上 下
14 / 40

アレク2

しおりを挟む

 騎士学園卒業を控え慌ただしい日々を過ごし、今この瞬間もユフィールが屋敷にいるというのに、会いに行けないジレンマ。
 それだけでも十分僕には大きな苦痛だというのに、初めてユフィールからなんの返信もないことに、情けないが不安でたまらなかった。
 会えない、顔を見ることができないというのは、不安な時には余計な憶測ばかりしてしまうものだ。それはこの七年間で学んだことだが、ではそんな時どうするのが正解なのか、それは未だにわからない。
 だが、ただ待つだけでは何もわからないまま。
 僕は報告を聞くために、ユフィールに付けている護衛騎士ハンスを寮に呼び寄せた。

「――倒れた?」

 そしてそこで初めてハンスから聞いた、彼女が気を失い倒れたという報告に、ぞわりと全身から血の気が引いた。
 そんな時にそばにいられなかった自分とこの状況に苛立ちを覚え、腰掛けていたソファの肘掛けをぎゅうっと握りしめる。革張りのソファが、ギシッと音を立てた。

「医師によると貧血とのことです」
「貧血……」

 彼女がこちらで安全に過ごせるよう、領地のご両親に許可を得て健康状態については確認している。
 特に気をつけることはないと主治医からの手紙ももらっていたが、遠方からの移動がやはり体に負担をかけたのかもしれない。良かれと思って街の案内をハンスに頼んだのだが、そう急ぐ必要はなかったと自分の不甲斐なさに申し訳ない気持ちになる。

「ご本人は少しお休みになり、すぐに回復されました。食事も美味しいと、しっかり召し上がっているそうです」
「――本は買えた?」
「お買い上げになる前に倒れてしまったので全てかわかりませんが、その時手にしていたものは侍女殿と一緒に確認し、購入して屋敷に届けています」
「そうか、よかった」

 彼女は昔から読書が好きだ。
 これまで度々、王都で流行っている本や彼女の好きそうな本を贈ってきた。そういう時は彼女からすぐ、まだ領地では手に入らない、ありがとう、嬉しいと喜びの手紙を貰った。そんな時の彼女の文字は嬉しさに溢れ、弾んでいる。僕はそんな手紙を受け取るのがとても嬉しかった。
 彼女はどんな宝石やドレスよりも、本や美しい万年筆、シンプルだが質のいい便箋などの文具を好んだ。一度、素晴らしいレース職人によるストールを贈ったら、とても喜んでくれた。今も気に入って使っていると手紙にも書かれ、そして今回も出かけるときに身に着けていたと聞き、頬が緩む。

「ところで」
「は」

 僕はソファに深く座り、立ったままのハンスを見上げる。白金色の髪の男は視線を直接合わせることなく、じっと次の言葉を待った。
 
「倒れた彼女を運んだのは誰かな」
「……」

 場がしん、と静まった。もとより、二人しかいないのだが。
 誰もいないラウンジに、ハンスのゴクリと息を呑む音が響く。
 
「……自分、です」
「ふうん?」
「じ、侍女殿についてもらい、馬車までお運びしました」
「屋敷についてからは」
「屋敷でも同じように……」
「へえ」
「……」
「……」

 ものすごく面白くないのだが、仕方ない。女性騎士を選抜できなかった僕の責任でもある。
 ハンスは愛妻家で娘思いだから心配はないが、それでも面白くない気持ちになるのは当然だろう。僕はまだ彼女に触れたことなど一度もないというのに、目の前のこの大きな男が触れたのかと思うと腹立たしい。
 その姿を想像しないように他のことに思考を巡らせる。ライアンのニヤついた顔が蘇り、また舌打ちをしそうになった。

「自分は、む、胸当てと篭手を装着しておりました……」
「……」

 まるで呻き声のようなハンスの言葉に僕はぐっと目を瞑った。きっとまた、ライアン曰く怖い顔をしていたのだろうか。眉間を指で揉むと、ものすごく力が入っている。
 大人げないのは十分にわかっている。別にハンスにやましい気持ちなどないことも、わかっている。
 僕はこほん、とひとつ咳払いをすると、これ以上このことについて続けないよう話を変えた。

「……それで、何か他に問題は?」
「離れた場所で警備についていた騎士が、三名ほど怪しい人物を捕えています。すぐに閣下へお知らせし、尋問は終了しました」
「やはり父上も警備をつけていたか」

 すでに捕らえたのなら黒幕が誰かわかっているのだろう。ハンスから他にも怪しい人物がいたとの報告を受け、さらに警備を強化すること、そしてそれらをユフィールに悟られないようにと念を押した。

(自分が警備対象になっていると知ったら、出かけるのを躊躇うだろう)

 ハンスを付けただけでも大袈裟だと笑っていたという彼女。彼女の立場を狙う貴族がいかに多いか、そんなことは彼女に知られたくないし、知る必要はないと思っている。
 今は、せっかく王都まで来てくれたのだ、少しでも楽しい思い出を作ってほしい。
 彼女がこれからも狙われる立場になるということは、もう少し後で話をしたい。心構えについては僕のいる時に、僕が少しづつ話したいと思っている。それまではどうかのびのびと過ごしてほしいのだ。
 ハンスにいくつかの確認事項と警備の追加、そして父への伝言を伝え、改めて彼女が到着してからの様子についてさらに報告を促した。
 そう、それは僕がずっと聞きたかったことだ。

「――はあ……」

 ハンスからその後の報告を聞き、僕は思わず頭を抱えた。
 サーシャがユフィールにいい感情を持っていないのはわかっていたが、そこまでとは。父がずいぶんと厳しく叱責してくれたようだが、本人が理解したかはわからない。
 そして恐らくそれらは、サーシャの幼さの罪であると同時に、ユフィールを蔑んだ令嬢たちにも責はある。

「ガゼボにいた令嬢たちの家名はわかる?」
「はい」

 確かに一度、あの令嬢と夜会でダンスは踊ったことはあるが、それだけだ。一体何を期待してユフィールを蔑むのか理解に苦しむ。ユフィールは侯爵夫人となる人だ。そのような態度でいてはいずれ後悔することになるだろう。
 そして、先に送っていた手紙もドレスも、本人の手元に届いていなかったと知り、ほっと胸を撫で下ろした。
 筆まめな彼女から何の返事もなく、やりすぎだったかと気を揉んでいたが、サーシャがユフィールに届かないよう隠していたという。

(困ったお姫様だ)

 僕とは年が離れた両親念願の女の子であるサーシャが甘やかされて育ったのは否めない。そしてそのせいか、年齢よりもどうしても思考が幼い。
 ご令嬢方のきらきらした世界に憧れ、自分も背伸びをしてその場にいたいのだろうが、そんな下世話な会話しかできないような令嬢方と自分の質を合わせる必要はない。だがここは、僕が口を出さず母に任せるべきだろう。女性の世界というものには、渡り歩くための術があるようだから。
 ――それよりも。
 
(彼女はドレスを、喜んでくれるだろうか)

 初めて婚約者にドレスと宝飾品を贈った。そして僕は卒業式で、子供ではなく一人の成人した男として彼女の前に立つ。
 僕の用意したドレスを身に纏った彼女の手を取り、初めてのダンスを踊る。もう二度と、彼女以外の令嬢と踊ることはない。
 今まで離れていた分を取り返す。そのためにはどんな手段でも使おうと決め、そのために七年もかけて準備してきたのだ。

(早く会いたい)

 ユフィール。早くあなたに会いたい。
 そしてあなたと、話がしたいんだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい

廻り
恋愛
 王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。  ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。 『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。  ならばと、シャルロットは別居を始める。 『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。  夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。  それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

処理中です...