1 / 40
ユフィール1
しおりを挟む――気がつくと、窓の外では雪が降りはじめていた。
『音なんてしないと思ってるだけで、この静けさが雪の降る音なんだよ』
そう話す横顔は、灰色の雲が落とす白い雪に照らされて濃い影をつくり、いつもの不思議な色をした瞳を長い睫毛が暗く翳らせていた。
……何かあった?
あの時、そう声を掛けるのを躊躇ってしまった。
私はそのことを、いつも、後悔していた。
*
「あ、ユフィールお嬢様、見えてきましたよ!」
侍女の嬉しそうに弾む声を聞き、眠りに落ちそうなのを引き戻された。いや、眠っていたかもしれない。
何か、夢を見ていた気がする。
ぼんやりする頭をひとつ振り、侍女のはしゃぐ声に視線を窓の外へ向けた。
「やっと到着したわね」
見えてきたのは、丘を取り囲むように密集するオレンジ色の屋根の家々、それらを見下ろすように聳え建つ王城、青い空に飛び立つ白い鳥の影。遠くから教会の低い鐘の音が聞こえる。
まだ外門をくぐっていないというのに、街の喧騒が聞こえてきそうだ。
「わたし、王都って初めてなんです!」
興奮を隠しきれず窓にへばりつく彼女の姿に、自然と笑顔になる。
「アナ、屋敷のみんなに随分色々頼まれていたわね」
「はい! 責任持って買い物に行かねばなりません!」
「ふふっ、大変ね」
「がんばります!」
私の婚約者、侯爵家嫡男のアレク・フォン・フューリッヒ様の騎士学校卒業と成人を祝う祝賀会に参加するため、遠い田舎の領地からここ王都へやって来た。
領地から七日もかかる旅程だけれど、アレク様が立派な馬車を用意してくれたおかげで、思っていたよりも遥かに快適な旅だった。途中で宿泊した街も全て宿が手配されていたし、郷土料理を楽しんだり景色も楽しめて、とてもいい旅だった。
(……いよいよ、顔を合わせるのだわ)
七年前、当時十八歳だった私に突如舞い込んできた侯爵家嫡男アレク様からの婚約の申し込み。
それは、細々と領地を守り暮らしていた田舎の子爵家に激震を走らせた。
しかも当時、アレク様は若干十一歳。
一体どこで知り合ったのか、なぜ私なのか、憶測が憶測を呼びあらぬ噂まで立てられ、当時、それはちょっとした騒ぎとなった。
もちろん田舎に引っ込みろくに社交を行っていなかった私が王都の侯爵家の子息と知り合えるはずもなく、私含め両親も混乱のうちに王都に招かれ、私はアレク様と婚約式で初めて顔を合わせた。
『はじめまして、ユフィール嬢。突然の申し込み、驚かれたことと思います』
初めて会った幼さの残る顔立ちの少年は、銀色の髪にエメラルドのような瞳をキラキラと輝かせ、目許を赤く染めてまっすぐに私を見つめた。
その瞳の内包する熱に当てられたように、私も顔が熱くなった。
『はじめまして、ですわね』
『はい』
『私がアレク様とお会いしたことを忘れているのかと、心配していました』
そう言うと、彼は少しだけ困ったように眉尻を下げ微笑んだ。
『困らせるようなことをしてしまい申し訳ありません。ユフィール嬢は何も……忘れたりなどしていません。これは全て、僕のわがままなんです』
『わがまま?』
『はい。――でも、ありがとう。申し込みを受け入れてくれて、本当に嬉しいです』
そう言ってはにかんだアレク様に、私も忘れ嬉しかった。彼の姿を見て、私との婚約を心から望んでくれたのだと感じたから。
『あの、なぜ会ったこともない私なのでしょうか?』
そう聞くと、彼は少しだけ顔を伏せた。長い睫毛が白皙の肌に影を落とす。
『それは、もう少し待ってもらえますか。僕が……僕が成人したら、必ずお話します』
聞きたいことは色々あったけれど、彼のまっすぐで強く美しい瞳に、私はそれ以上聞くのを止めた。
『……約束ですよ』
『はい、約束です』
そう微笑み合ってすぐ、アレク様は全寮制の騎士学校へ入学した。
それから七年。私たちは一度も顔を合わせることなく、穏やかに手紙の交流だけを続けてきた。
「間もなく王都へ入ります」
コンコン、とノックされ窓の外を見ると、道中ずっと付き添ってくれた騎士が馬を並走させこちらを覗いていた。騎士の示す方向へ視線を向けると、道の先に大きな外門が聳え、王都へ入るための行列ができている。
「いよいよ婚約者様にお会いできますね」
同じように窓の外を見ていたアナが声を弾ませた。
「そうね。……なんだか緊張するわ」
「お手紙も絶やさず送られてきたんですもの、きっと婚約者様もお嬢様にお会いするのを楽しみにしていますよ!」
「そうだと嬉しいわ」
(お会いした時は私とあまり変わらない身長だったけれど、きっと身長も高くなったのでしょうね)
アレク様は騎士学校を首席で卒業したと聞いている。卒業生を代表して騎士の宝剣を授与されるのだと手紙に書いていた。
ぜひ、私に見に来てほしいと。
(……卒業式だなんて)
こんなことで婚約者との年齢差を感じてしまう。なんだか、婚約者としてと言うよりは保護者のような、姉のような気持ちになるのだ。
そして、手紙でしかやりとりをしていなかったとは言え、あの優しい手紙を送ってくれていた少年がいつの間にか大人になろうとしているのだから、なんだか不思議な気持ちだ。
(手紙はいつも優しくて可愛らしいのよね)
鍛錬の最中に見た小さな花や季節の変化、寮の食堂で口にした初めて食べる料理、友人たち。
アレク様のくれる手紙には、そんなささやかな日々のこと、季節の移ろいなどが書かれ、とても穏やかなものだった。少年が書く手紙にしては落ち着いていて、字も丁寧で年を追うごとに美しく変化していった。そんな手紙が届くのを、私はいつも楽しみにしていた。
(……楽しみね)
そう、会うのが楽しみだ。
周囲には私たちの年齢差を揶揄されることもあるけれど、私はこの婚約を悪く捉えたことはなかった。
87
お気に入りに追加
194
あなたにおすすめの小説
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜
氷雨そら
恋愛
婚約相手のいない婚約式。
通常であれば、この上なく惨めであろうその場所に、辺境伯令嬢ルナシェは、美しいベールをなびかせて、毅然とした姿で立っていた。
ベールから、こぼれ落ちるような髪は白銀にも見える。プラチナブロンドが、日差しに輝いて神々しい。
さすがは、白薔薇姫との呼び名高い辺境伯令嬢だという周囲の感嘆。
けれど、ルナシェの内心は、実はそれどころではなかった。
(まさかのやり直し……?)
先ほど確かに、ルナシェは断頭台に露と消えたのだ。しかし、この場所は確かに、あの日経験した、たった一人の婚約式だった。
ルナシェは、人生を変えるため、婚約式に現れなかった婚約者に、婚約破棄を告げるため、激戦の地へと足を向けるのだった。
小説家になろう様にも投稿しています。
「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。
海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。
アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。
しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。
「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」
聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。
※本編は全7話で完結します。
※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。
即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。
そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。
国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。
⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎
※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!
【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)
辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです
茜カナコ
恋愛
辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです
シェリーは新しい恋をみつけたが……
衆人環視の下で冤罪をかけられましたが、すぐに晴らせましたので良しとしましょう。
夢草 蝶
恋愛
月一での恒例の懇親会。
所用で少し遅く会場入りすると、何故だか周囲の視線が突き刺さる──。
不思議に思っていると、婚約者であるハディードがやって来て、私が女子生徒に暴力を振るったなどと言ってきた!
当然、事実無根。
私は疑いを晴らすために反論し、ハディードから決定的な潔白を証明出来る言葉を引き出して──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる