46 / 52
溢れる
しおりを挟む王城に到着してすぐ、ユーレクは部屋へ案内された。部屋へ通されるまでの間ずっと、左手はキャンの腰を抱えるように抱き寄せていた。決して離すまいとするユーレクの意思のように感じて、キャンは恥ずかしく顔を上げることが出来なかった。
部屋に通され二人きりになると途端に訪れる静寂。自分の胸の音だけが大きく鳴り響き、ユーレクに聞こえているのではないかと落ち着かない。
「これ」
ぽつりとユーレクが零した声にはっと顔を上げる。見ると、ユーレクは纏っていたマントを持ち上げじっと刺繍に見入っていた。
それはあの別れの日、ユーレクがキャンの元に置いてきた王家の黒いマント。同色の糸で細かな刺繍が施されたそれは、キャンが丁寧に一針一針仕上げたものだ。刺した柄には全て意味がある。それを確認するように、ユーレクはじっと刺繍を見つめていた。
「すごいな、キャンが刺したのか」
「はい……次に会ったら、渡したくて」
「ありがとう。凄く嬉しい」
ふわりと笑うユーレクの笑顔に、ドッとキャンの鼓動が激しくなる。きっと自分の顔は真っ赤なのだろうと、両手で思わず頬を覆った。
(どうしよう……どうしてこんなに、ぎこちないの)
あんなに毎日考えていたのに。会いたいと願っていたのに。いざ目の前にすると、どのように振舞っていいのか分からない。それに加え、これまでとは違う反応が自分に起こっている。
(番いって、こんな感じ……?)
急に芽生えたユーレクが自分の番であるという感覚。
城門の前でヴィンフリードとフランチェスカが再会し、胸を熱くしていたのもつかの間、すぐにその存在に気が付いた。
姿が見えないほど遠く離れていても感じる、懐かしい優しい香り。キャンは無我夢中で走りだし、群衆をかき分けその恋焦がれた人の元へ駆けだした。
馬上にある、ひと際大きな存在。強く、温かく優しい、愛して止まない人。
その人が今、目の前にいるーー。
「キャン?」
俯き顔を覆うキャンの手を、正面に回ったユーレクがそっと手首を掴み顔を上げさせる。
「久しぶりに会ったんだ、顔を見せて」
ユーレクの甘い柔らかな声が耳に心地いい。それでいてその声が耳に届くたび、身体がぞくぞくと痺れるように震える。
(声に、溺れてるみたい)
「キャン」
もう一度甘い声で名前を呼ばれ、羞恥と愛しさの狭間で震えながら、キャンはまっすぐユーレクを見た。
瞳を潤ませゆっくりと瞬きをするキャンの表情を目の当たりにして、ユーレクは腹の底が疼いた。
だが聞きたい事が山のようにある。今はひとつずつ話をしなければならない。ユーレクはグッと息を呑み、落ち着いた風情でキャンに声を掛けた。
「……どうしてここに?」
「私の、故郷や両親について知りたくて」
「……そうか」
「あと……、少しでも近付きたくて……」
「近付く?」
答えながらキャンは自分の身体の中心から湧き上がる感情に狼狽えていた。
顔が燃えるように熱く、身体が火照る。目の前の人から発せられる信じられないほど優しくさわやかな森のような香りが、キャンの身も心も搔き乱す。ユーレクにしがみ付き、抱き締めてほしくて堪らない。
(どうしちゃったの、落ち着いて)
ユーレクを番だと意識したとたんに、こんなにも身体の反応が変わるのだろうか。これまでいい香りだと感じていたユーレクの香りが、今はキャンの感情を激しく揺さぶってくる。
「つ、番って……」
キャンがぽつりと言葉を漏らした途端、手首を掴む手に力が込められた。
「!?」
「……番? キャンの番?」
瑠璃色だった瞳に黄金色が走る。突如としてユーレクの身のうちから湧き上がった激しく強い感情に、キャンは圧倒された。
「あ、あの」
「キャンの番が分かったのか? この国に来て?」
「そうなの、でも」
「自分で探しに来た?」
「違う、そうじゃなくて……」
「そいつとはもう会った? 誰か分かってる?」
ぐいぐいと身体を乗り出すユーレクに圧倒されて、一歩、また一歩と後ずさる。なんだか勘違いされている気がする。だが羞恥に震えるキャンには、うまく言葉が紡ぐことが出来ない。
「番なんて駄目だ。……絶対に許さない」
黄金色の瞳が強く光る。その瞳に殺意すら浮かべ、ユーレクはキャンを壁際に追い込んだ。
「ユーレクさん、聞いて」
「そいつが誰か教えてくれるのか? それとも許しを請いに?」
「ユーレクさんっ」
「そいつを殺していいなら俺は」
「ダメ!」
キャンはギュッと目を瞑って叫んだ。ぴたりとユーレクの動きが止まる。キャンの手首を掴む手が、微かに震えている。
「……なの」
「え?」
完全にうつむいてしまったキャンの小さな唇から言葉が零れるのをうまく聞き取れない。ふわふわの髪に隠れてしまった表情を確認したくて、ユーレクは震える指先でキャンの顎に指をかけた。真っ赤に熟れた果実のような肌を微かに震わせて、紫水晶の瞳が涙を浮かべまっすぐユーレクを見る。
「ユーレクさん、なの。私のつがい……」
消え入りそうな声で、けれど甘い息を吐きだしたキャンの唇が紡いだその言葉は、ユーレクの心に直接吹き込まれた。
「……俺が? キャンの番?」
キャンはこくりとひとつ頷き、はあっとまた熱い息を吐きだす。
やはり身体がおかしい。熱でもあるのだろうか。ぎゅうっと目を瞑っていると、固まったまま動かなかったユーレクに頤を掴まれ唇を強く塞がれた。
「んっ! んんっ、ぁ、あっ」
先ほどのものとは比べ物にならないほど強く合わされた唇は、すぐに唇を割り分厚い舌が口内に侵入した。口内を掻きまわしキャンの小さな舌を見つけると激しく擦り付け、じゅるっと吸い上げられる。その卑猥な音にキャンは膝から落ちそうになったが、壁に押し付けられたまま必死に首にしがみ付き、ユーレクの口付けに応えた。
口端から唾液が溢れ出て息が苦しくなった頃、ぷはっと空気を求めるように唇が離れた。息が上がる。呼吸を整えているとユーレクの大きな掌が背中に回り、その身体を抱き上げた。
しがみ付いたままぼんやりと自分を抱き上げるユーレクを見下ろすと、至近距離で黄金に輝く瞳に射抜かれる。目許を赤く染めたユーレクがこの上なく色気を放ち、キャンを見上げ誘うように甘い息を吹きかける。
「……俺がキャンの番って、いつ分かったんだ?」
「こ、ここに来てすぐ……私は、人の中で生活していたからわからなくて……」
「それで、ここでずっと待ってた?」
「そう。ここにいた方がユーレクさんにすぐに会えるかもって」
「……酷いことを言われなかったか」
「……」
キャンは無言で首を振った。様々な人がいるのだ。それが事実。酷いことも嬉しいことも全て、受け止めるためにここにいる。キャンはここに来たことを悔いたことはないし、受け入れてくれる人々がいることに感謝すらしている。
そんなキャンの表情を見たユーレクは、それ以上言及しなかった。
「……それに」
キャンはぎゅっとしがみ付くユーレクの服を握りしめた。登城するために纏った黒い王家の礼服は、精悍な顔つきのユーレクにとても似合っている。
「私も、フランチェスカ様のようにユーレクさんの傍に立てるような人になりたいと思ったの。ただの、カフェの女の子じゃなくて……ユリウス殿下の隣に立てるような」
キャンはそう言うと、そっと自らユーレクの唇に口付けを落とした。ふわりと触れるだけのそれは、どんな媚薬よりも強くユーレクの理性を焦がしていく。
「キャン」
「ユーレクさん……。貴方が好き。貴方が好きです。だから私を傍に置いて。私の傍にいて……?」
その言葉にユーレクの心が締め付けられた。沸き起こる熱と欲望が理性を焦がしていく。信じられないほど余裕がない。それでもユーレクは、ボロボロになった理性を搔き集めて、何とか必死にキャンに伝えたい事を言葉にしようと深く息を吐きだした。
「……キャン、会いたかった」
「うん」
「ずっと、キャンのことばかり考えてた」
「うん」
「ずっと……、ずっと、伝えたかったんだ」
「ユーレクさん……」
「好きだ。……好きだよ。俺はずっとキャンのそばにいたい」
紫水晶から涙が零れ落ちるのを見て、ユーレクはもう一度愛しい人にありったけの思いを込めて口付けを落とした。
「愛してるよ、キャン」
45
お気に入りに追加
212
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。
待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる