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5.女装

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(……なぜ、こんなことになったのだろうか)

 古めかしい邸の一室。ハリエルは鏡台の前に立ち、黙って自分の姿に見入っていた。
 ほっそりとした身体に、長く尾を引く優雅な白いドレス。ついぞ纏ったことがない「女装」だが、自分の胸の裡を探ってみても、特に感慨めいたものはない。

(そもそも、普段の男装からして、何かを誤魔化しているんだ。これもやっぱり、変装していることに変わりはない)

「とてもお似合いです、ハリエル様」

 背後から、侍女であるリアーシュが恭しく囁いてくる。

「……そうだろうか」
「ええ、まるで、政略結婚で嫁ぐも、夫が結婚式で頓死してしまった薄幸の美姫のようです」
「それは褒めているのか?」

 それとも徹底的に貶されているのか。判断が付かず、ハリエルは振り返って侍女の顔を眺めた。ハリエルと同年代の侍女は、仮面のような無表情を貼り付けたまま、ぼそぼそと何かを呟き続けている。

「……同じように三人目の夫も死亡、若い身空で世を儚み、常々尼僧になりたいと口にするようになるが、それが美しき未亡人に対する周囲の執着と情欲を掻き立ててしまい、そしてある日」
「……リアーシュ。リアーシュ、正気に戻りなさい」
「はっ、畏まりました」

 リアーシュはぴたりと口を噤んだ。だが、その目付きは不穏なままだ。
 この侍女がちょっと、いや、かなりおかしいことを、ハリエルは十分に思い知っている。

 リアーシュ、それにハリエルに仕える侍女たちのうち半数は、数ヶ月前にシグヴァルの口に突っ込まれていた女官たちから昇格している。特にリアーシュは、そもそものきっかけとなった、ハリエルの寝所に忍び込んできた女官だ。

 あの日、彼女たちが助かったことは知っていたが、もはやそれ以上関わり合いになることはあるまいと思っていた。そんなハリエルに追いすがるように現れて、リアーシュは地面に額づきながら土下座してきたのである。

「ハリエル様、どうか、どうかお許しを……! ハリエル様こそ、かの竜帝陛下すら御す、この世で最も尊き方ですのに、私はその方に対し、これまで何ということを」
「……君は、確か、えっと」
「名を呼んで頂く資格もございません。私は、ハリエル様のお目を汚すだけの虫けらでございます……! しかし、この虫けらの命を役立てて頂けるなら、その尊き靴底の泥を拭く敷物となるのもやぶさかではなく」

 どうやら、あの件が祟って、竜への恐怖が魂に刻まれるレベルで心的外傷を負ってしまったらしい。たった一つの希望は、その竜をも手懐けるハリエルの存在なのだと聞いて、彼女は目眩を覚えた。

「いや、私が父上を手懐けるなど……むしろ手懐けられた側であって」
「その謙虚さ、さすが竜を御す尊き方でございます!」
「……」

 以来、腰だけは低いが、基本的に話を聞かない女官たちが、ひたすら影のように付き纏ってくるようになった。あまりにも不健全だ。ハリエルは、たった一ヶ月で音を上げた。

(これで、幻想が崩れてくれれば……)

 そんな思いを胸に、とうとう、リアーシュに自分の性別を明かした。これが原因で、そのまま父にバレるならそれもいいかと、半ば自棄のような気持ちもあったのだが。

 その結果。
 ……どうしてそうなったのか、未だにハリエルにはよく分からないのだが、彼女に仕える過激な侍女の一団が誕生した。

 虫けら扱いされたいと懇願し、常にハリエルを賛美するうわ言を吐き続け、ハリエルが竜帝を操っていると思い込んで歓喜している集団である。
 人の信仰は変えられない。ハリエルはもう、そのまま放っておこうと思い始めていた。

(……まあ、それはそれとして)

 問題は、シグヴァルである。

 竜帝が遠征の羇旅きりょに就いてから、約二ヶ月。突然叛旗を翻した諸侯を叩くための軍事行動だったはずなのだが、今まで、やけに平穏な旅路だった。途中、三回も会戦が行われたにも関わらず、である。

「……あいつらは、何の勝算があって、竜帝に叛逆したのだ?」

 シグヴァルが素朴な疑問を口にのぼせてしまうぐらい、あっけなかったのだ。
 疑問は残る。だが、とにかく、ここに来るまで、抵抗らしい抵抗もなく、竜帝が空を大きく旋回して近付くとパニックになって逃げ出す兵と領主、自ら城門を開く市民たち、賑やかな歓迎式典、という流れを繰り返してきた。

 そして今、地方領主の館を接収して(乗っ取ったともいう)、身を休めているところなのだが。

「条約の締結ですか?」
「ああ。向こうから降伏の意を示してきた。全面的に敗北を認めて、奴らの首城に招待すると」
「それで、父上は単身出向かれるおつもりで?」

 数時間前の、シグヴァルとの会話である。

「ああ、だが、単身ではない。お前を伴うつもりだ」
「……私、ですか」

 敵地に招かれるというのに、罠である可能性は考えてもいないらしい。何かあっても、全て蹴散らせばいいと思っているのだろう。
 ハリエルが遠い目をしていると、シグヴァルが信じがたい言葉を発した。

「お前はドレス着用だ」
「……今、何と仰いましたか、父上」
「ドレスだ」

 何回かやり取りを繰り返したが、聞き間違いではないらしい。

「……私は男ですよ、父上」
「それはまあどうでもいい」

 どうでもよかったのか……と、ハリエルが足元をぐらつかせていると、シグヴァルはきりっと引き締まった理知的な顔で、

「いいか、よく考えてみろ。お前は普段の格好も似合うし、軍服も正装も似合う。ならば、ドレスだってネグリジェだってめちゃくちゃ似合うはずだぞ!」

(……その理屈は正しいのだろうか)

 それに、真剣な顔で豪語するのはどうなのか。だが、ハリエルは父に逆らうのは避け、遠回しに訊ねた。

「和平条約の締結のためと仰るなら、私は正装か軍服の方が良いのではありませんか?」
「その後に、賓客を招いて舞踏会が開かれるそうだ。お前は余に、香水を浴びすぎて溺れそうな女どもとベタベタくっついて踊れというのか?」
「なるほど、私が弾除けになればいいのですね」

 ハリエルは納得したのだが、シグヴァルは思い切り顔を顰めた。

 せっかくの整った顔が台無しなのだが、元が良すぎるせいか、美貌の少年という印象は変わらない。顰めた顔は、より子供っぽさが増して見えてしまうのだが。

「ハリエル、余が言いたいことは、そういうことではない」

 重々しい声で言う。

「いいか、よく聞け」
「はい、父上」
「想像してみろ。綺麗なドレスを纏ったお前。煌めくシャンデリア。嫉妬と羨望の混じった視線を集めながら、手に手を取って浸る時間」
「え?」
「少し熱を帯びたところで、露台で夜風を浴びる二人。夜の庭園。微かに聴こえる楽の音と、ざわめきから離れたところにある四阿あずまや……」
「え?」
「どうだ、分かったであろう? お前はドレスを着なければならんのだ!」
「……」

 ハリエルは三回目の「え?」を口にしかけたが、かろうじて留まった。

(……どうしよう。何一つ分からない)

「約束しただろう? 何でも余の言うことを一つ聞くと。忘れてはおらんだろうな?」

 ここぞとばかりに、得意げな顔で止めを刺された。

 無数の疑問が脳裏を飛び交ったものの、はっきりと言葉にできるほど理解が追い付いているわけでもない。
 やむを得ず、ハリエルは頷いた。

「……はい、父上」
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