上 下
7 / 18

魔法のドレス

しおりを挟む

「まあ、なんて素敵なんでしょう!」

 それからしばらくして、マダムオリビアのお店からドレスが届いた。もちろん二着。
 マダムオリビアの化粧箱を見て色めき立った侍女たちが早速ドレスをトルソーに着せて、頬を赤らめ口々に素敵だと褒めてくれた。もちろん私もとっても素敵なドレスで嬉しい。
 あの日試着したサンドピンクのドレスにはスカートの裾に細かなビーズが縫い付けられている。上衣の部分には僅かしかないビーズが、スカートの裾へ向けてその密度を増していく。それは、舞い落ちる星屑が裾の部分に降り積もるようにグラデーションを描いていて、とてもロマンチックで美しい。
 大胆に開いていた背中はルーカス様の強い意向でチュールで覆われたけれど、それでもアンダードレスは腰まで開いている。やっぱりコルセットは着けられないわ。

「こちらのドレスはフラヴァリ卿のお色で素敵ですわね」

 もうひとつのドレスは対照的なデザインのもの。
 黒いアンダードレスはこちらもチューブトップの形だけれど、その上に着る濃紺のレースのドレスは首から手首まで全て覆っていて、でもピッタリとしたその形は私の体のラインがはっきりと分かるもの。腰のラインまではっきりと分かる。これはこれで恥ずかしい気がするわ……。

「お嬢様、当日はどちらをお召しになりますか?」

 どっち。
 あの日、ルーカス様はサンドピンクのドレスを自分がエスコートする時に来て欲しいと言っていた。だから着るのならばルーカス様の色、濃紺のドレスなのだけれど。
 でも、エスコートされないのにルーカス様の色を纏うのはどうなのかしら。だって、全身ルーカス様のお色なのに、これを着た私を見てあのご令嬢はなんて思うかしら? あの方もルーカス様の色を纏っていたら、私、とてもお邪魔じゃないかしら。
 ――それに。

 あの日以降、私たちの会話はこれまでと何も変わらなかった。
 相変わらず口数が少ないルーカス様に、なんて話を切り出していいのか分からないまま時間だけが過ぎていくお茶の時間。
 私のことを可愛いって言ってくれて嬉しかったことも伝えられないまま、ご令嬢のことも、何も聞けないまま。

(どうしてあの時ははっきりと言えたのかしら)

 ドレスを試着して、初めてルーカス様と至近距離で目が合って、初めて沢山お話するルーカス様を見た。はっきりと思った事が口から出たし、ルーカス様もちゃんと言葉にしてくれた。あの時と何が違うのかしら。

「ドレス……」

 そう、違うのはドレス。マダムオリビアのドレスを着てから、ルーカス様の様子が違った。私もこのドレスを着て、ルーカス様にお話が出来た。

「これにするわ」
「こちらのサンドピンクのドレスですね。承知しました。それではこれに合う靴やアクセサリーを……」

 いそいそと侍女たちが衣裳部屋のクローゼットからあれこれと取り出し当日身に着けるものを選び始める。
 そう、やっぱりルーカス様の色を纏う訳にはいかないわ。ご一緒するご令嬢にあらぬ誤解を招いてはいけないし(私は婚約者だけれど)、何より二人の女性が同じような色を纏っていてはルーカス様の評判が悪くなるかもしれない。
 ここはやっぱり、ルーカス様と距離を置いたドレスにしよう。

 それに私は、ノア様のために頑張らなければいけないから!

 *

「やあダフネ! とてもきれいだね!」
「ありがとうノア様!」

 舞踏会当日、ノア様はわざわざ馬車で屋敷まで迎えに来てくれた。ノア様のお屋敷で催されるのだから入口で待ち合わせをしようと思ったのに「なんだか落ち着かないから」と来てくれた。きっと、恋しい方のことを考えてしまって落ち着かないのだと思う。

「ノア様もとても素敵です」
「ありがとう、ちょっと頑張りすぎたかな……」
「今日の主役です!」
「それは僕の台詞だよ、ダフネ。君の事を見たらルーカスがなんて言うかなあ。僕、後で殴られたりなんかしないかな」
「どうして殴られるんです?」
 
 ノア様は私の顔を驚いたように見て「ルーカスも大変だね」と苦笑した。

「そのドレスはルーカスが用意してくれたの?」
「あ、はい。一緒にお店に行って……」
「へえ! そうか、それは楽しかっただろう。でもいいの? そんな素敵なドレスを僕とのエスコートで着てしまって」

『……そのドレスは、俺がエスコートする時に着て欲しい』

 あの時のルーカス様の言葉が蘇る。
 ふるふると小さく頭を振って思考を切り替える。

「いいんです。今日は私、当て馬になるって決めてるんです! ノア様の想い人の誤解が解けるよう、私、しっかり努めますね!」
「あ、あてうま? 待ってどういうこと? ダフネ、何考えてるの?」
「心配しないでください!」
「心配しかないんだけど?」

 侯爵家の立派な馬車に揺られて、私たちは舞踏会が開催されるお屋敷へ向かった。

 *

「わあ、なんて素敵なの!」

 侯爵家に到着して通されたそこは、広い庭からホールへと続く開放的な会場だった。
 大きなホールから鳴り響く楽団の音楽は庭にいてもよく聞こえ、庭に誂えられたダンスホールで踊る人たちがいた。

「ダンスホールは室内にもあるけど、せっかくいい天気だしね、参加者も多いから外でも開放的に楽しめるようにしたんだ。ダフネ、こっちも見るかい?」

 ノア様にエスコートされながら、庭から室内へと移動する。
 もうすでに多くの出席者があちこちで談笑し、握手を交わしている姿がある。

「ノア様、もうその方はいらしているのですか?」
「三日前に王都に到着してホテルに滞在していると聞いたよ。ここには多分もう来て――」

 ふっと不自然にノア様が言葉を切った。組んでいる腕から緊張が伝わってくる。
 ノア様の視線の先をそっと窺うと、離れた場所で握手を交わし挨拶をしている一団がいた。その中には今回の主催者、ランブルック侯爵様、ノア様のお父様の姿もある。
 そしてその方と話しているのは、この辺りでは珍しい銀色の長く美しい髪の人物。

「――あの方ね」

 美しい髪をキラキラと反射させたその人は、切れ長な瞳をすっと細めランブルック卿や他の人々と挨拶を交わしていた。

「ノア様」

 何も言わず動かないノア様の腕をグイっと引っ張ってみる。はっと我に返ったノア様が、こほんとひとつ咳払いをした。

「ご挨拶に行かないほうが不自然では?」
「う、うん、そうだね」

 ノア様はランブルック侯爵家の次期当主なのだ。来客に挨拶をしないのは不自然でしかない。足が重くなった様子のノア様をぐいぐいと引っ張るように促して、私たちはその一団に近付いた。

 真っ先に私たちに気が付いたのは、ランブルック侯爵様だった。
 
「これはこれは、ボアネル嬢ではないかな?」
「ランブルック侯爵閣下にご挨拶申し上げます。ダフネ・ボアネルです」

 膝を曲げ挨拶をすると、ランブルック侯爵は柔和な笑顔で私を迎えてくれた。お顔は似ていないけれど、ノア様の物腰の柔らかさや立ち居振る舞いはお父上に似ているのね。
 
「ボアネル嬢、ご両親は息災かな」
「はい、お陰様でのんびりと過ごしております」
「なるほど、あなたはお母上にそっくりなのだな。まるで女神が舞い降りたかのようだ」
「まあ、ありがとうございます」

 なんだかそんな事を言われては照れてしまう。この親子って似ているのね……。恥ずかしくてそっと視線を外すと、細められた薄紫の瞳と目が合った。

「久しぶりだね、エイヴェリー」

 ノア様が私の横でニコリと笑顔で片手を差し出した。エイヴェリーと呼ばれたその人物は、口端を少しだけ上げてノア様の手を取った。

「久しぶりだね、ノア。元気そうだ」
「ああ、お陰様で。君は、今日もとても素敵な装いだね」
「ありがとう。君も素敵だよ」

 横で聞いていてなんだかハラハラしてしまう。挨拶をしているだけなのに、妙な緊張感が漂っているのは何故かしら。ランブルック侯爵は何となく口元を手で隠し視線を外した。
 あ、なんだか色々分かっているご様子だわ。
 
「こちらのお嬢さんもとても美しいね。ドレスもとても斬新で美しい」

 エイヴェリー様がふっと視線を私に戻し、瞳を細めた。なんだか蛇に睨まれた蛙の気持ちだわ。
 でもそう、私は今日、当て馬の役目を果たさなければいけないのよ!

「ありがとうございます。これはマダムオリビアで仕立てて頂いたんです」
「マダムオリビア。その名は私の国でも聞いたことがあるよ。素晴らしいデザインだね。……ノアが選んだものなのかな?」

 ひやりと空気が冷えた気がした。むき出しになっている腕がなんだか寒い。

「あ、い……「そうです」ん?」

 否定しようとしたノア様の言葉を遮った。ぎゅうっと組んでいる腕に力を入れると、ノア様はそのまま押し黙る。
 そう、待ってノア様、今は黙っていて。だってほら私今、ものすごく立派に当て馬になれているから!

「……ダフネ?」

 そこに突然、とてもとても低い声が私の名を呼んだ。
 そう、今はちょっと聞きたくないその声。
 そおっと振り返ると、あの夜見たご令嬢をエスコートしたまま固まるルーカス様が、少し離れた場所で私たちを凝視していた。
 そう、とても怖い顔で。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子殿下の子を授かりましたが隠していました

しゃーりん
恋愛
夫を亡くしたディアンヌは王太子殿下の閨指導係に選ばれ、関係を持った結果、妊娠した。 しかし、それを隠したまますぐに次の結婚をしたため、再婚夫の子供だと認識されていた。 それから10年、王太子殿下は隣国王女と結婚して娘が一人いた。 その王女殿下の8歳の誕生日パーティーで誰もが驚いた。 ディアンヌの息子が王太子殿下にそっくりだったから。 王女しかいない状況で見つかった王太子殿下の隠し子が後継者に望まれるというお話です。

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

不貞の末路《完結》

アーエル
恋愛
不思議です 公爵家で婚約者がいる男に侍る女たち 公爵家だったら不貞にならないとお思いですか?

【完結】婚約解消したら消されます。王家の秘密を知る王太子の婚約者は生き残る道を模索する

金峯蓮華
恋愛
 いっそ王太子妃が職業ならいいのに。 殿下は好きな人と結婚するとして、その相手が王太子妃としての仕事ができないのなら私が代わりにそれをする。  そうだなぁ、殿下の思い人は国母様とかって名前で呼ばれればいいんじゃないの。   閨事を頑張って子供を産む役目をすればいいんじゃないかしら?  王太子妃、王妃が仕事なら殿下と結婚しなくてもいいしね。  小さい頃から王太子の婚約者だったエルフリーデはある日、王太子のカールハインツから好きな人がいると打ち明けられる。殿下と結婚しないのは構わないが知りすぎた私は絶対消されちゃうわ。 さぁ、どうするエルフリーデ! 架空の異世界のとある国のお話です。 ファンタジーなので細かいことは気にせず、おおらかな気持ちでお読みいただけると嬉しいです。 ヒーローがなかなか登場しません。すみません。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

ご愛妾様は今日も無口。

ましろ
恋愛
「セレスティーヌ、お願いだ。一言でいい。私に声を聞かせてくれ」 今日もアロイス陛下が懇願している。 「……ご愛妾様、陛下がお呼びです」 「ご愛妾様?」 「……セレスティーヌ様」 名前で呼ぶとようやく俺の方を見た。 彼女が反応するのは俺だけ。陛下の護衛である俺だけなのだ。 軽く手で招かれ、耳元で囁かれる。 後ろからは陛下の殺気がだだ漏れしている。 死にたくないから止めてくれ! 「……セレスティーヌは何と?」 「あのですね、何の為に?と申されております。これ以上何を搾取するのですか、と」 ビキッ!と音がしそうなほど陛下の表情が引き攣った。 違うんだ。本当に彼女がそう言っているんです! 国王陛下と愛妾と、その二人に巻きこまれた護衛のお話。 設定緩めのご都合主義です。

好きな人に結婚を申し込まれて舞い上がっていたら、初夜に「君を愛することはない」と言われました。

長岡更紗
恋愛
「結婚してくれないか」 幼い頃から憧れていた騎士のオルターにそう言われたミレイは、「そんなに私のことが好きだったの?!」と有頂天だったが、なにか様子がおかしい? 実はオルターは悪夢のスキル持ち。 人に悪夢を見せないと、自分が悪夢を見てしまう体質だった! バクのスキルを持つミレイに、悪夢を食べてもらいたいだけ? 「君を愛することはない」 初夜に言われた決定的な言葉から、二人の白い結婚生活が始まってしまうのだった。 しかし、そう告げたオルターの真意は別にあって──?! 小説家になろう、他サイトでも公開中です。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...