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第一章 辺境伯領

アルベルト2

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 それは呪文のように僕を縫い留めた。

 エーリクが怒っている。
 その後ろでアンナが声にならない声で真っ青な顔色を更に悪くした。

 本当、みんな間抜けだよね。

 誰もナガセが男の子であることを疑いもしなかったんだから。いや、一番の間抜けは僕か。知っていて何もしなかったのだから。
 でもエーリクは違ったようだ。この賢い次期辺境伯は早々に気が付き、ナガセのことを守っていたのだろう。怪我を負ったナガセを見て震え、己の非力を呪ったのだろう。
 そして、守れるだけの力があるくせに、知っていたくせに守らなかった僕に、怒っているんだ。

「……うん、知っていた」
「…………」

 何故、とは聞かない。
 エーリクも黙っていたから。でもそれは、ナガセの気持ちを考えてのことだろう。何か事情があるのかもしれないと、優しく見守っていたのだろう。
 僕とは違う。
 僕はナガセのことをちゃんと考えていなかった。

「エーリク、その話はまたちゃんとするよ。でも今はまだ、する事があるから許して欲しい」

 そう言うとエーリクは「はい」とひとつ頷き、退室した。

「アンナ」

 最早真っ白な顔をして立つ侍女長に声を掛ける。

「は、はいっ」
「驚く気持ちは分かるけど、エーリクの言うとおりだよ。ナガセ本人から聞いてはいないけど、間違いないから」
「……申し訳ありません、私は……」
「仕方ないよ、誰も疑わなかったんだ。今はさ、ナガセの手当てをしてあげて欲しいんだ。それと」

 多分、ナガセが一人でこっそり出ていった理由と思われる件を伝えると、アンナはボロボロと涙を流した。まだこの事は誰にも口外しないことを約束して、僕は部屋を出た。

 扉の外ではエーリクとヨアキムが待っていた。もうすぐ医者が来るらしい。
 何かを察しているのか、ヨアキムは眉間に深い皺を刻んでじっと佇んでいる。決して僕に何かを聞いてくる事はない。
 エーリクには、アンナの手当が終わったらナガセのそばにいてやって欲しいと頼んだ。エーリクは真剣な面持ちでしっかりと頷いた。


 僕は砦に戻ってこの件を処理しなければならない。乗って来た馬に跨り砦へ急ぐ。
 レオニダスももうすぐ戻るだろう。
 この所業を知った乳兄弟は、どうするだろうか。



 * * *



 砦には異様な殺気が漂っていた。そこここに立つ兵士たちから殺気が滲み出ている。門で馬を預け砦に入ったところでラウルに呼び止められる。

「あいつらは」
「地下の独房にそれぞれ」
「騎士団の責任者を執務室に呼んで」
「はっ」

 ラウルは心得ていたようで直ぐに責任者を連れて来た。
 僕は執務机に浅く腰掛け入って来た騎士を見つめる。

 見習い騎士の採用から教育まで、その年に選ばれた騎士が担当すると聞いている。つまり、必ずしも教育に慣れている訳ではないのだ。こいつもそうだろうか。歳は三十代半ばといったところ。
 呼び出された騎士は顔色を失い、じっとりと汗を浮かべ姿勢良く直立している。
 ここに来るまでに大方の事は報告を受けたのだろう。ことの重大さをよく理解しているみたいだ。なら話は早い。

「ラーセン殿、と言ったかな」
「はっ」
「何故ここにいるのかは大体お聞き及びと思うが」
「……はっ」
「貴殿がしでかした事ではないが、責任者を命じられている以上監督不行き届きと言われるのは致し方ない事」
「……誠に、申し訳」
「いや、謝罪はいいよ」
「……」
「ただ、彼等の処分についてはこちらで対応させてもらう事を了承頂きたい」
「それは……っ」
「そちらに任せても精々王都に帰して鍛錬の追加に減俸程度でしょう。でも、そんな生温いもので許されるはずもない事を彼等はした」
「……」
「それとも貴殿は、被害者が子供で平民だからとたかを括っている?」
「……私も平民の出です」
「なるほど? それであの貴族もどき達が貴殿を侮って言う事を聞かず、上手く御する事が出来なかったという事だね」
「……」
「平民で騎士になるなど並大抵の努力では叶わない事でしょう。騎士団では中々肩身が狭い思いもされているはず。だが、今回の件であの貴族もどき達を庇うなど、あってはならないと思わない?」
「……私は、規定に則って対処するまでです。こちらに来ている以上、こちらの郷に従うのが当然かと」
「そう? 話が早くて助かる。彼等の飲酒、喫煙についてはそちらの規則で裁くといい。正直うちは、その辺りについて寛大なところがあってね。……だが、我が領土の人間に対する集団での暴力については王国軍として看過できない。しかも平民に対し、騎士が暴力を振るうなど言語道断。正式に騎士団へ抗議させていただく」

 立ち上がり、騎士の側に寄り肩を叩く。

「貴殿にはこのまま辺境に残ってもらい、他の見習い騎士たちの手綱を握ってもらう。今回の五人はこちらでの処分が決まり次第王都へ送り帰す。異論はない?」
「はっ」

「……大丈夫、殺しはしないよ」

 僕は騎士に笑いかけた。




 ラウルと共に地下の独房へ足を運んだ。
 かび臭く寒いここは、よほどのことがない限り使用しない場所だ。それが今回は、五箇所も使用している。それだけでも十分、由々しき事態だ。
 ラウルがそのうちの一つの扉を開け独房に入った。後に続き、簡易ベッドで寝転がる図体のデカイ男を見下ろす。
 まだ十六歳と言うが、だからなんだ。
 こいつのしでかした事は、到底許される事ではない。

 ナガセのあの姿を見て理性が飛びそうになったが、その場で殺さなかった僕を褒めて欲しいよ。いや、ラウルも同じ気持ちだろうな。

 こいつはラウルに蹴り飛ばされ肋骨にヒビが入ったようだ。痛みが強いのか睨みつけては来るが大人しい。
 名前なんて知らない。どうでもいい。

「王都のお坊ちゃんが、やらかしちゃったね?」

 室内にある小さな丸椅子をベッドの近くに置いて腰掛ける。

「何か言う事はないの?」

 謝罪の一言でも言うかと思ったけど何も言わない。起き上がりもせず、ベッドに仰向けになって天井を見つめるだけ。自分の置かれている状況を全く分かってないみたいだ。馬鹿なのか。
 ミシリ、とラウルの足元から音がした。

「まあ別にいいけど。とりあえず君たちの処分はうちに任されたから、どう裁きを受けるか閣下が戻るまで楽しみにしていて」

 余りにもガキ臭くてシラケる。
 話もしたくなくなり立ち上がって出ようとしたところで、急に起き上がりすごい剣幕で喚きだした。

「我々は騎士だぞ!! 野蛮なお前達なんかに我々騎士が裁けるわけないだろう! 無能なラーセンなど必要ない! 王都の騎士団にこの旨……」

 ガアアアンッ!
 そこまで言うと、堪え兼ねたラウルが簡易ベッドを踏みつけ粉々に壊した。衝撃でガキが転がり落ち「ぐあぁっ!」と呻き声を上げる。
 僕はしゃがみ込んでガキを上から覗き込んだ。

「自分の立場を分かってないな。君は騎士を騙りながら平民を集団で暴行したんだよ? オマケに飲酒、喫煙…いつから王都の騎士はそんな事が許されるようになった訳? 見習いの分際で、何気取ってるのかな。君たちみたいなクズを騎士団は本当に助けると思ってるの?」
「……お、俺たちは貴族だ! こんな事して…」
「だから?」

 ああ、本当にムカつく。
 僕にもラウルみたいなギフトがあれば、こんな奴一発で殺してやるのに。

「君たちがどこの貴族か知らないけど、どうせ家督も継げない次男か三男でしょ。そんな君たちが陛下の甥であるうちの閣下を怒らせるんだ。実家からしたら血の気も引くような恐ろしさだろうな。そんな足を引っ張る君たちを、実家は助けてくれるの? 貴族って仲間意識が強いんだなー」

 知らなかった、とにっこり笑えば、ガキの顔は盛大に引き攣った。こんな事にも思い至らないなんて、本当に馬鹿なんだろう。

「……閣下が……」
「ん?」
「閣下が、おかしいんだ……」
「……は? 何?」
「…あんな、穢れたガキ一人、殺したところで……っ」


 そこでもう、僕は我慢をやめた。

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