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二日目 忘れるなんてあり得ない

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 ベッドの上での朝食を終えて、湯浴みをした。久しぶりに一人でのんびりと湯に浸かって私の気分はかなり上昇した。
 この国には浴槽に湯を張る習慣がなくてずっと物足りなかったから、本当に久しぶりで気持ちよかったと王太子に話すと、笑っているのに邪悪な雰囲気を出すという器用な表情をした王太子は「この国も浴槽に湯は張るよ」と教えてくれた。そうなのか。侍女長の嫌がらせだったのだろう。嫌がらせにしては地味すぎて、気が付かなかったけど。
 私がお風呂を堪能している間、王太子はずっと本を読みながらベッドの上で待っていた。
 時間を気にせず堪能してしまって、王太子を待たせたことを謝ると「私もこんなにゆっくり本を読むのは久し振りでとても楽しかった」と、嬉しそうに笑った。

 そうして簡単なドレスに着替えてから、王太子に誘われるまま初めて宮の庭に出た。
 そう、初めて。

「……初めて?」

 そう言った王太子の低い声がまたもの凄く邪悪だったけれど、そんな事が気にならないほど美しい庭だった。

「凄いわ、何て綺麗なのかしら!」

 きっちりと整えられているのではなく、自然に、けれど色とりどりの花が咲き乱れている。

「まあ! この花も咲いていたのね、残念だわ!」

 花が終わってしまった枝を見てそう声を上げると、王太子も残念そうに眉を顰めた。

「貴女に見てもらうために作ったんだが、まさか庭に来るのが初めてとは……」
「私のために?」
「貴女は花が好きだから」
「……そう、ですけど……」

 ――分からない。
 どうしても思い出せない。私はこの人に会ったことがある? でも確かに、王太子は私の事をよく分かっているし、好きなものも知っている。朝食だって、私の好きなものばかりだった。
 ここまで来ると、何としても自力で思い出したい。答えを教えてもらうのは最早なんだか悔しい。
 

 四阿に移動して、花々を愛でながらお茶を飲む。王太子はワゴンを押してきた侍女長を早々に下がらせ「今度は私が淹れよう」と紅茶を準備してくれた。
 ……悔しいが美味しい。私より上手かもしれない。
 楽しそうに終始ニコニコしている王太子の顔を見つめ、昨日からずっと考えている疑問をぶつけてみる。

「……国交回復の晩餐会で会いました?」
「残念ながら私は参加してないんだ」
「私の国へ来た視察団の中に?」
「私がいたらすぐにバレただろうな」
「留学してきた?」
「ああ! そうか、留学で貴女と出会うのも素敵だな」

 ――埒が開かない。

「……そもそも本当にお会いしたことがあるのですか?」
「あるよ! 私にとって忘れられない思い出だ」
「でも、殿下のことを忘れるなんてあり得ないわ」
「殿下呼びも気になるけど、どうして私の事を忘れる事があり得ないのか教えてほしいな」
「顔が好みなので」
「……貴女はそういうところが凄いよね……」

 王太子は両手で顔を覆ってしまった。俯くと、その銀色の髪がサラサラと風に靡く。髪から覗く耳が赤い。

「照れてます?」
「照れてます」

 何それ可愛い。

「言われ慣れてるでしょう」
「……貴女に言われるのは全然意味が違う」
「どうして?」
「どうしてって……」

 顔を上げた王太子の表情は、昨晩見た困惑の表情と一緒だった。
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