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尊厳
しおりを挟む「まずは兄に代わってお詫びを」
「詫び?」
食事を並べたテーブルに皆で着くと、ウェイがワインの栓を抜きグラスにワインを注ぐ。その深い赤は天幕に一つだけ灯された明かりに揺れた。
アミアはグラスを傾けながら横目でヨシュカに視線を向ける。肌を刺すようなアミアの怒りがジワリと漏れ出る。それはウェイも同じだった。
「兄が失礼な態度を取ったと」
「ティエルネ殿下がそうおっしゃっていたのですか?」
「いいえ。ただ、あの人のことですから」
「貴殿の詫びで済む話ではありません」
アミアの言葉にヨシュカは眉根を寄せ、キャンに頭を下げた。
「……許して欲しいとは言いません。本当に……申し訳ない」
「や、やめてください」
事情を知らないヨシュカがなぜ頭を下げるのか。キャンは慌ててヨシュカに頭を上げさせた。それでもヨシュカは俯いてグラスに映る自分に視線を落としたまま呟いた。
「……兄は必死に君を探していました」
「ティエルネさんが?」
「兄は……君の父であるイェールハルド兄上に一番懐いていたんです。イェールハルド兄上もティエルネ兄上を大切にして可愛がっていました。僕たちは兄弟の人数も多くて、上の兄たちは時には父のように僕たちを守り慈しんでくれたんです」
「当時のキャンの誕生はやはり公表されずに?」
「ええ。当時、シュバルツヴァルドは混乱の只中にありました。イェールハルド兄上が招いたことだと当時は多くの貴族たちが我々を糾弾していました。義姉上が体調を崩したので、王太子妃殿下が宮に招き入れ誰とも接触しないよう出産まで守り抜いたのです。……ティエルネ兄上はそれはもう誕生を喜んでいました。イェールハルド兄上と同じ瞳のリュディアの誕生を」
ヨシュカはふ、と口元を綻ばせ眼鏡の奥のキャンの瞳を見た。
「でもあの日……義姉上はひっそりと街に降りたのです。平民の姿となり護衛も少なく、目立たぬように」
「何故……」
「恐らくイェールハルド兄上の遺品を取りに行ったのだと」
「……」
アミアがグラスのワインを一口飲む。ウェイは黙って椅子に背を預け、じっと三人を見つめていた。
「義姉上は誰が漏らしたのか、王家に恨みのある者たちに捕えられ首を刎ねられました。そしてその首は、イェールハルド兄上の剣で貫かれた状態で王城入り口に晒されたのです。当時、既に彼の国との戦闘が始まり、我々が国境を必死に守っていた頃齎されたその報せに、王太子は激怒しました。国内の統率が取れなければ国外の敵と戦えるわけがないと。そのあたりの話はご存じのとおりです」
「キャンを国外に出したのは」
「ティエルネ兄上です」
「え……」
「ティエルネ兄上は当時まだ十歳でしたが、戦況をよく理解し民衆のイェールハルド兄上に対する心証も理解していました。このまま王太子妃の宮で守り抜くことは不可能だと王太子妃を説き伏せ、王家と親交のあったコーイチにキャンを託すよう計らったのです」
「ティエルネさんが……」
キャンはギュッと膝の上の手を握り締めた。
「コーイチはイェールハルド兄上と特に親しくしていました。だからティエルネ兄上もコーイチを信頼していた。養子縁組の書類を整え正式にコーイチとリュディアを親子にして、生活に困らない金を用意しました。僕はまだ幼かったからその時の詳細はあまり知らないのですが、コーイチがまだ赤ん坊のリュディアを大切に抱きかかえて優しく笑顔を向けていたのを覚えています」
「王太子妃殿下がコーイチを探しているとの話を聞きましたが」
「ええ。王太子妃の書簡を持ち、ティエルネ兄上が各国を探して歩いたのです。コーイチが名前を変えて暮らすことも考えられたのですが、何か足掛かりを残すのではないかとティエルネ兄上は名前だけを頼りに探していました」
「何故今更」
「恐らくは、父が乱心したからでしょうね」
ヨシュカはグラスに初めて口を付けた。その瞳は仄暗く、薄紫の瞳は黒く濁っているように影を落とす。
「ご存じだと思いますが、前国王の父が乱心し僕たち兄弟を手にかけました。まだ幼い僕の妹や弟も。その時、彼らを庇い前に出た母上も。ティエルネ兄上は一人その惨状を目にし、父と父が殺めた母と兄弟たちを丁重に埋葬しました」
「一人で……」
「僕は前線にいましたのでその場には居合わせなかった。その報せを聞いたときは……」
グラスのワインを一息に呷る。ウェイは黙って空になったグラスにワインを注いだ。
「ティエルネ兄上のすぐ上の兄と僕は急いで王城へ戻りましたが、既にティエルネ兄上は出発した後でした。その時、王太子妃殿下からコーイチを……リュディアを探しに出たと聞きました。それ以来、ティエルネ兄上には会っていません」
「ティエルネさんは」
声を発すると、喉がカラカラに乾き掠れた声が出る。キャンはゴクリと喉を鳴らし、俯いて自分の膝の上の拳を見つめながら掠れた声で続けた。
「ティ、ティエルネさんは、わ、私に言いました」
―― お前に流れる血を呪う者がいることを忘れず生きていけばそれでいい――
アミアが眉根を寄せ、だが黙ったままグラスを傾ける。ヨシュカはじっとキャンの瞳を見つめ静かに口を開いた。
「ティエルネ兄上は……イェールハルド兄上を愛していました。それは今でも変わりません」
「で、でも……」
「愛が深ければ憎しみも深い」
ヨシュカが低い声で呟く。
「……君に酷いことをしたのですね……君には何の罪もないのに」
その言葉にキャンは首を振った。
「わ、私は、私は何も知りません。知らないから、何も言えない……で、でも私は知っておかなくちゃいけないんです。罪があることも、ないことも。私はそのためにここに来たんです」
「キャン」
アミアがそっと膝の上のキャンの手を握り締めた。
「私、私は知っておく必要があるんです。背負うことも出来ないし責任も取れないけど、お、お父さんとお母さんと……二人を思う心は持ちたいんです……娘として」
キャンは顔を上げてヨシュカを見つめた。その表情は今にも泣きだしそうに歪んでいて、キャンは喉を詰まらせた。
「わ、私の両親はどんな人でしたか?」
「……君の両親は……とても仲が良くて、明るい素晴らしい人たちでしたよ。イェールハルド兄上は義姉上を心から愛していました。番だと、番を見つけたと喜んでいたのをはっきりと覚えています。嬉しそうに顔を赤らめる義姉上の表情も。子供が、君がお腹にいることを知って、二人は生まれてくるのを心待ちにしていました。早くこの手で抱きたいと」
ヨシュカがグラスをぐっと握りしめる。
「……イェールハルド兄上は君やシュバルツヴァルドの子供たちのために、未来のために国力を上げ防衛に力を入れたいとよく王太子と話していました。そして僕たちも同じ思いだった。イェールハルド兄上は何も悪くない……悪くなどないんです」
「ヨシュカさん」
「明日、王城へご案内します。王太子妃殿下は君に会うのを楽しみにしています。今日はもう寝ましょう」
ヨシュカはそう言うと立ち上がり、アミアとウェイに礼を執った。二人も立ち上がり応える。
「ヨシュカさん」
キャンは眼鏡と帽子を取り、ヨシュカの前に立った。
ミルクティ色の髪と耳、そしてキラキラと複雑に輝く紫水晶の瞳を見て、ヨシュカは身体を強張らせた。
「……兄上……」
ぽつりと溢したその言葉は薄暗い天幕に響き、そして吸い込まれた。ヨシュカはキャンの前に跪き、目を細めその瞳を懐かしむ様にじっと見つめた。
「……コーイチに感謝を。よく無事でいてくれました……」
キャンの向こうにいる両親。兄弟や自分の愛する家族たち。ヨシュカの瞳にはキャンだけではないヨシュカの愛する人々が映っている。キャンは腕を伸ばしヨシュカのその首に抱きついた。ヨシュカは瞬きをして、だが歪んだ顔を隠すようにキャンを柔らかく抱き締めた。
「来てくれてありがとう」
ヨシュカの掠れた震える声に、キャンは涙を堪えることが出来ず暫くそのまま、お互いの懐かしい香りを確かめるように抱き合った。
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