神隠しの子

ミドリ

文字の大きさ
上 下
34 / 64

其の三十四 手桶置き場

しおりを挟む
 母さんは、影山家の墓の前でしゃがみ手を合わせると、長いこと目を閉じていた。

 うだるような暑さの中、風の動きも少なく、線香から立ち上る煙はほぼ垂直だ。母さんが供えた花束も、揺れもしない。仏花というには少し派手だったが、別に仏花じゃなくてもいいのよ、なんて母さんは笑って言った。そういうものなのだろうか? 母さんの小さい背中を見下ろしながら、そんなことをぼんやりと考えた。

 しかし長い。

 だが、一体何を報告しているのかなどという野暮なことは、尋ねるのはやめよう。十中八九、俺達のことを報告しているに違いないのだから。

 俺も、母さんの後に影山家の墓に向かって手を合わせた。目を閉じ、花は俺に任せて下さい、なんて口に出したらこっ恥ずかしいことを心の中で言う。花にはあれこれストレートに言えるのに、花以外には言うのは憚られた。たとえ故人にだとしても。その理由や如何に。

 俺の番が終わると、今度は太一の墓へ移動した。

 中身のない墓に花を供えると、花の母ちゃん達と同様に手を合わせる。

 下の方が風が強いのか、線香の煙はあっちへ行き、こっちへ行きとたゆたう。影山家の墓と違い、こちらは日光を遮るものがない。先程柄杓でかけた水は、あっという間に蒸発してしまった。

 みるみる内に母さんの顔がまた赤くなってきたので、母さんを急かすことにする。

「母さん、顔が真っ赤だよ。一旦寺務所に戻って、休んでから帰ろうよ」
「ええ? 母さんまだまだ元気よ」
「いやおばさん、本当に無理しないで下さい」

 花にまで言われてしまい、母さんは少し名残惜しそうにその場を立ち去ることを了承した。太一の元をすぐ離れるのは、母さんにとっては罪悪感を覚えることなのかもしれないな、と思う。当然のことだが、太一に対する思い入れは、俺と母さんでは全く違うのだ。

「宗ちゃん、おばさん。私はまだまだ元気なので、先に手桶を返してきます。ゆっくり上がってきて下さい」

 のろのろ歩きの俺達を見て、花はまだまだ時間がかかると判断したのだろう。さっと手桶をふたつ手に持つと、元気一杯に寺務所へと続く緩やかな傾斜を駆け上って行ってしまった。まるで黒い弾丸だ。

「さすが陸上部、すげえなあ」

 俺が感心していると、母さんが俺と同じ様に花の後ろ姿を眺めながら、あははと笑った。

「花ちゃんは元気に育ってくれて、二人ともきっと安心してるわね」

 二人。花の母ちゃんと婆ちゃんのことだろう。花の母ちゃんの病名はまではよく知らなかったが、元々虚弱体質気味だったそうだ。病気で体力が落ち、免疫も下がり、緩やかに死へと向かった。

 花はそんな身体の弱かった人の娘だ。同じく体質を受け継いでいる可能性だって十分にあったし、幼い頃は小さくて細くて泣き虫で、花の母ちゃんはそりゃあ心配だっただろうな、と思ってしまった。

 子供を持つ親の気持ちは俺には未知のものだったが、それでも無償の愛というものなことは、母さんを見ていれば俺にだって分かる。

 母さんに手を貸し、母さんを引っ張り始める。いつまでも元気でいてほしいが、こういう時に「ああ、母さんももう若くないんだな」と実感してしまう。それが俺に一抹の不安を覚えさせた。

「……母さんは長生きしてくれよ」

 ぽろりと本音が漏れると、母さんはくしゃっと笑い、――やがて俯いて目を麦わら帽子のつばの向こうに隠してしまった。

 無言のまま、母さんを引っ張り上げる。俺も花も母さんも、立て続けに身近な人を失った。もう暫くは、人の死に遭遇したくはなかった。

 顔を上げると、花がどの辺りまで行ったのかを確認する為に花の姿を探した。――いた。寺務所の脇にある手桶置き場に、手桶を戻しているところだ。

 花は俺達に向かって手を振ると、ライターを返却する為だろう、寺務所へと入っていく。

 すると。

 手桶置き場の陰から、赤いTシャツを着た男が現れた。

「――!」

 思わず息を呑み、その人物を凝視する。背は、花よりも少し高かった。ということは、あれは太一じゃない筈だ。だって太一の幽霊は、まだ子供の姿の筈だったから。

 寺の関係者か、お墓参りに来た人に違いない。そうだ、きっとそうだ。

 赤いTシャツの男が、足を止めるとこちらを見る。

 豆粒くらいにしか見えないが、目が合ったのが分かった。そして同時に分かった。そいつが、俺と同じ顔をしていることに。

「太……っ」

 声を上げようとした瞬間、それまで凪いでいた墓場に突風が吹いた。

「うわっ!」
「あっ帽子飛ぶ!」

 母さんが帽子を押さえる。俺の目に砂埃が侵入し、それをごしごしと拭って慌てて男の姿を探すと。

 ――もう、そこには赤いTシャツの姿はなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ゴーストバスター幽野怜

蜂峰 文助
ホラー
ゴーストバスターとは、霊を倒す者達を指す言葉である。 山奥の廃校舎に住む、おかしな男子高校生――幽野怜はゴーストバスターだった。 そんな彼の元に今日も依頼が舞い込む。 肝試しにて悪霊に取り憑かれた女性―― 悲しい呪いをかけられている同級生―― 一県全体を恐怖に陥れる、最凶の悪霊―― そして、その先に待ち受けているのは、十体の霊王! ゴーストバスターVS悪霊達 笑いあり、涙あり、怒りありの、壮絶な戦いが幕を開ける! 現代ホラーバトル、いざ開幕!! 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

花の檻

蒼琉璃
ホラー
東京で連続して起きる、通称『連続種死殺人事件』は人々を恐怖のどん底に落としていた。 それが明るみになったのは、桜井鳴海の死が白昼堂々渋谷のスクランブル交差点で公開処刑されたからだ。 唯一の身内を、心身とも殺された高階葵(たかしなあおい)による、異能復讐物語。 刑事鬼頭と犯罪心理学者佐伯との攻防の末にある、葵の未来とは………。 Illustrator がんそん様 Suico様 ※ホラーミステリー大賞作品。 ※グロテスク・スプラッター要素あり。 ※シリアス。 ※ホラーミステリー。 ※犯罪描写などがありますが、それらは悪として書いています。

この『村』を探して下さい

案内人
ホラー
 全ては、とあるネット掲示板の書き込みから始まりました。『この村を探して下さい』。『村』の真相を求めたどり着く先は……? ◇  貴方は今、欲しいものがありますか?  地位、財産、理想の容姿、人望から、愛まで。縁日では何でも手に入ります。  今回は『縁日』の素晴らしさを広めるため、お客様の体験談や、『村』に関連する資料を集めました。心ゆくまでお楽しみ下さい。  

意味がわかると怖い話

かなた
ホラー
美奈子は毎日、日記を書くのが日課でした。彼女は日記に自分の日々の出来事や感じたことを詳細に書き留めていました。ある日、美奈子が日記を読み返していると、自分が書いた覚えのない記述を見つけます…

マーメイド・セレナーデ 暗黒童話

平坂 静音
ホラー
人魚の伝説の残る土地に育ったメリジュス。 母を亡くし父親のいない彼女は周囲から白い目で見られ、しかも醜い痣があり、幼馴染の少年にからかわれていた。 寂しい日々に、かすかな夢をつないでいた彼女もとに、待っていた人があらわれたように思えたが……。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

きらさぎ町

KZ
ホラー
ふと気がつくと知らないところにいて、近くにあった駅の名前は「きさらぎ駅」。 この駅のある「きさらぎ町」という不思議な場所では、繰り返すたびに何か大事なものが失くなっていく。自分が自分であるために必要なものが失われていく。 これは、そんな場所に迷い込んだ彼の物語だ……。

処理中です...