1 / 33
序章 私は陥れられていたようです
第1話 失意の退職
しおりを挟む
3年間働いた職場を、私は今日退職した
「ニーナさん、ごめんなさい。私、私……こんなつもりじゃ……」
可愛い後輩であり、聖女でもあるクロリスが、私との別れを悲しんでくれている。
か細い腕を不安げに胸の前に組み、白いけれど健康的に張りのある頬を赤く染めて。
サラサラと音がしそうなほど見事な金糸が一筋、はらりと垂れてその頬にかかる。
私の忙しすぎてこけた頬、手入れする暇がなくてキシキシと痛んでしまった髪の毛とは大違いだ。
繊細ではかなげで、とても可愛らしい。
「良いのよ、クロリス。あなたのせいではないのだから。……私、自分の力を試したくて王都にきたのだけど、そろそろ寂しくなってきちゃって。ちょうど田舎に帰りたいなって、思っていたところだから、ちょうど良かったのかも」
「ニーナさんがいなくなるなんて、私寂しいです」
そんな可愛らしいことを言ってくれながら、クロリスは大きな瞳から今にもこぼれそうになる涙をグッとこらえる。
そんないじらしい姿を、同じく見送りにきてくれたシレジア子爵様が、愛おしくてたまらないというように見つめて、優しく抱き寄せた。
シレジア子爵。
今まで働いていた職場の雇い主で、半年ほど前まで、私の婚約者だった人。
――なにも婚約破棄をしたばかりの私の前で、そんなふうに新しい婚約者と寄り添わなくてもいいんじゃないって思うのは、いけないことかしら。
お互いに愛は無かったけれど、優しくて、そして経営の才能に溢れる彼を、私は心から尊敬していたのに。
「ニーナ、すまないな。クロリスが子爵家にくるまでの間、君が一人でこの子爵家を支えてくれていたことは、忘れない。だけど……親戚の者達が、より優秀な聖女であるクロリスと結婚をするようにってうるさく言ってきてね。貴族の結婚とは、いかにその貴族家が発展していくかを考えなくてはいけないんだ。分かるね?」
「はい。これまでありがとうございましたシレジア子爵様。3年間、お世話になりました」
「君もまあまあ優秀な聖女だ。君の前任の老聖者、マンフロットも認めていた。自信を失わず、これからも頑張っていってくれ」
「はい」
ズキズキと痛む胸に、気が付かないフリをして、無理やり口角を持ち上げて、笑顔を見せる。
可愛らしいクロリスが罪悪感を持たないように。
これ以上悲しんで、泣かないように。
最後に、お世話にはなったのだからと、私は感謝の気持ちを込めて、見送りに来てくれていたシレジア子爵様と、クロリスに、深々とお辞儀をした。
だけど顔を上げたら、二人はもう、目の前に二人の姿はなくて、背中を向けて去っていく途中だった。
幸せそうにお互いを見つめ合いながら。
3年間働いていたにしては少なすぎる荷物を詰めたトランクを、持ち上げる。
こうして私は、3年間務めた王都の子爵家の屋敷を、後にした。
*****
憧れていた王都で、運よくなれた聖者のお仕事だった。
自分の力を試してみたくて、お父様やお母様が仕事を紹介しようかと言ってくれるのを断り、一人で王都へでてきた。
最初はどうやって職を探せば良いのか、右も左も分からなった。
とにかく泊った宿の人や、旅人、そして街の人などに聞いて回ったところ、色んな仕事の募集の情報が集まる職業紹介所というところがある事が分かった。
そして職業紹介所に登録をして、探し始めてすぐに、シレジア子爵家お抱えの聖者の募集を見つけたのだ。
職業紹介所の人も驚いていた。
貴族が――しかも子爵様が、職業紹介所などに依頼を出すのは本当に、本当に珍しいことなので、私はとてもラッキーなのだと。
沢山の希望者がいるので、難しいと言われつつも応募したところ、奇跡的に私が選ばれた。
この仕事が決まった時、私は自分が国一番の幸せ者だと思った。
聖者というのは、自然の中に存在している力……山や川や、空気中など、この世のあらゆる者に宿っている聖なる力を、上手に体の中に取り込んで、そして他の人や物に分け与えることができる能力がある者のことで、女性の場合は聖女とも呼ばれる。
畑に力を注げばその土は富み、屋敷に注げばその家は栄える。
そして人に力を注ぐと、病や怪我が治ったり、体力が回復したりする。
この能力自体は、実は珍しくもなんともない。
初級程度の回復魔法くらいなら自分でできるという人は、世の中に大勢いる。
ではわざわざ聖者と呼ばれて職業として認められるのはどういう者か。
それは聖なる力を取り込み、分け与えることができる量によって決まる。
聖者の力が強いと思われる者は、教会で認定式を受けることができる。
そうして聖なる力を取り込んで、分け与えることができる量が、ある一定の基準を満たし、上級の治癒魔法、回復魔法ができると教会に認められると、聖者として登録され、免状が与えられる。
免状を持つ者はそれなりに珍しい。
貴族様のお屋敷にも、一人か二人雇われているかどうかというくらいの人数だ。
それは逆に言えば、働き先が少ないともいえる。
だから、王都に出てきて1週間やそこらで、貴重な貴族様のお屋敷での聖女の求人があったこと、その枠に私が入れたことは、とっても幸運だったのだ。
働き始めてしばらくの頃は、とても楽しかった。
私の前任は、年齢を理由に引退する、おじいさん聖者だった。
私を選んでくれたのもこの人だ。
もう80を超えるおじいさんは、動作はゆっくりだけれど、まだまだお元気だった。
なんと曾孫さんまでいるらしく、田舎に帰って曾孫と遊びたいというのが、引退した理由なのだそうだ。
前任のおじいさん聖者、マンフロットさんは、とても優しく、丁寧に子爵家での仕事を教えてくれた。
貴族に雇われた聖女の仕事は、主にその貴族家自体が繁栄するように祈り、実際に屋敷全体に聖なる力を行き渡らせることだ。
そのため良い聖者がいる貴族は、反映していく。
そして主に貴族家ご一家が怪我をした時や不調になった時に力を分け与えて、治療魔法や回復魔法を掛けることも聖者の大切な仕事だ。
もちろん兵士や使用人たちを癒すこともある。
聖者の力と同等の効果を得られるポーションを作るための、薬草づくりもなども聖者の仕事だけど、貴族家に雇われている聖者が薬草を育てることは少ない。
森が切りひらかれて、家屋敷が立ち並ぶようなところは、自然界に宿っている聖なる力が取り込みにくい。
そのため薬草を育てるのは、田舎の方に籠っている聖者であることがほとんどだ。
勤め始めて最初の頃は、当時爵位を継いだばかりのシレジア子爵様も、何度も私の働く様子を見に来てくれて、直接お褒めの言葉をかけてくれた。
33歳という若さで爵位を継いだシレジア子爵様は、穏やかでとてもお優しくて、謙虚な方だった。
しかしその彼がシレジア子爵家を継いで以来、みるみるうちに素晴らしい経営手腕を発揮されて、どんどん自信をに満ちた、堂々とした立ち居振る舞いになっていった。
なにせたったの3年の間で、どこにでもある子爵家の一つから、国の剣術大会の上位にシレジア子爵家お抱えの兵団の兵が上位を独占してしまったのだ。
シレジア家の兵団は、飛ぶ鳥を落とす勢いで強くなっていった。
王都で知らぬ者のいないほどの、快進撃。
シレジア子爵様の功績はそれだけではない。
とても珍しいことに、王都で育ちにくいといわれているポーションの原料の薬草の育て方を研究されて、大量に育成することに成功したのだ。
これによって、王家から直々に注文が入るようになったという。
シレジア子爵家が発展していくにつれて、私の仕事も忙しくなっていった。
子爵家お抱えの兵士の数はどんどん増え、一日に回復させる人数はそれに比例して増えていく。
薬草園も広くなっていく一方だったので、それに注ぐ聖なる力も増えていった。
それでも私は楽しかった。
仕事の疲れはあったけれど、幸い私はエネルギーを自然界から、ほぼ無尽蔵に取り込めたから。
それにその頃には、私はそれだけの経営手腕をお持ちのシレジア子爵様を、心から尊敬するようになっていたから。
だからシレジア子爵様のお役に少しでも立てるなら嬉しかった。
しかもその尊敬するシレジア子爵様から、私はなんと婚約者になってくれと申し込んでいただけた。
その頃はそれこそ夢を見ているように幸せだった。と、思う。
だけど忙しすぎて、新しく追加でもう一人、シレジア子爵家に聖女が雇われたあたりから、段々と歯車が狂い始める。
新しく増えた聖女の名前は、クロリスといった。
聖女に認定されたばかりという彼女は、まだ16歳の少女で、とても可愛らしく、希望に満ち溢れて輝いていた。
聖女が増えたにもかかわらず、シレジア子爵家の発展のスピードがすごいせいか、私の仕事量は全く減らなかった。
それどころか増えていく一方。
いくら聖なる力を無尽蔵に使える私でも、フラフラだった。
自分の作ったポーションをがぶ飲みして、自分で自分に回復をかける。
そうして、なんとか日々増えていく兵士達を聖なる力で回復し続ける。
毎朝毎晩、薬草園に聖なる力を注ぐのも忘れられない。
そこら中が力に満ちている田舎と違って、王都の薬草は、育ちがとても悪いのだ。
一度でも畑に聖なる力を注ぐのをサボれば、すぐに元気がなくなってしまう。
聖なる力を留めておけるポーションを作るのに、欠かせない薬草。
畑で育てているうちから、何度も何度も聖なる力を注ぐことで、聖女や聖者がいなくても、聖なる力を使用できるという便利な品物だ。
このポーションに使用される薬草はとても繊細で枯れやすいので、田舎で育てていても、王都に運ぶ頃には枯れてしまう。
そのため王都で育てた薬草はとても少なく、貴重なのだ。
クロリスは素直で、私にとても懐いてくれた。
イメージで言うなら、大きくてつぶらな瞳のうさぎちゃんのよう。
その瞳で上目遣いで見つめられると、女性の私でも何でもしてあげたくなってしまうくらい可愛い。
兵士達からの評判も良くて、私に回復魔法を掛けてもらうよりも、クロリスにかけてもらいたがる兵士のほうが多かったくらい。
きっとクロリスの方が、回復の腕が良いのだろう。
どんどん増えていく仕事に、私は頭が常にボーっとするくらいに疲れてしまっていた。
1日が終わった時、その日に何をやったのか思い出せないくらい疲れている日もあった。
せっかく婚約者になれたシレジア子爵様とも、ほとんどお話しする時間をとれなかった。
だからシレジア子爵様が、私との婚約を破断して、クロリスと結婚すると言った時、「ああ、やっぱり」って思ったんだ。
私と同じ仕事をしているはずなのに、クロリスはいつも余裕があって、ニコニコと笑っていて、オシャレをして、輝いていた。
兵士達に流れ作業と言われる私の回復と違い、クロリスは一人ひとりとじっくり向き合って、お話をして、目を見つめて、手を取って、とても丁寧に対応してくれるらしい。
最近では、兵士たちは私に回復される時、クロリスだったらもっと丁寧にみてくれるのにと、いつもイライラと不機嫌そうに、文句を言うようになっていた。
どんなに頑張って回復魔法をかけても、「なんでこんな不愛想な女に回復されないといけないんだ」などと、直接言われるようになったことは、流石に辛かった。
不愛想だと言われないようにと、無理に笑顔を作っても、逆にバカにしていると怒られてしまったことがある。
もうどうすればいいのか、分からなかった。
シレジア子爵様が私を婚約者にとおっしゃってくださったのは、きっと私の力がシレジア子爵家に有用だと考えてくれていたからだろう。
それはなんとなく分かっていた。
だから私よりも可愛くて、優秀で、性格が良くて、癒されるクロリスがあらわれたら、結婚相手を変えるのは、当然のことだった。
仕方がない。
クロリスの方が優秀で、クロリスの方が、シレジア子爵家に必要だと判断されたのだ。
人が2人以上いたら、どちらかの方がどちらかよりも優秀であることは、仕方のないことだ。
そんなことくらいでへこたれて、仕事を辞めていては生きていけない。
だけど……私はこのまま、このシレジア子爵家で働き続けることが、どうしても、どうしてもできなかった。
もう心も体も疲れ切っていたから。
「ニーナさん、ごめんなさい。私、私……こんなつもりじゃ……」
可愛い後輩であり、聖女でもあるクロリスが、私との別れを悲しんでくれている。
か細い腕を不安げに胸の前に組み、白いけれど健康的に張りのある頬を赤く染めて。
サラサラと音がしそうなほど見事な金糸が一筋、はらりと垂れてその頬にかかる。
私の忙しすぎてこけた頬、手入れする暇がなくてキシキシと痛んでしまった髪の毛とは大違いだ。
繊細ではかなげで、とても可愛らしい。
「良いのよ、クロリス。あなたのせいではないのだから。……私、自分の力を試したくて王都にきたのだけど、そろそろ寂しくなってきちゃって。ちょうど田舎に帰りたいなって、思っていたところだから、ちょうど良かったのかも」
「ニーナさんがいなくなるなんて、私寂しいです」
そんな可愛らしいことを言ってくれながら、クロリスは大きな瞳から今にもこぼれそうになる涙をグッとこらえる。
そんないじらしい姿を、同じく見送りにきてくれたシレジア子爵様が、愛おしくてたまらないというように見つめて、優しく抱き寄せた。
シレジア子爵。
今まで働いていた職場の雇い主で、半年ほど前まで、私の婚約者だった人。
――なにも婚約破棄をしたばかりの私の前で、そんなふうに新しい婚約者と寄り添わなくてもいいんじゃないって思うのは、いけないことかしら。
お互いに愛は無かったけれど、優しくて、そして経営の才能に溢れる彼を、私は心から尊敬していたのに。
「ニーナ、すまないな。クロリスが子爵家にくるまでの間、君が一人でこの子爵家を支えてくれていたことは、忘れない。だけど……親戚の者達が、より優秀な聖女であるクロリスと結婚をするようにってうるさく言ってきてね。貴族の結婚とは、いかにその貴族家が発展していくかを考えなくてはいけないんだ。分かるね?」
「はい。これまでありがとうございましたシレジア子爵様。3年間、お世話になりました」
「君もまあまあ優秀な聖女だ。君の前任の老聖者、マンフロットも認めていた。自信を失わず、これからも頑張っていってくれ」
「はい」
ズキズキと痛む胸に、気が付かないフリをして、無理やり口角を持ち上げて、笑顔を見せる。
可愛らしいクロリスが罪悪感を持たないように。
これ以上悲しんで、泣かないように。
最後に、お世話にはなったのだからと、私は感謝の気持ちを込めて、見送りに来てくれていたシレジア子爵様と、クロリスに、深々とお辞儀をした。
だけど顔を上げたら、二人はもう、目の前に二人の姿はなくて、背中を向けて去っていく途中だった。
幸せそうにお互いを見つめ合いながら。
3年間働いていたにしては少なすぎる荷物を詰めたトランクを、持ち上げる。
こうして私は、3年間務めた王都の子爵家の屋敷を、後にした。
*****
憧れていた王都で、運よくなれた聖者のお仕事だった。
自分の力を試してみたくて、お父様やお母様が仕事を紹介しようかと言ってくれるのを断り、一人で王都へでてきた。
最初はどうやって職を探せば良いのか、右も左も分からなった。
とにかく泊った宿の人や、旅人、そして街の人などに聞いて回ったところ、色んな仕事の募集の情報が集まる職業紹介所というところがある事が分かった。
そして職業紹介所に登録をして、探し始めてすぐに、シレジア子爵家お抱えの聖者の募集を見つけたのだ。
職業紹介所の人も驚いていた。
貴族が――しかも子爵様が、職業紹介所などに依頼を出すのは本当に、本当に珍しいことなので、私はとてもラッキーなのだと。
沢山の希望者がいるので、難しいと言われつつも応募したところ、奇跡的に私が選ばれた。
この仕事が決まった時、私は自分が国一番の幸せ者だと思った。
聖者というのは、自然の中に存在している力……山や川や、空気中など、この世のあらゆる者に宿っている聖なる力を、上手に体の中に取り込んで、そして他の人や物に分け与えることができる能力がある者のことで、女性の場合は聖女とも呼ばれる。
畑に力を注げばその土は富み、屋敷に注げばその家は栄える。
そして人に力を注ぐと、病や怪我が治ったり、体力が回復したりする。
この能力自体は、実は珍しくもなんともない。
初級程度の回復魔法くらいなら自分でできるという人は、世の中に大勢いる。
ではわざわざ聖者と呼ばれて職業として認められるのはどういう者か。
それは聖なる力を取り込み、分け与えることができる量によって決まる。
聖者の力が強いと思われる者は、教会で認定式を受けることができる。
そうして聖なる力を取り込んで、分け与えることができる量が、ある一定の基準を満たし、上級の治癒魔法、回復魔法ができると教会に認められると、聖者として登録され、免状が与えられる。
免状を持つ者はそれなりに珍しい。
貴族様のお屋敷にも、一人か二人雇われているかどうかというくらいの人数だ。
それは逆に言えば、働き先が少ないともいえる。
だから、王都に出てきて1週間やそこらで、貴重な貴族様のお屋敷での聖女の求人があったこと、その枠に私が入れたことは、とっても幸運だったのだ。
働き始めてしばらくの頃は、とても楽しかった。
私の前任は、年齢を理由に引退する、おじいさん聖者だった。
私を選んでくれたのもこの人だ。
もう80を超えるおじいさんは、動作はゆっくりだけれど、まだまだお元気だった。
なんと曾孫さんまでいるらしく、田舎に帰って曾孫と遊びたいというのが、引退した理由なのだそうだ。
前任のおじいさん聖者、マンフロットさんは、とても優しく、丁寧に子爵家での仕事を教えてくれた。
貴族に雇われた聖女の仕事は、主にその貴族家自体が繁栄するように祈り、実際に屋敷全体に聖なる力を行き渡らせることだ。
そのため良い聖者がいる貴族は、反映していく。
そして主に貴族家ご一家が怪我をした時や不調になった時に力を分け与えて、治療魔法や回復魔法を掛けることも聖者の大切な仕事だ。
もちろん兵士や使用人たちを癒すこともある。
聖者の力と同等の効果を得られるポーションを作るための、薬草づくりもなども聖者の仕事だけど、貴族家に雇われている聖者が薬草を育てることは少ない。
森が切りひらかれて、家屋敷が立ち並ぶようなところは、自然界に宿っている聖なる力が取り込みにくい。
そのため薬草を育てるのは、田舎の方に籠っている聖者であることがほとんどだ。
勤め始めて最初の頃は、当時爵位を継いだばかりのシレジア子爵様も、何度も私の働く様子を見に来てくれて、直接お褒めの言葉をかけてくれた。
33歳という若さで爵位を継いだシレジア子爵様は、穏やかでとてもお優しくて、謙虚な方だった。
しかしその彼がシレジア子爵家を継いで以来、みるみるうちに素晴らしい経営手腕を発揮されて、どんどん自信をに満ちた、堂々とした立ち居振る舞いになっていった。
なにせたったの3年の間で、どこにでもある子爵家の一つから、国の剣術大会の上位にシレジア子爵家お抱えの兵団の兵が上位を独占してしまったのだ。
シレジア家の兵団は、飛ぶ鳥を落とす勢いで強くなっていった。
王都で知らぬ者のいないほどの、快進撃。
シレジア子爵様の功績はそれだけではない。
とても珍しいことに、王都で育ちにくいといわれているポーションの原料の薬草の育て方を研究されて、大量に育成することに成功したのだ。
これによって、王家から直々に注文が入るようになったという。
シレジア子爵家が発展していくにつれて、私の仕事も忙しくなっていった。
子爵家お抱えの兵士の数はどんどん増え、一日に回復させる人数はそれに比例して増えていく。
薬草園も広くなっていく一方だったので、それに注ぐ聖なる力も増えていった。
それでも私は楽しかった。
仕事の疲れはあったけれど、幸い私はエネルギーを自然界から、ほぼ無尽蔵に取り込めたから。
それにその頃には、私はそれだけの経営手腕をお持ちのシレジア子爵様を、心から尊敬するようになっていたから。
だからシレジア子爵様のお役に少しでも立てるなら嬉しかった。
しかもその尊敬するシレジア子爵様から、私はなんと婚約者になってくれと申し込んでいただけた。
その頃はそれこそ夢を見ているように幸せだった。と、思う。
だけど忙しすぎて、新しく追加でもう一人、シレジア子爵家に聖女が雇われたあたりから、段々と歯車が狂い始める。
新しく増えた聖女の名前は、クロリスといった。
聖女に認定されたばかりという彼女は、まだ16歳の少女で、とても可愛らしく、希望に満ち溢れて輝いていた。
聖女が増えたにもかかわらず、シレジア子爵家の発展のスピードがすごいせいか、私の仕事量は全く減らなかった。
それどころか増えていく一方。
いくら聖なる力を無尽蔵に使える私でも、フラフラだった。
自分の作ったポーションをがぶ飲みして、自分で自分に回復をかける。
そうして、なんとか日々増えていく兵士達を聖なる力で回復し続ける。
毎朝毎晩、薬草園に聖なる力を注ぐのも忘れられない。
そこら中が力に満ちている田舎と違って、王都の薬草は、育ちがとても悪いのだ。
一度でも畑に聖なる力を注ぐのをサボれば、すぐに元気がなくなってしまう。
聖なる力を留めておけるポーションを作るのに、欠かせない薬草。
畑で育てているうちから、何度も何度も聖なる力を注ぐことで、聖女や聖者がいなくても、聖なる力を使用できるという便利な品物だ。
このポーションに使用される薬草はとても繊細で枯れやすいので、田舎で育てていても、王都に運ぶ頃には枯れてしまう。
そのため王都で育てた薬草はとても少なく、貴重なのだ。
クロリスは素直で、私にとても懐いてくれた。
イメージで言うなら、大きくてつぶらな瞳のうさぎちゃんのよう。
その瞳で上目遣いで見つめられると、女性の私でも何でもしてあげたくなってしまうくらい可愛い。
兵士達からの評判も良くて、私に回復魔法を掛けてもらうよりも、クロリスにかけてもらいたがる兵士のほうが多かったくらい。
きっとクロリスの方が、回復の腕が良いのだろう。
どんどん増えていく仕事に、私は頭が常にボーっとするくらいに疲れてしまっていた。
1日が終わった時、その日に何をやったのか思い出せないくらい疲れている日もあった。
せっかく婚約者になれたシレジア子爵様とも、ほとんどお話しする時間をとれなかった。
だからシレジア子爵様が、私との婚約を破断して、クロリスと結婚すると言った時、「ああ、やっぱり」って思ったんだ。
私と同じ仕事をしているはずなのに、クロリスはいつも余裕があって、ニコニコと笑っていて、オシャレをして、輝いていた。
兵士達に流れ作業と言われる私の回復と違い、クロリスは一人ひとりとじっくり向き合って、お話をして、目を見つめて、手を取って、とても丁寧に対応してくれるらしい。
最近では、兵士たちは私に回復される時、クロリスだったらもっと丁寧にみてくれるのにと、いつもイライラと不機嫌そうに、文句を言うようになっていた。
どんなに頑張って回復魔法をかけても、「なんでこんな不愛想な女に回復されないといけないんだ」などと、直接言われるようになったことは、流石に辛かった。
不愛想だと言われないようにと、無理に笑顔を作っても、逆にバカにしていると怒られてしまったことがある。
もうどうすればいいのか、分からなかった。
シレジア子爵様が私を婚約者にとおっしゃってくださったのは、きっと私の力がシレジア子爵家に有用だと考えてくれていたからだろう。
それはなんとなく分かっていた。
だから私よりも可愛くて、優秀で、性格が良くて、癒されるクロリスがあらわれたら、結婚相手を変えるのは、当然のことだった。
仕方がない。
クロリスの方が優秀で、クロリスの方が、シレジア子爵家に必要だと判断されたのだ。
人が2人以上いたら、どちらかの方がどちらかよりも優秀であることは、仕方のないことだ。
そんなことくらいでへこたれて、仕事を辞めていては生きていけない。
だけど……私はこのまま、このシレジア子爵家で働き続けることが、どうしても、どうしてもできなかった。
もう心も体も疲れ切っていたから。
1,032
お気に入りに追加
2,613
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。
私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。
火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。
王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる