に僅かなモヤモヤが発生する。クルトにはこのモヤモヤの正体が何か分かっていなかったが、あまりいいものではない気はしていた。
「――クルト、始めるぞ。来い」
師匠は黒いマントを翻すと、つかつかと部屋を出ていく。その後を慌てて追いかけると、背後からリーナに呼び止められた。
「クルト! 寝る前に階段の下で待ってて」
「――うん!」
「早くしろ!」
「はーい!」
バタバタと走るクルトの心は、いつの間にか温かくなっていた。
◇
晩飯が終わり片付けも終わり、魔法で常に湯気が立つ風呂にも入り、後は寝るだけになった頃。クルトは、一階の階段下でリーナを待っていた。
二階には、レナードとリーナの寝室がある。クルトの寝室は一階だ。二階には上がってはいけないと、レナードに言い渡されていた。
そこへ、台所からリーナがやってきた。夜着の上にガウンを羽織る姿に、ドキドキする。
「ごめんね、待たせた?」
「大丈夫」
魔法で浮く光の玉に淡く照らされたリーナに、クルトは笑顔で応えた。バスケットに入った軽食と、筒に入った液体を渡される。ヤギのミルクに蜂蜜を足したものだそうだ。
「温かいから、これで寝られるといいけど」
「本当ありがとう、リーナ」
じゃあおやすみなさい。そう言って、リーナが階段を数段上がる。
何故か、身体が咄嗟に動いた。
「リーナ!」
リーナの手を握り、その場に引き止めた。振り返るリーナの笑顔には、疑問が浮かんでいる。
「どうしたの?」
「あの、ええと……っ」
自分でも分からない。だけど、もっと一緒にいたい。強烈にそう願った。
「リーナ、俺……っ」
途端、脳裏に蘇る、師匠レナードの敵を見るような凍える目。
リーナの手をパッと離すと、手を振った。
「……ありがとうなっ」
「うん」
階上へ消えていくリーナの背中を見送りながら、クルトは自分の感情をはっきり自覚する。
師匠のあの目の意味が、今なら分かる。
クルトは、師匠が自分と同じ感情を持っていることを認識していた。
極貧生活の中、一家の大黒柱としてがむしゃらに働いていた頃は、いくら腹が減っても弟たちの笑顔を見たら我慢出来ていた。
それが、青の魔法使いであるレナードの弟子となってひと月も経つと、段々とその飢餓が抑えられなくなってきたのだ。
クルトは、十五歳という年齢の割には小柄だ。師匠レナードの召使いであるひとつ年上のリーナと、ほぼ同じ背。そのリーナの手料理を食べる様になって以降、夜寝る時に身体の中がギシギシと痛む様になってしまい、毎日が辛い。
自分に一体何が起こっているのか。不安を覚えたクルトが、黒い前髪が脂汗で貼り付く額に膝を付けて溜息をついていると。
「クルトどうしたの? 具合が悪いの?」
ひと晩中研究室に籠もり研究をしている師匠に朝食を届けて戻ってきたリーナが、クルトを心配そうに覗く。
「あの……毎日、身体の中が引っ張られる様に痛くて。俺、一体どうしちゃったんだろ」
半泣きのクルトを見て一瞬キョトンとしたリーナだったが、やがて得心がいった様に微笑んだ。
「クルト、立ってみて」
「え?」
言われるがままに立ち上がる。リーナが一歩近付き、クルトを見上げた。
「急に背が伸びたわね。気付いてた?」
「え? ……あ、本当だ」
「身体が痛むのは、成長痛だと思う。痛い部分を揉んで、あとは寝る時に温かくしたらいいと思うわ」
弟がいるからか、リーナはクルトのことも年下扱いすることが多い。それが少し面白くない時もあるが、辛い時に親身になってくれるのは純粋に嬉しかった。
今も。
だからクルトは、リーナに思い切り甘えることにした。
「実はさ、晩飯にどんだけ食べても、寝る前に腹減っちゃって。何とかならない?」
「まだまだガリガリだものねえ」
うーん、とリーナが考え込む。その仕草が可愛らしくて、クルトの心臓はいつもより早く鼓動した。最近、リーナといるといつもこうだ。
「じゃあ、夜食を用意するわ。部屋で食べられる様な物をね」
「やった! リーナ大好き!」
「きゃっ」
嬉しくなって、思わずリーナに抱きつくと。
「――何をしている」
むんずとクルトの首元が引っ張られたかと思うと、ふわりと身体が宙に浮いた。眼下には、いつの間にかやってきてリーナを背に庇う、恐ろしく見目麗しい師匠の苛立ちを隠さない姿。クルトを見る目が冷たすぎる。
一瞬ゾクッとしたが、それにしてもこの状況はさすがは師匠だ。
「師匠! この魔法も凄いっすね!」
クルトが感動して宙でくるくる泳ぐと、師匠は大きな溜息を吐き、クルトにかけた魔法を解いた。「うわっ」と、クルトが地面に落ちる。
「イテテテ……」
「気安く抱きつくな」
ここは作法を教える場所じゃないんだ、と師匠が苦虫を噛み潰した様な顔で言うと、リーナに一瞥をくれた。
「リーナも、もっと厳しく接しろ」
「レナード様ってば」
リーナが可笑しそうにクスクスと笑う。この二人を見ていると、最近クルトの心の中に僅かなモヤモヤが発生する。クルトにはこのモヤモヤの正体が何か分かっていなかったが、あまりいいものではない気はしていた。
「――クルト、始めるぞ。来い」
師匠は黒いマントを翻すと、つかつかと部屋を出ていく。その後を慌てて追いかけると、背後からリーナに呼び止められた。
「クルト! 寝る前に階段の下で待ってて」
「――うん!」
「早くしろ!」
「はーい!」
バタバタと走るクルトの心は、いつの間にか温かくなっていた。
◇
晩飯が終わり片付けも終わり、魔法で常に湯気が立つ風呂にも入り、後は寝るだけになった頃。クルトは、一階の階段下でリーナを待っていた。
二階には、レナードとリーナの寝室がある。クルトの寝室は一階だ。二階には上がってはいけないと、レナードに言い渡されていた。
そこへ、台所からリーナがやってきた。夜着の上にガウンを羽織る姿に、ドキドキする。
「ごめんね、待たせた?」
「大丈夫」
魔法で浮く光の玉に淡く照らされたリーナに、クルトは笑顔で応えた。バスケットに入った軽食と、筒に入った液体を渡される。ヤギのミルクに蜂蜜を足したものだそうだ。
「温かいから、これで寝られるといいけど」
「本当ありがとう、リーナ」
じゃあおやすみなさい。そう言って、リーナが階段を数段上がる。
何故か、身体が咄嗟に動いた。
「リーナ!」
リーナの手を握り、その場に引き止めた。振り返るリーナの笑顔には、疑問が浮かんでいる。
「どうしたの?」
「あの、ええと……っ」
自分でも分からない。だけど、もっと一緒にいたい。強烈にそう願った。
「リーナ、俺……っ」
途端、脳裏に蘇る、師匠レナードの敵を見るような凍える目。
リーナの手をパッと離すと、手を振った。
「……ありがとうなっ」
「うん」
階上へ消えていくリーナの背中を見送りながら、クルトは自分の感情をはっきり自覚する。
師匠のあの目の意味が、今なら分かる。
クルトは、師匠が自分と同じ感情を持っていることを認識していた。
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