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7.初めて女子に好かれた(談:王子)
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アルディールは王子であるにも関わらず、まっとうに女性に好かれた経験というものがない。
実母である王妃は子供に関心がない、情の薄い典型的な貴族女性だった。一線を引いて接してくる乳母や使用人に囲まれて育ち、やがて出来た婚約者はいつでも薄幸そうに俯いていて、こそこそと物陰で何をしているかと思えば、弟王子と逢引していた。
「もう耐えられない……! どうして私などがアルディール王子の婚約者なのでしょう……」「私などが、などと言わないでくれ。貴女はあの愚かな兄には勿体無い位、美しく聡明な女性だ」などと甘ったるい文句を垂れ流しながら抱き合っているのを見かけて、あのまま誰かに発見されてはマズいだろうと、何も言わずにその一帯から人払いしてやったこともある。
今思えば、あのとき無駄な仏心など出さず(本当に無駄だ!)その場で人に発見させて、不適切な関係とやらを露見させてやっておけば良かったのだが。
その上、学園に入学した頃から、やたら馴れ馴れしい女性たちに付き纏われる生活が始まった。愛を知らず、性欲に突き動かされる年頃の青年であれば、ここで自堕落な方面へと道を踏み外すだけの環境が用意されていたわけだ。アルディール王子にとっては、ただただ鬱陶しくて不愉快なだけで終わったが。目下、この国で大流行中の東国の小説では、頭の中身が軽い王子たちが揃いも揃って、誘惑してきた娘にあっさりと落ちていくのだが、どうして落ちるんだ? とアルディール王子は不思議だった。
(金と権力にしか興味がない女たちだぞ。本物の恋慕など探したって見つけようもないことぐらい、目を見れば分かるだろうに)
つまり、頬を真っ赤に染めて、涙できらめく目で見つめられ、素直ではないが自分に対する好意がだだ漏れした女性と向き合う……という経験は、アルディール王子にとっては初めてなのである。
(えっ、かわいいな)
まず、単純にそう思った。
いいものだ。好かれるとはいうことは。
まだ恋とは呼べそうもないほどの、淡い感情である。アルディール王子は、ほとんど何も知らない状態ですんなり恋に落ちるような、真っ直ぐな気性の持ち主ではない。どちらかといえば後天的に捻じくれ曲がっている。しかし、一途そうな美人に、キラキラした恋の眼差しで見詰められると、暗く塞ぎ込んでいた気分がほんのりと明るくなる……ということを、彼は初めて知ったのである。
正直、ちょっと大丈夫なのか……と思っていたりはするが。イェレナ嬢が王妃になって、この国は大丈夫なのか? 四歳児でも見破ることが出来そうな嘘しかつけず、本音がだだ漏れになっているではないか。貴族同士の腹の探り合いや、ドロドロした政治交渉には向きそうもない。
(しかし、私の前でなければ、気品のある公爵令嬢として澄ましていられるらしいしな)
しかも考えてみれば、もはや外聞を取り繕っていない、むしろ体裁も何も投げ捨てて掛かっているのはアルディール王子の方である。イェレナ嬢にあれこれ言える立場ではない。それに、人にどう思われようが構わない、それで重篤な不利益を被らなければそれでいいな、と、色々吹っ切れてしまっていた王子は思ったのであった。
つまり、初の顔合わせが終わる頃には、彼はもう、イェレナ嬢を妻に迎える意思を固めていた。
「今日は来てくれて有難う。とても有意義な時間だった」
イェレナ嬢を送り出すために立ち上がって手を差し伸べながら、アルディール王子は久しぶりに王子らしい笑顔を浮かべた。初夏の陽光のような爽やかな笑顔、この笑顔を武器として使うのは実に数ヶ月ぶりである。
「は、はひっ……こ、光栄ですわっ、いえ、その、精々有難みを噛み締めていらっしゃるがいいのですわっ」
「ああ、そうだな、有難みを強く感じた」
「ひっひえっ?」
アルディール王子が真顔で頷いたので、イェレナ嬢の声が喉の奥でつんのめったようになった。
「私の周りは腹黒い連中ばかりだ。誰もが自分の欲の事しか考えず、私を利用するか、欺くか、そのどちらかしかない。しかしイェレナ嬢は、そんなことは全く頭にないようだ」
「そ、そんなことは当たり前ですわ! 殿下を利用するなんて酷い、そんなこと……そんなことをせずとも、私は十分に高貴な人間ですので!」
またしても余計なことを口走る公爵令嬢だが、アルディール王子は短い付き合いながらすでに彼女の反応が大体読めていたので、軽くいなした。
「そうだな。イェレナ嬢は非常に純粋無垢な方だ、ということが分かった。正直、貴族の間に貴女のような人がいる、ということが驚きだ」
「そ、それは……その、失望なさいましたの?」
急に、見捨てられた子猫のような眼差しになって見上げてくる。アルディール王子は背筋に微かに快感らしきものが走るのを覚えたが、この場でその感情が何なのか深く掘り下げることはなく、ただ首を振った。
「いや、むしろとても高く評価している。失望などするはずもない。それで……」
この茶会が婚約前の顔合わせであり、何事もなければそのまま二人の間に婚約が結ばれる、ということは、イェレナ嬢も事前に聞いて知っているはずである。
貴族の娘らしく、上位者から下された命令には粛々と従う。その覚悟があって、この場にやってきたはずだ。こうしてイェレナ嬢を見る限り、命令がどうとかいう話は吹っ飛んでしまっているようだが。
「イェレナ嬢さえ良ければ、婚約の話を受けてもらいたい。どうだろうか? 私は自分の妃には、貴女のような人がいいと思うのだが」
獲物を狙う肉食獣でもなく、悲劇の女主人公を気取る余裕すらない。言葉は捻れていて突拍子もないが、本当の気持ちは全て表れていて何一つ隠せていないような、不器用な女性である。たとえアルディール王子を裏切ったとしても、一瞬で露見するはずだ。それに彼女は不器用すぎて、彼を裏切ることさえ思い付かなそうに見える。
それは、なんとも素晴らしいことのように思えた。
「……」
イェレナ嬢が息を呑んだ。
それから俯いて、小さな声で「……はい」と返事をする。俯いたせいで顔は見えなくなったが、その耳は薄紅色に染まって、微かに震えていた。
恋愛経験が皆無であっても、これを「嫌がっている」と解釈するほど鈍感なわけではない。アルディール王子はその姿を見ながら、なるほどこれが人生初のモテ期というものか、なるほどこれは楽しいな、と思ったのであった。
実母である王妃は子供に関心がない、情の薄い典型的な貴族女性だった。一線を引いて接してくる乳母や使用人に囲まれて育ち、やがて出来た婚約者はいつでも薄幸そうに俯いていて、こそこそと物陰で何をしているかと思えば、弟王子と逢引していた。
「もう耐えられない……! どうして私などがアルディール王子の婚約者なのでしょう……」「私などが、などと言わないでくれ。貴女はあの愚かな兄には勿体無い位、美しく聡明な女性だ」などと甘ったるい文句を垂れ流しながら抱き合っているのを見かけて、あのまま誰かに発見されてはマズいだろうと、何も言わずにその一帯から人払いしてやったこともある。
今思えば、あのとき無駄な仏心など出さず(本当に無駄だ!)その場で人に発見させて、不適切な関係とやらを露見させてやっておけば良かったのだが。
その上、学園に入学した頃から、やたら馴れ馴れしい女性たちに付き纏われる生活が始まった。愛を知らず、性欲に突き動かされる年頃の青年であれば、ここで自堕落な方面へと道を踏み外すだけの環境が用意されていたわけだ。アルディール王子にとっては、ただただ鬱陶しくて不愉快なだけで終わったが。目下、この国で大流行中の東国の小説では、頭の中身が軽い王子たちが揃いも揃って、誘惑してきた娘にあっさりと落ちていくのだが、どうして落ちるんだ? とアルディール王子は不思議だった。
(金と権力にしか興味がない女たちだぞ。本物の恋慕など探したって見つけようもないことぐらい、目を見れば分かるだろうに)
つまり、頬を真っ赤に染めて、涙できらめく目で見つめられ、素直ではないが自分に対する好意がだだ漏れした女性と向き合う……という経験は、アルディール王子にとっては初めてなのである。
(えっ、かわいいな)
まず、単純にそう思った。
いいものだ。好かれるとはいうことは。
まだ恋とは呼べそうもないほどの、淡い感情である。アルディール王子は、ほとんど何も知らない状態ですんなり恋に落ちるような、真っ直ぐな気性の持ち主ではない。どちらかといえば後天的に捻じくれ曲がっている。しかし、一途そうな美人に、キラキラした恋の眼差しで見詰められると、暗く塞ぎ込んでいた気分がほんのりと明るくなる……ということを、彼は初めて知ったのである。
正直、ちょっと大丈夫なのか……と思っていたりはするが。イェレナ嬢が王妃になって、この国は大丈夫なのか? 四歳児でも見破ることが出来そうな嘘しかつけず、本音がだだ漏れになっているではないか。貴族同士の腹の探り合いや、ドロドロした政治交渉には向きそうもない。
(しかし、私の前でなければ、気品のある公爵令嬢として澄ましていられるらしいしな)
しかも考えてみれば、もはや外聞を取り繕っていない、むしろ体裁も何も投げ捨てて掛かっているのはアルディール王子の方である。イェレナ嬢にあれこれ言える立場ではない。それに、人にどう思われようが構わない、それで重篤な不利益を被らなければそれでいいな、と、色々吹っ切れてしまっていた王子は思ったのであった。
つまり、初の顔合わせが終わる頃には、彼はもう、イェレナ嬢を妻に迎える意思を固めていた。
「今日は来てくれて有難う。とても有意義な時間だった」
イェレナ嬢を送り出すために立ち上がって手を差し伸べながら、アルディール王子は久しぶりに王子らしい笑顔を浮かべた。初夏の陽光のような爽やかな笑顔、この笑顔を武器として使うのは実に数ヶ月ぶりである。
「は、はひっ……こ、光栄ですわっ、いえ、その、精々有難みを噛み締めていらっしゃるがいいのですわっ」
「ああ、そうだな、有難みを強く感じた」
「ひっひえっ?」
アルディール王子が真顔で頷いたので、イェレナ嬢の声が喉の奥でつんのめったようになった。
「私の周りは腹黒い連中ばかりだ。誰もが自分の欲の事しか考えず、私を利用するか、欺くか、そのどちらかしかない。しかしイェレナ嬢は、そんなことは全く頭にないようだ」
「そ、そんなことは当たり前ですわ! 殿下を利用するなんて酷い、そんなこと……そんなことをせずとも、私は十分に高貴な人間ですので!」
またしても余計なことを口走る公爵令嬢だが、アルディール王子は短い付き合いながらすでに彼女の反応が大体読めていたので、軽くいなした。
「そうだな。イェレナ嬢は非常に純粋無垢な方だ、ということが分かった。正直、貴族の間に貴女のような人がいる、ということが驚きだ」
「そ、それは……その、失望なさいましたの?」
急に、見捨てられた子猫のような眼差しになって見上げてくる。アルディール王子は背筋に微かに快感らしきものが走るのを覚えたが、この場でその感情が何なのか深く掘り下げることはなく、ただ首を振った。
「いや、むしろとても高く評価している。失望などするはずもない。それで……」
この茶会が婚約前の顔合わせであり、何事もなければそのまま二人の間に婚約が結ばれる、ということは、イェレナ嬢も事前に聞いて知っているはずである。
貴族の娘らしく、上位者から下された命令には粛々と従う。その覚悟があって、この場にやってきたはずだ。こうしてイェレナ嬢を見る限り、命令がどうとかいう話は吹っ飛んでしまっているようだが。
「イェレナ嬢さえ良ければ、婚約の話を受けてもらいたい。どうだろうか? 私は自分の妃には、貴女のような人がいいと思うのだが」
獲物を狙う肉食獣でもなく、悲劇の女主人公を気取る余裕すらない。言葉は捻れていて突拍子もないが、本当の気持ちは全て表れていて何一つ隠せていないような、不器用な女性である。たとえアルディール王子を裏切ったとしても、一瞬で露見するはずだ。それに彼女は不器用すぎて、彼を裏切ることさえ思い付かなそうに見える。
それは、なんとも素晴らしいことのように思えた。
「……」
イェレナ嬢が息を呑んだ。
それから俯いて、小さな声で「……はい」と返事をする。俯いたせいで顔は見えなくなったが、その耳は薄紅色に染まって、微かに震えていた。
恋愛経験が皆無であっても、これを「嫌がっている」と解釈するほど鈍感なわけではない。アルディール王子はその姿を見ながら、なるほどこれが人生初のモテ期というものか、なるほどこれは楽しいな、と思ったのであった。
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