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穏やかな日々

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 雲ひとつない抜けるような青空。
 王都は朝からソワソワと落ち着かない様子を見せていた。
 でもそれは王都ではなく、私の心が落ち着かないだけなのかもしれない。


 今日はライナルトの即位式。
 私は初めて公に、ライナルトの婚約者として姿を披露することになっている。そしてそのまま結婚式を執り行うのだ。とんでもない強行突破だと思う。
 朝から始まったとんでもなく長い支度を終え、やっと一息つきながらぼんやりと青い空を見上げた。
 なんだか少し動くたびに自分からいい香りがする。

「やっぱり一緒は無理があるんじゃ……」
「まだそんなこと言ってるのかい」
「ルシル様!」

 いつもよりも格式の高い法衣を身にまとい、神々しさすら振りまいて、ルシル様がやって来た。いつもは適当に纏めている銀色の髪を綺麗に巻いている。

「おー、これは美しいな、クロエ!」
「ルシル様もとても素敵です」
「何言ってる、いつものことだろう!」

 ズカズカと応接ソファまでやって来ると、ドスンと腰を下ろす。その顔は、お菓子を待つ子供のようだ。

「お茶でも飲みますか?」
「当然だ。ほら、マリエル! お茶の淹れ方を見て学ぶといい!」

 ルシル様は後ろに控える聖女に声を掛けた。名前を呼ばれたマリエルは、何が面白くないのかうっすらと眉間に皺をよせ目を細めた。少し痩せただろうか。無理もないけれど、神殿に残ることを選んだ彼女も色々考えているのかもしれない。

「どうして私が?」
「マリエルの淹れたお茶は不味いんだよ」
「だったらご自分で淹れたらいいでしょう⁉︎」
「嫌だよ面倒くさい」

 マリエルは顎を上げ、私を一瞥するとそっぽを向いた。それでも、立ち上がりワゴンの前に移動した私を目で追っている。なんだかんだ、結局この子は真面目で素直なのだと思う。なんとなく可笑しく思いながら、繊細な作りの茶器で香りのいい茶葉をポットに入れる。

「マリエルも随分見違えたのね。見た目はすっかり聖女だわ」
「失礼ね、私ははじめから聖女よ!」
「聖女に性格は関係ないんだよねえ」

 あはは、とルシル様が声を上げて笑うのを睨むマリエルは相変わらず居丈高だが、何かが吹っ切れたのだろう、以前とは顔つきが違うように見える。
 ルシル様の前にカップを置くと、嬉しそうに目を細め香りを深く吸い込んだ。「ああ、これだ」と小さな声で呟き、ゆっくりとカップを傾けるルシル様を、マリエルはじっと見詰めていた。

「落ち込んでるのかと思ったけれど、案外平気そうね」
「ふん、あなたもたいがい失礼なのよ」
「あら、お前って言わなくなっただけ進歩したわね」
「そ、そんなこと王妃になる人に言わないわ!」
「分かっているのなら、もう少し弁えなさい」
「何よ、途端に王妃面するの⁉︎」
「年上としての苦言よ。やっぱり少しは落ち込んだ方がいいわね」
「誰が落ち込むもんですか!」
「ルシル様、マリエルに誰が指導してるんです?」
「ん~、誰だっけなあ」

 ルシル様はもぐもぐと出された茶菓子を頬張りながら、目の前の皿にまた手を伸ばした。控えている侍女たちはおかしそうにクスクスと笑っている。そうよね、稀代の聖女と呼ばれる人がこんなに大食いだったら笑うしかないわよね。

「ちょっと君たち、何勝手にクロエの部屋に来ているんだ」

 そこへ、開け放たれた扉から呆れた声が降って来た。途端にマリエルが背筋を伸ばし深々と頭を下げる。

「ライナルト殿下にご挨拶申し上げます」
「やあ殿下」

 ルシル様はソファに座ったまま片手を鷹揚に上げた。

「ルシル殿、控室にお茶も茶菓子も用意したはずですが」
「クロエの淹れたお茶を飲みに来たんだよ。これからはそう簡単に飲めそうもないからな」
 
 ライナルトは呆れた顔をすると、すっとマリエルに視線を移した。マリエルは頭を下げたままだ。

「マリエル嬢……いや、マリエル殿。顔を上げて」
「恐れ入ります」

 視線を落としたまま、マリエルは姿勢を正した。

「昨今の貴女の祈りは目を瞠るものがあると報告を受けている。よく尽くしてくれていることに感謝申し上げる」
「も、勿体ないお言葉です」
「伯爵家のことは貴女に責はない。お母上も今は南の修道院で穏やかに暮らしていると言う。折を見て会いに行くといい」
「あ、ありがとうございます……」

 マリエルは声を震わせ、また腰を折った。ルシル様はそんな姿に目を細めると、さて、と立ち上がった。

「即位式前に邪魔したね。クロエのお茶を飲んでわたしの魔力も絶好調だし、稀代の聖女による最大の祝福をご覧いれようじゃないか! さあ、いくよマリエル!」

 ルシル様は両手を高く伸ばし伸びをすると、茶菓子を鷲掴みにして袂に突っ込んでバダバタと出て行く。流石にマリエルがそんなルシル様に声を上げながら後を追った。

「騒がしいわね」

 そんな二人の後姿を眺め、クスクスと笑っているといつの間にか侍女たちが静かに部屋を退室し、扉が閉められる。

「クロエ」

 二人きりになった部屋で、ライナルトがそっと私の腰に両腕を回した。急に恥ずかしくなり顔が熱い。誤魔化すように顔を背けた。
 
 ライナルトとこうして二人で会うのは久しぶりだ。王都へ戻ってすぐ、ライナルトは烈火の如く怒る宰相や側近たちに連れられ、忙しい日々を送っていた。私はと言えば、そのまま王城に留まり、即位式や結婚式の準備に明け暮れライナルトとほとんど会うことが出来なかったのだ。

「どうしてこっちを見てくれないんだ。こうして会うのは久しぶりなのに」
「だ、だって」
「恥ずかしい?」

 そう言うと、ライナルトは顔を背ける私のこめかみにちゅっと口付けを落とす。

「綺麗だよ、クロエ。……俺が一番に見たかったのに」
「ふふ、ルシル様はああいう人だから」
「まあね。それに、クロエのことを心から心配している人の一人だ」
「他にもいるかしら」
「君の素敵なご家族も心配してる。式が終わったら会えるよう部屋を用意しているから」
「本当に⁉︎ ありがとう、ライ!」

 思わずライナルトの胸に抱き着くと、大きな掌が私の頬を捉え上向かせた。視線を上げると、美しい湖のような瞳が真っすぐ私を見つめ、柔らかく細められた。いつも私を見つめ、見守ってくれた美しい瞳。

「今日も綺麗な瞳だわ」
「それは君だよ」

 ライナルトはくしゃりと破顔すると、ちゅっと額に口付けを落とす。

「早く夜にならないかな」
「な、何言ってるの」
「ずっと我慢してる。さっさと式典を終わらせて二人で過ごしたい」
「式典は大事な行事でしょう? 国民も皆待ちに待っているのだから手を抜いていられないわ」
「分かってる、分かってるよ。まったく、君は真面目だなあ」

 ライナルトは声を上げて笑うと、私をぎゅっと抱き締めた。

「ねえクロエ、口付けしてもいいかな」
「お、お化粧が落ちちゃうから駄目」
「また侍女にしてもらえばいいよ」
「殿下、クロエ様、お時間です」

 ノックの音が響き、扉の向こうから声がかけられた。ライナルトはがっくりと肩を落とし私の肩に額を載せる。

「今行くわ!」

 クスクス笑いながら返事をすると、ライナルトがぶつぶつ文句を言いながら顔を上げた。

「今夜、分かってるだろうね」
「な、何を⁉︎」
「思い返すとなんて言うか、いつも慌ただしかったからさ。こう、じっくり時間をかけて君の反応を……もが」
「や、やめてちょうだい! 何おかしなこと言ってるの!」

 ライナルトの口を慌てて両手で塞ぐ。扉の向こうに侍女や侍従がいるのに、何を恥ずかしいことを言ってるのかしら!
 ライナルトは身体を揺らして笑うと、ちゅっと掌に口付けをした。口を塞ぐ手を取り、今度は柔らかく唇に口付けを落とす。ちゅっと音を立てて離れたライナルトの唇に、ほんのりバラ色が移る。
 それを指でそっと拭うと、ライナルトは嬉しそうに微笑んだ。
 
「さあ行こうか、我が生涯の伴侶よ」
「ええ」


 神殿の鐘の音が遠くで鳴り響く。
 差し出された腕に手を載せて、私は希望に満ちた日々に一歩、足を踏み出した。


 * * *


 知略に長けた王として国民から絶大な人気を誇った若く美しき王は、周辺国との和平を整え、僅か十年の在位を持って後継である従兄弟へ王位を譲渡すると、愛する妻と共に東にある妻の子爵領で、のびやかで穏やかな余生を過ごした。

 その二人の元に天使が訪れたのは、王位譲渡から二年が過ぎた頃だった。
 


-------------------------------

これにて本編完結です。
お読みいただき、ありがとうございました!
二人のすれ違いや中々進まない関係にヤキモキしつつお付き合いいただき、感謝しかありません。
いつも本当にありがとうございます。
読んでくださる皆様がいて、最後まで楽しんで書くことができました。

本編は完結しましたが、次話からは式典後の二人の様子を番外編でお届けします。引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです!
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