上 下
38 / 73

(38)ホルガーの穴

しおりを挟む
 ホルガーがいないレオンの家は、不思議な感じだった。いつもはテーブルに座って記録を付けているホルガーが、今もそこにいるのではないかと思って、つい時折話しかけようと振り返ってしまう。

 それはレオンも同じな様で、「おいホルガー、この前の調合って……」と振り返りながら尋ね、そこに誰もいないことを思い出し、少し肩を落としたりしていた。

「……なんか、二人っきりって変な感じね」
「おい、それを言うな。ちょっと淋しくなるだろうが」

 泡立て器姿がすっかり様になるようになったレオンが、泡立て器を使って卵を撹拌かくはんしながら、口を尖らせる。私はそんなレオンを見て、くすりと笑った。

「レオン、始めの頃はホルガーと喧嘩ばかりしてたのに、今じゃすっかり仲良くなったわよね」

 私の言葉に、レオンが薄く笑った。

「あいつは見た目はちょっと軟弱だが、根性がある。俺はそういう奴は好きなんだ。だからもう今はあいつは俺の友人だ」
「友人か……いいわね、男同士って」

 私は素直に羨ましくなって、そう感想を述べた。

「どういう意味だ?」

 レオンが不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。私は、ボウルに大さじ一杯の油を垂らしつつ答えた。

「貴族の世界では、身分とか、父親や親戚の役職とかの方が友情よりも大切みたいよ」

 かつては私にもあった。女友達を作ろうという気概きがいが。だが、どうしても会話が続かないのだ。どこそこのお店のデザインがいいとか、どこ産の宝石で作ったイヤリングが流行りだとか、別に私だって興味がない訳ではない。だけど、会話に加わろうとすると、公爵家でましてや王太子の婚約者には安物過ぎるとか言われてしまっては、黙るしかないだろう。

「皆、私のことは公爵令嬢で王太子の婚約者としか見てくれなかったから。流行を知りたくても、殆ど王城から出られなかったし、そりゃうとくもなるわよねえ」

 あはは、と私が笑って言うと、レオンの撹拌の手が止まってしまった。

「……俺には、婚約者がいたんだけどな」
「うん?」

 急に何の話だろうとは思ったが、折角せっかくレオンが珍しく自分のことを語ろうとしてくれているので、私はそのまま聞くことにした。婚約者がいた、ということは、今はいない……のだろうか?

「そいつも、ちょっと変わった奴で」
「ちょっと、も、てどういうことよ、も、て」
「まあいいから聞け」

 私の抗議を、レオンはさらっと流してしまった。

「お前と一緒だよ。令嬢達に馴染めなくて、いつもひとりでポツンとしてた」
「まるっきり私じゃない」
「大分違うけどな」
「……まあいいわ、続けて」

 いらっとしたが、話の続きは聞きたい。私は、先をうながした。

「俺は俺で馬鹿だったから、あいつはひとりが好きなんだと思って特に気にしなかったんだよ」
「うわ……馬鹿ねえ」

 私の言葉にも、レオンは少し笑って頷くだけだった。随分ずいぶんとしおらしい。

「俺はこまやかな気が利かないタイプの人間なんだろうな。だけど、弟は違った」

 私は、前にホルガーにレオンが伝えたことを思い出していた。大事だった人を譲った、と。まさか、これはその話だろうか。

「俺は、弟と婚約者だったあいつの距離が近付いていることすら気付かず、呑気に構えていた。その間にも、弟は必死で根回しをしたりしてな、気が付いた時には、あいつの気持ちは完全に弟に向いていた」
「え……」

 レオンは、自嘲気味に笑う。

「俺は、それを弟とあいつに目の前で伝えられるまで、全く気付いていなかったんだ。間抜けだろ?」
「確かに」

 はは、とレオンが笑うと、ボウルを調理台に置いて私の頭を撫でた。うん?

「お前のそういうところが、俺には分かりやすくていい」
「お陰様で女子の友達は皆無かいむですけどね」
「その程度でいなくなるようなのは友達なんて言わないから、いいんだよ」

 レオンは、何故か私の頭を撫で続けている。これは一体、どうしたのだろうか。

「――でな、婚約相手を俺から弟に変更してほしいと頭を下げられて、その時に俺は初めて知ったんだ」
「……何を?」
「俺と弟とじゃ、好きの意味合いが違ったんだってことをだ」

 好きの意味合い。……よく分からない。恋愛経験が乏しい私には、理解不能そうな超難題だ。マヨネーズ愛なら語れるが、恐らくは種類が違う。

 私が首を捻っていると、レオンの手が私の胸の前の髪まで降りてきて、撫で続ける。確かに髪の毛は頑張ってサラサラにしてるが、こうも堂々と触られると……照れるのは仕方のないことだろう。なので、つい視線が落ちてしまう。

「なんていうかな、俺にとってあいつは可愛い妹みたいな存在だったんだよな。それよりも、話しやすい友達と言った方が近いかもしれん。好きは好きだったが、弟の好きとは意味が違ったんだな。それにずっと気付いていなかったんだ」
「……それ、生クリームの彼女?」
「そうだ。よく覚えてるな」

 レオンが意外そうな顔をする。当然、よく覚えている。だって。

「乳化に関連してたから、よく覚えてるのよ」
「マヨネーズまっしぐらだなあ」
「お陰様で」

 レオンの手は、まだずっと私の髪を掴んだままだ。

「弟に言われたんだ。あいつはずっと淋しかったって。俺はあいつのことを女として見てなくて、一所懸命好かれようと努力をしたがうまく出来なくて、落ち込んでいたと」
「レオンは鈍感そうだものねえ」
「うるせえな」

 レオンはむすっとした顔でそういった後、少し表情をやわらげて続けた。

「……まあ、でもそうだな。気付いた時には遅かった。時間があれば、あいつを女としてちゃんと見ることも出来たかもしれないけどな、もうその時間はなくなっていた」
「ということは、弟と婚約成立しちゃったってこと?」
「まあ、二人の熱量を見ていたら、反対する気にもなれなくてな」

 レオンは、ようやく私の髪を離した。

「後は、次から次へと舞い込む縁談話の連続だ。だけど俺は、正直それまでまともに誰かを好きになんてなったことがなかったってことに気付いたからな、今は縁談よりも自由恋愛をしたいと思った訳だ」
「なるほど?」

 話の意図が見えない。

「で、その話と私に友人がいない話と、どう関係があるのよ」

 レオンが、少しおどけた表情に変わった。

「なに。あいつは、さっきも言った通り変わり者でな。だったらお前と気が合うかもな、と思ったまでだ」
「――はい?」

 レオンは、調理台の上に置いたボウルを再び手に取った。

「あんまりやると、ホルガーに怒られる。さ、続きを始めようか」
「え? は?」
「ほら、次の油を入れてくれ」
「わ、分かったわよ!」

 私は、一体今何を言われたのだろうか。

 もしかして、と思う気持ちと、いやまさかそんな、という気持ちが拮抗する。

 尋ねたくとも、勘違いだった時の恥ずかしさを思うと聞くに聞けず。

「……はい、じゃあ次入れるわよ」
「おう」

 私は目を伏せながら、レオンの持つボウルの中に再度油を投入したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結加筆版】落ちぶれてやるものか!伯爵令嬢、銭湯始めます!

青井 海
恋愛
短編を大幅に加筆し、若干内容が変わっている部分があるかもしれません。(どう表現するかわからないのですが加筆版としています) 第30話で完結しました。 エッセン伯爵が知人に騙され、損失を追ってしまう。 近々 爵位返上するのでは… 伯爵令嬢リーゼは婚約破棄され、家は没落まっしぐら。 そんな時、リーゼは前世の記憶を思い出す。 そうだ、銭湯を始めよう。

婚約破棄された孤児の私、隣国で農園経営を楽しむ ~宗主国の伯爵令嬢に婚約相手を奪われた結果、何故かその伯爵令嬢から嫉妬される~

絢乃
恋愛
孤児院の出である主人公アイリスは、伯爵家の対外的なアピールのため、伯爵令息ライルと婚約関係にあった。 そんなある日、ライルと宗主国の貴族令嬢ミレイの縁談が浮上。 願ってもない出世話にライルは承諾し、アイリスに事情を説明する。 アイリスも納得し、二人は円満に婚約を破棄する。 かくして伯爵家を出ることになったアイリス。 だが、対外的には「彼女が不貞行為をしたことで婚約破棄に至った」という話になっているため生活に苦労する。 やむなく宗主国の片田舎に引っ越したアイリスは、やる気の欠片もない農園に就職。 そこで才能を発揮し、業績を拡大していく。 しかし、この農園の経営者には秘密があった。 その秘密を知ったミレイは、アイリスに勝手な嫉妬心を抱く。 アイリスは農園で楽しく働き、ライルはミレイとの婚約に喜ぶ。 しかし、ミレイだけは幸せになれないのだった。

婚約破棄されたのたが、兄上がチートでツラい。

藤宮
恋愛
「ローズ。貴様のティルナシア・カーターに対する数々の嫌がらせは既に明白。そのようなことをするものを国母と迎え入れるわけにはいかぬ。よってここにアロー皇国皇子イヴァン・カイ・アローとローザリア公爵家ローズ・ロレーヌ・ローザリアの婚約を破棄する。そして、私、アロー皇国第二皇子イヴァン・カイ・アローは真に王妃に相応しき、このカーター男爵家令嬢、ティルナシア・カーターとの婚約を宣言する」 婚約破棄モノ実験中。名前は使い回しで← うっかり2年ほど放置していた事実に、今驚愕。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

青き瞳に映るのは桃色の閃光

岬 空弥
恋愛
第一王子殿下の婚約者候補であるエステルダは、その日、幾人もの高位貴族を虜にしている美しい桃色の髪のアリッサと対峙する。 しかし、彼女が密かに恋焦がれていた相手が、実は自分の弟だと知ったエステルダは、それまで一方的に嫌っていたアリッサの真意を探るべく、こっそりと彼女の観察を始めるのだった。 高貴な公爵家の姉弟と没落寸前の子爵家の姉弟が身分差に立ち向かいながら、時に切なく、時に強引に恋を成就させていくお話です。 物語はコメディ調に進んで行きますが、後半になるほど甘く切なくなっていく予定です。 四人共、非常に強いキャラとなっています。

不機嫌な悪役令嬢〜王子は最強の悪役令嬢を溺愛する?〜

晴行
恋愛
 乙女ゲームの貴族令嬢リリアーナに転生したわたしは、大きな屋敷の小さな部屋の中で窓のそばに腰掛けてため息ばかり。  見目麗しく深窓の令嬢なんて噂されるほどには容姿が優れているらしいけど、わたしは知っている。  これは主人公であるアリシアの物語。  わたしはその当て馬にされるだけの、悪役令嬢リリアーナでしかない。  窓の外を眺めて、次の転生は鳥になりたいと真剣に考えているの。 「つまらないわ」  わたしはいつも不機嫌。  どんなに努力しても運命が変えられないのなら、わたしがこの世界に転生した意味がない。  あーあ、もうやめた。  なにか他のことをしよう。お料理とか、お裁縫とか、魔法がある世界だからそれを勉強してもいいわ。  このお屋敷にはなんでも揃っていますし、わたしには才能がありますもの。  仕方がないので、ゲームのストーリーが始まるまで悪役令嬢らしく不機嫌に日々を過ごしましょう。  __それもカイル王子に裏切られて婚約を破棄され、大きな屋敷も貴族の称号もすべてを失い終わりなのだけど。  頑張ったことが全部無駄になるなんて、ほんとうにつまらないわ。  の、はずだったのだけれど。  アリシアが現れても、王子は彼女に興味がない様子。  ストーリーがなかなか始まらない。  これじゃ二人の仲を引き裂く悪役令嬢になれないわ。  カイル王子、間違ってます。わたしはアリシアではないですよ。いつもツンとしている?  それは当たり前です。貴方こそなぜわたしの家にやってくるのですか?  わたしの料理が食べたい? そんなのアリシアに作らせればいいでしょう?  毎日つくれ? ふざけるな。  ……カイル王子、そろそろ帰ってくれません?

悪役令嬢より取り巻き令嬢の方が問題あると思います

恋愛
両親と死別し、孤児院暮らしの平民だったシャーリーはクリフォード男爵家の養女として引き取られた。丁度その頃市井では男爵家など貴族に引き取られた少女が王子や公爵令息など、高貴な身分の男性と恋に落ちて幸せになる小説が流行っていた。シャーリーは自分もそうなるのではないかとつい夢見てしまう。しかし、夜会でコンプトン侯爵令嬢ベアトリスと出会う。シャーリーはベアトリスにマナーや所作など色々と注意されてしまう。シャーリーは彼女を小説に出て来る悪役令嬢みたいだと思った。しかし、それが違うということにシャーリーはすぐに気付く。ベアトリスはシャーリーが嘲笑の的にならないようマナーや所作を教えてくれていたのだ。 (あれ? ベアトリス様って実はもしかして良い人?) シャーリーはそう思い、ベアトリスと交流を深めることにしてみた。 しかしそんな中、シャーリーはあるベアトリスの取り巻きであるチェスター伯爵令嬢カレンからネチネチと嫌味を言われるようになる。カレンは平民だったシャーリーを気に入らないらしい。更に、他の令嬢への嫌がらせの罪をベアトリスに着せて彼女を社交界から追放しようともしていた。彼女はベアトリスも気に入らないらしい。それに気付いたシャーリーは怒り狂う。 「私に色々良くしてくださったベアトリス様に冤罪をかけようとするなんて許せない!」 シャーリーは仲良くなったテヴァルー子爵令息ヴィンセント、ベアトリスの婚約者であるモールバラ公爵令息アイザック、ベアトリスの弟であるキースと共に、ベアトリスを救う計画を立て始めた。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。 ジャンルは恋愛メインではありませんが、アルファポリスでは当てはまるジャンルが恋愛しかありませんでした。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

処理中です...