上 下
15 / 15
番外編

サフィード②

しおりを挟む
「……あ、お帰りなさい、サフィード様」
「起こしてしまいましたか。寝ていていいですよ」

 扉を開けると、細く光が差し込んだ先で、むくりと起き上がる人影が見えた。

 眠たげに瞬いて、彼を見つめる目は猫のような金色。肩から背に、流れ落ちる長い黒髪。彼の妻、ディルティーナだ。

「……遅かったですね」

 少し不満そうな声だ。

 自然と、笑みが浮かんだ。

「半年振りに神殿に報告に上がったのでね。思いのほか時間がかかってしまいました」

 上着を脱ぎ、彼女がいる寝台の端に座り込み、そのこめかみに口付けて「ただいま戻りました」と囁く。彼女の目が揺れて、様々な感情を映し出した。それはもう色鮮やかに。

 困惑、不安、安堵、疑惑、信頼、恐怖、好意、高揚。

 相反する感情が、賑やかにひしめきながら混在している。零れ落ちる感情の全てを拾い上げようと、その目をじっと覗き込んだ。いつ見ても、彼に向けられた強い感情というものは新鮮だ。それは彼にとって、あまりに縁がないものだったので。

「貴方は本当に感情豊かですね」
「……また私で遊んでいるんですか」

 拗ねた口調が返ってきた。

 最近の彼女は、よくこういう表情を彼に向ける。非常に可愛らしい。

「そうですね」

 その通りだったので、サフィードは頷いた。 
 ディルティーナがむっとして押し黙る。

 サフィードにとってはとても感情豊かに見える彼女だが、一般的に見れば物静かで、感情が希薄なタイプに見えるだろう。口うるさく言い募るよりも、黙って感情を閉じてしまう。その目の奥では色んな感情が渦巻いているのが見えるのだが。

(それでいい)

 誰からも見えるものではなく、覗き込む彼の目にだけ映る、というのがいい。

 そもそも、出会った当初から、彼女はどうしようもなく彼の好みだった。

「あなたは……聖騎士のサフィード様ですよね」

 覚束ない口調で、おずおずと言い出した彼女を憶えている。

 まるで、ふわふわした黒い小動物のように見えた。

 人というより獣に近いほどの無垢な目をしている。傷つけられたことがない、傷つけたいと願うことがない者の目。傷付くことが未知であるがゆえに、それをもたらすかもしれない彼に対してひどく怯え切っている。

 ぴくりと手が動いて、握り締めた拳の中で光の魔力が蠢いた。

 神殿きっての神聖属性である彼だが、

(なるほど、私もやはり光属性だったのですね)

 他人事のように感心してしまった。

 光とは生命。活力であり、欲望し、生殖を求めるもの。解放するものといえば聞こえはいいが、時には暴力的に全てを暴きたいと渇望し実行するものでもある。

 闇というのは、無論その逆だ。安息の闇。人を眠らせ、癒やすもの。だが、生命の再生産にかけては、光より強烈な部分もある。闇の中でのみ発芽する種子は、人を含めて思いのほか沢山ある。闇は慈しみ育てる属性でもあるのだ。

 彼女を見たとき、その闇の中に、自らの光を思い切り流し込みたいと思った。

 自らの光属性を醒めた目で見ていたサフィードには、闇属性に対する偏見がない。同時に、闇属性を虐げたいと思うこともなかった。どうやら光属性の中には一定の比率で、そういう欲求が存在するらしいのだが。だから、ディルティーナと出会って、彼女を思い切り悶えさせたいと願ったことは、彼にとっても新鮮な出来事だった。もちろん、彼女にはっきり告げたことはないが。

(もっとも、最初から見透かされていたようですが)

 無意識のうちに、彼の欲を見抜き、そのために怯えてきたのだろう。ディルティーナはたまに、恐ろしく察しがいいことがある。それが彼女の幸福に繋がらないところが何とも気の毒だが。

「また眠るのですか、ディルティーナ? 貴方はよく眠りますね」

 無言のまま背を向けた彼女を、後ろからすっぽり抱きすくめる。耳元で揶揄うように囁かれて、彼女の肩が小さく震えた。

「……寝ていていいですよって、仰ったじゃないですか」
「いいですよ? ……勿論」

 その「勿論」が、あまりに不穏すぎたらしい。見てもいないのに、彼女の目に恐怖の涙が滲むのが分かった。冷たくはない、熱のある恐怖だ。様々な感情が押し込められている。

 その熱が欲しかった。

 黒く長い髪に顔を埋める。ひんやりした感触の奥に、鼓動から生じる熱が伝わってくる。温かい闇だ。人が交わるのは大抵の場合において闇の中だということが、こうしていると深く理解できる。

「ディルティーナ」

 彼の世界には、ずっと長いこと人というものが存在しなかった。

 人は道具でしかなく、彼もまたその一つだ。寂寞として神聖な荒野。その中で、人の情を超えたところでしか生きられない彼が、結局人の情を求めるしかないとは。

 皮肉ではあるが、彼は幸福だ。

 気の毒なのは被害者ことディルティーナなのだが……まあ、大丈夫だろう。

 彼女の甘さにどうつけ込めばいいか、サフィードはよく知っているのだから。


しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

天才と呼ばれた彼女は無理矢理入れられた後宮で、怠惰な生活を極めようとする

カエデネコ
恋愛
※カクヨムの方にも載せてあります。サブストーリーなども書いていますので、よかったら、お越しくださいm(_ _)m リアンは有名私塾に通い、天才と名高い少女であった。しかしある日突然、陛下の花嫁探しに白羽の矢が立ち、有無を言わさず後宮へ入れられてしまう。 王妃候補なんてなりたくない。やる気ゼロの彼女は後宮の部屋へ引きこもり、怠惰に暮らすためにその能力を使うことにした。

私だけが赤の他人

有沢真尋
恋愛
 私は母の不倫により、愛人との間に生まれた不義の子だ。  この家で、私だけが赤の他人。そんな私に、家族は優しくしてくれるけれど……。 (他サイトにも公開しています)

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

悪役令嬢を演じたら、殿下の溺愛が止まらなくなった

平山かすみ
恋愛
幼くして王子であるロイドと婚約した侯爵令嬢のカリエ。 ロイドを慕い、必死に尽くしてきた。 しかし、ロイドが王都魔法学院に通い始めたと同時、ロイドと仲良くする子爵令嬢のアリスが登場する。 そして、あまりの中睦まじさに周囲では、ロイドはアリスが好きで、カリエとは婚約破棄を望んでいるという噂が…。 カリエは負けじと奮闘するも、ロイドのアリスに向ける視線に自信を無くし始める。 そして、ロイドの幸せを願い、自ら悪役令嬢の役目を担い始めるが…

処理中です...