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最強の王(と書いてゴリラと読む)
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「……面を上げよ」
深い声が響いた。
腹の底から押し出され、喉の奥で少しざらつく、重たい男の声だ。老いているわけではないが、若さの瑞々しさはない……いや、事前に集めた情報では、ヘルグトカーンの国王は代替わりしたばかりで、新しく立った王はまだ20代の若さだという話ではなかったか?
命じられた通りにゆっくりと顔を上げて、遥か上段の玉座の前に立つ男を見る。
こくりと、私の喉が鳴った。
(ゴリラだ)
ゴリラがいた。
なんというか……ゴリラだ。
※語彙力消失
勿論、ゴリラが伝説の生き物である以上、本物のゴリラがどんなものなのか正確に知る者なんてどこにもいない。しかし、しかしだ。圧倒的な強者の風格、太い木の幹のように強靭な筋肉が縒り合わされた腕、突き抜けるような長駆。恐らく、2mは越えているだろうか。これをゴリラと呼ばずして何と呼ぶ……
かなり離れたところにいるにも関わらず、遠近感が狂ったかのように大きく、圧倒的な存在。
私は思わず、詰めていた息を吐き出した。
(これが……ヘルグトカーン最強のゴリラ、ギルメイ・アシュクロガ国王)
ヘルグトカーンの国王は世襲制ではなく、定期的に催される御前試合によって決定されるという。力によって決まる王など、一歩間違えれば無法の極みという気がするが、ここはゴリラの国。なぜかは分からないがそれで上手く行っているのだろう。泥沼のような戦乱を戦い抜く他の国々と異なり、ヘルグトカーンは孤高ではあるが緩やかな安定を保ち続けて久しい。
(つけ込む隙がない)
穏やかな顔でこちらを見下ろしている男を見つめる。
一目見て、強烈に焼き付けられた印象がそれだ。
なにも、拳で殴り合うために来たわけではない(勿論無理だ、一瞬で死ぬ)。精神的な隙が見つけられればいい。外交使節として派遣された以上、それを見つけ出すのが私の仕事のはずだ。隙の無さそうなところに細かな亀裂を、僅かな隙間を見つけられればそこに釘を打ち込む機会を。そして我が母国の利益を最大にする努力を。
(……でも、これは)
「よく参られた、使者殿」
穏やかな声。穏やかな眼差し。片手で人を捻り潰せそうな腕をしているくせに、どこまでも奇妙に慈悲深い顔をしている。不思議なお方だ……と思った瞬間、
「ハッ」
短い気合の声と共に、ギルメイ国王陛下が床を粉砕した。
「?!」
もう一度言おう。国王陛下御自ら、手刀を奮って玉座の前の床をかち割ったのである。
亀裂の間に太い腕を突っ込み、「バキッ」「ゴキュッ」「グシャッ!」──決して想像してはならない音がくぐもって響いたかと思うと、その厳つい体躯からは不似合いなほど素早い動きで上体を起こし、腰の帯剣を引き抜き、少し離れた床の中に突き立てた。「ぐはアッ」……再び響き渡る悲鳴。怖い、怖すぎる。
(な、何が起きているんだ)
凍り付いている私の前で、陛下が悠然と立ち上がる。ゆったりとした前合わせの衣の懐から布を取り出して、剣の刃先を拭い始めた。
「すまぬ。このところ、ロスタ国からの刺客がうろついているせいで、少々騒がしくてな」
「ロスタ国?」
私は驚いて聞き返した。
ロスタ国。我が国の天敵。
こうして私が派遣されてきたのも、ロスタ国の猛撃により国が存亡の危機に瀕している、その事態をなんとか打開するためだ。だが、ヘルグトカーンが? 最強の国が、ロスタの攻撃を受けている?
「ロスタの現国王が禁忌の魔術に手を出した頃から、我々の防御壁を破ってここまで至る刺客が多くなった。見ての通りだが──」
言葉を続けながら、ギルメイ陛下が何かを投げ、そして飛来した何かを軽く受け止めた。ガシャン! と伽藍の高みから音が響いて、その辺りで新たな刺客が命を断ち切られたようだ。
ギルメイ陛下は掌の中に受け止めたものを、どこか面白そうな顔でためつすがめつ眺めると(尖った針のようなものがついた短剣だった)、玉を放るような気軽な動作でふっと投げた。
再びガシャン! と音がして、「ぐはっ」と不穏な呻き声が上がった。
(刺客? 王宮が刺客だらけなのか……恐ろしい)
四方八方から刺客に狙われていることを怖がるべきなのか、表情も崩さず平然と刺客を殺っていく国王陛下に怯えればいいのか、正解はどっちだ。
そう思ったとき、陛下と目が合った。
「恐ろしいか」
「……いいえ」
咄嗟に答えていた。
「陛下のご強健振りには畏怖を感じますが……安定した統治のもと、決して死なない王を戴くというのは、臣下にとってはこの上ない僥倖です。ヘルグトカーンの民が羨ましい」
「はは」
陛下が笑うと、目の周りに笑い皺が寄った。
黒い瞳の奥にあるのは、優しい色だ。
「私はこれから、使者殿から受け取ったこの手紙……親書だな、この親書の内容を、この国の議会に掛けて総意を問わねばならない。私が国王の座を占めているとはいえ、この国の民は皆強靭で、私がそこまで飛び抜けているというわけではないのでな。だが、我々もまた同じ敵を相手取っている以上、恐らく合意は成されるだろう。約80年振りの出兵となるが……」
陛下は何かを考え込むように、書簡の納められた白い封筒を振った。
「……まあ、使者殿が悩まれるようなことにはなるまい。結果が出るまで、安心してこの王宮に滞在なされよ。私は周りに護衛兵を付けて過ごす習慣が無いのだが、使者殿の周りには念入りに厳重に配備するゆえ、その点も安心して過ごされるがよい」
(国王陛下の周りに護衛兵がいない、だと)
普通の国では到底考えられないことだが、最強のゴリラをわざわざ護衛するなど無駄、ということなのだろうか。流石はゴリラの国。さすゴリ。
「有難うございます」
深く頭を下げる私の背後で、床の修理を命じる官吏の声がぼんやりと響き渡り始めた。
深い声が響いた。
腹の底から押し出され、喉の奥で少しざらつく、重たい男の声だ。老いているわけではないが、若さの瑞々しさはない……いや、事前に集めた情報では、ヘルグトカーンの国王は代替わりしたばかりで、新しく立った王はまだ20代の若さだという話ではなかったか?
命じられた通りにゆっくりと顔を上げて、遥か上段の玉座の前に立つ男を見る。
こくりと、私の喉が鳴った。
(ゴリラだ)
ゴリラがいた。
なんというか……ゴリラだ。
※語彙力消失
勿論、ゴリラが伝説の生き物である以上、本物のゴリラがどんなものなのか正確に知る者なんてどこにもいない。しかし、しかしだ。圧倒的な強者の風格、太い木の幹のように強靭な筋肉が縒り合わされた腕、突き抜けるような長駆。恐らく、2mは越えているだろうか。これをゴリラと呼ばずして何と呼ぶ……
かなり離れたところにいるにも関わらず、遠近感が狂ったかのように大きく、圧倒的な存在。
私は思わず、詰めていた息を吐き出した。
(これが……ヘルグトカーン最強のゴリラ、ギルメイ・アシュクロガ国王)
ヘルグトカーンの国王は世襲制ではなく、定期的に催される御前試合によって決定されるという。力によって決まる王など、一歩間違えれば無法の極みという気がするが、ここはゴリラの国。なぜかは分からないがそれで上手く行っているのだろう。泥沼のような戦乱を戦い抜く他の国々と異なり、ヘルグトカーンは孤高ではあるが緩やかな安定を保ち続けて久しい。
(つけ込む隙がない)
穏やかな顔でこちらを見下ろしている男を見つめる。
一目見て、強烈に焼き付けられた印象がそれだ。
なにも、拳で殴り合うために来たわけではない(勿論無理だ、一瞬で死ぬ)。精神的な隙が見つけられればいい。外交使節として派遣された以上、それを見つけ出すのが私の仕事のはずだ。隙の無さそうなところに細かな亀裂を、僅かな隙間を見つけられればそこに釘を打ち込む機会を。そして我が母国の利益を最大にする努力を。
(……でも、これは)
「よく参られた、使者殿」
穏やかな声。穏やかな眼差し。片手で人を捻り潰せそうな腕をしているくせに、どこまでも奇妙に慈悲深い顔をしている。不思議なお方だ……と思った瞬間、
「ハッ」
短い気合の声と共に、ギルメイ国王陛下が床を粉砕した。
「?!」
もう一度言おう。国王陛下御自ら、手刀を奮って玉座の前の床をかち割ったのである。
亀裂の間に太い腕を突っ込み、「バキッ」「ゴキュッ」「グシャッ!」──決して想像してはならない音がくぐもって響いたかと思うと、その厳つい体躯からは不似合いなほど素早い動きで上体を起こし、腰の帯剣を引き抜き、少し離れた床の中に突き立てた。「ぐはアッ」……再び響き渡る悲鳴。怖い、怖すぎる。
(な、何が起きているんだ)
凍り付いている私の前で、陛下が悠然と立ち上がる。ゆったりとした前合わせの衣の懐から布を取り出して、剣の刃先を拭い始めた。
「すまぬ。このところ、ロスタ国からの刺客がうろついているせいで、少々騒がしくてな」
「ロスタ国?」
私は驚いて聞き返した。
ロスタ国。我が国の天敵。
こうして私が派遣されてきたのも、ロスタ国の猛撃により国が存亡の危機に瀕している、その事態をなんとか打開するためだ。だが、ヘルグトカーンが? 最強の国が、ロスタの攻撃を受けている?
「ロスタの現国王が禁忌の魔術に手を出した頃から、我々の防御壁を破ってここまで至る刺客が多くなった。見ての通りだが──」
言葉を続けながら、ギルメイ陛下が何かを投げ、そして飛来した何かを軽く受け止めた。ガシャン! と伽藍の高みから音が響いて、その辺りで新たな刺客が命を断ち切られたようだ。
ギルメイ陛下は掌の中に受け止めたものを、どこか面白そうな顔でためつすがめつ眺めると(尖った針のようなものがついた短剣だった)、玉を放るような気軽な動作でふっと投げた。
再びガシャン! と音がして、「ぐはっ」と不穏な呻き声が上がった。
(刺客? 王宮が刺客だらけなのか……恐ろしい)
四方八方から刺客に狙われていることを怖がるべきなのか、表情も崩さず平然と刺客を殺っていく国王陛下に怯えればいいのか、正解はどっちだ。
そう思ったとき、陛下と目が合った。
「恐ろしいか」
「……いいえ」
咄嗟に答えていた。
「陛下のご強健振りには畏怖を感じますが……安定した統治のもと、決して死なない王を戴くというのは、臣下にとってはこの上ない僥倖です。ヘルグトカーンの民が羨ましい」
「はは」
陛下が笑うと、目の周りに笑い皺が寄った。
黒い瞳の奥にあるのは、優しい色だ。
「私はこれから、使者殿から受け取ったこの手紙……親書だな、この親書の内容を、この国の議会に掛けて総意を問わねばならない。私が国王の座を占めているとはいえ、この国の民は皆強靭で、私がそこまで飛び抜けているというわけではないのでな。だが、我々もまた同じ敵を相手取っている以上、恐らく合意は成されるだろう。約80年振りの出兵となるが……」
陛下は何かを考え込むように、書簡の納められた白い封筒を振った。
「……まあ、使者殿が悩まれるようなことにはなるまい。結果が出るまで、安心してこの王宮に滞在なされよ。私は周りに護衛兵を付けて過ごす習慣が無いのだが、使者殿の周りには念入りに厳重に配備するゆえ、その点も安心して過ごされるがよい」
(国王陛下の周りに護衛兵がいない、だと)
普通の国では到底考えられないことだが、最強のゴリラをわざわざ護衛するなど無駄、ということなのだろうか。流石はゴリラの国。さすゴリ。
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深く頭を下げる私の背後で、床の修理を命じる官吏の声がぼんやりと響き渡り始めた。
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