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(52)王太子アルフレッド

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 幸せな過去を思い返していたら、いつの間にか寝ていたらしい。

 私は目を覚ますと、窓の方を見た。鉄格子てつごうしの白色と明るい日差しが溶け合って、そこにはまるでさえぎるものなどない様に見える。

 私はむくりと起き上がると、窓から差す明かりをぼんやりと見上げた。

 幸せな過去。わずか一ヶ月程の出来事だったが、これまでに感じた事のない程の解放感と充実感を味わうことが出来た。あんなに楽しいことは、これまでの私の人生ではなかったと断言出来る。

 シュタインは無事だろうか。門番のフレデリックはレオンを呼びに行った筈だが、私がここにいるということはレオンは間に合わなかったのだろう。私が拐われたことに対し、責任を感じてないといいのだが。

「ごめんね、レオン……」

 レオンはいつも私を励ましてくれていた。人さらいに遭ったのをたまたま助けた後、一緒にマヨネーズ研究をするまでになった、不思議なえんの人。護衛までしてもらったのに、こうして捕まってしまった。レオンは意地っ張りだから、もしかしたら何とかしたいと思ってくれるかもしれないが、ここはレオンにとっては異国の、しかも王城だ。だから、もうどうしようもない。

 レオンが諦めて私と会ったことを忘れてくれることを、この牢屋の様な部屋から祈るしかなかった。

 後は、父とホルガーが無事に外に出られることを祈るのみだ。父はこの国の重鎮じゅうちんだ。ホルガーに至っては、何の罪もなく留め置かれているから、早い内に出ることが叶うのではないか。ただ、あのアルフレッドが何もなく二人を解放するとも思えなかった。何か、条件を出すのではないか。

 私の元の自室に鉄格子をはめたということは、アルフレッドは当面私をここから出す気はないということではないだろうか。アンジェリカと婚約したばかりだから、本当に意味が分からない。もしかしたら、彼女との間に何かあったのかもしれないな、と私は眩しい光を眺めながら考えた。

 いずれ、拐った理由は明かされるだろう。そして、今後の私に対する要望も。いくら王太子の行動とはいえ、公爵家のみならず元老院や宰相までも王城に閉じ込めたのだ。そこには明確な目的があるだろうし、きっと国王が全快して国政に戻るまでの間に、今後どうして欲しいのかをはっきりさせるのではないか。

 アルフレッドの目的が分からないままここで考えあぐねていても、解決法は見当たる訳もない。もしかして、今後うまく立ち回れば、また外に出られるかもしれないし、ここは希望を捨てず、まずは状況を探っていこう。

 だが、ここまでくると、たとえ外に出られたとしても、公爵令嬢としてこの国で平和に過ごすことはもうほぼ不可能に近くなるだろう。こんな罪人のような扱いを受けた私を、世間が受け入れる筈がない。

 もし無事に出られたら、その時はまっすぐに身一つでウルカーンに向かおう。父にもホルガーにも、もうこれ以上迷惑はかけられない。二人の今後の立場を考えれば、私がこの国から出て行くのが一番いいことは分かった。

 結局レオンがどこの誰だかは分からないままになってしまったが、もうここまで迷惑をかけてしまった以上、彼にこの先まで迷惑をかけるつもりは私にはない。大きな街を見つけて、住み込みで下働きでもしながら、 つましい生活を送ろう。卵と油くらいなら、庶民でも手に入るのだから、そこからまた始めればいい。幸い、レシピはほぼ完成間近だったのだから。

 少し前向きな未来を思い浮かべて、沈み切っていた私の心が少しだけ浮上した。

 すると、まるでタイミングを見計らったかの様に、扉がノックされた。私はベッドから降りると、しわくちゃになっている服をはたいた。大して変化はなかったが、他人に寝ているところなどもう見られたくはなかったのだ。

「――はい」

 なるべくお腹に力を入れて、シャキッと聞こえるよう、返事をした。もう、泣くまい。アルフレッドが見たいのは、参って弱っていく私なのだ。昨夜のあいつの言葉で、私にはそれが分かった。あいつは、私がアルフレッドとの婚約破棄で更にやせ細り、すがりつくことでも期待していたのだろう。あいつのことだ、それを足蹴あしげにすることで、これまでの溜飲を下げるつもりだったのかもしれない。

 木製の重い扉が開かれる。やはりそこに立っていたのは、私の元婚約者であり王太子であるアルフレッドだった。輝くようなサラサラの金髪。王子様たるものこうだろうという、キラキラとした水色の瞳。だが、こいつの顔には温かみがない。ずっとそういう顔なのだと思っていたから、私は気にしないようにしていた。

 だけど見てしまったのだ。アンジェリカを見た瞬間の、こいつの顔を。だから分かった。こいつのこのさげすむような表情は、私だけに向けられていたものなのだと。

 アルフレッドが、冷たい表情を浮かべたまま中へと入ってきた。扉の前にいた警備兵に一瞥いちべつをくれると、兵達は扉を閉じる。パタン、と音がしてしばらくの後、アルフレッドが私に声を掛けた。

「元気そうだな、ナタ」
「……お陰様で」

 アルフレッドの口の端が、小さく歪む。何がそんなにおかしいのか。

「公爵令嬢ともあろうものが、情けないものだ」
「――どういう意味でございましょう」

 服はしわしわだし、髪の毛も整えてないから恐らくはボサボサだろう。見た目のことを言っているのかもしれないが、アルフレッドの鼻の穴からだって、鼻毛が飛び出している。外見のことを言われたら、数年黙り続けていたこのことを今度こそ指摘してやろうか、そう思った。私の未来をことごとく奪っていくアルフレッドに、いい加減私は切れそうになっていたのだ。

「お前を連れてきた奴らから聞いたぞ。ホルガーがこちらに来た後も、見知らぬ男の家に連日通い詰めていたと。お前は男になんか興味なさそうだと思っていたが、思っていたよりも尻軽だったらしいな」

 レオンの家に行っていたことを言っているのだ。どういう報告を受けたか知らないが、それを色恋沙汰の方向に解釈する辺りがいかにもアルフレッドらしい。

 私は、出来るだけ感情を表に出さない様に言った。

「何か誤解があるようですが、すでに婚約破棄をされ王都を出た身としては、何を言われる筋合いもないと思われますが」

 アルフレッドのこめかみが、ピクリと動いた。

「仲睦まじく手を繋いで歩いていたとの報告も受けているが」

 私は溜息をつきたくなった。やはりこいつは、私が傷心に打ちひしがれていなかったことに対し怒っているのだ。なんて勝手な奴だろう。

「あれは、私の護衛です。私の回りを、見知らぬ者達が彷徨うろついていましたので、私を守る為にああしていただけです」

 レオンのことはしっかりと弁明しておかないと、自分大好き自分一番なアルフレッドが何をきっかけにレオンを探して意地悪をするか分からない。

「――ふん」

 とりあえずは納得したのか、アルフレッドは腕組みをして私の方に一歩寄ってきた。私の身体が、硬直する。負けてなるものか。とにかく、ここから出られる様に尽力するしかない。私にとって、マヨネーズはマイライフ。あと一歩で最高の一品が出来上がる筈だったのに、ここで頓挫とんざさせる訳にはいかないから。

「アルフレッド様、これは一体どういうことか、ご説明願えませんか」

 アルフレッドの歩みを止めようと、私は早口でそう言った。
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