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レモン水にミント

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「ここでいいか」

 そう言うとユーレクはどっかりと鞄をカウンターに上げた。かなりの重さだ。
 この重さを一人で背負って帰ろうというのだから、この小さな身体にはどれだけの力が隠されているのか。それとも後先考えずに買ったのか。
 後者だろうな、と思いながらユーレクはカウンター席からちょこまかと動くキャンの姿を視線で追う。
 子供のような小さな身体に男物のシャツを着こみ、首元までしっかり釦を留めている。袖は何回も折って、そこから覗く細く白い手首。
 麦わら帽子を脱いで現れた頭に巻いた布は今日は黄色。目深に被ったそこから零れる様に落ちるミルクティ色のふわふわした髪は肩まであり、動くたびふわふわと揺れる。
 膝近くまであるシャツの下にはこれまたゆったりとしたズボンの裾を折って履いている。
 そして極めつけが大きな黒縁の眼鏡。顔の半分はあろうかという眼鏡にはうっすらと色がついている。聞くと、陽の光に弱く、眼鏡をかけていないと眩しくて堪らないのだとか。
 正直、ものすごく冴えない姿をしている。

 だが、とユーレクは思う。
 多分だが、キャンは中々可愛らしい顔をしていると思う。
 はじめは特に気にも留めておらず、店員だと聞いてこんな子供が、と驚いた程度だったが、店に通うようになりよくよく観察していると、色がついているせいでよく分からないが眼鏡の向こうの瞳は大きく、唇もふっくらと桜色で愛らしい。ふわふわのミルクティ色の髪は艶やかで、陽の光に当たるとキラキラと煌めく。
 何とか人目につかないように目立たないように過ごしている様にしか見えないのだ。
 何か後ろめたいことがあるのか。戸籍がない私生児なのかもしれない。
 だが、ロイドはキャンのことをよく知っていて、何も問題ないと言う。奴が言うならそうなのだろうが、自分だけが知らないという事がユーレクは面白くない。ロイドに何でも聞くのも面白くない。
 だからこうして毎日のように店にやって来てはキャンのことを構っている。
 最近では珍しい、ユーレクに興味のないミルクティ色の少女。

 カラン、と扉のベルが鳴った。

「おいユーレク!」

 大きな身体のロイドが息を切らせてやって来た。

「いらっしゃいませ」

 キャンが小さな声で応対する。

「悪いなキャン、またユーレクが押しかけて」

 白髪が混じり白金になった短髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、大きな身体を小さく丸めてカウンターの席に座った。
 椅子がギシッと音を立て、ユーレクはいつか椅子が壊れてロイドがひっくり返るんじゃないかと楽しみにしている。ひと月観察しているがまだ壊れる様子はない。
 キャンがレモン水をロイドとユーレクの前に置いた。ピッチャーにはレモンとミントの葉っぱが浮かんでいる。

「おいロイド、ここまで来るのにもうそんなに息を切らしてるのかよ。寄る年波には勝てないなぁ?」
「違うわ! お前が勝手にいなくなって何処にいるんだと詰め寄る人だかりを解散させるのに苦労しただけだ!」

 丸太のような腕を伸ばしグラスの水を一気に飲み干すと、さらに自分でピッチャーの水を注ぐ。もうピッチャーのまま飲んでもいいと思う。

「なんだよ、ロイドがもらっちゃえばよかっただろ、贈り物。殆ど食いもんだしさ」
「お前に渡せと押し付けられた。詰所に置いて来たからな」

 ギロリと横目でユーレクを睨みつけ、ロイドは遂にピッチャーの水を空にして、キャンに薄い水色の瞳を向ける。
 キャンは黙々と買ってきた食材をカウンターの奥にあるパントリーに仕舞い、新鮮な野菜や肉の下拵えを始めていた。

「そうか、もうその時期か」

 ロイドが目許の皴を深く、優しく笑いながら話しかける。
 元騎士団長のロイドは怪我によりその地位を退いた。現在は王都の騎士の指導、育成を行なっているが、日頃、騎士達から恐れられているこの男はキャンの前では信じられない程優しい表情をする。ロイドのこんな優しい表情を他の団員が見たら逆に恐ろしい光景に映るだろう。

「よかったら帰りに寄ってください。包みます」
「ああ、ありがとう。そうするよ」
「なに?」

 ユーレクが身を乗り出してカウンターの中を覗いた。
 キャンの手元には緑の野菜が数種類、下拵えを待っている。

「緑のキッシュです」
「緑のキッシュ」
「「…………」」

 それきり黙ってまた作業に没頭するキャンにユーレクはため息を飲み込んだ。

 キャンは聞いたことにしか答えない。
 これまで聞かなくとも自分のことばかり話す女性や、良かれと思っていらない事まで話すような人間に囲まれてきたユーレクにとって、キャンは初めて目にする人間だった。
 だが、だからと言ってあれこれ根掘り葉掘り聞くのも何となく憚られるユーレクは、どうしたらいいのか分からず一緒になって黙ってしまうのだ。
 毎日女性相手に淀みない対応をしているユーレクだが、キャンの前では上手く振舞うことが出来ない。その事に、ユーレクはムズムズと居心地の悪さを感じていた。
 だが決して、嫌な気分ではない。

「この季節の緑の野菜を色々合わせてキッシュにするんだよ。夏野菜のキッシュだな。春は山菜のキッシュだった。スモークサーモンと一緒に食べたのは本当に美味かった……。今回は何と合わせるんだ?」
「以前仕込んだパンチェッタです。今年はハーブがすごくよく育ったので、ハーブ塩で漬けてみました」
「それは楽しみだ! うむ、白ワインを買って帰らねば」

 ロイドはホクホクと嬉しそうに両掌を合わせた。
 キャンはふと手を止めて、ひたりとユーレクに視線を合わせた。その突然の行動にユーレクはどきりとする。

「ユーレクさんも食べますか?」

 首を傾げて真っ直ぐにこちらを見るキャンにらしくなく返答に窮していると、キャンはすぐに視線を手元に戻して作業に戻ってしまった。

(あ、くそ……)

 浮きかけた腰をまた椅子に戻す。

(……なんだよ、どうして俺が慌てなくちゃいけないんだ)

 面白くない気持ちを飲み込むように手元のグラスに口をつける。

「夜、勤務が終わったらユーレクと来るよ」

 そんなことを言うロイドを横目でチラリと見ると、ニヤニヤしながらユーレクを見ている。
 それにまた腹が立ち目を逸らすと、ユーレクは黙ったまま水を飲み干した。

「分かりました。ユーレクさんの分も取り分けておきますね」

 そう言いながら新しいピッチャーをカウンターに置いたキャンの白い手を無意識に追いながら、ユーレクはまたグラスに水を注いだ。
 レモンとミントの効いた水は、身体に優しく染み込んでいった。
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