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消し忘れたタバコ
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祖母が営む民宿に、毎年夏の期間宿泊する人がいる。
出会いは、あかりがまだ十三歳の時だ。
東京から日に一度の定期便に乗って何もない島にやってきたその人は、自称小説家。
島の若い男よりも細く、でも背は高い。桜咲誉と名乗った男は、少し猫背の身体に乗った童顔を太々しく歪ませ、「俺の名前、やっぱり知らないか」と笑った。
食事は広間で皆一緒に食べる。元々数人しか泊まれない民宿だから、それはまるで大家族の食卓の様な雰囲気だった。
「あかり。お前は小説家なんて目指すんじゃねえぞ」
「なんで? 誉は楽しくないの?」
「書ける時はいい。書けない時は地獄だ」
あかりよりも七歳年上の誉は、最初の三年くらいは楽しそうに書いては満足して本土に帰って行った。
翌年から、本になったそれをお土産で渡してくれるのが恒例になった。
いつからだろう。閉じこもった部屋から苛立ちの声が聞こえてくることが増えたのは。
その頃から、誉はタバコを吸う様になった。
寝タバコは厳禁と祖母に言われ、誉は窓枠に座り外に向かってぷかりと煙を浮かばせる。
十七歳になったあかりは、幼馴染みの風太郎に告白をされたばかりだった。漁師の息子で、子供が殆どいない島で他に選択肢がなかっただけと思い、断った。
窓枠に腰掛ける誉の姿が脳裏にチラリと映ったのには、気付かないふりをした。
それまでは軽いタッチの小説を書いていた誉の作風が変わったのは、去年からだ。
男性向けの冒険活劇を書いていた誉がたまたま書いた恋愛小説がヒットして、すっかり恋愛を書く人というイメージが定着してしまった。
あかりが二十歳になった今年、誉はベストセラーとなったその小説をあかりに手渡してくれた。
「あれ? 婆ちゃんは?」
二十七になった誉は、すっかり大人な雰囲気を纏っている。着ている物も前よりお洒落に見えた。
「実は、婆ちゃんが倒れちゃって」
「……え?」
部屋に案内したあかりの足許に、荷物が詰まったボストンバッグが落ちた。
祖母は、本土にある病院に入院している。多分、もう出てくることはない。
「もうここは閉めることにしたんだ。どっちみちボロいし修繕費出せるお金もないし。だけど婆ちゃんが誉が楽しみにしてるから最後にって」
「じゃあ……俺の為だけに?」
あかりは明るい笑顔で頷く。
「そ。臨時営業してあげるから、最後の夏を楽しんでいってね」
じゃあ、夕飯の支度をしてくるから。そう言ってあかりが部屋から出ていくと、誉はしゃがみ込んで頭を抱えた。
◇
「――なあ、あかりはここを畳んだらどうするんだ?」
誉が、どんよりとした雰囲気の中尋ねる。
「ろくな働き口もないし、結婚でもするしかないかなあ」
あかりの言葉に、誉は驚いた顔で身を乗り出した。
「けっ結婚て! お前相手いたのかよ!」
「別に誰とも付き合ってないけど、ずっと私に告白してくる幼馴染みにプロポーズされてる」
「へっ……」
誉がポカンとすると、あかりはクスクスと笑う。
「もうこれ以上拒めないかもね。年貢の納め時ってやつよ」
あかりはそう言うと、「さ、お風呂沸いてるから入って!」と座りっぱなしの誉に向かって言った。
「お、おう……」
誉は一旦部屋に戻ると、呆然とした表情のまま、窓枠に座ってタバコを吸う。ひと口吸って煙を吐いた後は、灰がぼとりと落ちるまで微動だにしなかった。
「誉?」
「あ、入る!」
慌ててタバコを灰皿で揉み消すと、着替えを手に部屋を出る。
あかりが煙の匂いに気付いたのは、そのすぐ後だった。
消し忘れか。そう思い、誉の部屋に入る。すると案の定、窓枠に置かれた灰皿の中で細い煙をたゆたわせるタバコの吸い殻があった。
「危ないなあ、もう」
今なら誉はいない。この窓枠に座ってタバコを吸う姿は、もう見られないから。
誉がいつも座っている位置に腰掛けると、恐る恐るまだ煙を立ち昇らせているタバコを指に挟み。
そっと唇で挟んだ。
「……けほっ」
鼻に入った煙でむせる。だけどまるで誉の残像と重なった様に感じて、思わず涙がツウと流れた。
「あかり?」
「え!」
慌てて振り返ると、誉がいる。顔を赤くして突っ立っている姿は、余裕のあるいつもの姿とは違って見えた。
「あ、あの……っあ、その!」
慌てて咥えていたタバコを揉み消す。
「火が消えてなかったよ! 危ないなあ!」
急いで部屋から出ようとすると、誉が背後から抱き締めた。
「あかり、やっぱり駄目だ! 俺と結婚しないと駄目だ!」
「へ……?」
誉はあかりが口を挟む隙を与えないまま、あかりに会えるのを目標に頑張って書いてきたと捲し立てる。
「年が離れてるし不安定な職業だし、だけどベストセラーになったからようやく言おうと思って来たんだよ!」
誉は机の上に散乱した紙の山から茶色の線がある書類を取り出す。それは、夫の欄が全て埋められた婚姻届だった。
「あかりがいるから書ける。一生あかりの為に書く」
いつになく真剣な眼差しの誉の言葉に、あかりはぼたぼたと涙を零しながら、幾度も頷いたのだった。
出会いは、あかりがまだ十三歳の時だ。
東京から日に一度の定期便に乗って何もない島にやってきたその人は、自称小説家。
島の若い男よりも細く、でも背は高い。桜咲誉と名乗った男は、少し猫背の身体に乗った童顔を太々しく歪ませ、「俺の名前、やっぱり知らないか」と笑った。
食事は広間で皆一緒に食べる。元々数人しか泊まれない民宿だから、それはまるで大家族の食卓の様な雰囲気だった。
「あかり。お前は小説家なんて目指すんじゃねえぞ」
「なんで? 誉は楽しくないの?」
「書ける時はいい。書けない時は地獄だ」
あかりよりも七歳年上の誉は、最初の三年くらいは楽しそうに書いては満足して本土に帰って行った。
翌年から、本になったそれをお土産で渡してくれるのが恒例になった。
いつからだろう。閉じこもった部屋から苛立ちの声が聞こえてくることが増えたのは。
その頃から、誉はタバコを吸う様になった。
寝タバコは厳禁と祖母に言われ、誉は窓枠に座り外に向かってぷかりと煙を浮かばせる。
十七歳になったあかりは、幼馴染みの風太郎に告白をされたばかりだった。漁師の息子で、子供が殆どいない島で他に選択肢がなかっただけと思い、断った。
窓枠に腰掛ける誉の姿が脳裏にチラリと映ったのには、気付かないふりをした。
それまでは軽いタッチの小説を書いていた誉の作風が変わったのは、去年からだ。
男性向けの冒険活劇を書いていた誉がたまたま書いた恋愛小説がヒットして、すっかり恋愛を書く人というイメージが定着してしまった。
あかりが二十歳になった今年、誉はベストセラーとなったその小説をあかりに手渡してくれた。
「あれ? 婆ちゃんは?」
二十七になった誉は、すっかり大人な雰囲気を纏っている。着ている物も前よりお洒落に見えた。
「実は、婆ちゃんが倒れちゃって」
「……え?」
部屋に案内したあかりの足許に、荷物が詰まったボストンバッグが落ちた。
祖母は、本土にある病院に入院している。多分、もう出てくることはない。
「もうここは閉めることにしたんだ。どっちみちボロいし修繕費出せるお金もないし。だけど婆ちゃんが誉が楽しみにしてるから最後にって」
「じゃあ……俺の為だけに?」
あかりは明るい笑顔で頷く。
「そ。臨時営業してあげるから、最後の夏を楽しんでいってね」
じゃあ、夕飯の支度をしてくるから。そう言ってあかりが部屋から出ていくと、誉はしゃがみ込んで頭を抱えた。
◇
「――なあ、あかりはここを畳んだらどうするんだ?」
誉が、どんよりとした雰囲気の中尋ねる。
「ろくな働き口もないし、結婚でもするしかないかなあ」
あかりの言葉に、誉は驚いた顔で身を乗り出した。
「けっ結婚て! お前相手いたのかよ!」
「別に誰とも付き合ってないけど、ずっと私に告白してくる幼馴染みにプロポーズされてる」
「へっ……」
誉がポカンとすると、あかりはクスクスと笑う。
「もうこれ以上拒めないかもね。年貢の納め時ってやつよ」
あかりはそう言うと、「さ、お風呂沸いてるから入って!」と座りっぱなしの誉に向かって言った。
「お、おう……」
誉は一旦部屋に戻ると、呆然とした表情のまま、窓枠に座ってタバコを吸う。ひと口吸って煙を吐いた後は、灰がぼとりと落ちるまで微動だにしなかった。
「誉?」
「あ、入る!」
慌ててタバコを灰皿で揉み消すと、着替えを手に部屋を出る。
あかりが煙の匂いに気付いたのは、そのすぐ後だった。
消し忘れか。そう思い、誉の部屋に入る。すると案の定、窓枠に置かれた灰皿の中で細い煙をたゆたわせるタバコの吸い殻があった。
「危ないなあ、もう」
今なら誉はいない。この窓枠に座ってタバコを吸う姿は、もう見られないから。
誉がいつも座っている位置に腰掛けると、恐る恐るまだ煙を立ち昇らせているタバコを指に挟み。
そっと唇で挟んだ。
「……けほっ」
鼻に入った煙でむせる。だけどまるで誉の残像と重なった様に感じて、思わず涙がツウと流れた。
「あかり?」
「え!」
慌てて振り返ると、誉がいる。顔を赤くして突っ立っている姿は、余裕のあるいつもの姿とは違って見えた。
「あ、あの……っあ、その!」
慌てて咥えていたタバコを揉み消す。
「火が消えてなかったよ! 危ないなあ!」
急いで部屋から出ようとすると、誉が背後から抱き締めた。
「あかり、やっぱり駄目だ! 俺と結婚しないと駄目だ!」
「へ……?」
誉はあかりが口を挟む隙を与えないまま、あかりに会えるのを目標に頑張って書いてきたと捲し立てる。
「年が離れてるし不安定な職業だし、だけどベストセラーになったからようやく言おうと思って来たんだよ!」
誉は机の上に散乱した紙の山から茶色の線がある書類を取り出す。それは、夫の欄が全て埋められた婚姻届だった。
「あかりがいるから書ける。一生あかりの為に書く」
いつになく真剣な眼差しの誉の言葉に、あかりはぼたぼたと涙を零しながら、幾度も頷いたのだった。
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