3 / 15
3.兄妹
しおりを挟む
その夜、私は可愛らしい部屋の中で立ちつくしていた。
足元には、色とりどりの毛糸で編まれた、ふんわりした敷物が敷いてある。壁際には、ビーズ飾りのついたランプ。そのままうろうろと、部屋のあちこちに視線を彷徨わせていると、鏡に映る自分の顔と目が合った。困ったような顔をしている。
(……ええと、これはどういうこと)
困惑したまま、自分の右手に視線を落とした。その手は一回りも小さな女の子の手に繋がれていて、小さな指でぎゅっと握り締められている。
ヴィオラは、食事の席では結局一言も言葉を発しなかった。今も、何も言わない。言わないまま、私に付いて部屋までやってきて、私の手を握り締め、以来、断固として離してくれないのである。
「……えっと……ヴィオラ?」
恐る恐る呼びかけると、彼女はきゅっと口元を引き結んだ。私の手を引っ張って、ゆさゆさと揺らす。喜んでいるのか、怒っているのか、照れているのか分からない。
「おい、ヴィオラ」
戸口から顔を覗かせたリシェルが、この状況を解決してくれた。
「幾ら興味があるからって、いつまでもくっついているな。子供部屋に戻れ」
「……!」
ヴィオラが顔を顰め、私の背中に隠れようとする。大股で踏み込んできたリシェルが、猫の仔でも掴むようにヴィオラの襟足を掴んで引っ張り出した。慣れた様子だ。
「……! 兄、きらい」
「そうかそうか。じゃあ、邪魔したな」
私が何か言う暇もなく、兄妹の姿は見えなくなった。
「……。寝よう」
誰もいなくなった部屋は、妙にがらんとして感じられた。可愛らしい壁紙やカーテンも、もはや私の気持ちを慰めてはくれない。自分の家ではない場所にいて、血の繋がった家族にはもう二度と会えない。そのことを思い出してしまう。
しくしく痛む胸を無視して、私は寝台の中に潜り込んだ。そのまま目を閉じる。疲れていたせいか、程なく眠りに落ちた。
夢を見た。たぶん、悲しい夢だ。私は自分の泣き声に驚いて、目を覚ましたからだ。
「うう……お母さん……お父さん」
か細い声を出しながら泣いていたらしい。ぎりっと歯を食いしばって、声を抑え込んだけれど、我慢すればするほど、余計に悲しみが募った。涙は絶え間なく流れ落ちる。泣き過ぎて頭が痛くなって、みじめさが極まったとき、
「おい」
部屋のドアが開いて、廊下の冷たい空気が入り込んできた。咄嗟に声も出ず、現れた兄妹を見つめる。リシェルは不機嫌そうに、ヴィオラは相変わらず無言で、指をしゃぶりながら私をじっと睨んでいた。
「……え?」
「ヴィオラが、どうしてもお前と一緒に寝たいというから、連れて来た」
「うー!」
「なんだ、ヴィオラ。お前がそう言ったんだろう」
「兄、無神経。きらい」
「そうかそうか」
私の返事を聞くつもりはないらしい。ヴィオラは小走りにやってくると、物も言わずに私の寝台に潜り込んだ。私を奥に押しやるようにして、布団の中で丸くなる。
子供らしい高い体温が伝わってきて、私は少しばかり和んでしまった。
「よし、お前らはそのまま寝ろ」
ずかずかと入り込んできたリシェルが、寝台脇の椅子に座り込み、手にした絵本を開く。私は驚いて、声を上げた。
「リシェル……さま?」
「お義兄さまと呼べ。何だ」
「そこで何を?」
「子供が寝るまで読み聞かせをしてやるのは、年長者の義務だ。俺は義務を果たそうとしているだけだ、何が悪い」
「悪くないですけど……」
年長者といっても、まだまだ彼も子供だ。私より一つか二つ、上なだけでは?
そう思ったけれど、私が何か言うより早く、彼は絵本を開いて読み上げ始めてしまった。
綺麗な白鳥が七羽、可哀想なお姫様が一人、悪い小人が三人出てくる話だ。リシェルは慣れているらしく、堂々たる読みっぷりだった。
「……そしてお姫様は、小人たちを配下につけ、城を奪い返しました」
頭の中で、お姫様や小人たちがくるくると踊っている。
だんだん布団の中が温かくなってきて、瞼が開けていられないぐらい重たくなる。傍らで寝息を立てる少女の体温と、私が眠るまで本を読み続けている少年の声を感じながら、私はいつしか、深い眠りに落ちていった。
足元には、色とりどりの毛糸で編まれた、ふんわりした敷物が敷いてある。壁際には、ビーズ飾りのついたランプ。そのままうろうろと、部屋のあちこちに視線を彷徨わせていると、鏡に映る自分の顔と目が合った。困ったような顔をしている。
(……ええと、これはどういうこと)
困惑したまま、自分の右手に視線を落とした。その手は一回りも小さな女の子の手に繋がれていて、小さな指でぎゅっと握り締められている。
ヴィオラは、食事の席では結局一言も言葉を発しなかった。今も、何も言わない。言わないまま、私に付いて部屋までやってきて、私の手を握り締め、以来、断固として離してくれないのである。
「……えっと……ヴィオラ?」
恐る恐る呼びかけると、彼女はきゅっと口元を引き結んだ。私の手を引っ張って、ゆさゆさと揺らす。喜んでいるのか、怒っているのか、照れているのか分からない。
「おい、ヴィオラ」
戸口から顔を覗かせたリシェルが、この状況を解決してくれた。
「幾ら興味があるからって、いつまでもくっついているな。子供部屋に戻れ」
「……!」
ヴィオラが顔を顰め、私の背中に隠れようとする。大股で踏み込んできたリシェルが、猫の仔でも掴むようにヴィオラの襟足を掴んで引っ張り出した。慣れた様子だ。
「……! 兄、きらい」
「そうかそうか。じゃあ、邪魔したな」
私が何か言う暇もなく、兄妹の姿は見えなくなった。
「……。寝よう」
誰もいなくなった部屋は、妙にがらんとして感じられた。可愛らしい壁紙やカーテンも、もはや私の気持ちを慰めてはくれない。自分の家ではない場所にいて、血の繋がった家族にはもう二度と会えない。そのことを思い出してしまう。
しくしく痛む胸を無視して、私は寝台の中に潜り込んだ。そのまま目を閉じる。疲れていたせいか、程なく眠りに落ちた。
夢を見た。たぶん、悲しい夢だ。私は自分の泣き声に驚いて、目を覚ましたからだ。
「うう……お母さん……お父さん」
か細い声を出しながら泣いていたらしい。ぎりっと歯を食いしばって、声を抑え込んだけれど、我慢すればするほど、余計に悲しみが募った。涙は絶え間なく流れ落ちる。泣き過ぎて頭が痛くなって、みじめさが極まったとき、
「おい」
部屋のドアが開いて、廊下の冷たい空気が入り込んできた。咄嗟に声も出ず、現れた兄妹を見つめる。リシェルは不機嫌そうに、ヴィオラは相変わらず無言で、指をしゃぶりながら私をじっと睨んでいた。
「……え?」
「ヴィオラが、どうしてもお前と一緒に寝たいというから、連れて来た」
「うー!」
「なんだ、ヴィオラ。お前がそう言ったんだろう」
「兄、無神経。きらい」
「そうかそうか」
私の返事を聞くつもりはないらしい。ヴィオラは小走りにやってくると、物も言わずに私の寝台に潜り込んだ。私を奥に押しやるようにして、布団の中で丸くなる。
子供らしい高い体温が伝わってきて、私は少しばかり和んでしまった。
「よし、お前らはそのまま寝ろ」
ずかずかと入り込んできたリシェルが、寝台脇の椅子に座り込み、手にした絵本を開く。私は驚いて、声を上げた。
「リシェル……さま?」
「お義兄さまと呼べ。何だ」
「そこで何を?」
「子供が寝るまで読み聞かせをしてやるのは、年長者の義務だ。俺は義務を果たそうとしているだけだ、何が悪い」
「悪くないですけど……」
年長者といっても、まだまだ彼も子供だ。私より一つか二つ、上なだけでは?
そう思ったけれど、私が何か言うより早く、彼は絵本を開いて読み上げ始めてしまった。
綺麗な白鳥が七羽、可哀想なお姫様が一人、悪い小人が三人出てくる話だ。リシェルは慣れているらしく、堂々たる読みっぷりだった。
「……そしてお姫様は、小人たちを配下につけ、城を奪い返しました」
頭の中で、お姫様や小人たちがくるくると踊っている。
だんだん布団の中が温かくなってきて、瞼が開けていられないぐらい重たくなる。傍らで寝息を立てる少女の体温と、私が眠るまで本を読み続けている少年の声を感じながら、私はいつしか、深い眠りに落ちていった。
32
お気に入りに追加
2,192
あなたにおすすめの小説
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。
お嬢様は没落中ですが、根性で這い上がる気満々です。
萌菜加あん
恋愛
大陸の覇者、レイランドの国旗には三本の剣が記されている。
そのうちの一本は建国の祖、アモーゼ・レイランドもので、
そしてもう二本は彼と幾多の戦場をともにした
二人の盟友ハウル・アルドレッドとミュレン・クラウディアのものであると伝えられている。
王家レイランド、その参謀を務めるクラウディア家、そして商業の大家、アルドレッド家。
この伝承により、人々は尊敬の念をこめて三つの家のことを御三家と呼ぶ。
時は流れ今は王歴350年。
ご先祖様の想いもなんのその。
王立アモーゼ学園に君臨する三巨頭、
王太子ジークフリート・レイランドと宰相家の次期当主アルバート・クラウディア、
そして商業の大家アルドレッド家の一人娘シャルロット・アルドレッドはそれぞれに独特の緊張感を孕みながら、
学園生活を送っている。
アルバートはシャルロットが好きで、シャルロットはアルバートのことが好きなのだが、
10年前の些細な行き違いから、お互いに意地を張ってしまう。
そんなとき密かにシャルロットに思いを寄せているジークフリートから、自身のお妃問題の相談を持ち掛けられるシャルロットとアルバート。
驚くシャルロットに、アルバートが自分にも婚約者がいることを告げる。
シャルロットはショックを受けるが、毅然とした態度で16歳の誕生日を迎え、その日に行われる株主総会で自身がアルドレッド商会の後継者なのだと皆に知らしめようとする。
しかし株主総会に現れたのはアルバートで、そこで自身の婚約者が実はシャルロットであることを告げる。
実は10年前にアルドレッド商会は不渡りを出し、倒産のピンチに立たされたのだが、御三家の一つであるアルバートの実家であるクラウディア家が、アルドレッド商会の株を大量購入し、倒産を免れたという経緯がある。その見返りとして、アルドレッド家は一人娘のシャルロットをアルバートの婚約者に差出すという取り決めをしていたのだ。
本人の承諾も得ず、そんなことを勝手に決めるなと、シャルロットは烈火のごとく怒り狂うが、父オーリスは「だったら自分で運命を切り開きなさい」とアルドレッド商会の経営権をアルバートに譲って、新たな商いの旅に出てしまう。
シャルロットは雰囲気で泣き落とし、アルバートに婚約破棄を願い出るが、「だったら婚約の違約金は身体で払ってもらおうか」とシャルロットの額に差し押さえの赤札を貼る。
え?私、悪役令嬢だったんですか?まったく知りませんでした。
ゆずこしょう
恋愛
貴族院を歩いていると最近、遠くからひそひそ話す声が聞こえる。
ーーー「あの方が、まさか教科書を隠すなんて...」
ーーー「あの方が、ドロシー様のドレスを切り裂いたそうよ。」
ーーー「あの方が、足を引っかけたんですって。」
聞こえてくる声は今日もあの方のお話。
「あの方は今日も暇なのねぇ」そう思いながら今日も勉学、執務をこなすパトリシア・ジェード(16)
自分が噂のネタになっているなんてことは全く気付かず今日もいつも通りの生活をおくる。
誇り高い義妹が悪役令嬢呼ばわりされて国外追放となった、俺が黙っているとでも思ったのか、糞王太子。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に投稿しています。
ジェノバ公爵家の令嬢マリアは、色情狂と言えるほど貴族令嬢や貴族夫人と不義を重ねる婚約者のフラヴィオ王太子から婚約破棄と王国追放を宣言された。マリアは公爵家の名誉のために弁明をするが、堕落した教会の新官長が王太子と手を組んでマリアを陥れようとしていた。このままでは公爵家の名誉もマリアの名誉も泥まみれにされる所だったがマリアを溺愛する義兄エドアルドが黙っていなかった。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
転生妹(ヒロイン)はラスボスお兄様のものなので、王子様はお断りしております!
夕立悠理
恋愛
前世の記憶を唐突に思い出した、公爵令嬢のセレスティア。前世によるとこの世界はロマンス小説の世界で、このままだと義兄であるキルシュがラスボスになって自殺してしまうらしい。
って、そんなのいやー!!!
大好きなお兄様に死んでほしくない!!
そう思ったセレスティアは、キルシュが闇落ちしないようにあの手この手を使おうとするが、王子様(ロマンス小説のヒーロー)に興味を持たれてしまう。
「私はお兄様が大事なので! 王子様はお断りです!!」
ラスボス義兄×ヒロイン妹×ヒーロー王子の三角関係
※小説家になろう様にも掲載しています
初夜をボイコットされたお飾り妻は離婚後に正統派王子に溺愛される
きのと
恋愛
「お前を抱く気がしないだけだ」――初夜、新妻のアビゲイルにそう言い放ち、愛人のもとに出かけた夫ローマン。
それが虚しい結婚生活の始まりだった。借金返済のための政略結婚とはいえ、仲の良い夫婦になりたいと願っていたアビゲイルの思いは打ち砕かれる。
しかし、日々の孤独を紛らわすために再開したアクセサリー作りでジュエリーデザイナーとしての才能を開花させることに。粗暴な夫との離婚、そして第二王子エリオットと運命の出会いをするが……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる