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my way
しおりを挟む濃い緑色だった木々の葉が黄みを帯び初め、空を流れる雲がうっすらと空を覆うように風に伸びる季節。
テラスの落ち葉を箒で集め、キャンはふと手を止めて王都を見下ろした。色付いた街路樹が王都の街並みを彩り、街ゆく人々の服装も厚手のものに変わっている。
今日はお昼にウェイがアミアを連れて店に来ると言っていた。今朝は市でいい食材を手に入れたから、美味しい料理を提供できるだろうと二人の喜ぶ顔を想像しながら頭の中で料理を思い浮かべる。
日当たりのいいテラスの手すりの上で寛ぐ、少し身体の大きくなった白い仔猫が大きなあくびをした。
落ち葉を集めていると、店前の階段を登る郵便配達夫の気配がした。ここに郵便が届くなど珍しい事だ。キャンは手にしていた箒をテーブルに立てかけると慌ててテラスを飛び出した。
汗だくの配達夫から封筒を受け取るとキャンはすぐに店内に戻り椅子に腰掛けた。
上質な紙で出来た封筒に見た事のない印璽が押されている。こんなものが届く覚えはないが、宛名は確かに自分宛てになっている。裏面に差し出し人の名前はない。
ユーレクからとも思ったが、考えてみればユーレクから手紙をもらったことがないし、字も見た事がない。
それに、今ユーレクが置かれている状況では、こんな立派な封筒で手紙を寄越すなど出来ないだろう。
キャンは少しだけ落ち込んだ気持ちを振り切って、ナイフで封筒を丁寧に開いた。
それは、手紙ではなく1枚の入国許可証だった。
シュバルツヴァルドの入国許可証。
キャンの名前が記されたその許可証にはシュバルツヴァルドの文字で署名がされており、読めなくともティエルネのものだろうことが窺えた。
他に何もない。手紙も何も。
たった一枚だが、この一枚の許可証がキャンの心を大きく揺さぶった。
許可証を握り締めて二階に駆け上がる。
自分の部屋に上がるとそっとクローゼットを開けて中から大切に畳んだマントを取り出した。
真っ黒なそのマントは重く丈夫に作られており、内側に魔よけの意味を込めた刺繡が施されている。
騎士たちはこの刺繡を施したマントを身に着け戦いに赴くのだと、昔アミアから聞いたことがある。ロイドのマントにも刺繡が施され、それはアミアが施したと言っていた。
だからキャンも、何も刺繍がされていなかったこのマントに、図書館で本を借りて魔除けの刺繍柄を調べ、毎日少しずつ刺してきたのだ。
ユーレクのマントは王家の色である、黒。
その黒い糸とユーレクの瞳の黄金の糸で、ユーレクの無事を思い刺繍をした。
キャンは刺繍をしている間、このマントを広げているとユーレクの香りに包まれているような気がした。
そして今朝、ついに刺繍が全て完成した。
(会いたい……)
会いたい、会いたい、会いたい。
一度堰を切ってしまった思いは止めることが出来ない。
会いたい、ユーレクに会いたい。
無事を確かめたい。
その胸に飛び込みたい。
マントを胸に抱いたままベッドに置いた許可証を見つめ、キャンは暫く動けなかった。
*
「上の空だね」
食後の紅茶を準備しているとアミアが声を掛けて来た。
顔を上げるとアミアが苦笑しながらキャンを見ている。
「あ、ごめんなさい、お料理どうでしたか?」
キャンが慌てて紅茶をカウンターに出すと、アミアは肩を竦めた。
「もちろん美味しかったよ。でもその質問、もう三回目だよキャン」
アミアが美しい形の眉を片方上げて紅茶を口にする。キャンはごめんなさい、とまた呟いて、ウェイの前にも紅茶を置いた。
「今朝、市で会った時はいつもとおりだったのにな。なんかあったか?」
ウェイがカップを掴みグイっと紅茶を一気に呷った。慌てて紅茶のお代わりをカップに注ぐ。
「……、ぁの……」
無意識にエプロンのポケットを上から撫でる。
キャンは許可証についてどう話したらいいのか分からなかった。
出来ることなら今すぐにでも出発してシュバルツヴァルドに向かいたい。ユーレクは彼の国にいるが、それでもシュバルツヴァルドへ行けば近付くことが出来る。今どうしているか、知ることも出来るかもしれないのだ。
それに、自分にとって他人事のようにシュバルツヴァルドを思うのが嫌だった。自分にできることは何もないが、知ることは必要なのではないだろうか。獣人が置かれている境遇を、引き金になったのは自分ではないが何も知らずにいるのは、キャンはどうしても嫌だった。
それが例え、自己満足だなどと言われようと。
だが今の時勢で簡単にシュバルツヴァルドへ行けるとは思っていない。手段も方法も、キャンには何も分からない。
何より、この二人に大きな心配をかけるだろうし反対されるだろう。
「キャン、何も言わなければ何も伝わらないよ」
迷い言い淀むキャンに向けて、アミアが声を掛けた。真っ直ぐ真剣な眼差しでキャンの言葉を待っている。
キャンはぐっと喉を鳴らし、ポケットから取り出した封筒をアミアの前に置いた。アミアはその封筒から許可証を取り出し目を通すと、ウェイに渡す。
ウェイはさっと書類を確認すると怪訝な顔でキャンに返した。
「シュバルツヴァルドの入国許可証だな。本物だ。いつこれを?」
「今朝、……配達の人が来て」
「この印璽、シュバルツヴァルド王家のじゃねえか。なんでこんなものがキャンに送られて来るんだ」
ウェイが隣に座るアミアに視線を向けるが、アミアは黙したまま答えない。ウェイは舌打ちをしてまた紅茶を飲み干した。
「……それで、キャンはどうしたい?」
アミアが静かにキャンに言葉を掛ける。
いつも、いつだってアミアはキャンの言葉を待ってくれる。その瞳に背中を押され、キャンはじっとりと汗をかく掌をエプロンで拭い、アミアに向かって気持ちを吐露した。
「……わたし……私、……い、行きたいんです、シュバルツヴァルドに…」
「はあ!?」
「ウェイ煩い」
「そんな事言って……何言ってんだキャン、あの国は今、彼の国と戦争中だぞ!? だからロイドも……」
「そうだよキャン。王国を出たって簡単にシュバルツヴァルドには着かない。いくら許可証があってもそこへ行くために多くの国を跨なくちゃならないし、キャン一人でこの国から出たら最後、世間知らずのキャンがどんな目に遭うか分からないよ。この間の比じゃないだろうね」
アミアの冷たい声にキャンは俯いたまま答えられず、ギュッとエプロンを握り締めた。
「わ、分かってます……でも、それでも私、行きたいんです。だって……だって、これがあるんです。わ、私に。私がシュバルツヴァルドに行く手段が、こ、ここにあるんです」
「あの国の獣人がみんなキャンに友好的とは限らないよ」
「それでも、それが事実だから……私の目で、私が何者か知りたいんです」
「国が落ち着いたら使えばいいだろう」
「だ、駄目です! 今じゃないと嫌なんです! 私、ここで一人で何もしないで待つなんて嫌なの!」
会ったことのない父が切っ掛けになった凄惨な事件。殺された母。
穏やかだった国が一夜にして憎しみや悲しみにあふれる国に変貌を遂げた。それはキャンに全く関係ない事ではないのだ。
すべてが整えられてから国を訪れることに何の意味があるのだろう。何かが出来るわけではないが、知る必要はあるのだ。
「アミアさん、私、シュバルツヴァルドに行きます」
キャンは震える声で、だがしっかりとアミアを見据えた。
アミアはそんなキャンの顔をただ黙って見つめている。
「おいキャン、いくら気持ちがあっても……」
「分かった」
「は!?」
アミアはキャンの顔を正面から捉え美しく笑った。
「初めてだね、キャンが自分のしたいことを強く口にしたのは」
「アミアさん……」
「おいおいおいおい、何言ってるアミア、どんな目に遭うか分からんって言ったのはアミアだぞ」
「そうだよ。だから一人で行かせるわけないだろう」
「は?」「え?」
「私も行くよ」
「ちょーっと待て! 何言ってんだ!?」
「私を誰だと思っているんだ、ウェイ」
「怪我して引退した元騎士ですね!?」
「馬鹿言うな、脚は不自由だがそれ以外は騎士の頃よりも洗練されている」
アミアはそう言うとテーブルに掛けていた杖を手に取り、カチッと柄をひねると、仕込まれた細剣を静かに抜剣した。
「疑うなら今ここで相手をしてやろう」
「俺はハンデのある奴を相手にしねえんだよ」
「愚弄するのかウェイ」
「ちげーだろ!? 今そういう話じゃねぇんだよ!」
ウェイは頭をガリガリと掻くとキャンに向かって眉根を寄せたまま、とにかく! とカウンターテーブルを拳で殴った。
「絶対にダメだ! この情勢で他国を渡ろうなんて危険すぎる」
「ウェイさんっ、私……」
「何と言おうと駄目だ」
ウェイは話はここまでだと言わんばかりに立ち上がり、キャンに背中を向けた。
「待って、待ってください!」
キャンは頭に巻いていた布と眼鏡を取り、ウェイの前に立ち塞がった。
目の前に走り出た小さなキャンの素顔を初めて目の当たりにしたウェイは、瞠目し固まった。
「私、私は獣人なんです……あの国に関わりがあるんです! だから、だからどうしても今行きたいんです」
必死な形相でウェイに縋るキャンを見下ろして、ウェイは苦いものを飲み込むように顔を顰めた。
「……コーイチは……危険だと分かっててキャンを守ってたんだろう? なのに、今更自ら飛び込むのか?」
ウェイの苦しげな声にキャンはくしゃりと顔を歪めた。
そうだ。
コーイチは自分の全てを投げ打って、キャンを助けてくれたのだ。危険な目に遭わないよう、キャンを守り、育ててくれた。
だが。
「でも私……っ、もう、もう自分で選べるんです。どうしたいか、自分で…」
――キャンは自由なんだよ
コーイチはそう言っていた。
それは、自分の意志で道を決めていいと言うことだ。何にも縛られず、自分で選択をする。
それが出来て初めて、人は自由になれるのだ。
「だから行きたい、シュバルツヴァルドに行きたいんです! お願いウェイさん、私を行かせてください!」
初めて見るキャンの姿と感情に触れ、ウェイは自分がいかにこの子を大切に思っていたのか思い知った。
自分がこんなにも、揺り動かされるとは。
「……ウェイ」
アミアが静かに固まっているウェイに声を掛ける。ウェイはびくりと身体を揺らすとアミアに顔を向け睨みつけた。
「……知らなかったのは俺だけか」
「いいや、知ってたのが私とロイドだけだよ」
「コーイチの奴……」
「口の堅い男だからね」
「全くだ」
ウェイは天を仰ぎ両手で顔をごしごしと擦ると、大きく息を吐き出した。
「分かった。分かったよ」
「ウェイさん……」
「ただし、俺が用意したルートで行ってもらうし、俺も行く」
「はい……え、え? で、でも」
「それ以外は却下だ、キャン。お前たちに何かあったらロイドに殺されるのは俺だからな」
そもそも二人と国を出る時点でもう命はないな……とブツブツ言うウェイに、アミアは朗らかに笑いかけた。
「頼りにしてるぞ、ウェイ」
「うるせえな!?」
人の気も知らないで! と怒るウェイの丸い大きなお腹に、キャンはギュッと抱きついた。
「お、おいキャン!」
「ありがとう……ありがとうございます……!」
耳を震わせ泣きじゃくるキャンの頭を、ウェイは恐る恐る、だが優しく撫でてやった。
オロオロと戸惑うウェイと泣きじゃくるキャンを優しく見つめていたアミアは、足元に擦り寄って来た子猫を抱くとその頭に顔を寄せ囁いた。
「おまえは私の屋敷で留守番だよ」
仔猫は薄青色の瞳を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
*
そして、まだ日も昇りきらないある秋の早朝、王都を囲む城壁の東門からシュバルツヴァルドへ支援物資を輸送する王国の輸送部隊が出発した。
冬を迎える前にシュバルツヴァルドへ到着する予定のその行軍は、王国の騎士団に護衛された民間の医師や薬師なども同行するものだった。
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