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2.竜帝の子(明暗)

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 嵐はいつしか鎮まっている。

 ハリエルが暗がりを進むと、しゃり、と枯れ葉を踏む音が響いた。灯りを持ってくるべきだったかもしれないが、ハリエルの天幕の周囲には護衛兵士が幾重にも配置されているし、父上は夜目が利くのだ。ある程度近付けば、向こうから気付いて下さるだろう。

「なあ、聞いたか?」

 突然、低いだみ声が響き渡って、ハリエルはぎくっとした。

 闇に沈んだ茂みの向こう。ぼんやりと周囲を照らす火が見える。濃厚な酒の匂い。金属の鎧が擦れる音。

「明日の戦も、偽竜王子は参加しないんだろう? ここまでのこのこと付いて来て、一回も実戦に参加しないとか何なんだ。手柄の立てようもねえ」
「貧乏籤を引いちまったな」
「あれは張りぼての王子だよ。なよっとしやがって、澄まし顔で、何考えてるのかも分かんねえ」
「役立たずのくせになあ」

 護衛兵士たちだ。どうやら、仕事をさぼって酒盛りに興じているらしい。

(……持ち場に戻るよう、叱らなくては)

 ハリエルの喉が、ひゅっと鳴った。

 怖い。

(何を恐れているのだ、私は)

 彼女は竜帝の息子。たった一人の王子だ。内心どう思っていようが、表立って彼女に逆らえる者はそうはいない。だが。

(……本当に、その通りだ。私は張りぼてで、役立たずで、偽物の竜だ)

 陰口だけでも、こんなに心が揺れる。まして、正面きって同じような言葉をぶつけられたら。
 傷付くのが、怖い。

「ぐぎゃあああ」

(……え?)

 耳をつんざくような悲鳴が響き渡って、さらに不吉な、ぽきぽきと何かが折れるような音が連続した。恐ろしいとしか言いようがない。ハリエルは青褪め、その原因に思い当たって、さらにぞくりと背筋を震わせた。

 ずりっ、ずりっと、何かを引き摺る音がして、茂みを割って進み出てきた者がいる。細身の影。ハリエルに近付いてくる。

「……あの」

 喉がからからになって、貼り付いてしまったようで、ハリエルはごくりと唾を飲み込んだ。何か言わなくてはならない。目の前にいるのが誰で、何をしているのか、彼女の予測が当たっているというのなら。

 だが、彼女が何か言うより早く、

「ああ、お前は夜目が利かないのだったな。少し待て」

 相手が、持ち上げて引き摺っていた何かを、ぽいっと後ろに投げ捨てた。片手を上げると、その掌の中に明るい火球がほとばしる。照らし出された、白く若々しい顔立ちが、ハリエルを見るとにやりと唇を持ち上げて笑った。

「ハリエル」
「父上……あの」
「待て」

 少年の声が、彼女を遮る。

 御年2000歳。人としては未だに十代の少年の姿を越えない竜帝陛下は、みるみるうちに表情を曇らせ、立腹したようにハリエルを睨んだ。

「ハリエル。言ったはずだぞ、一人で暗いところをほっつき歩くでない、と。お前のようにいたいけな者がどんな目に遭うか、何度もしっかり言ってきかせただろう。なのに、お前は何も聞いておらんのか……余があれほど言っても、こんな無防備な姿で……心臓が潰れそうだ。心配すぎて胸が痛い。痛すぎる。お前のせいだぞ、ハリエル! お前は父をないがしろにした!」
「……も、申し訳ございま」
「謝るでない!」

 手にした灯りを宙に放し、父上が大股に近付いてくる。

 微動だにできないでいるうちに、両手で頬をつままれた。細い指が、明らかに手加減した力で、ハリエルの頬をぐにぐにと弄ぶ。

「ひゃ……あ、あの、ひひふえ」
「可愛いからといって何もかも許されると思ったら大間違いだぞ! 反省するがいい!」
「は、はひ」
「次にたった一人で出歩いたら、余の部屋に監禁する」

 竜帝が、きりっとした顔で宣告する。
 それは決め顔で言うことなのだろうか、とハリエルは思ったが、余計なことは言わずに黙っていた。それよりも、気になっていることがある。

「……あの、父上。先ほど引き摺っておられたのは、まさか……」
「さっき、そこで酒盛りをしておった護衛兵士どもの残骸だな」
「ざ、残骸?!」
「案じるでない。まだ死んではおらん。人間は骨の数が多い、数本折ったところで死にはせん」

 これしきで大騒ぎする……お前は本当に小心者だな、そこがまた愛おしい……などと呟きながら、父上はハリエルの頬を優しく撫で下ろし、妖しい雰囲気を醸し出し始めたのだが、ハリエルはそれには構わず、

「父上、なりません。彼らはそこまで重い罪を犯してはおりません」
「何を言っている。職務放棄だけでも、鞭打ちでは済まんのだぞ? しかも今は戦時ゆえ、尚更罪は重くなる」

 竜帝は鼻を鳴らし、

「最も、お前を軽んじ、侮辱した思い上がりの罪はこれしきでは贖えぬ。余がじきじきに手を下してやる栄誉を噛み締めながら、この世のありとあらゆる地獄を味わって死ぬがいい」
「父上!」

 ハリエルは必死だ。何はともかく、「賢なる竜帝」である父上の評判を傷付けたくない。ハリエルの頭にあるのはそれだけだ。

「父上。私は慈悲深く優しい父上が好きなのです。そんな方の息子であることが、私の一生の誇りなのです」
「父上が好き? 好きと言ったか?」
「はい、心からお慕いしております」
「もう一回」
「父上が大好きです」
「……よし!」

 俄かに彼の機嫌が良くなった。「よしよし」と彼女の頭を撫でながら、金色に光る目を細めている。今では彼女の方が5cmほど背が高いのだが、そのことを気にした様子もない。

「全く仕方のない奴め。余がそんなに好きで仕方がないか。分かってはいたが、やはりそうか。ああ、余は分かっていたぞ!」
「はい、父上」
「よしよし、今夜は特別に、お前のために取り寄せた菓子を出してやろう。さあ、来るがいい」

 ハリエルの肩を抱くようにして歩き始めた竜帝陛下は、すでにその辺に放り出した護衛兵士の事など忘れているようだ。彼らの今後の処分がどうであれ、後でこっそり治療士を向かわせてやろう、と心に決めたハリエルであった。
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