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5.義兄、帰る

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「エミリア」

 お義兄さまの声がした。

 義父のように大きく呼ばわるのではなく、義母のように冷たく澄ましているわけでもない。少しぶっきらぼうで淡白な声だ。

「お帰りなさい、お義兄さま」

 部屋の書物机に座っていた私は、立ち上がって義兄を出迎えた。
 彼に会うのは二週間ぶりだ。大して経っていないのに、妙に懐かしい心地がして、私は目を細めてしまう。

「お会いできて嬉しいです」
「……ふん、そうか。社交辞令は言えるようになったようだな」
「ふふ」

 社交辞令じゃないんですけど! と抗議したりはしない。お義兄さまの発言は、分かりやすく照れ隠しなのだから。

 もっとも、何年もこの家で暮らしている私でなければ、とても照れているようには見えないかもしれない。今、義兄は王都にある学園に通っているのだけれど、そこでは「氷の貴公子」とか「中身は鉄製」とか「表情筋が存在しない」とか言われているらしい。案外感情豊かで愉快な人なのに、もったいないことだ。

(顔がいいから、なおさら近付き辛い気がするんだよね)

 義兄の顔を、思わずまじまじと見てしまう。

 彼は義母似だ。長身で、常に背筋がすっと伸びている。何か言うときには、真っ向から冷たい青い目で相手を見据える。だけど、照れたときには目を逸らしてしまうのだ。

 その目も綺麗だと思うけれど、特に目を惹くのはその鼻筋だ。昔、ちょっと先端が尖っていた面影は探せばある程度で、鼻筋全体が細く高く、綺麗に通っている。高すぎもしない、どこかしら潔癖な感じがする形で、本当に絶妙なラインだと思う。私はどちらかというと丸い鼻なので、とても羨ましい。

「……何をじろじろ見ているんだ」
「あ、ごめんなさい」

 ついつい鼻に見惚れてました! と言うのは微妙な気がしたので、私はにこにこ笑って誤魔化した。お義兄さまに見惚れてたんですよ! という雰囲気は醸し出しておく。

 お義兄さまは目を逸らした。

「……ふん。勝手にするがいい。ずっとこんな辺鄙なところに引っ込んでいて、余程娯楽に飢えているんだな」
「辺鄙なところじゃないですよ、お義兄さま! 伯爵領は栄えてるし、人もいっぱいいるし、賑やかですごく楽しいところなんですから」
「……お前は単純だな」

 お義兄さまは、なおも目を逸らしながら言う。

 彼は、本当は私たちの伯爵領を、心の底から大切に思っているのである。王都の学園に行ったのも、領地経営のために新たな知識を学ぶためだ。
 学園ではいつも勉学に打ち込んでいて、たまの休みにしか帰ってこない……それが今日なのだ!

「お義兄さま、今日はいつまでいられますか? 泊まっていかれますか?」
「大事な試験が終わったところだ。一週間はいるつもりだ」
「やったー」
「こちらで済ませる用もあるからな、視察とか。お前のためというわけじゃないからな、誤解するなよ」
「はい、お義兄さま」
「……お前が大人しくしているなら、たまに外に連れ出してやらんこともない」
「はい」

 街に連れ出してくれるのか、馬で遠乗りに誘ってくれるのか。楽しみでにやにやが止まらない。

 ところが、

「……なんで」

 開いた戸口の向こうから、地を這うような低い声がした。

 見ると、扉の陰にわだかまるように、半分顔を隠したヴィオラがいて、光る目でこちらを睨んでいる。

「ヴィ、ヴィオラ?」
「なんで、たまにしか帰って来ない兄が、あんなに歓迎されてるの……。わたしの……なのに……。呪ってやろうか」
「ヴィオラ、何を言ってるの?」

 もう12歳だというのに、たまに私の寝床に押し入ってくるヴィオラである。相変わらず、私にはあまり口を利いてくれないし、食事のときは自分の嫌いなものを私の皿に乗せてくるけれど(ちなみに、私に好き嫌いはない)、私にとっては可愛いヴィオラだ。義理の姉妹としてそれなりに仲良く出来ている、と信じていたのだけれど。

 それが、呪う、とか言ってなかった?

「ヴィ、ヴィオラ、あのね」

 もしかして、嫌われていたのだろうか。私は焦って、彼女に近付き、ぎゅっとその身体を抱き締めた。

「ヴィオラが私のこと嫌いとか、呪いたいとか思ってても、私はヴィオラのこと大好きだよ! 何か仕出かしちゃってたとしたらごめんね」
「……大好き?」
「うん、大好きだよ」
「……………………あ、そう、ふーん……」

 ヴィオラの指が、きゅっと私の服を掴んだ。

「じゃあ、晩ごはんのときにプリンくれたら許す」
「うん、あげるよ!」

 良かった良かった。ヴィオラが機嫌を直してくれた。

 喜んで抱き合っている私たちの背後で、ヴィオラと義兄が睨み合っていたのは見えていなかった。

「……俺は何を見せられているんだ」

 義兄の呟きも聞こえなかった。
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