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10.そして王子のモテ期は続く
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「ア、アルディール……様! アルディール……様……」
彼の目の前に立って、イェレナ嬢がひたすらつっかえている。
どうやら、彼の名前を敬称無しで呼んで、元婚約者に「私たちはこんなに近い関係ですのよ」アピールをしたいのだが、どうしても敬称抜きでは呼べないらしい。
アルディールは手伝ってやることにした。
「どうしたんだ、イェレナ」
柔らかく、恋人に向けるのに相応しい小声で、しかし周囲にはよく聞こえるように調節する。
愛しいものを見るような笑顔を浮かべるのは簡単だった。日頃から、小動物に対するような慈愛の気持ちを抱いていたので。
「ひっ……ひゃあっ」
直撃を受けたイェレナ嬢が痙攣しているが、アルディールはすかさず彼女の腰を引き寄せて密着した。そしてふっと、元婚約者を見やる。
どうだ、これが嘘偽りのない、愛し合っている二人というやつだぞ!
お前みたいに嘘だらけの奴とは違うんだ!!
勝ち誇った顔を隠し切れなかった。いや、隠す気も無かったりするのだが。自己愛で塗り固められた元婚約者にとっては、イェレナ嬢こそ理解不能の生き物に見えるだろう。じっくり見て、自分が何をしているのか理解すればいい、という気持ちだった。
「……」
実際、元婚約者は、目の前にあるものが理解できない様子だった。
無表情な顔で、イェレナ嬢を見る。
それからアルディールを見て、再びイェレナ嬢を見、何かとても不愉快なものを見たような表情が浮かび、一部仮面が剥がれて、どこか傷付いたような色が浮かんだ。結局、最終的には、「自分を悲劇のヒロインとする」習性が上回ったらしく、辞去の挨拶もせずに、邪険にされて傷付いた女性がするように、美しく涙を堪える仕草をしながら走り去った。
「……はは」
ここで笑えば、女性をすげなく袖にして嘲笑う屑男、という役割を押し付けられてしまう。
なので、アルディールは何とか笑いを押さえ込んだ。少しだけ漏れ出てしまったが仕方がない。それからイェレナ嬢を見下ろしたが……彼女はまだ、真っ赤になって痙攣していた。元婚約者が立ち去ったことにも気付いていないらしい。
新しい空気を吸い込むような気分で、アルディールは彼女に囁きかけた。
「イェレナ。来てくれて有難う。あの女が来て、追い払うのに苦労していたんだ」
「あっ、えっ、え……そ、そ、そうでしたの? 本当に……私はただ、その」
「分かっている。イェレナが心配することは何もない。私はあの女が嫌いなんだ」
「そ、そう……そうでしたの」
イェレナはもごもごと口ごもり、それから少しずつ正気を取り戻したらしく、今度は羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。しかし最愛の男性と離れるという選択肢はないらしく、寄り添ったまま涙目で見上げてくる。目尻に溜まった滴がふるふると震えているのが見えて、それは狙ったものであれば最高に「あざとい」とされるような態度だったが、あいにく、これが作られたものではないことをアルディールは知っている。
(こういう正直なところに、知らないうちに救われていたんだ)
小動物を愛でるような気持ちは未だにあるが、それとは別の、温かい感情が芽生えていた。今後、この彼女の正直さゆえに苦労することもあるだろうが、それを苦労とは思わない。それ以上にほっとして、救われていくんだろう、とアルディールは思う。
いかにもベタついた恋人たちがするように、彼女の腰を抱いたまま庭園を横切って、奥まった四阿に導く。周囲の目? もっと見ろ、である。
(誰も見ていなかったら、思うさま抱き締められるんだが)
彼女の横に腰を下ろしながら、アルディールは(抱き締めたい)という欲望を強く覚えた。そうか、自分は恋をしたんだな、と認識する。何しろ、イェレナ嬢が可愛い。可愛くて仕方がない。そして、彼女以上に自分の心を温かくしてくれる存在はないだろう、と思ってもいる。
(だが、彼女は「ツンデレ」だからな……)
アルディールは最近ようやく、「ツンデレ」という言葉を知ったのである。
イェレナ嬢が正式な婚約者として定められて以来、ご令嬢がたが分厚い人垣となって彼を取り囲むことは無くなったが、それでも折に触れ、助言めいた言葉を投げかけてくれる人はいる。やさぐれた王子など珍獣のようなものだ、皆、好奇心半分で見守っているのだろう……とアルディールは考え、それから頭を振って自分の考えを否定した。
もちろんそういうこともあるだろうが、それだけではない。
彼に対する、謎の好意めいたものがあるのだ。それが何なのか、アルディールにはよく分からないのだが……結局のところ、肉食獣たちが弱った獲物を愛でて、彼が元気になるたびに奇妙な達成感を得ていることなど、アルディールに分かるはずがない。だが、かつて全身の棘を逆立てて、人という人を拒否していたアルディールには理解できていなかった好意が、最近は感じ取れるようになってきた。
(ツンデレは丁寧に、怖がらせないように、真綿に包むように愛でるべし、か)
何しろ、彼とイェレナ嬢を引き合わせてくれた者たちの助言だ。アルディールは元来、真面目な質なので、それを忠実に実行するつもりだった。それを知れば、周囲の者たちはまた喜んだことだろう。
「チョロい」
「実は素直で可愛らしいわ」
アルディールのひねくれっぷりは今後、治る様子もなく、世を僻んでいるような態度は相変わらずなのだが、イェレナ嬢と同じく、どこか愛される資質があったのだろう。その後、イェレナ嬢のツンデレの壁を見事突破し、見る者が砂糖を吐くような甘ったるいいちゃつきを披露しても、立派だが遠慮なく毒を吐く国王として即位しても、彼の不思議なモテ期は終わらず、本人にもはっきりとは理解されないままに続いていくのであった。
彼の目の前に立って、イェレナ嬢がひたすらつっかえている。
どうやら、彼の名前を敬称無しで呼んで、元婚約者に「私たちはこんなに近い関係ですのよ」アピールをしたいのだが、どうしても敬称抜きでは呼べないらしい。
アルディールは手伝ってやることにした。
「どうしたんだ、イェレナ」
柔らかく、恋人に向けるのに相応しい小声で、しかし周囲にはよく聞こえるように調節する。
愛しいものを見るような笑顔を浮かべるのは簡単だった。日頃から、小動物に対するような慈愛の気持ちを抱いていたので。
「ひっ……ひゃあっ」
直撃を受けたイェレナ嬢が痙攣しているが、アルディールはすかさず彼女の腰を引き寄せて密着した。そしてふっと、元婚約者を見やる。
どうだ、これが嘘偽りのない、愛し合っている二人というやつだぞ!
お前みたいに嘘だらけの奴とは違うんだ!!
勝ち誇った顔を隠し切れなかった。いや、隠す気も無かったりするのだが。自己愛で塗り固められた元婚約者にとっては、イェレナ嬢こそ理解不能の生き物に見えるだろう。じっくり見て、自分が何をしているのか理解すればいい、という気持ちだった。
「……」
実際、元婚約者は、目の前にあるものが理解できない様子だった。
無表情な顔で、イェレナ嬢を見る。
それからアルディールを見て、再びイェレナ嬢を見、何かとても不愉快なものを見たような表情が浮かび、一部仮面が剥がれて、どこか傷付いたような色が浮かんだ。結局、最終的には、「自分を悲劇のヒロインとする」習性が上回ったらしく、辞去の挨拶もせずに、邪険にされて傷付いた女性がするように、美しく涙を堪える仕草をしながら走り去った。
「……はは」
ここで笑えば、女性をすげなく袖にして嘲笑う屑男、という役割を押し付けられてしまう。
なので、アルディールは何とか笑いを押さえ込んだ。少しだけ漏れ出てしまったが仕方がない。それからイェレナ嬢を見下ろしたが……彼女はまだ、真っ赤になって痙攣していた。元婚約者が立ち去ったことにも気付いていないらしい。
新しい空気を吸い込むような気分で、アルディールは彼女に囁きかけた。
「イェレナ。来てくれて有難う。あの女が来て、追い払うのに苦労していたんだ」
「あっ、えっ、え……そ、そ、そうでしたの? 本当に……私はただ、その」
「分かっている。イェレナが心配することは何もない。私はあの女が嫌いなんだ」
「そ、そう……そうでしたの」
イェレナはもごもごと口ごもり、それから少しずつ正気を取り戻したらしく、今度は羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。しかし最愛の男性と離れるという選択肢はないらしく、寄り添ったまま涙目で見上げてくる。目尻に溜まった滴がふるふると震えているのが見えて、それは狙ったものであれば最高に「あざとい」とされるような態度だったが、あいにく、これが作られたものではないことをアルディールは知っている。
(こういう正直なところに、知らないうちに救われていたんだ)
小動物を愛でるような気持ちは未だにあるが、それとは別の、温かい感情が芽生えていた。今後、この彼女の正直さゆえに苦労することもあるだろうが、それを苦労とは思わない。それ以上にほっとして、救われていくんだろう、とアルディールは思う。
いかにもベタついた恋人たちがするように、彼女の腰を抱いたまま庭園を横切って、奥まった四阿に導く。周囲の目? もっと見ろ、である。
(誰も見ていなかったら、思うさま抱き締められるんだが)
彼女の横に腰を下ろしながら、アルディールは(抱き締めたい)という欲望を強く覚えた。そうか、自分は恋をしたんだな、と認識する。何しろ、イェレナ嬢が可愛い。可愛くて仕方がない。そして、彼女以上に自分の心を温かくしてくれる存在はないだろう、と思ってもいる。
(だが、彼女は「ツンデレ」だからな……)
アルディールは最近ようやく、「ツンデレ」という言葉を知ったのである。
イェレナ嬢が正式な婚約者として定められて以来、ご令嬢がたが分厚い人垣となって彼を取り囲むことは無くなったが、それでも折に触れ、助言めいた言葉を投げかけてくれる人はいる。やさぐれた王子など珍獣のようなものだ、皆、好奇心半分で見守っているのだろう……とアルディールは考え、それから頭を振って自分の考えを否定した。
もちろんそういうこともあるだろうが、それだけではない。
彼に対する、謎の好意めいたものがあるのだ。それが何なのか、アルディールにはよく分からないのだが……結局のところ、肉食獣たちが弱った獲物を愛でて、彼が元気になるたびに奇妙な達成感を得ていることなど、アルディールに分かるはずがない。だが、かつて全身の棘を逆立てて、人という人を拒否していたアルディールには理解できていなかった好意が、最近は感じ取れるようになってきた。
(ツンデレは丁寧に、怖がらせないように、真綿に包むように愛でるべし、か)
何しろ、彼とイェレナ嬢を引き合わせてくれた者たちの助言だ。アルディールは元来、真面目な質なので、それを忠実に実行するつもりだった。それを知れば、周囲の者たちはまた喜んだことだろう。
「チョロい」
「実は素直で可愛らしいわ」
アルディールのひねくれっぷりは今後、治る様子もなく、世を僻んでいるような態度は相変わらずなのだが、イェレナ嬢と同じく、どこか愛される資質があったのだろう。その後、イェレナ嬢のツンデレの壁を見事突破し、見る者が砂糖を吐くような甘ったるいいちゃつきを披露しても、立派だが遠慮なく毒を吐く国王として即位しても、彼の不思議なモテ期は終わらず、本人にもはっきりとは理解されないままに続いていくのであった。
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