最後の十分

つらつらつらら

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1・日日草

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 高校生になって一週間が経ったころ、銀杏ぎんなんは教室の掲示板に貼られたクラブ活動の勧誘チラシを眺めながら、さてどうしたものかと考えていた。
 時間はたっぷりある。得意な絵でも描いて技を磨きたいなと思ってはいるのだが……。

 天文部や写真部などちらちらよそ見をした末に、銀杏は美術部のチラシに視線を戻した。決意がかたまり部室の場所を確認しているとき、ポンと後ろからブレザーの肩を叩かれた。

「や。クラブ探してるの?」

 ふわふわの明るい髪を揺らして、クラスメイトの少年が笑いかけた。銀杏はまだ生徒たちの顔と名前を覚えきれていなかったが、彼の名前だけはすでに記憶に定着している。日日草にちにちそう。隣の席に座っている、最初の友達だ。
 銀杏は暗緑色の髪を指でいじりながら、ちょっと照れくさそうに返事をした。

「うん。俺は美術部に入ろうかなと思ってる。日日草は?」
「へへ、実は僕もう美術部の部員なんだよ。よかったら放課後見学に来る?」
「いいの!?」

 銀杏は偶然の巡り合わせについ目をきらきらさせてしまった。ふだんは物静かな性格のため、突然の感情のたかぶりをうまくコントロールできなかった。
 銀杏とほぼ同じ背丈の日日草はからからと笑って承諾した。

「銀杏って面白い奴だね」

 素直に人を褒める日日草は好感度が高い。銀杏は絵描き仲間ができてうれしくなった。

「俺、空を描くのが好きなんだ。夕焼けとか、夏の入道雲とかさ」
「いいね。僕は花と人を組み合わせるのが好きだよ。銀杏は人物画はやるの?」
「得意ってわけじゃないけど、まあ、そこそこ」
「うちの部員は人物画のプロばっかりだぜ」
「え、俺も練習した方がいいのかな……」

 銀杏が不安そうな顔を見せたので、日日草はぽんぽんと銀杏の肩を叩いてやった。

「はは、大丈夫だよ。無理強いはしないさ。うちのクラブって、どっちかというといつの間にか人物画大好きになっちゃった人たちの集まりだから。たぶん、君も好きになると思うよ」
「へえ??? そんな魅力的なんだ?」

 詳しいことを明かさない日日草に首をかしげながらも、銀杏は残り少ない昼休みを友達とのおしゃべりについやした。


 学園は男子校である。銀杏が志望した理由は単純で、家に近いから。女の子とおつきあいする夢を見たこともあったけれど、朝は一分でも遅く目覚めたいという欲望に負けてしまった。
 日日草は寮生活をしている。家族と距離を置きたいのだとか。なにやら訳ありのようなので、銀杏は深く追求しないでおいた。

「銀杏、君の得意な魔法は?」

 クラブ棟に入り、長い廊下を歩いていく。美術部の部室があるのは三階だ。日日草は軽やかな声で隣の友達にたずねた。移動教室も間違えず目的地にたどり着くし、彼は新しい学園生活に慣れるのがずいぶん早い。

 たずねられた銀杏は自分の魔法の素質について、上手く説明することができなかった。

「俺の魔法は、なんて言ったらいいかわからないんだ。光を生み出して、暗闇のダンジョンを探検するとか実用的なこともできないし……」
「属性はわかるのかい?」
「……うーん、闇の気配を察知するのは得意な方だけど。夏は蚊が飛んでくるとすぐにわかるよ」
「それ絶対貴重な能力だぜ。なるほどね。時間はあるんだし、大人になっていくにつれてだんだん自分のことが理解できるようになると思うよ」
「……日日草って、ほんとに俺と同い年?」
「あはは。ああ、それね、」

 銀杏がしょんぼりしながら隣を歩く日日草を見ると、彼は涼しい顔でこう答えたのだ。

「僕ね、留年してるの」
「ぇ、……ええ~~っ」

 驚いて立ち止まった銀杏は友達をまじまじと見つめた。教師は何も言わなかったし、クラスメイトも知っている人はいないようだった。
 日日草の澄んだ琥珀色の瞳は、窓から差し込む陽の光を受けて金色に揺らいで見えた。

「成績が、よくなかったの?」
「まあね。実はわざとなんだけど」
「わざと……? 勇気あるね」

 なんで、どうして、という好奇心で質問攻めにしたいところをなんとかやりこめて、銀杏は結局口をつぐむしかなかった。日日草はちょっと肩をすくめてみせただけで、再び歩き出す。
 銀杏が友達の後ろを追いかけたところで、近くの部室のドアが開いた。

「あれっ、日日草じゃないか!」
「よお。こんちは」

 日日草はひらひらと手を振りながら止まることなく歩いていく。声をかけてきた生徒の横をゆっくり通りすぎていった。銀杏がぺこりとお辞儀をしながら後に続いた。
 去年は日日草と同学年だったらしいその先輩は、二人の背中を見送りながら軽くため息をついた。日日草と立ち話ができないとわかると反対方向へ歩き出していく。

「おーい、日日草、新しい媚薬の実験に付き合ってくれよぉ。誰もオッケーしてくれないんだよ~~!」
「また今度ねー」
「お前の今度はいつだーっ。日日草のえっっろ~~い身体見たら部員も喜ぶだろう??」
「あれは効きすぎなんだよ」

 日日草の最後の言葉は小さく吐息と一緒につぶやかれた。銀杏の耳にも届かない。

 二年生の先輩が廊下の角を曲がって姿を消したところで、銀杏はおずおずと口を開いた。

「日日草、媚薬って?」
「うん。あいつは色々とヤバい薬を作るクラブに入ってるんだよ」
「ヤバい薬……、違法のものも作ってるの?」
「はは、高校生の手の届く範囲で作れるものだけだよ。見た目は健全なクラブなんだけどね。植物の成長を三倍速くうながす肥料の研究とかさ。あいつは特殊なんだ。あやしい本と試験管が恋人なんだぜ」
「へえー……」

 銀杏は上の空で相づちを打った。三階までの階段を上がりながら、さっきの先輩が言っていた「媚薬」「日日草のえろい身体」「部員が喜ぶ」について、脳みそが勝手に一生懸命フル回転していたのだ。

 もしかして、彼が今から紹介しようとしているクラブとは、そういう刺激の強い絵を描く場所なのではないか……? 部員は人物画が好きになるというし。銀杏はあらがえない興味をそそられて鼓動が速くなるのを感じていた。




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