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1.この世で一番話したくない相手

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「……なんで、貴方が付いてくるんですか」

 馬車の車輪が、ガラガラと音を立てて回っている。
 細かな石が敷き詰められた街道は、あまり整備されているとは言い難くて、馬車の揺れは大きいし、会話するには向いてない。
 向かい合って座っている人物も、会話するには向いていない。それどころか、この世で一番、私が会話したくない相手かもしれない。

「従者なので。当然です」

 不機嫌そうな皺が、眉間に一本入っている男。

 厚みのある長身を、派手ではないが品のいい、黒に藍色の縁取りがされた長衣で包んでいる。まさかと思うが、これが彼にとっては、「従者らしい」服装なんだろうか。
 せめて、白いシャツの襟をくつろげて、浅黒い喉元をさらすのは止めてもらいたい。王子様にしては意外に筋肉質で首が太いので、きっちり留めているのは不快なのかもしれないが、自分が従者だと言い張る割に、基本的な服装すら従者らしくないのは駄目だろう。

「言葉に説得力がありません、第二王子様。せめて見た目ぐらい、もう少し従者らしくしたらどうですか」
「えっ?」
「え?」

(なんで驚くの?)

 逆に私が驚いて、見つめ返した。黒い眉が吊り上がり、黒い瞳が見開かれているのを見ると、本気で驚いているようだ。
 私は遠慮せず、大きく溜息を吐き出した。

「どこから見ても、全然、全く、どこも従者らしく見えません」
「そんな……馬鹿な」
「ご自分の従者たちの服装を見て、何か思うところはないんですか」
「その従者たちに、太鼓判を押されたんだぞ」

 あ、これ駄目だ。
 もう口を開く気すらせず、冷たい目線で見つめていると、

「くっ……お前、俺が従者だと認めるのが嫌で、言いがかりをつけているだけだろう」
「王子。喋り方」
「……私が従者だと認めるのがご不快でいらっしゃると。そのような物言いをなさっておいでですね」
「よしよし、頑張りましたね」

 氷点下を彷徨う声でねぎらってやると、再び「くっ」と歯軋りするのが聞こえたが、私はもう、これ以上、王子で遊ぶ……もとい、構ってやる気力は失せていた。

 平凡な女子高生だった私が、この世界に召喚されて三年間。聖女と呼ばれ、彼らの期待に応えるのが精一杯で、自分がやりたいことなど考える余裕もなかった。なんだかんだあって世界が救われ、聖女を辞めてもいいことになって、決められていた婚約も円満解消。暮らしていくには十分なお金と、快適な一軒家を支給してもらい、ようやく楽しい異世界満喫ライフが始まる! はずだったのに。

「街に一人で買い物に出かけるのも、初めてだったのに。楽しみにしてたのに」

 諦めきれず、ぶつぶつと口の中で呟く。

「ふん、相変わらず寝ぼけた娘だな。平和になったとはいえ、元聖女が一人でふらふら出歩けるわけがなかろう。身ぐるみ剥がされて泣き顔になるのがオチだ」
「王子、うるさい。あと、喋り方」
「今のはお前に話しかけたわけではない。従者の独り言を盗み聞きする主が悪い」

(お前のような従者がいるか!)

 と、突っ込みを入れたかったが、私は黙って、心の底からの軽蔑の眼差しを向けた。
 口で言い返すより、じっとり冷たく睨んだほうがまだ、彼には効くのだ。
 思ったとおり、彼はそのうち目を逸らして、むっつりと黙り込んだ。
 その眉間に追加された、二本目の皺を眺めながら、私は内心、溜息をつく。

(なんでまた、この人が付いてきたの……)

 元聖女がいきなり独り暮らしを始めるのは危険だ、という理屈は分かる。私は異世界人で、ずっと王宮内にいて、ここの常識を知っています! とは言い切れない。国に貢献した元聖女を大事にしたい、というのも分かる。
 でも、なんで、私の従者として、第二王子を送って寄越すのか。

(誰にとっても、最悪の人選なのでは……)

 第二王子、オルセア様。積極的に国政に関わり、何につけても優秀な人物だと言われている。事実、私の聖女としての提言をいつも真面目に受け止め、実際に実行してくれたのは彼だ。私は当時、第一王子と婚約させられていたんだけれど、彼は優しいけれど、いざとなるとまごついてばかりで、あまり当てにならなかった。

 そんな、国にとって有益な人材を、わざわざ私の従者にするとかいう、最高に無駄な決定。
 その上、オルセア様は、私が心底嫌いなのである。

「……田舎くさい小娘だな。どう贔屓目に見ても、高貴な出ではなかろう」

 最初に、召喚の陣から現れた私を三十秒ばかり見て、挙げ句の果ての発言が、これである。
 初対面の挨拶がこれとか、本当に優秀な王子なんだろうか。そこは、内心どう思っていようとも、すらすらとなめらかな社交辞令が出てこなくては駄目なんじゃないだろうか。

 残念なことに。彼の見た目だけは、私の好みだった。
 確かに高貴な出らしく、彼の動作は常に優美なのだ。王子なのに、どこにも弱々しさがなく、いかつく広い肩や胸板を反らし、常に大股で歩く。私を見るたび、不愉快そうにしかめられる黒く太い眉。日に灼けた肌。人を殴り殺せそうな大きな手。その手を大きく振って、短く実際的な言葉で話すのを何度も見かけたが、そんな態度を取っていても、彼はやはり、きちんと磨き上げられた優雅さを保っていた。

 これで、私にとって頼りがいがある、本当に男らしい王子様なら良かったのだが。

「聖女様。我が国の王子、どちらかと婚約して頂くことになりますが、第一王子と第二王子、どちらがよろしいですか」

 どこか飄々とした口調で、王様その人に尋ねられたとき、私は口をぱくぱくさせて、居並ぶ王子二人を見つめたのだが。
 そのときの、オルセア様の顔といったらなかった。
 何の因果があって、私はこの人にここまで憎まれてしまったのかと自問した。

 私は何もしていない。ちょっと田舎くさくて、野暮ったくて、小さくて、優雅さと知性が欠けていて(これは全部、彼が私に言ったことだ)、そんな私が聖女に選ばれてしまっただけだ。

 自分で選んだわけでもない、どうしようもないことで、私を嫌悪感剥き出しで睨むとか、人として駄目だろう!

 消去法しかなかった。

「第一王子様でお願いします」

 商品を選ぶような言い方だけれど、そもそも、王様がそういう選ばせ方をしたのだから仕方がない。
 そのとき、第二王子は、般若みたいな顔をしていた。私と結婚はしたくないけど、私が将来の王妃となるのもまた嫌だったんだろう。でも、その怒りは私にではなく、王様とか、国の在り方とか、そういうものに向けるべきだと思う。

 初対面の発言で、すでに好感度がマイナスをぶっち切っていた私は、その後、彼と顔を合わせるたびに嫌いになった。だって、向こうが嫌われようとしているのだ。

「礼儀作法の教師を付けてやろうか? それとも、付いていてこれなのか?」
「あー、はいはい。助言アリガトウゴザイマス」

 何を言っても無駄だ、と思い知ったので、何を言われても相手にしないようにしていたのだが、なぜか、毎日のように顔を合わせていた。本当に、なぜなんだろう。

 聖女を辞めたときは、これで彼ともおさらばだ、と思って、心底ほっとしていたのだ。

 王宮を出て、これから暮らす家の前に立って、わくわくしながら扉を開けて、中に入ったとき。

 仁王立ちになって、苦虫を噛み潰した顔で、私を見下ろしている彼の姿を見たとき。

 お先真っ暗、という言葉が脳裏に浮かんだ。
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