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5.とりあえず踏みますか?
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「……責任を取れ」
降ってきた言葉は、ある意味予想通りだった。
(……あー、本当に言っちゃうのか、その台詞)
半分は呆れ、半分は王子のあまりの分かりやすさに感心しながら、私は顎を上げて彼を見上げた。身長差があるのに、距離が近い。もはや目と鼻の先と言ってもいいぐらいだ。至近距離で、ぎらぎらした黒い瞳に睨まれている。
午後の光が差し込む部屋の中。王城から帰って来た私を出迎えたのがこれだ。
壁を背にした私の両側に手をついて、オルセア王子が長身を折り畳むようにして私を見下ろしている。これはつまり、俗に言う壁ドンというやつなのかな?
残念ながら、私は壁ドンとか別に好きじゃないし、憧れもしないのだが。
ただひたすら面倒くさい。そんな気持ちを込めて、眇めた眼で彼を睨む。
「責任? 何の責任ですかね」
「お前……っ! 俺の身体を、散々好きにしただろう……!」
いかがわしい。あまりにいかがわしすぎる表現だ。しかも、自信を持って言えるが、これは言いがかり100パーセントだ。
「単なる治療行為ですけど? それを言うなら、この世界に召喚されてからというもの、数百人は治療してきたと思うんで、その全員に責任取らないとですね。王子は三百人目の相手とかになると思うんですけど、それでいいですか?」
「な、何だと、この淫乱が……!」
真面目にショックを受けるのはやめてもらいたい。
(この人、冗談と現実の差も分からなくなってるのかな?)
有能な王子と言われた男が、ここまで落ちぶれちゃっていいのだろうか。ここまで堕とした私がすごい悪女だとか?
そんな評判は御免こうむりたいが、王子の全てが悪い、というわけでもない。私が唯一、王子を評価している点だってあるのだ。
「最近気付いたんですけど。王子がそうやって、愕然としてる姿を見ると、ちょっと気分がすっとします。悪くないですね」
「は?」
「王子から受けたストレスを、王子で発散する楽しみというか。だから、たまに王子をぎゅうぎゅう踏み付けにしていいんだったら、特別に責任を取ってあげなくもないです」
「……」
王子は、すっと真顔になった。
射抜くような黒い瞳を私に据えたまま、腕の囲いを解いて、後ろに数歩退がる。久しぶりにじっくり見たが、整った目鼻立ちに精悍さが加味されて、本当に私好みの美形だ。中身が残念すぎて、完全に良さが相殺されてしまっているが。
「……本当だな?」
「覚悟が決まりすぎた声を出さないで下さい。実際に踏みたいとは思ってませんよ」
「し、しかし、今……! 踏ませれば、責任を取ってやると言っただろう! 確かに聞いたぞ」
「王子を翻弄して甚振ったんです」
「き、鬼畜の所業か……! お前、それで聖女を名乗る気なのか」
「もう名乗ってませんって。元聖女です」
王子といい国王陛下といい、私はもう聖女を引退したというのに、未だに聖女扱いしてくるのは何なのか。
丁重に扱ってくれていると思えばいいのだが、オルセア王子は、私に対する妄想が過ぎているところがあるので困る。
「私にも名前があるんで。小娘とか聖女とか言ってないで、ユイって呼んで下さい」
「ゆ、ユイ……!」
「……」
そういえば、この世界に召喚されて初めてだ。自分の名前を誰かに呼んでもらったのは。
それがこの、とにかく高慢で嫌な奴で、時間が経つにつれ単なる残念な王子としか見えなくなってきたこの人だというのは、全く感慨が深くない、むしろ何の冗談? という感じなのだが。
(まあ、だんだん扱い方が分かってきたところだし)
この先、上手く誘導すれば、何でも言うことを聞く夫として仕込めるかもしれない。しかし、王子はそのうち城に戻るだろうから、一度外に出た私もまた王宮暮らしに戻るのか……それは面倒だなあ、などと、私は計算高くも腹黒モードで、あれこれと考えを巡らせていたのだが。
私の圧倒的な勝者っぷりは、それほど長くは続かなかったのである。
勝っている間はいいけれど、負けた後のことは話したくない。それも、一回だけでなく何度も、日常的に負けるようになってしまったとなればなおさら、黙秘を貫きたい。
だから、その後のことは、本当に簡単なことしか話さないつもりだけれど。
オルセア王子は、進化したのである。
進化というか、豹変というか。私がうっかり、彼に餌やら養分やらを与えてしまったのかどうなのか。それとも、私が彼と前向きにお付き合いする気になった、というだけで、彼には十分だったのか。
気が付くと、彼は少女漫画風にキラキラした光の粒子と花を背景に舞い散らせ、輝く笑顔を私に向け、もろもろの求愛台詞を吐き、時には跪いての求婚をも厭わない男に変化した。それはもう、砂糖を胃から喉元まで詰め込まれたような甘ったるさで、私は耐えられず、日々極度の緊張状態に置かれた。本当に辛い日々だった。
冷たく肘鉄を食らわせ、距離を取り、諦めながらも説教を試み、彼の心をへし折ってやろうと足掻いたのだが、私の心の方が先にへし折れた。そして、私は逃走を試み──捕まったその後に何が起きたかについては、たった一言でも語りたくない。
(とりあえず、オルセア王子を踏むか)
仕方がない。私は追い詰められていたのである。
踏んで状況が好転するわけでもない、それどころかどんな大惨事を引き起こしてしまうのか。容易に予想ができたはずなんだけれども。切羽詰まった私には、もうそれしかないような気がしていたのである。
で、踏んだ。
その結果、事態はさらに予想もつかなかった方向に暴走してしまうのだが、私はまだその未来を知らない。
降ってきた言葉は、ある意味予想通りだった。
(……あー、本当に言っちゃうのか、その台詞)
半分は呆れ、半分は王子のあまりの分かりやすさに感心しながら、私は顎を上げて彼を見上げた。身長差があるのに、距離が近い。もはや目と鼻の先と言ってもいいぐらいだ。至近距離で、ぎらぎらした黒い瞳に睨まれている。
午後の光が差し込む部屋の中。王城から帰って来た私を出迎えたのがこれだ。
壁を背にした私の両側に手をついて、オルセア王子が長身を折り畳むようにして私を見下ろしている。これはつまり、俗に言う壁ドンというやつなのかな?
残念ながら、私は壁ドンとか別に好きじゃないし、憧れもしないのだが。
ただひたすら面倒くさい。そんな気持ちを込めて、眇めた眼で彼を睨む。
「責任? 何の責任ですかね」
「お前……っ! 俺の身体を、散々好きにしただろう……!」
いかがわしい。あまりにいかがわしすぎる表現だ。しかも、自信を持って言えるが、これは言いがかり100パーセントだ。
「単なる治療行為ですけど? それを言うなら、この世界に召喚されてからというもの、数百人は治療してきたと思うんで、その全員に責任取らないとですね。王子は三百人目の相手とかになると思うんですけど、それでいいですか?」
「な、何だと、この淫乱が……!」
真面目にショックを受けるのはやめてもらいたい。
(この人、冗談と現実の差も分からなくなってるのかな?)
有能な王子と言われた男が、ここまで落ちぶれちゃっていいのだろうか。ここまで堕とした私がすごい悪女だとか?
そんな評判は御免こうむりたいが、王子の全てが悪い、というわけでもない。私が唯一、王子を評価している点だってあるのだ。
「最近気付いたんですけど。王子がそうやって、愕然としてる姿を見ると、ちょっと気分がすっとします。悪くないですね」
「は?」
「王子から受けたストレスを、王子で発散する楽しみというか。だから、たまに王子をぎゅうぎゅう踏み付けにしていいんだったら、特別に責任を取ってあげなくもないです」
「……」
王子は、すっと真顔になった。
射抜くような黒い瞳を私に据えたまま、腕の囲いを解いて、後ろに数歩退がる。久しぶりにじっくり見たが、整った目鼻立ちに精悍さが加味されて、本当に私好みの美形だ。中身が残念すぎて、完全に良さが相殺されてしまっているが。
「……本当だな?」
「覚悟が決まりすぎた声を出さないで下さい。実際に踏みたいとは思ってませんよ」
「し、しかし、今……! 踏ませれば、責任を取ってやると言っただろう! 確かに聞いたぞ」
「王子を翻弄して甚振ったんです」
「き、鬼畜の所業か……! お前、それで聖女を名乗る気なのか」
「もう名乗ってませんって。元聖女です」
王子といい国王陛下といい、私はもう聖女を引退したというのに、未だに聖女扱いしてくるのは何なのか。
丁重に扱ってくれていると思えばいいのだが、オルセア王子は、私に対する妄想が過ぎているところがあるので困る。
「私にも名前があるんで。小娘とか聖女とか言ってないで、ユイって呼んで下さい」
「ゆ、ユイ……!」
「……」
そういえば、この世界に召喚されて初めてだ。自分の名前を誰かに呼んでもらったのは。
それがこの、とにかく高慢で嫌な奴で、時間が経つにつれ単なる残念な王子としか見えなくなってきたこの人だというのは、全く感慨が深くない、むしろ何の冗談? という感じなのだが。
(まあ、だんだん扱い方が分かってきたところだし)
この先、上手く誘導すれば、何でも言うことを聞く夫として仕込めるかもしれない。しかし、王子はそのうち城に戻るだろうから、一度外に出た私もまた王宮暮らしに戻るのか……それは面倒だなあ、などと、私は計算高くも腹黒モードで、あれこれと考えを巡らせていたのだが。
私の圧倒的な勝者っぷりは、それほど長くは続かなかったのである。
勝っている間はいいけれど、負けた後のことは話したくない。それも、一回だけでなく何度も、日常的に負けるようになってしまったとなればなおさら、黙秘を貫きたい。
だから、その後のことは、本当に簡単なことしか話さないつもりだけれど。
オルセア王子は、進化したのである。
進化というか、豹変というか。私がうっかり、彼に餌やら養分やらを与えてしまったのかどうなのか。それとも、私が彼と前向きにお付き合いする気になった、というだけで、彼には十分だったのか。
気が付くと、彼は少女漫画風にキラキラした光の粒子と花を背景に舞い散らせ、輝く笑顔を私に向け、もろもろの求愛台詞を吐き、時には跪いての求婚をも厭わない男に変化した。それはもう、砂糖を胃から喉元まで詰め込まれたような甘ったるさで、私は耐えられず、日々極度の緊張状態に置かれた。本当に辛い日々だった。
冷たく肘鉄を食らわせ、距離を取り、諦めながらも説教を試み、彼の心をへし折ってやろうと足掻いたのだが、私の心の方が先にへし折れた。そして、私は逃走を試み──捕まったその後に何が起きたかについては、たった一言でも語りたくない。
(とりあえず、オルセア王子を踏むか)
仕方がない。私は追い詰められていたのである。
踏んで状況が好転するわけでもない、それどころかどんな大惨事を引き起こしてしまうのか。容易に予想ができたはずなんだけれども。切羽詰まった私には、もうそれしかないような気がしていたのである。
で、踏んだ。
その結果、事態はさらに予想もつかなかった方向に暴走してしまうのだが、私はまだその未来を知らない。
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