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 朝、ユーリは自ら馬を操り馬車で寮まで迎えに来てくれた。

「え、荷物ってそれだけ?」

 御者席から軽やかに降りたユーリは、私の荷物を見て目を丸くする。

「引っ越しじゃないんだから、最低限のもので十分よ」
「そうかもしれないけど、それにしてもコンパクトだなあ」

 ユーリはそう言いながら私の手から荷物を受け取ると、馬車に積み込んだ。

「私服とか、ドレスは?」
「え、ドレス必要なことある?」
「あるかもしれないじゃん! だってデートとかするでしょ」
「デート」
「わあ、そこまで何も期待されてないのもなんかショックだな」

 大げさにガッカリと肩を落とすユーリにくすくすと笑っていると、彼は私の手を取り馬車へと乗せてくれた。

「それじゃあ、デートの計画を立てようか」
「そ、そんな暇ないわよ」
「あるよ。だってこれから一緒に暮らすんだから、時間はいくらでも作れるはずだよ」
(言い方! 本当に交際してるみたいじゃない!)

 ユーリ曰く、いつどこで人に見られているかわからないから、しっかりカップルになろう、と言うのだけれど。

(振り回されてる気がする……)

 馬車の入口から私を見上げ笑顔を見せたユーリは、私の手を持ち上げ、指先にちゅっと口付けを落とした。

「誰にも割り込まれないように、見せつけてやらないとね」
(昨日ので十分では!?)

 うん、やっぱり振り回されていると思う。

 *

(なんだか、今までで一番注目を浴びている気がするわ……)

 事務棟を歩いていると感じる、視線、視線、視線。
 面白がるようなものから睨みつけてくるものまで、これまで感じたことのない、人々から向けられる好奇の目。
 確かに考えてみたら、別れ話をして注目を浴びた日から数日も経たないうちに、今度は騎士団で一番の人気と言っていいユーリと(形だけの)交際しているのだから、相当、私に対する心証は悪いと思う。

(すぐに乗り換えたって言われてるのかしらね)

 セシルが何と言いふらしたかは知らないけれど、そこからさらに噂が膨らんでいる可能性は大いにある。

(ユーリは数日で消えるなんて言っていたけれど)

 本当にそれで済むのか、そしてその数日が辛いのだと、慣れている彼には分からないのかもしれない。

「すいません!」

 周りを見ないよう廊下の端を歩いていると、大きな声が響いた。
 その声が誰に向けられているのか気になり、ちらりと視線を上げると、私の前に見慣れない隊服の足元が見えた。顔を上げるとその人物は私を見て立っている。

(え、私?)
「は、い?」
「その、先日は大変申し訳なかった……!」
「え?」

 先日?
 目の前の騎士をじっと見る。この隊服は東の砦のものだ。
 あれ? 最近東の砦の隊服を見た……

「あ」

 蘇るあの夜の出来事。
 思い出しかけ、無理やり記憶を違う方へ持っていった。ぎゅうっと眉間に力が入ったのは仕方ない。
 そんな私を見て、彼は顔を青くしてガバッと頭を下げた。

「本当に! 大変不快な思いをさせてしまった!」
「あの、大丈夫ですから!」
(やめて、また目立ってる!)

 通り過ぎる人が何事かと振り返り、私を見てヒソヒソと話している。
 ああもう、本当にいい加減にして欲しい……!

「お願いですから頭を上げてください! こちらこそ言い過ぎてしまった自覚はありますので」

 だからもういいでしょう、と暗に伝えてその場を立ち去ろうとすると、騎士はガバッと身体を起こし目の前に立ち塞がった。既視感……!

「どうか俺にお詫びをさせてほしい」
「お、おわび?」
(もう十分です!)

 気がつくと、周囲にはなんとなく人が集まってきている。背中を嫌な汗が流れた。
 私はお昼に行きたいだけなんです!

「あの私これで……」
「待ってくれ!」
(だからやめて、立ち塞がれると思い出しちゃうから!)

 あの夜、真っ白な顔から真っ青な顔になっていた目の前の騎士は、今日は顔を真っ赤にしてぎゅうっと眉間にしわを寄せた。

(なに、吐くの!?)

 思わず手にしていたバッグを胸の前に抱き、一歩下がる。

「お、俺と食事でも……っ」
「だーめ」
「!?」

 突然グイッと背後に引っぱられた。背中に感じる硬い筋肉、抱き締めるように回された腕。すぐ耳元にある唇が、ちゅ、と音を立ててこめかみに口付けをした。周囲から起こる口笛やからかうような声。

「俺の彼女、口説かないで」
「ユーリ!」

 目の前の騎士が目を丸くした。

(うわうわうわ!)

 ユーリの腕が後ろから私をがっしりと抱き締めている。
 いったい何の見世物なの、気が遠くなりそうよ……!

「ユーリ今、彼女って……」
「そう。お付き合いしてるんだ。ね、アリサ」
「~~っ!」

 ブンブンと頷くと、目の前の騎士は眉を下げがっくりと項垂れた。

「王都の美人はみんなお前のものなのか……?」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでくれないかな。俺はアリサが一番大切なんだから」
「本気か?」
「そうだよ。だって俺たち婚約するし」
「えっ!?」
(えっ!?)

 面白がって私たちを見ていた人たちからもどよめきが起こる。
 だめ、もう何も言うまい。
 思わずぐっと目を瞑る。

「はっ!? 婚約ってお前……」
「俺たち、今日から一緒に暮らすんだ。だからだめ」
「いや、お前と付き合っている女性だとわかっていたら誘ったりなんかしない……」

 はあ、と騎士はため息をつくと、きまりが悪そうに頬をポリポリとかいた。

「とにかく、あの夜は申し訳なかった」
「飲み過ぎには気をつけてね、リバー
「リバーだ! アダム・リバーズ!」
「あはは!」

 ユーリは声を上げて笑うと、抱きしめていた腕の力をふっと緩めた。身体を硬くしていた私は、思わずホッと力を抜く。

「それにしても、アリサはモテすぎなんだよね」
(それあなたが言います?)

 ザック以外の男性に言い寄られたことなんてないし、目の前の騎士は私が怒鳴りつけた相手で、嘔吐した人だ。申し訳ないけど名前もあまり覚えていない。
 ただ印象が強いだけで、モテているとは違う気がする。
 すいっとユーリの手が私の顔の前に添えられた。

(わ、大きな手)

 掌には剣ダコがある。けれど長くてきれいな指。
 その手はそのまま私の頬に添えられ、顔をユーリの方へ向けられる。
 青い瞳と至近距離で目が合った。
 ふわりと触れる甘い唇。
 優しく私の下唇を食み、ちゅっと音を立てて離れた。

「……?」
(え?)
「アリサは俺のだから、みんな、手を出さないでね」

 顔を離したユーリは満面の笑みで、周囲にいた人々へそう宣言した。

(は、はああ!?)

 周囲から上がる、悲鳴や口笛、面白がるような笑い声。背後からまたぎゅっと抱きしめられた私は、熱くなった顔を手にしていたバッグで思わず隠した。

 *

「……何考えてるの……」

 食堂に行くと言うユーリの腕を引っ張って、あの中庭へ来た。ベンチに腰掛けると疲労から身体が重い。

「宣言したから、もう大丈夫だよ」
「あんなことまでする必要あった!?」
「効果てきめん」
「~~っ」

 ニコニコと笑顔で私のバッグからお弁当を取り出したユーリは、はい、と包みを手渡してきた。言葉がない私は、大人しくそれを受け取る。

「あ、初めてだった?」
「何が?」
「ここ」

 ユーリの長い人差し指がふにっと唇に触れる。
 先程の口付けが蘇り、一気に顔が熱くなった。

「わあ、真っ赤だよ」

 その手をパシッと叩き落とすと、ユーリは「いてっ」と笑いながら手を擦った。
 
「違います! 人前であんなことしたのが初めてなの!」
「なんだ、初めてじゃないのか」

 それは残念、とユーリは包みを開けてサンドイッチに齧り付いた。

「……ただでさえ目立っているのにこんなの、もうどうしたらいいの?」
「大丈夫だって、来週にはもうみんな飽きてるから」
「到底そうは思えないのわ……」
「悲観的だなぁ。いいじゃないか、目的は形だけの交際で周囲を遠ざける、だったんだから」

 もぐもぐと食べながら、ユーリは私の顔を覗き込んだ。じろりとその顔を睨むと、ふはっとまた笑う。

「婚約するなんて適当なこと言って、いざ私たちがこの関係を解消したら、また注目を浴びるだけよ」
「浴びないよ」

 ユーリはあっという間にサンドイッチを平らげると、ペロリと親指を舐め、また一つ包みを取り出した。

「大丈夫。ね」
(何を根拠にその自信は生まれるの?)

 そんなふうにいい笑顔をされると何も言えない私は、諦めて手に持つ包みを開いた。今日はノラが、ローストビーフのサンドイッチを用意してくれた。彩りのきれいなそれを見て、お腹がぐぅっと鳴る。

(もう、何もかも今さらね……)
 
 私はすっかり、ユーリに絆されているのだと思う。
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