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8.ほんの五分の一ぐらいの理解
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私はそれから、サフィード様に関する情報を集めた。
何も知らなかったのだ。婚約者として現れた時、彼はそれはもう強烈な存在感を発していて、それ以上知りたいという気持ちが動かなかった。とにかく、圧倒されていただけだ。そしてその後も、どんなに彼の近くにいようとも、彼に対する知識はほとんど増えなかった。
「……帝国皇帝の曾孫の一人?」
自分で読み上げた言葉に驚いて、私は報告書から顔を上げ、目の前の情報屋をまじまじと見つめてしまった。
なけなしの小遣いをはたいて、数人の情報屋を雇ったのだ。王都からも遠い、地方貴族の娘としては、他に取れる方法はほとんどない。
「皇帝には三十人以上の曾孫がいますので、皇位継承権はほぼ無いも同然ですね」
「そうなのね……」
報告書から読み取れるのは、私とはほぼ真逆の経歴だ。
皇帝の血を引く娘と、この国の大物貴族との間に生まれた息子。両親はほぼ別居状態で、幼少期は一人で帝国の遠戚のもとに送られ、そこで教育を受けている。
女性嫌いというのも本当らしい。はっと目を引くような美貌の少年だったために、周囲の女性から無理強いのような行為をされることも多かったという。長じては一切の女性を近付けず、近付いた女性には容赦なく酷薄な言動に出ることで有名らしい。
(……酷薄?)
私を初めて見た時の彼の目付きは「無」だと思ったけれど、あれはむしろ、随分ましな方だったのだろうか。
そもそも、サフィード様は女性に触れないというけれど、私には素手で触れている。光の魔力を無理矢理流し込まれたときのことだ。ずっと一緒に旅していた間、キスされることも抱き締められることもなかったけれど、超然とした美貌からは少し違和感のある、長く節のある指の感触は覚えている。日常的に剣を取る人の手という感じだった。
(……いや、そもそも、あれは何だったの?)
今や私は、疑心暗鬼の塊である。あの時は、単にサフィード様の嫌がらせで、私が悶えるのを見て楽しんでいるのだろうと思っていたが、今になってみると腑に落ちない。というか、サフィード様の言動は、全て何か裏があったのではないかと思ってしまう。
「皇位継承権は無いも同然でも、血縁があれば、王城の禁域には入れますね」
思い付いた、という雰囲気で、情報屋がぽつりと洩らす。
「そもそも、あの国の皇帝陛下には、いろいろと黒い噂がありまして」
「……その情報も買えるかしら?」
未確定の噂が多すぎるので無料で、という前置きで、情報屋が語ってくれたところによれば、皇帝はすでに精神を病んで久しく、近年は怪しげな部屋に篭って魔物召喚の儀に勤しんでいるという。その魔物は周辺諸国に放たれて国境を荒らし、そのため、各国の神殿に属する聖騎士たちに討伐命令が出されているとか。
(サフィード様がずっと辺境で浄化していたあれは……)
それ以上は、情報が少なすぎて判断もつかない。
そう思っていたところに、国中を震撼させるような情報が飛び込んできた。
帝国の皇帝が断罪され、討たれた。
「こんなとき、やっぱり頼りになるのは神様だねえ」
「神殿が聖騎士と神殿兵を集めて、王城を囲ってるらしい。首都は不気味なほど静かだとか」
「聖騎士の中に『断罪者』の資格持ちがいたんだって? 皇帝……いや、先帝陛下は、神の雷で鉄槌を下されて崩御したそうだ」
「『断罪者』の裁きじゃねえ……神殿のお墨付きだから、逆らう者も出ないよな」
群衆の中に皇帝の密偵が混じり込んでいれば、揃って不敬罪で牢屋まで引き摺っていかれそうなほど賑やかな状態だ。しかし、今、しきりに飛び交う噂話の波を食い止める者は誰もいない。
興奮したようにどこまでも話が続くのは、不安の表れだ。誰もが今、黙っていられないぐらい不安な気持ちなのだ。
「あの、今、やっぱり王城には近付けないんですか?」
黙って人の話を聞いてばかりでいるのも周囲から浮きそうなので、私はほどほどのところで口を挟んでみた。
同じ乗り合い馬車に乗っている客たちが、一斉に私の方を見る。向かいに座っていた、人の良さそうな年かさの女性が首を傾げた。
「あんた、たった一人で、今から首都に行くのかい?」
「はい。その……王城で働いている家族がいて、心配で」
嘘である。しかし、「王国の方から、元婚約者の様子を見るために国境を越えてやって来ました」と堂々と言うほうが問題だろう。
「そうかい……まあ、表向きは平穏だけれど、何が起こるか分からないからねえ。なるべく、王城には近付かない方がいいと思うけど」
女性がそう言い終えたとき、俄かに、馬車の進む方向からわっと歓声が上がった。
「新帝即位! 新帝即位! 王城に王旗が挙がったぞ」
「第五王子が新帝に即位される」
「良かった! 新帝万歳」
(……流れが早いな)
これが、歴史が変わる瞬間という奴なのだろうか。最近得た、帝国についての情報を頭の中でおさらいしながら、私は妙に現実感なく考えていた。
(第五王子は……もう、とうに王子という感じじゃない年齢で、五十代だったはず)
穏健派で、神殿が担ぎ上げるのにはちょうどいい人材だったのだろう。周りの人たちの反応も、熱狂的な支持者が喜んでいるというより、「これで平穏に、物事が収まりますように」という願望が込められている、気がする。
それにしても。
(……サフィード様、仕事が早い)
根拠はないけれど、何となく、そう思った。
何も知らなかったのだ。婚約者として現れた時、彼はそれはもう強烈な存在感を発していて、それ以上知りたいという気持ちが動かなかった。とにかく、圧倒されていただけだ。そしてその後も、どんなに彼の近くにいようとも、彼に対する知識はほとんど増えなかった。
「……帝国皇帝の曾孫の一人?」
自分で読み上げた言葉に驚いて、私は報告書から顔を上げ、目の前の情報屋をまじまじと見つめてしまった。
なけなしの小遣いをはたいて、数人の情報屋を雇ったのだ。王都からも遠い、地方貴族の娘としては、他に取れる方法はほとんどない。
「皇帝には三十人以上の曾孫がいますので、皇位継承権はほぼ無いも同然ですね」
「そうなのね……」
報告書から読み取れるのは、私とはほぼ真逆の経歴だ。
皇帝の血を引く娘と、この国の大物貴族との間に生まれた息子。両親はほぼ別居状態で、幼少期は一人で帝国の遠戚のもとに送られ、そこで教育を受けている。
女性嫌いというのも本当らしい。はっと目を引くような美貌の少年だったために、周囲の女性から無理強いのような行為をされることも多かったという。長じては一切の女性を近付けず、近付いた女性には容赦なく酷薄な言動に出ることで有名らしい。
(……酷薄?)
私を初めて見た時の彼の目付きは「無」だと思ったけれど、あれはむしろ、随分ましな方だったのだろうか。
そもそも、サフィード様は女性に触れないというけれど、私には素手で触れている。光の魔力を無理矢理流し込まれたときのことだ。ずっと一緒に旅していた間、キスされることも抱き締められることもなかったけれど、超然とした美貌からは少し違和感のある、長く節のある指の感触は覚えている。日常的に剣を取る人の手という感じだった。
(……いや、そもそも、あれは何だったの?)
今や私は、疑心暗鬼の塊である。あの時は、単にサフィード様の嫌がらせで、私が悶えるのを見て楽しんでいるのだろうと思っていたが、今になってみると腑に落ちない。というか、サフィード様の言動は、全て何か裏があったのではないかと思ってしまう。
「皇位継承権は無いも同然でも、血縁があれば、王城の禁域には入れますね」
思い付いた、という雰囲気で、情報屋がぽつりと洩らす。
「そもそも、あの国の皇帝陛下には、いろいろと黒い噂がありまして」
「……その情報も買えるかしら?」
未確定の噂が多すぎるので無料で、という前置きで、情報屋が語ってくれたところによれば、皇帝はすでに精神を病んで久しく、近年は怪しげな部屋に篭って魔物召喚の儀に勤しんでいるという。その魔物は周辺諸国に放たれて国境を荒らし、そのため、各国の神殿に属する聖騎士たちに討伐命令が出されているとか。
(サフィード様がずっと辺境で浄化していたあれは……)
それ以上は、情報が少なすぎて判断もつかない。
そう思っていたところに、国中を震撼させるような情報が飛び込んできた。
帝国の皇帝が断罪され、討たれた。
「こんなとき、やっぱり頼りになるのは神様だねえ」
「神殿が聖騎士と神殿兵を集めて、王城を囲ってるらしい。首都は不気味なほど静かだとか」
「聖騎士の中に『断罪者』の資格持ちがいたんだって? 皇帝……いや、先帝陛下は、神の雷で鉄槌を下されて崩御したそうだ」
「『断罪者』の裁きじゃねえ……神殿のお墨付きだから、逆らう者も出ないよな」
群衆の中に皇帝の密偵が混じり込んでいれば、揃って不敬罪で牢屋まで引き摺っていかれそうなほど賑やかな状態だ。しかし、今、しきりに飛び交う噂話の波を食い止める者は誰もいない。
興奮したようにどこまでも話が続くのは、不安の表れだ。誰もが今、黙っていられないぐらい不安な気持ちなのだ。
「あの、今、やっぱり王城には近付けないんですか?」
黙って人の話を聞いてばかりでいるのも周囲から浮きそうなので、私はほどほどのところで口を挟んでみた。
同じ乗り合い馬車に乗っている客たちが、一斉に私の方を見る。向かいに座っていた、人の良さそうな年かさの女性が首を傾げた。
「あんた、たった一人で、今から首都に行くのかい?」
「はい。その……王城で働いている家族がいて、心配で」
嘘である。しかし、「王国の方から、元婚約者の様子を見るために国境を越えてやって来ました」と堂々と言うほうが問題だろう。
「そうかい……まあ、表向きは平穏だけれど、何が起こるか分からないからねえ。なるべく、王城には近付かない方がいいと思うけど」
女性がそう言い終えたとき、俄かに、馬車の進む方向からわっと歓声が上がった。
「新帝即位! 新帝即位! 王城に王旗が挙がったぞ」
「第五王子が新帝に即位される」
「良かった! 新帝万歳」
(……流れが早いな)
これが、歴史が変わる瞬間という奴なのだろうか。最近得た、帝国についての情報を頭の中でおさらいしながら、私は妙に現実感なく考えていた。
(第五王子は……もう、とうに王子という感じじゃない年齢で、五十代だったはず)
穏健派で、神殿が担ぎ上げるのにはちょうどいい人材だったのだろう。周りの人たちの反応も、熱狂的な支持者が喜んでいるというより、「これで平穏に、物事が収まりますように」という願望が込められている、気がする。
それにしても。
(……サフィード様、仕事が早い)
根拠はないけれど、何となく、そう思った。
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