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30 ご両親への挨拶
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マンションの五階にたどり着いた俺たちは、扉の前で立ち止まる。
目の前には、黒い文字で「小田切」と刻まれた表札があった。
俺はその表札を複雑な思いで見つめた。
せっかく俺だけ特別だと思ったばかりだったのに……他のセフレにも知られちゃうんだな……。
鍵を回してドアを開け、冬磨が俺を振り返る。
「天音? なに、表札じっと見て。どした?」
「……別に。ただ、俺だけじゃなくなるんだなって」
「ん? 俺だけじゃなくなる?」
「他の……」
他のセフレと言いかけて、まだ家の中じゃないと気づき口をつぐむ。
「他の、なに?」
「他の相手も、表札見るんだなって。それだけ」
冬磨が目を瞬いて、ふはっと笑った。
「他の奴が見るのは嫌か?」
「…………別に。どうでもいい」
「えー? どうでもよかったらそんな表札気にするか?」
「……ただ眺めてただけだろ」
冬磨が俺の手を引いてドアをくぐり、家の中に引き入れる。
「いらっしゃいませ」
「……おじゃま……します」
靴を脱いで家に上がると、いつものように冬磨の唇がうなじにふれた。
ふるっと震える俺に、冬磨は静かに唇を動かす。
「この家に呼ぶのは天音だけだよ」
「え……っ」
「言ってんじゃん。天音は特別だって」
「ほ……ほかのセフレは……? ……んっ」
うなじにチリッと吸い付く痛み。
「ほか? んー、適当で」
適当……。
「……ぁ…………」
今日は初めからキスマークを何個も付ける冬磨。心が震えるほどに嬉しい。
どうして俺だけ冬磨の家に呼んでくれるの……?
名前も教えてくれて、一緒に泊まりたいと言ってくれて、天音は特別だと言ってくれて……俺、どんどん欲張りになっていくから怖いよ……。
冬磨……。もし俺が冬磨を本気で好きだって言ったら、どうする?
そんなこと、考えるだけでむなしい。
切られるかもしれないことをする勇気なんて、俺にはないから。
だから俺は今日も、冬磨の前でビッチ天音を演じる。
「天音、ポトフ食うか?」
「え……」
「昨日作りすぎたんだよ。なんか食って帰るかって言おうと思ったけど、ポトフあったの思い出してさ。まっすぐ帰ってきた」
冬磨が俺の頭をくしゃっと撫で、背中を押しながら家の中へと入っていく。
冬磨が作ったポトフが食べられるの?
まさかの冬磨の手料理に頬が一気にゆるむ。
冬磨の手料理っ。夢みたいっ。
「天音ポトフ好きか?」
「うん、好き。食べる」
「お、よかった。つってもポトフしかねぇけどな。パンとご飯どっちがいい? ご飯はレンチンのな」
「じゃあパンで」
「おっけー」
洗面所で手を洗って冬磨はキッチンに。
天音は座ってろ、と言われて、落ち着かない気持ちでソファに腰をかけようとしたとき、隣の和室にある仏壇が目に入った。
あ……ご両親の……。
「……冬磨」
「んー?」
「お線香、あげてもいい……?」
冬磨が冷蔵庫から取り出した鍋を手に俺を見る。
そして、ふっと表情を和らげて鍋をコンロに乗せると、こちらに歩いてきた。
「じゃあ俺もあげるかな」
俺の頭をくしゃっと撫でてから、和室に入っていく。
「毎日あげてねぇんだ。思い出したとき、たまにでさ」
俺は、ゆっくりと冬磨の隣に正座をした。
冬磨はマッチでロウソクに火を灯し、慣れた手つきで線香をあげ手を合わせる。
俺はそんな冬磨の仕草を黙って見つめた。
冬磨はゆっくりと俺に振り向き、仏壇の正面を譲ってくれた。
「冬磨。俺……初めてだから、間違ってたら教えてくれる?」
「え、初めてなのか?」
「……うん」
この歳になっても仏壇の常識が分からないなんて恥ずかしい。でも、間違えるわけにはいかないから正直に打ち明けた。いま冬磨のを見たあとでも自信がない。
「そっか。ありがとな」
またくしゃっと俺の頭を撫でて優しげに微笑む冬磨。
「間違っても大丈夫。父さんも母さんも、あら可愛いって思うだけだから」
「……なんだよ、それ」
冬磨はクスクス笑いながらも、手順をゆっくり教えてくれる。
俺は冬磨の説明をなぞるようにお線香をあげ、手を合わせた。
冬磨のお父さん、お母さん、はじめまして。星川天音です。
今日は突然お邪魔をしてしまいすみません。
僕は……冬磨が大好きです。いつも優しい冬磨のそばに、ずっとずっといたいと思っています。もし何かあったときには僕が冬磨の助けになりたいです。だから、どうかそばにいることをお許しください……。お願いします……。
心の中でご両親に挨拶をして、ゆっくりと目を開いて一礼をした。
すると、冬磨のクスクスという笑い声がまた聞こえてくる。
「……なんで笑ってんの?」
「ずいぶん長ぇなって思って」
「……だって、はじめてお会いするから……」
「挨拶してた?」
「……うん」
「ふはっ、ほんと可愛い」
いまのなにが可愛いのかまったくわからない。
「そんな丁寧に線香あげてくれた奴はじめて。ありがとうな、天音」
いまのが丁寧……。俺、手順もなにもわかんなかったのに?
ぽかんと冬磨を見つめると、頭を撫でられ頬にちゅっとキスをされた。
そういう雰囲気のとき以外で、はじめてされた頬のキス。俺は驚きすぎて固まった。
冬磨はずっとクスクスと笑ってロウソクの火を消し、俺を和室に残してキッチンに行った。
ハッとした。ご両親の前でキスされた。
ダメでしょ? ダメだよね?
お父さん、お母さん、ごめんなさいっ!
目の前には、黒い文字で「小田切」と刻まれた表札があった。
俺はその表札を複雑な思いで見つめた。
せっかく俺だけ特別だと思ったばかりだったのに……他のセフレにも知られちゃうんだな……。
鍵を回してドアを開け、冬磨が俺を振り返る。
「天音? なに、表札じっと見て。どした?」
「……別に。ただ、俺だけじゃなくなるんだなって」
「ん? 俺だけじゃなくなる?」
「他の……」
他のセフレと言いかけて、まだ家の中じゃないと気づき口をつぐむ。
「他の、なに?」
「他の相手も、表札見るんだなって。それだけ」
冬磨が目を瞬いて、ふはっと笑った。
「他の奴が見るのは嫌か?」
「…………別に。どうでもいい」
「えー? どうでもよかったらそんな表札気にするか?」
「……ただ眺めてただけだろ」
冬磨が俺の手を引いてドアをくぐり、家の中に引き入れる。
「いらっしゃいませ」
「……おじゃま……します」
靴を脱いで家に上がると、いつものように冬磨の唇がうなじにふれた。
ふるっと震える俺に、冬磨は静かに唇を動かす。
「この家に呼ぶのは天音だけだよ」
「え……っ」
「言ってんじゃん。天音は特別だって」
「ほ……ほかのセフレは……? ……んっ」
うなじにチリッと吸い付く痛み。
「ほか? んー、適当で」
適当……。
「……ぁ…………」
今日は初めからキスマークを何個も付ける冬磨。心が震えるほどに嬉しい。
どうして俺だけ冬磨の家に呼んでくれるの……?
名前も教えてくれて、一緒に泊まりたいと言ってくれて、天音は特別だと言ってくれて……俺、どんどん欲張りになっていくから怖いよ……。
冬磨……。もし俺が冬磨を本気で好きだって言ったら、どうする?
そんなこと、考えるだけでむなしい。
切られるかもしれないことをする勇気なんて、俺にはないから。
だから俺は今日も、冬磨の前でビッチ天音を演じる。
「天音、ポトフ食うか?」
「え……」
「昨日作りすぎたんだよ。なんか食って帰るかって言おうと思ったけど、ポトフあったの思い出してさ。まっすぐ帰ってきた」
冬磨が俺の頭をくしゃっと撫で、背中を押しながら家の中へと入っていく。
冬磨が作ったポトフが食べられるの?
まさかの冬磨の手料理に頬が一気にゆるむ。
冬磨の手料理っ。夢みたいっ。
「天音ポトフ好きか?」
「うん、好き。食べる」
「お、よかった。つってもポトフしかねぇけどな。パンとご飯どっちがいい? ご飯はレンチンのな」
「じゃあパンで」
「おっけー」
洗面所で手を洗って冬磨はキッチンに。
天音は座ってろ、と言われて、落ち着かない気持ちでソファに腰をかけようとしたとき、隣の和室にある仏壇が目に入った。
あ……ご両親の……。
「……冬磨」
「んー?」
「お線香、あげてもいい……?」
冬磨が冷蔵庫から取り出した鍋を手に俺を見る。
そして、ふっと表情を和らげて鍋をコンロに乗せると、こちらに歩いてきた。
「じゃあ俺もあげるかな」
俺の頭をくしゃっと撫でてから、和室に入っていく。
「毎日あげてねぇんだ。思い出したとき、たまにでさ」
俺は、ゆっくりと冬磨の隣に正座をした。
冬磨はマッチでロウソクに火を灯し、慣れた手つきで線香をあげ手を合わせる。
俺はそんな冬磨の仕草を黙って見つめた。
冬磨はゆっくりと俺に振り向き、仏壇の正面を譲ってくれた。
「冬磨。俺……初めてだから、間違ってたら教えてくれる?」
「え、初めてなのか?」
「……うん」
この歳になっても仏壇の常識が分からないなんて恥ずかしい。でも、間違えるわけにはいかないから正直に打ち明けた。いま冬磨のを見たあとでも自信がない。
「そっか。ありがとな」
またくしゃっと俺の頭を撫でて優しげに微笑む冬磨。
「間違っても大丈夫。父さんも母さんも、あら可愛いって思うだけだから」
「……なんだよ、それ」
冬磨はクスクス笑いながらも、手順をゆっくり教えてくれる。
俺は冬磨の説明をなぞるようにお線香をあげ、手を合わせた。
冬磨のお父さん、お母さん、はじめまして。星川天音です。
今日は突然お邪魔をしてしまいすみません。
僕は……冬磨が大好きです。いつも優しい冬磨のそばに、ずっとずっといたいと思っています。もし何かあったときには僕が冬磨の助けになりたいです。だから、どうかそばにいることをお許しください……。お願いします……。
心の中でご両親に挨拶をして、ゆっくりと目を開いて一礼をした。
すると、冬磨のクスクスという笑い声がまた聞こえてくる。
「……なんで笑ってんの?」
「ずいぶん長ぇなって思って」
「……だって、はじめてお会いするから……」
「挨拶してた?」
「……うん」
「ふはっ、ほんと可愛い」
いまのなにが可愛いのかまったくわからない。
「そんな丁寧に線香あげてくれた奴はじめて。ありがとうな、天音」
いまのが丁寧……。俺、手順もなにもわかんなかったのに?
ぽかんと冬磨を見つめると、頭を撫でられ頬にちゅっとキスをされた。
そういう雰囲気のとき以外で、はじめてされた頬のキス。俺は驚きすぎて固まった。
冬磨はずっとクスクスと笑ってロウソクの火を消し、俺を和室に残してキッチンに行った。
ハッとした。ご両親の前でキスされた。
ダメでしょ? ダメだよね?
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