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魔法のドレス
しおりを挟む「まあ、なんて素敵なんでしょう!」
それからしばらくして、マダムオリビアのお店からドレスが届いた。もちろん二着。
マダムオリビアの化粧箱を見て色めき立った侍女たちが早速ドレスをトルソーに着せて、頬を赤らめ口々に素敵だと褒めてくれた。もちろん私もとっても素敵なドレスで嬉しい。
あの日試着したサンドピンクのドレスにはスカートの裾に細かなビーズが縫い付けられている。上衣の部分には僅かしかないビーズが、スカートの裾へ向けてその密度を増していく。それは、舞い落ちる星屑が裾の部分に降り積もるようにグラデーションを描いていて、とてもロマンチックで美しい。
大胆に開いていた背中はルーカス様の強い意向でチュールで覆われたけれど、それでもアンダードレスは腰まで開いている。やっぱりコルセットは着けられないわ。
「こちらのドレスはフラヴァリ卿のお色で素敵ですわね」
もうひとつのドレスは対照的なデザインのもの。
黒いアンダードレスはこちらもチューブトップの形だけれど、その上に着る濃紺のレースのドレスは首から手首まで全て覆っていて、でもピッタリとしたその形は私の体のラインがはっきりと分かるもの。腰のラインまではっきりと分かる。これはこれで恥ずかしい気がするわ……。
「お嬢様、当日はどちらをお召しになりますか?」
どっち。
あの日、ルーカス様はサンドピンクのドレスを自分がエスコートする時に来て欲しいと言っていた。だから着るのならばルーカス様の色、濃紺のドレスなのだけれど。
でも、エスコートされないのにルーカス様の色を纏うのはどうなのかしら。だって、全身ルーカス様のお色なのに、これを着た私を見てあのご令嬢はなんて思うかしら? あの方もルーカス様の色を纏っていたら、私、とてもお邪魔じゃないかしら。
――それに。
あの日以降、私たちの会話はこれまでと何も変わらなかった。
相変わらず口数が少ないルーカス様に、なんて話を切り出していいのか分からないまま時間だけが過ぎていくお茶の時間。
私のことを可愛いって言ってくれて嬉しかったことも伝えられないまま、ご令嬢のことも、何も聞けないまま。
(どうしてあの時ははっきりと言えたのかしら)
ドレスを試着して、初めてルーカス様と至近距離で目が合って、初めて沢山お話するルーカス様を見た。はっきりと思った事が口から出たし、ルーカス様もちゃんと言葉にしてくれた。あの時と何が違うのかしら。
「ドレス……」
そう、違うのはドレス。マダムオリビアのドレスを着てから、ルーカス様の様子が違った。私もこのドレスを着て、ルーカス様にお話が出来た。
「これにするわ」
「こちらのサンドピンクのドレスですね。承知しました。それではこれに合う靴やアクセサリーを……」
いそいそと侍女たちが衣裳部屋のクローゼットからあれこれと取り出し当日身に着けるものを選び始める。
そう、やっぱりルーカス様の色を纏う訳にはいかないわ。ご一緒するご令嬢にあらぬ誤解を招いてはいけないし(私は婚約者だけれど)、何より二人の女性が同じような色を纏っていてはルーカス様の評判が悪くなるかもしれない。
ここはやっぱり、ルーカス様と距離を置いたドレスにしよう。
それに私は、ノア様のために頑張らなければいけないから!
*
「やあダフネ! とてもきれいだね!」
「ありがとうノア様!」
舞踏会当日、ノア様はわざわざ馬車で屋敷まで迎えに来てくれた。ノア様のお屋敷で催されるのだから入口で待ち合わせをしようと思ったのに「なんだか落ち着かないから」と来てくれた。きっと、恋しい方のことを考えてしまって落ち着かないのだと思う。
「ノア様もとても素敵です」
「ありがとう、ちょっと頑張りすぎたかな……」
「今日の主役です!」
「それは僕の台詞だよ、ダフネ。君の事を見たらルーカスがなんて言うかなあ。僕、後で殴られたりなんかしないかな」
「どうして殴られるんです?」
ノア様は私の顔を驚いたように見て「ルーカスも大変だね」と苦笑した。
「そのドレスはルーカスが用意してくれたの?」
「あ、はい。一緒にお店に行って……」
「へえ! そうか、それは楽しかっただろう。でもいいの? そんな素敵なドレスを僕とのエスコートで着てしまって」
『……そのドレスは、俺がエスコートする時に着て欲しい』
あの時のルーカス様の言葉が蘇る。
ふるふると小さく頭を振って思考を切り替える。
「いいんです。今日は私、当て馬になるって決めてるんです! ノア様の想い人の誤解が解けるよう、私、しっかり努めますね!」
「あ、あてうま? 待ってどういうこと? ダフネ、何考えてるの?」
「心配しないでください!」
「心配しかないんだけど?」
侯爵家の立派な馬車に揺られて、私たちは舞踏会が開催されるお屋敷へ向かった。
*
「わあ、なんて素敵なの!」
侯爵家に到着して通されたそこは、広い庭からホールへと続く開放的な会場だった。
大きなホールから鳴り響く楽団の音楽は庭にいてもよく聞こえ、庭に誂えられたダンスホールで踊る人たちがいた。
「ダンスホールは室内にもあるけど、せっかくいい天気だしね、参加者も多いから外でも開放的に楽しめるようにしたんだ。ダフネ、こっちも見るかい?」
ノア様にエスコートされながら、庭から室内へと移動する。
もうすでに多くの出席者があちこちで談笑し、握手を交わしている姿がある。
「ノア様、もうその方はいらしているのですか?」
「三日前に王都に到着してホテルに滞在していると聞いたよ。ここには多分もう来て――」
ふっと不自然にノア様が言葉を切った。組んでいる腕から緊張が伝わってくる。
ノア様の視線の先をそっと窺うと、離れた場所で握手を交わし挨拶をしている一団がいた。その中には今回の主催者、ランブルック侯爵様、ノア様のお父様の姿もある。
そしてその方と話しているのは、この辺りでは珍しい銀色の長く美しい髪の人物。
「――あの方ね」
美しい髪をキラキラと反射させたその人は、切れ長な瞳をすっと細めランブルック卿や他の人々と挨拶を交わしていた。
「ノア様」
何も言わず動かないノア様の腕をグイっと引っ張ってみる。はっと我に返ったノア様が、こほんとひとつ咳払いをした。
「ご挨拶に行かないほうが不自然では?」
「う、うん、そうだね」
ノア様はランブルック侯爵家の次期当主なのだ。来客に挨拶をしないのは不自然でしかない。足が重くなった様子のノア様をぐいぐいと引っ張るように促して、私たちはその一団に近付いた。
真っ先に私たちに気が付いたのは、ランブルック侯爵様だった。
「これはこれは、ボアネル嬢ではないかな?」
「ランブルック侯爵閣下にご挨拶申し上げます。ダフネ・ボアネルです」
膝を曲げ挨拶をすると、ランブルック侯爵は柔和な笑顔で私を迎えてくれた。お顔は似ていないけれど、ノア様の物腰の柔らかさや立ち居振る舞いはお父上に似ているのね。
「ボアネル嬢、ご両親は息災かな」
「はい、お陰様でのんびりと過ごしております」
「なるほど、あなたはお母上にそっくりなのだな。まるで女神が舞い降りたかのようだ」
「まあ、ありがとうございます」
なんだかそんな事を言われては照れてしまう。この親子って似ているのね……。恥ずかしくてそっと視線を外すと、細められた薄紫の瞳と目が合った。
「久しぶりだね、エイヴェリー」
ノア様が私の横でニコリと笑顔で片手を差し出した。エイヴェリーと呼ばれたその人物は、口端を少しだけ上げてノア様の手を取った。
「久しぶりだね、ノア。元気そうだ」
「ああ、お陰様で。君は、今日もとても素敵な装いだね」
「ありがとう。君も素敵だよ」
横で聞いていてなんだかハラハラしてしまう。挨拶をしているだけなのに、妙な緊張感が漂っているのは何故かしら。ランブルック侯爵は何となく口元を手で隠し視線を外した。
あ、なんだか色々分かっているご様子だわ。
「こちらのお嬢さんもとても美しいね。ドレスもとても斬新で美しい」
エイヴェリー様がふっと視線を私に戻し、瞳を細めた。なんだか蛇に睨まれた蛙の気持ちだわ。
でもそう、私は今日、当て馬の役目を果たさなければいけないのよ!
「ありがとうございます。これはマダムオリビアで仕立てて頂いたんです」
「マダムオリビア。その名は私の国でも聞いたことがあるよ。素晴らしいデザインだね。……ノアが選んだものなのかな?」
ひやりと空気が冷えた気がした。むき出しになっている腕がなんだか寒い。
「あ、い……「そうです」ん?」
否定しようとしたノア様の言葉を遮った。ぎゅうっと組んでいる腕に力を入れると、ノア様はそのまま押し黙る。
そう、待ってノア様、今は黙っていて。だってほら私今、ものすごく立派に当て馬になれているから!
「……ダフネ?」
そこに突然、とてもとても低い声が私の名を呼んだ。
そう、今はちょっと聞きたくないその声。
そおっと振り返ると、あの夜見たご令嬢をエスコートしたまま固まるルーカス様が、少し離れた場所で私たちを凝視していた。
そう、とても怖い顔で。
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