マンドラゴラの王様

ミドリ

文字の大きさ
上 下
20 / 48
第二章 事件発生

20 雰囲気に流される

しおりを挟む
 人間、雰囲気には流されるものだ。それは私にも例外なく適用され、押し倒されながらの初めてのキスに脳みそが溶けかかっていた私は、一向に終わらないそれに完全に意識を持っていかれていた。初めは重ねるだけだったものは段々と啄むものに変わり、部屋に響く音は、確かに私がゴラくんとキスをしてしまっていることを証明していた。

 もうどれくらいこうしているのか。ぼうっとする頭で、壁掛けの時計を見る。その途端、私は驚いて「わっ!」と声を出してしまった。ゴラくんも驚いた顔で私を見ているけど、今は勘弁してほしい。

「ゴラくん! 雪の中に人を放っておくと、凍って死んじゃうよ!」

 そう。今の今まで、すっかり名雲さんの存在を忘れてしまっていた。名雲さんがチャイムを押してから今まで、軽く一時間は経過している。荷台で襲われそうになりゴラくんが助けてくれるまで三十分も掛かっていなかっただろうから、単純計算でももう三十分以上ここでこうしていることになる。いくらなんでもやり過ぎだ。

「死んじゃったら駄目なの?」

 ゴラくんが、何がいけないんだとばかりに聞き返す。ああ、まだ基本的人権や警察にどうしたら捕まるのかとかいった辺りの勉強まではしていなかった。これから詰め込もう。

「人は殺しちゃいけません!」
「縛ってるだけだよ」
「そういうのは故意って言うの!」
「こい?」
「そう、故意っていうのはわざとって意味で、過失っていうのはわざとじゃないって意味なんだけど、――じゃなくて!」

 今は殺人の意思の有無について語っている場合じゃない。でも、ゴラくんは私を離そうとはしなかった。

「あいつは危険だから近付いちゃ駄目」
「でも、荷物が!」

 そう。まだゴラくんの服の受け取りサインもしていなければ、肝心の荷物も荷台に置かれたままだ。カードで支払ってある物を、あそこに放置しておいていい訳はない。すると、荷物についてはゴラくんも納得したらしく、こくんと可愛らしく頷いた。

「荷物は大事。一緒に取りに行こう。美空はどれか分かる?」

 ひとまず人命は置いておき、荷物を優先することにしたらしい。ゴラくんと共に、玄関へ向かう。サンダルを表に脱ぎ捨ててきてしまったので、代わりに長靴を履いた。

 もしかしたら、あれから更に積もっているかもしれない。名雲さんは凍死していないだろうか。

 人を襲うという言語道断な所業を行なった人ではあるけど、報復行為として縛り付けた上で吹雪いている外に放置するのは望まざる死を招く可能性が高いから、荷物を回収したら名雲さんの命をどうにかしなければならない。

 警察を呼ぶべきか。だけど、派出所の白髪の山内さんをここまで呼びつけるのは忍びない。それに山内さんは腰痛持ちなので、筋肉もりもりの名雲さんを連行して町まで戻るのは、至難の業だろう。
 表に一歩出ると、雪の勢いは更に増しており、ほぼ地面に平行に吹雪いている。

 これは名雲さん、ちゃんと生きているだろうか。彼が縛り付けられている方を見たけど、視界はホワイトアウト状態。何も見えない。

「美空、荷物はどれ?」

 雪が入り込んで若干積もり始めた荷台の前に立ったゴラくんが、尋ねる。名雲さんがいる方には注意も払わない。よく見ると、先程飛び出ていた葉っぱが一枚まだぴょこんと頭にくっついているので、あの木と交信出来ている状態なのかもしれない。メルヘンよりは若干ホラー色が強い。

「これ。この大きいのと、この小さいの」
「じゃあ運んじゃうね」

 私だったら抱えられない大きなダンボールも、ゴラくんは容易に運べる。いいなあ、と純粋に羨ましく思った。全体的に色んな部分が小さい私は、どうしたって大きな男性には勝てない。いつかゴラくんをきちんと独り立ちさせたらまた一人になるというのに、このままひ弱でいいものか。吹雪いてよく見えない、名雲さんがいる方向へと目を向ける。

 今回の名雲さんという顔見知りによる犯行は、私に過疎地で一人暮らしをする女の弱さというものをまざまざと見せつけた。全部の男性が力尽くで女性をどうこうしようという訳じゃないだろうけど、多かれ少なかれ征服したいという気持ちを持つのが男性脳の特徴、と聞いたことがある。

 その証拠に、先程はゴラくんも、私にそこそこ強引なキスをしたじゃないか――。

 外は吹雪いて寒いというのに、私の身体はカアアッと熱くなった。いや、でも私が抵抗したかというと、していない気もする。順繰りと思い返す。うん、抵抗していない。名雲さんが近付いてきた時は、嫌悪感で一杯になりとにかく暴れて頑張って抵抗したのに。あまり効果があったとは言えないけど。でも、そんな私がゴラくんには抵抗しなかった。……何故か。

 私は、まともな恋愛をしたことがない。恋愛をするには、あまりにも臆病で奥手過ぎた。だから、初恋は三次元ではなく、ハックルベリー・フィンだった。トム・ソーヤーやピーターパンといったヒーロー的な少年でないところに、私のちょっとひねくれた好みというのが反映されているのかもしれない。大胆で臆病でそれでいて優しいところが、無償に惹かれた。

 それがまるきりゴラくんに当てはまる項目だったことに気付いた私は、一向に戻ってこなくて心配したのだろうゴラくんが傘を差して戻ってきたというのに、見上げるだけで何も言えなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

織りなす楓の錦のままに

秋濃美月
キャラ文芸
※鳴田るなさんの”身分違いの二人企画”に参加しています。 期間中に連載終了させたいです。させます。 幕藩体制が倒れなかった異世界”豊葦原”の”灯京都”に住む女子高生福田萌子は 奴隷市場に、”女中”の奴隷を買いに行く。 だが、そこで脱走した外国人の男奴隷サラームの巻き起こしたトラブルに巻き込まれ 行きがかり上、彼を買ってしまう。 サラームは色々ワケアリのようで……?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...