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(25)ぺらっぺらな男
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翌日、私達は口うるさい執事のシュタインの目を盗み、昨日購入した町民の服をマントの下に着て、早朝からレオンの家に向かった。
私の手には、チーズとベーコン、ブロッコリーにパンが入ったカゴがある。全て、昼ご飯に作る料理の材料だ。料理長に頼み込み、用意してもらった。勿論、シュタインには内緒だ。
別に絆された訳ではないが、あまりにもレオンが寂しそうだったので、まあ、ちょっと得意料理でも、と思っただけだ。決して他意はない。断じてない。
まあ、皆でわいわい囲んで食べるご飯というものが、私にとっても悪くなかった、そういうことだ。
婚約破棄前は、后教育と称し、人をいたぶるのに快感を感じていそうなマナー係の中年の侯爵夫人に、横からネチネチ言われながら食べていた。言われるのが嫌でマナーを守ると、今度は会話が一切ない。
基本家に帰れるのは週末だけで、その間の孤独といったら、私は人が滅びた世紀末に彷徨う修行僧か? と思う程だった。それ以外の教師も、よぼよぼの耳の遠いお爺さんだったりと、本来であれば婚約者であるアルフレッドが私の話し相手になって然るべきなのだが、彼は私に近づこうとはしなかったのでそれすらもなく、ただひたすら孤独の日々だった。
週末に家に帰るも、家はすっかり弟の天下。まだ嫁いでもいないのに、よその家に嫁に行った娘扱いだった。食事の時はさすがに家族が集まったが、私ひとりが話題についていけず、結局はただ聞いているだけ。私が黙り込んだ時の、弟の優越感に満ちた顔。あいつはいつか地獄に落ちると思う。
唯一、従兄弟ということでホルガーがしょっちゅう王宮や実家に遊びに来てくれなければ、私の心はとっくに干からびて死んでいただろう。それ位、会話もなければ楽しみも一切ない婚約生活だった。
幼い頃は、王宮に用意されていた部屋にホルガーを通して話し相手になってもらったりもしたが、ホルガーが成人したあたりからは、それも段々と厳しくなった。
ここ数年は庭園を散歩したり、庭園でお茶をしたりして、人目に自分達の姿を晒さないと何を噂されるかも分からず、それすらも窮屈だった。
もう、孤独も窮屈なのも嫌だ。だから、私もレオンの気持ちに賛同した。
あいつも、きっと私と似通った境遇にあったのかもしれない。でなければ、日頃あんな唯我独尊な奴が、ああも人恋しい発言などしない筈だ。
今日は、少しは優しくしてやろう。そう思いながら私がレオンの家のドアをノックをして開けると、レオンがテーブルに突っ伏しているではないか。
「レオン? どうしたの?」
台所には本日お届け分の卵がカゴに入って置いてあったが、その横には空のワインボトルが二本もある。そういえば……酒臭いかも。
私がそっと突っ伏しているレオンの前髪を指で摘んで上げると、物凄く人相の悪い目が出てきた。
「頭痛い……」
レオンがボソリと言った。なんてこった。こりゃ正真正銘の二日酔いだ。
「うわっ酒くさっ」
ホルガーはそう言うと、風通しの為か家中の窓を開け始めた。
「ナタ……水を、水を……」
砂漠の遭難者の様な台詞を言ったレオンは、喋るだけで辛かったのだろう、頭を押さえた。だめだこりゃ。
「仕方ないわねえ。ちょっと待ってなさいな」
台所にある水差しは、空。仕方ない、井戸水など汲んだことはないが、知識ならある。
私は水差しを持って裏口に行くと、共同の井戸に向かった。この世界の井戸は、滑車の付いた、いわゆるキングオブ井戸だ。作者の想像力が、ここまでだったのだろう。せめてポンプ式くらい用意しておいてくれると違ったのに。
私は井戸のヘリに置いてある縄付きのバケツを井戸の中に投げ入れると、縄を掴んだ。……うん、上がらない。
前世のパワフルボディだったらこんなのは楽勝だったが、今の私はろくに運動もさせてもらえない公爵令嬢。しかもアルフレッドとの婚約破棄を目前に王都に残る父親の立場を死守すべく、痩せ細ってしまっている。
つまりどういうことかと言うと、水入りのバケツを、しかも梃子の原理を使っても上げられないひ弱令嬢だということだ。
負けてなるものか! これからは自分の力で生きていくのだから、こんな無機物に負けてなどいられない!
私は縄を自分の腕にクルクルと巻き付け、ぎゅっと両手で掴んだ。
「う……うおおおおおおっ!」
腹の底から野太い声を出し、全力で引っ張る。
なんてこった、びくともしない。よし、身体の全体重を使おう。私が上半身を後方に傾けると、ようやくバケツが少し持ち上がった。たったこれだけで腕はぶるっぶるだが、レオンが使い物にならなければ今日一日を無駄にしてしまう。マイスイートマヨネーズロードの為には、この貧弱な筋肉を酷使もしてみせようぞ。
「あんのおおおお! 二日酔いがあああ!」
私が気合いの掛け声と共に更に引っ張ると、バケツが更に持ち上がった。私は思わず笑顔になった。だが問題はこの後だ。縄をどうやって手繰り寄せるべきか。
私は暫し悩んだ後、縄を身体に巻きつければ距離を縮められることに気付いた。よし、これしかない。
私がその場でくるりと回転すると、縄が腹を一周した。おお、バケツが見えてきた。よし、もう一回!
その時。
慣れない靴だった所為だろうか、足首がぐきっと曲がると、私は前方につんのめった。
「え!? 嘘でしょおおお!?」
なんと、バケツの重さに負けた私は、絡みついた縄の所為でどんどん井戸に引き寄せられていくじゃないか! 一瞬で、井戸のへりにぶつかる。
「痛っ! おちっ落ちるううう!」
いくら悪役令嬢だからって、こんな死に方は嫌だ! ああ、せめてマヨネーズを最後に食べたかった……
私が死を覚悟した、その瞬間。
「うわ! ちょっとちょっと、何やってんすか!」
私の腰と、バケツに繋がった縄を掴んだ人物がいた。私はその男に抱えられている様だ。誰だ?
いつか間にか閉じていた目を開けて見上げると、そこには軽薄そうな少し癖のある金髪の若いまあまあなイケメンが、これまた薄っぺらそうな笑みの中に少々の焦りを浮かべて私を見下ろしていた。
誰だこいつ。手には剣だこと思われるものが見えるから、町人ではないだろう。レオンやホルガーに比べると小柄。王都では見たことはない。この街に住んでいる騎士か何かか?
男はバケツを引き上げて井戸のヘリに置くと、私の身体に絡みついている縄を解きつつ、見た目通りの軽い口調で話し始めた。
「あーもう、僕出てきちゃいけないことになってたのに、どうしてくれるんですかナタ様! ちょっと破天荒過ぎません? どこの世界の公爵令嬢が、自分の身体に縄を巻きつけて井戸に落ちかけるんです?」
「うるさいわね!」
いきなり畳み掛ける様に言われ、私は思わずそう言い返した。そして、気付いた。こいつ、私のことを知ってるぞ、と。
「……今、私の名前……」
「あ、しまった! またやっちゃった! レオン様に怒られる、あはははっ」
男はそう言うと、バケツから水差しに水を移した。うん、行動は早い。何も出来ない育ちのいい坊っちゃんという感じではなさそうだ。
「はいナタ様、どうぞ」
男はヘラヘラと笑いながら、私に水差しを手渡してくれた。
「あ、ありがとう……。あの、今『レオン様』って言ったわよね? ということは、貴方もしかしてレオンの従者か何か?」
私がそう尋ねると、男が笑顔のまま自分の口をぱっと押さえた。
「あれ!? 僕レオン様の名前も出しちゃってました!? ああまたやっちゃった! あはははは!」
やっちゃった、と言う割には、やたらと明るい。反省のはの字も見られない。男はピシッと姿勢を正し恭しく軽い会釈をしつつ、私に笑いかけた。
「ご挨拶が遅れました。僕はナッシュ・チェスターと申します。お察しの通り、レオン様の従者を務めておりますが、現在はこの軽口が高じて、定期連絡以外の接触を禁止されておりまして、こうして近辺警備をこっそり行なっております」
その軽そうなにっこり笑顔に、私の頬は思わず引きつったのだった。
私の手には、チーズとベーコン、ブロッコリーにパンが入ったカゴがある。全て、昼ご飯に作る料理の材料だ。料理長に頼み込み、用意してもらった。勿論、シュタインには内緒だ。
別に絆された訳ではないが、あまりにもレオンが寂しそうだったので、まあ、ちょっと得意料理でも、と思っただけだ。決して他意はない。断じてない。
まあ、皆でわいわい囲んで食べるご飯というものが、私にとっても悪くなかった、そういうことだ。
婚約破棄前は、后教育と称し、人をいたぶるのに快感を感じていそうなマナー係の中年の侯爵夫人に、横からネチネチ言われながら食べていた。言われるのが嫌でマナーを守ると、今度は会話が一切ない。
基本家に帰れるのは週末だけで、その間の孤独といったら、私は人が滅びた世紀末に彷徨う修行僧か? と思う程だった。それ以外の教師も、よぼよぼの耳の遠いお爺さんだったりと、本来であれば婚約者であるアルフレッドが私の話し相手になって然るべきなのだが、彼は私に近づこうとはしなかったのでそれすらもなく、ただひたすら孤独の日々だった。
週末に家に帰るも、家はすっかり弟の天下。まだ嫁いでもいないのに、よその家に嫁に行った娘扱いだった。食事の時はさすがに家族が集まったが、私ひとりが話題についていけず、結局はただ聞いているだけ。私が黙り込んだ時の、弟の優越感に満ちた顔。あいつはいつか地獄に落ちると思う。
唯一、従兄弟ということでホルガーがしょっちゅう王宮や実家に遊びに来てくれなければ、私の心はとっくに干からびて死んでいただろう。それ位、会話もなければ楽しみも一切ない婚約生活だった。
幼い頃は、王宮に用意されていた部屋にホルガーを通して話し相手になってもらったりもしたが、ホルガーが成人したあたりからは、それも段々と厳しくなった。
ここ数年は庭園を散歩したり、庭園でお茶をしたりして、人目に自分達の姿を晒さないと何を噂されるかも分からず、それすらも窮屈だった。
もう、孤独も窮屈なのも嫌だ。だから、私もレオンの気持ちに賛同した。
あいつも、きっと私と似通った境遇にあったのかもしれない。でなければ、日頃あんな唯我独尊な奴が、ああも人恋しい発言などしない筈だ。
今日は、少しは優しくしてやろう。そう思いながら私がレオンの家のドアをノックをして開けると、レオンがテーブルに突っ伏しているではないか。
「レオン? どうしたの?」
台所には本日お届け分の卵がカゴに入って置いてあったが、その横には空のワインボトルが二本もある。そういえば……酒臭いかも。
私がそっと突っ伏しているレオンの前髪を指で摘んで上げると、物凄く人相の悪い目が出てきた。
「頭痛い……」
レオンがボソリと言った。なんてこった。こりゃ正真正銘の二日酔いだ。
「うわっ酒くさっ」
ホルガーはそう言うと、風通しの為か家中の窓を開け始めた。
「ナタ……水を、水を……」
砂漠の遭難者の様な台詞を言ったレオンは、喋るだけで辛かったのだろう、頭を押さえた。だめだこりゃ。
「仕方ないわねえ。ちょっと待ってなさいな」
台所にある水差しは、空。仕方ない、井戸水など汲んだことはないが、知識ならある。
私は水差しを持って裏口に行くと、共同の井戸に向かった。この世界の井戸は、滑車の付いた、いわゆるキングオブ井戸だ。作者の想像力が、ここまでだったのだろう。せめてポンプ式くらい用意しておいてくれると違ったのに。
私は井戸のヘリに置いてある縄付きのバケツを井戸の中に投げ入れると、縄を掴んだ。……うん、上がらない。
前世のパワフルボディだったらこんなのは楽勝だったが、今の私はろくに運動もさせてもらえない公爵令嬢。しかもアルフレッドとの婚約破棄を目前に王都に残る父親の立場を死守すべく、痩せ細ってしまっている。
つまりどういうことかと言うと、水入りのバケツを、しかも梃子の原理を使っても上げられないひ弱令嬢だということだ。
負けてなるものか! これからは自分の力で生きていくのだから、こんな無機物に負けてなどいられない!
私は縄を自分の腕にクルクルと巻き付け、ぎゅっと両手で掴んだ。
「う……うおおおおおおっ!」
腹の底から野太い声を出し、全力で引っ張る。
なんてこった、びくともしない。よし、身体の全体重を使おう。私が上半身を後方に傾けると、ようやくバケツが少し持ち上がった。たったこれだけで腕はぶるっぶるだが、レオンが使い物にならなければ今日一日を無駄にしてしまう。マイスイートマヨネーズロードの為には、この貧弱な筋肉を酷使もしてみせようぞ。
「あんのおおおお! 二日酔いがあああ!」
私が気合いの掛け声と共に更に引っ張ると、バケツが更に持ち上がった。私は思わず笑顔になった。だが問題はこの後だ。縄をどうやって手繰り寄せるべきか。
私は暫し悩んだ後、縄を身体に巻きつければ距離を縮められることに気付いた。よし、これしかない。
私がその場でくるりと回転すると、縄が腹を一周した。おお、バケツが見えてきた。よし、もう一回!
その時。
慣れない靴だった所為だろうか、足首がぐきっと曲がると、私は前方につんのめった。
「え!? 嘘でしょおおお!?」
なんと、バケツの重さに負けた私は、絡みついた縄の所為でどんどん井戸に引き寄せられていくじゃないか! 一瞬で、井戸のへりにぶつかる。
「痛っ! おちっ落ちるううう!」
いくら悪役令嬢だからって、こんな死に方は嫌だ! ああ、せめてマヨネーズを最後に食べたかった……
私が死を覚悟した、その瞬間。
「うわ! ちょっとちょっと、何やってんすか!」
私の腰と、バケツに繋がった縄を掴んだ人物がいた。私はその男に抱えられている様だ。誰だ?
いつか間にか閉じていた目を開けて見上げると、そこには軽薄そうな少し癖のある金髪の若いまあまあなイケメンが、これまた薄っぺらそうな笑みの中に少々の焦りを浮かべて私を見下ろしていた。
誰だこいつ。手には剣だこと思われるものが見えるから、町人ではないだろう。レオンやホルガーに比べると小柄。王都では見たことはない。この街に住んでいる騎士か何かか?
男はバケツを引き上げて井戸のヘリに置くと、私の身体に絡みついている縄を解きつつ、見た目通りの軽い口調で話し始めた。
「あーもう、僕出てきちゃいけないことになってたのに、どうしてくれるんですかナタ様! ちょっと破天荒過ぎません? どこの世界の公爵令嬢が、自分の身体に縄を巻きつけて井戸に落ちかけるんです?」
「うるさいわね!」
いきなり畳み掛ける様に言われ、私は思わずそう言い返した。そして、気付いた。こいつ、私のことを知ってるぞ、と。
「……今、私の名前……」
「あ、しまった! またやっちゃった! レオン様に怒られる、あはははっ」
男はそう言うと、バケツから水差しに水を移した。うん、行動は早い。何も出来ない育ちのいい坊っちゃんという感じではなさそうだ。
「はいナタ様、どうぞ」
男はヘラヘラと笑いながら、私に水差しを手渡してくれた。
「あ、ありがとう……。あの、今『レオン様』って言ったわよね? ということは、貴方もしかしてレオンの従者か何か?」
私がそう尋ねると、男が笑顔のまま自分の口をぱっと押さえた。
「あれ!? 僕レオン様の名前も出しちゃってました!? ああまたやっちゃった! あはははは!」
やっちゃった、と言う割には、やたらと明るい。反省のはの字も見られない。男はピシッと姿勢を正し恭しく軽い会釈をしつつ、私に笑いかけた。
「ご挨拶が遅れました。僕はナッシュ・チェスターと申します。お察しの通り、レオン様の従者を務めておりますが、現在はこの軽口が高じて、定期連絡以外の接触を禁止されておりまして、こうして近辺警備をこっそり行なっております」
その軽そうなにっこり笑顔に、私の頬は思わず引きつったのだった。
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