【本編書籍化】【番外編】この世界で名前を呼ぶのは私を拾ったあなただけ~辺境での新しい日々

かほなみり

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夜明け

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 カタン、と扉の向こうの物音で目が覚めた。

 ぼんやりした頭で天蓋のカーテンの隙間から外を窺い、今が何時頃なのかを知る。
 静かに体を起こし裸足の足を床に降ろすと、ひんやりとした感触が心地いい。ガウンを羽織り静かにベッドを抜け出して扉を開けると、そこには茶器と果物が載せられたワゴンが置いてあった。
 そろそろ目を覚ます頃だろう。
 ワゴンを室内に引き込み、また扉を閉めた。

 窓の外はうっすらと空が白み始めている。
 遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、耳をすませば朝の早い馬丁が馬の世話をしているのも聞こえてくる。そろそろ屋敷の者たちが動き出す時間だ。

 用意されたワゴンでお茶を淹れる。
 いつからか自分の仕事となったこれは、例え侍女であろうと眠る姿を見せたくないという俺の欲の顕れだ。そして、美味しいと言って見せてくれる笑顔を俺だけのものにするため。
 ティーポットにカットした果物を入れ、茶葉は少し多めに濃いお茶を淹れる。氷を入れたカップに熱いお茶を濾しながら注ぐと、カランとさわやかな音を立てた。
 
 窓辺に立ち外を見る。
 暗い森の向こうから段々と眩しい光が昇る。真っ暗な暗闇に覆われ魔者しか息付かなかった森は、日の明かりに照らされ神秘の森となり、動物たちの生命力に満ちた森に変貌する。
 夜が明ける。また朝がやって来た。

 窓を開け澄んだ空気を室内に取り込む。
 昼間がどんなに熱くても、朝晩の涼しい風が火照った身体を冷ましてくれる。レースのカーテンが風に揺れ、ゆっくりとやわらかく弧を描く。

 天蓋のカーテンをそっと開けベッドの端に腰掛けると、ぎしりと音を立てた。
 レースのカーテン越しに差す柔らかな日差しを浴びて、まだ寝息を立てる愛しい人の濡れ羽のような髪が艶めいている。
 薄い寝衣から伸びるしなやかな腕、肩を柔らかく照らす陽の光はその白い肌をほんのりと輝かせ、思わずむき出しになった艶めく肩にひとつ口付けを落とすと、ゆるりと身体が揺れた。
 だがまだ長い睫が伏せられたまま、俺の愛しい美しい瞳を隠している。
 濡れ羽のような漆黒の髪、長い睫、形のいい意思のある眉。指先でそっとそれらを辿りながら、ひんやりとした小さな耳朶に触れる。小さな青い石のピアスが煌めき、俺の色を常に身に着けているという事実だけで、喜びで胸が苦しくなる。
 その耳朶にもそっと口付けを落とす。

 頬にかかる髪をそっと指で除けるともぞりと身体を動かした。首に張り付いた髪も後ろに流すと、昨晩付けた痕が露わになる。こんなに目立つところにつけるなと、また文句を言われるだろう。
 そっと指でその痕をなぞり、そこにも柔らかく口付けを落とす。
 
 我ながら強い独占欲だと思う。昔の自分を思い出すと、こんな事をするようになるとは思いもしなかった。
 いや、こんなにも誰かに執着のような思いを抱き、誰かを渇望するとは思わなかったのだ。
 
 ――誰にも渡したくない、誰の目にも晒したくない、永遠に閉じ込めてしまいたい。俺だけをその瞳に映してくれたらいい。他に誰もいらない。俺と二人だけの世界で生きていけたら。
 そんな、夜の森のような仄暗い劣情を抱くとは思いもしなかった。

 昨晩の名残が身体の至る所に残っている。薄い寝衣越しにも分かるそれらを、もう一度上書きしたい。二度と消えることのない痕にして、いつでも俺の愛を感じていて欲しい。
 いや、それだけでは足りない。
 その柔肌に齧り付き、肉も骨も血の一滴だって全て飲み込み、身体の中に取り込んでしまいたい。そうして全て溶け合って、ひとつになってしまえばいい。
 互いの熱を分け合いながら、そんな食らいつきたい衝動を抑え時折己の拳に噛みついているなど、きっと思いもよらないだろう。

 だが一方で、真綿にくるみ大事に大事に、傷ひとつつかないように、宝物のように、誰の手にも届かない場所に閉じ込めてしまいたいとも思うのだ。永遠に手元に残せるように、いつでもその愛しい笑顔を向けてもらえるように。
 指を絡めつないだ手の愛しさ。風に揺れる絹糸のような髪の美しさ。日にあたり煌めく琥珀色の瞳。真っ白で柔らかな肌。
 どれも全て愛しくてたまらない。腕の中に大切に大切に、閉じ込めていたいのだ。

 
 ――さあ、もうすぐ俺の一番愛おしい時間が訪れる。
 長い睫がふるりと揺れ、ゆっくりとその瞳が開くだろう。
 琥珀色のその瞳に一番に映るのは、誰でもないこの俺だ。俺だけをその瞳に映し、ふわりと微笑みこう言うのだ。おはよう、と。そして恥ずかしそうに顔を隠しながら、またずっと見ていたのかと笑うのだ。
 
 そうだ、いつまでだって見ていたい。
 永遠に俺の目の届くところに置いて、永遠に俺だけを映していて欲しい。
 永遠に俺だけを愛して欲しい。
 それが叶わないのならせめて、この美しい朝の一番初めにその瞳に映すのは、この先もずっと俺だけにしてほしい。
 俺だけに、俺だけの時間を。
 
 伏せられた長い睫が揺れ、ゆっくりと瞬きをする。ゆらりと揺れる琥珀の瞳に映る俺は、誰も見たことのない幸せな顔をしている。
 ――暗闇から、光の下へ。

「……おはよう、カレン」

 今日もまた、愛しい人の瞳に俺を映して。
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