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(23)クレオパトラ

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  戻ってきたホルガーとレオンは相談の結果、私を靴屋まで運ぼうという話になった。ここまで、私の意見は一切聞かれていない。

 そして今、レオンとホルガーはどちらが私を運ぶかで言い争っている真っ最中であった。

「俺はナタの従兄弟だから、俺が責任を持ってナタを運ぶ!」
「お前の腕力で街をうろついたら、途中でナタを落っことしちまうんじゃないか? それに俺はナタの靴を汚してしまった贖罪をだな」
「レオンは俺のことをひ弱だと思っていないか!? 俺だって剣術はやっているし、それにアルフレッドの生誕祭で倒れたナタを抱いて連れて帰った!」
「へえ? だけど俺だってナタをここまで運んだ実績もあるしな」

 どうでもいい。というか、なんでそんなことで言い争うのかがよく分からない。あれか? 重いものだって俺持てちゃうもんね自慢か? 男のプライドってやつだろうか。私にはよく分からないが、マヨネーズ開発は頓挫とんざしてるし、足は裸足で落ち着かないしで、どっちでもいいから早くして欲しかった。私はひたすら足をぷらぷらさせながら、待った。

 すると、ホルガーがとんでもない提案をし始めた。

「ここでこうやって言い争っていても時間の無駄だ。ここは折衷案せっちゅうあんでいかないか?」
「折衷案? いいだろう、聞かせろ」

 レオンはあくまで尊大な態度を崩さぬまま、答える。

「俺は、レオンがナタに触れるのは駄目だと思う」
「何でだよ。もう散々触ったぞ? 今更な感じだが」

 ホルガーが、噛み付く様に言う。

「ナタは公爵令嬢だぞ!?  その辺に落ちてる酒樽さかだるじゃないんだ、もっとちゃんと淑女として扱うべきだ!」

 酒樽はないんじゃないかと思ったが、ここで口を挟むと更に長くなりそうだ。私は無言を貫きつつ、欠伸あくびを噛み殺した。

「まあ、そこは考慮する。で、お前の折衷案てのは何なんだよ」

 ホルガーが指を一本、ピンと立てた。

「ナタを椅子に座らせて、二人でかかえていけば解決しないか?」
「ほう……」

 ほう、じゃない。誰がそんなクレオパトラみたいな姿で街をり歩きたいものか。

「意義あり!」

 私がひと言放つと、ホルガーが肩を落とした。

「じゃあ、ナタは何ならいいんだよ?」
「普通に歩くわよ」
「だって靴がないだろうが」

 レオンが鼻で笑う。こいつは大体において腹が立つが、私はいちいち反応しないすべをすでにマスターしている。アルフレッドの鼻毛と同様の対処、つまり頭の中でレオンと泡立て器を紐付けるのだ。

 泡立て器だと思えば、多少は好意もく。

「レオンはここに住んでるんでしょう?」
「そうだが?」
「じゃあ靴の予備も持ってるでしょう?」
「そりゃまああるが、お前にゃでかいぞ」
「多少歩きにくくても、目的地までの間、靴の役割を果たしてくれればそれでいいのよ」

 クレオパトラ化するよりは、はるかにマシだ。そんなことをされたが最後、明日から街を歩く時は顔を隠して歩かねばならなくなる。

「だがなあ」

 レオンの歯切れが悪かったので、私はこれ以上逆らえない様、言うことにした。

「あら。私に貸せない位、レオンの足って匂うの?」
「俺の足は臭くねえ! 待ってろ! 今嗅がせてやる!」

 レオンはムキになって反論すると、ドスドスと大きな足音を立てて寝室らしき部屋へと向かった。

 そんなレオンの後ろ姿を呆れ顔で見ていたホルガーが、心配そうに私に言った。

「ナタ、臭かったら履いちゃ駄目だぞ?」



 結論として、レオンの靴は別に臭くはなかった。くるぶし丈の紐で結ぶタイプの革靴を持ってくると、「げ!」とかかげてきたのには参ったが。

 レオンはどうもかなり単純な男な様で、助かった。

 私は靴を履くと、ぱかぱか言わせながら靴屋へと向かった。転ぶのではないかと心配したホルガーに腕を掴まれ、片方だけだとバランスが悪いと反対側をレオンに掴まれ、まるで連行される犯人の様だ。

「淑女な公爵令嬢が道端ですっ転んだら笑えないからな」

 人を見下ろしながらニヤリと笑うレオンへの怒りは、心頭滅却、諸行無常、ええと後は何だ。あ、馬の耳に念仏、これだ。

 私の耳から耳へ、レオンの言葉がすうっと抜けていった。よし。

 それに、アルフレッドとは個人的な会話を交わすことはなくなっていたが、時折放たれる言葉はかなりとげのあるものだったから、あれに比べれば可愛らしいものだ。少なくとも、レオンからは敵意は感じないから。

「ナタ、辛くなったら俺に言うんだぞ? 無理していいことなんてないからな」

 と、こちらは日頃から激甘の頼れる従兄弟、ホルガーの言葉だ。

「ほら、あそこに靴屋があるぞ」

 レオンが通りの先にある店舗を指差す。早く着いて欲しかった。イケメン二人に腕を抱えられて往来を行く私達は、かなり目立っているからだ。クレオパトラよりはましだが、何事かと思われているのは確かだろう。

 私達がやっとこさ靴屋に到着すると、靴屋の主人であろう初老の男性の目元が一瞬ぴくりと動いたが、そこはさすが客商売、何事もなかったかの様に笑顔になって声を掛けてきた。

「こいつに靴を見繕ってくれ」

 靴屋の主人は私が履いているレオンの大きな靴を見てまたぎょっとした様な顔になったが、手をこすり合わせると明らかに愛想笑いと分かる笑顔を再度浮かべ、「かしこまりました」と一礼した。

「お嬢様、足のサイズを測らせていただいても?」
「お願いするわ」
「それでは失礼しまして」

 靴屋の主人が私の後ろに椅子を持ってきたので私が座ると、ようやくレオンとホルガーの腕が離れていった。やれやれだ。ホルガーはともかく、レオンまで一体どうしたんだろうか。

 靴屋の主人が靴を脱がせてメジャーでサイズを測っている最中、私は椅子の背もたれに寄りかかって様子を見ているレオンをちらりと見上げた。すぐに目が合い、レオンの切れ長の目が笑う様に細められる。私は急いで前に向き直った。駄目だ、イケメンを至近距離で見るとどうしても居心地が悪くなる。

 くす、と微かな笑い声が聞こえたが、私はもう振り向かないことにした。こいつは、自分がイケメンなことを分かっていて、それでこうやって人をからかうのが趣味な性格の悪い奴に違いない。

 レオンは泡立て器、レオンは泡立て器。

 心の中で唱えると、それまでの焦燥感がどこかへと消えていったのだった。
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