304 / 315
【番外編:第302~303話の間】
第304話 ノック音は邪魔です
しおりを挟む
「いや。もういい。君がこの場にいてくれるだけで。もういいんだ」
殿下はそう言うと、厚い胸に私を引き寄せて強く抱きしめる。
「お帰り、ロザンヌ」
「……はい、殿下。ただいま戻りました」
私もまたこの夢をもう手放すまいと殿下の背に手を回した。
すると殿下はもう一度だけ抱きしめる腕に力を入れると、ふっと力を抜き、私から身を離す。
「殿下?」
見上げる私の顔に影が落ち、殿下の顔が近付いて来たので私は自然と目を伏せる。
殿下の手が私の後頭部の髪に差し込まれ、熱い吐息が唇にかかり、口づけまでもうほんの一呼吸。
と思われた時。
――コンコンッ。
静かな室内に応接間へと続く扉からノック音が響いて、二人の時間が止まった。
私はびくりと肩が震えて思わず目を開いてしまう。殿下もまた動きを止めたが、そちらに気を配るつもりはないようだ。私の顎をつかむ。
「ロザンヌ――愛している」
かすれた低い声と熱っぽい瞳にどくりと大きく鼓動を打った。
逸れた気持ちを一瞬の内に強く引き戻され、甘い毒を飲まされたように殿下に心を奪われて目が離せなくなる。
「ロザンヌ」
名を呼ばれるたびに胸が熱くなる。
端正な殿下の顔が近づき、私もまるで魔性に魅入られたように半ば目を伏せながら踵を上げる。
と。
――コンコンッ。
再びノック音が聞こえて、ぼんやりした思考から目覚めて正気に戻り、慌てて踵を下ろした。
「あ、あの。殿下。ノックが」
「気にしなくていい」
殿下はそう言うけれど、さっきからユリアが呼んでいるのよね。ユリアは殿下がお見えになってすぐに退室した。その彼女が敢えて呼んでいるのだから、大事な用事なのではないだろうか。
すると今度は。
――ココココンッ。
何だかリズミカルだ。
ユリアがこんな事をするとも思えないけれど。
――コココ、コンッ! ココ、コココンッ! コ、コココココンッ!
続けて鳴らされるノックは段々と激しくなってきた。
相手の苛立ちだか、からかいだかが伝わってきて、違う意味で胸がドキドキする。
「殿下」
「仕方がない。先に来客を片付けよう」
さすがに殿下も興ざめしたようでため息をつくと私から離れ、扉へと向かい開け放つ。
「母上。……止めていただけませんか」
「あら。よくわたくしだと思いましたね。さすが我が息子」
相手を確認する前に分かっていたようで殿下の第一声がそれだった。
「ところで」
王妃殿下はエルベルト殿下を押しのけて部屋を覗き込まれた。
「ロザンヌ様!」
私を確認なさると、ぱっと笑顔になって足早にやって来られる。
「ユリアさんの姿が見えたから、あなたも戻って来ているとは思っていたけれど、本当に良かったわ」
「ご、ごきげんよう、王妃殿下。この度は大変ご迷惑を」
私がそこまで言った時、王妃殿下は私の唇にそっと指を当てて、首を振られた。
「謝るのはこちらの方よ。陛下のせいであなたにご迷惑をかけてしまったわ。さぞかし胸を痛めたことでしょう。まずはわたくしからお詫び申し上げます。本当にごめんなさい。後で陛下にもしっかり謝罪させますからね」
「い、いえ。そんな。とんでもないお話でございます」
「謙虚にそうおっしゃると思っていたわ。その分、わたくしが陛下にお仕置きしておきますわね。でもやはり陛下も反省していますし、謝罪だけはさせてちょうだい」
エルベルト殿下のお話を聞いたところによると、既にとっちめられた後ではないのでしょうか。まだお仕置きするおつもりなのでしょうか。いえ、もういいですよ……。
「ところで戻って来てくれたということは、愚鈍な陛下の血を引いた鈍感な息子でも、仕方がないから一緒になってやろうとお考え直ししてくれたと解釈していいのですよね? 良かったわ。ありがとう。本当にありがとう。それでいつ婚約発表する? 明日? 明後日? ああ、ごめんなさい。あなたにだって心の準備というものがあるわよね」
キラキラの瞳で勢いよく続けざまにお話になられる王妃殿下に圧倒されて、ようやく話が切れた今も何をお答えすればよいのか分からない。
「あ、あの、えっと」
「ああ、そうだわ。ドレスも用意しなけれ――あら。ドレスの用意はできているのね。素敵よ! とてもお似合いになると思うわ。さぞかし人目を引く婚約発表となることでしょう。でもあなたのご両親もお呼びしないといけないし、三日後ぐらいでいいかし」
「母上」
見かねたエルベルト殿下が側にやって来てようやく止めてくれた。
「婚約発表はまだ先のことです。ロザンヌ嬢を困らせないでください」
「何ですって」
王妃殿下はぐりんと顔を回して、殿下に視線を向けると睨み付けた。
「あなた、ただの口約束だけで女性を縛り付けるつもり? なんと嘆かわしい! そんな不誠実な息子に育てた覚えはありませんよ」
「いいえ。そうではなく」
頭が痛そうにこめかみに手をやる殿下。
「ロザンヌ嬢はまだ学生です。今、発表すると、これからの学園生活に支障を来すことが予想されます。ですから公表は卒業後にする予定です。ただし、婚約者の名は未公表ですが、決定したということだけは広報するつもりです」
「……そう。それなら仕方ないわね」
殿下の言い分を聞いて、王妃殿下は納得されたようだ。
「いえ、待って。だとしたら、わたくしとのお茶会はどうなるの。まさかそれも発表後?」
不満そうな王妃殿下に、エルベルト殿下は苦笑いされた。
「自室でのお茶会ならいいのでは」
「分かったわ。それぐらいなら譲歩しましょう。――ロザンヌ様」
「は、はい」
お二人の間で話の決着がつき、王妃殿下は再び私に視線を向けられたのでピンと姿勢を正す。
「不束者ですが、エルベルトをどうかよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
狼狽しながらも私は丁寧に礼を返した。
殿下はそう言うと、厚い胸に私を引き寄せて強く抱きしめる。
「お帰り、ロザンヌ」
「……はい、殿下。ただいま戻りました」
私もまたこの夢をもう手放すまいと殿下の背に手を回した。
すると殿下はもう一度だけ抱きしめる腕に力を入れると、ふっと力を抜き、私から身を離す。
「殿下?」
見上げる私の顔に影が落ち、殿下の顔が近付いて来たので私は自然と目を伏せる。
殿下の手が私の後頭部の髪に差し込まれ、熱い吐息が唇にかかり、口づけまでもうほんの一呼吸。
と思われた時。
――コンコンッ。
静かな室内に応接間へと続く扉からノック音が響いて、二人の時間が止まった。
私はびくりと肩が震えて思わず目を開いてしまう。殿下もまた動きを止めたが、そちらに気を配るつもりはないようだ。私の顎をつかむ。
「ロザンヌ――愛している」
かすれた低い声と熱っぽい瞳にどくりと大きく鼓動を打った。
逸れた気持ちを一瞬の内に強く引き戻され、甘い毒を飲まされたように殿下に心を奪われて目が離せなくなる。
「ロザンヌ」
名を呼ばれるたびに胸が熱くなる。
端正な殿下の顔が近づき、私もまるで魔性に魅入られたように半ば目を伏せながら踵を上げる。
と。
――コンコンッ。
再びノック音が聞こえて、ぼんやりした思考から目覚めて正気に戻り、慌てて踵を下ろした。
「あ、あの。殿下。ノックが」
「気にしなくていい」
殿下はそう言うけれど、さっきからユリアが呼んでいるのよね。ユリアは殿下がお見えになってすぐに退室した。その彼女が敢えて呼んでいるのだから、大事な用事なのではないだろうか。
すると今度は。
――ココココンッ。
何だかリズミカルだ。
ユリアがこんな事をするとも思えないけれど。
――コココ、コンッ! ココ、コココンッ! コ、コココココンッ!
続けて鳴らされるノックは段々と激しくなってきた。
相手の苛立ちだか、からかいだかが伝わってきて、違う意味で胸がドキドキする。
「殿下」
「仕方がない。先に来客を片付けよう」
さすがに殿下も興ざめしたようでため息をつくと私から離れ、扉へと向かい開け放つ。
「母上。……止めていただけませんか」
「あら。よくわたくしだと思いましたね。さすが我が息子」
相手を確認する前に分かっていたようで殿下の第一声がそれだった。
「ところで」
王妃殿下はエルベルト殿下を押しのけて部屋を覗き込まれた。
「ロザンヌ様!」
私を確認なさると、ぱっと笑顔になって足早にやって来られる。
「ユリアさんの姿が見えたから、あなたも戻って来ているとは思っていたけれど、本当に良かったわ」
「ご、ごきげんよう、王妃殿下。この度は大変ご迷惑を」
私がそこまで言った時、王妃殿下は私の唇にそっと指を当てて、首を振られた。
「謝るのはこちらの方よ。陛下のせいであなたにご迷惑をかけてしまったわ。さぞかし胸を痛めたことでしょう。まずはわたくしからお詫び申し上げます。本当にごめんなさい。後で陛下にもしっかり謝罪させますからね」
「い、いえ。そんな。とんでもないお話でございます」
「謙虚にそうおっしゃると思っていたわ。その分、わたくしが陛下にお仕置きしておきますわね。でもやはり陛下も反省していますし、謝罪だけはさせてちょうだい」
エルベルト殿下のお話を聞いたところによると、既にとっちめられた後ではないのでしょうか。まだお仕置きするおつもりなのでしょうか。いえ、もういいですよ……。
「ところで戻って来てくれたということは、愚鈍な陛下の血を引いた鈍感な息子でも、仕方がないから一緒になってやろうとお考え直ししてくれたと解釈していいのですよね? 良かったわ。ありがとう。本当にありがとう。それでいつ婚約発表する? 明日? 明後日? ああ、ごめんなさい。あなたにだって心の準備というものがあるわよね」
キラキラの瞳で勢いよく続けざまにお話になられる王妃殿下に圧倒されて、ようやく話が切れた今も何をお答えすればよいのか分からない。
「あ、あの、えっと」
「ああ、そうだわ。ドレスも用意しなけれ――あら。ドレスの用意はできているのね。素敵よ! とてもお似合いになると思うわ。さぞかし人目を引く婚約発表となることでしょう。でもあなたのご両親もお呼びしないといけないし、三日後ぐらいでいいかし」
「母上」
見かねたエルベルト殿下が側にやって来てようやく止めてくれた。
「婚約発表はまだ先のことです。ロザンヌ嬢を困らせないでください」
「何ですって」
王妃殿下はぐりんと顔を回して、殿下に視線を向けると睨み付けた。
「あなた、ただの口約束だけで女性を縛り付けるつもり? なんと嘆かわしい! そんな不誠実な息子に育てた覚えはありませんよ」
「いいえ。そうではなく」
頭が痛そうにこめかみに手をやる殿下。
「ロザンヌ嬢はまだ学生です。今、発表すると、これからの学園生活に支障を来すことが予想されます。ですから公表は卒業後にする予定です。ただし、婚約者の名は未公表ですが、決定したということだけは広報するつもりです」
「……そう。それなら仕方ないわね」
殿下の言い分を聞いて、王妃殿下は納得されたようだ。
「いえ、待って。だとしたら、わたくしとのお茶会はどうなるの。まさかそれも発表後?」
不満そうな王妃殿下に、エルベルト殿下は苦笑いされた。
「自室でのお茶会ならいいのでは」
「分かったわ。それぐらいなら譲歩しましょう。――ロザンヌ様」
「は、はい」
お二人の間で話の決着がつき、王妃殿下は再び私に視線を向けられたのでピンと姿勢を正す。
「不束者ですが、エルベルトをどうかよろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
狼狽しながらも私は丁寧に礼を返した。
23
お気に入りに追加
3,726
あなたにおすすめの小説
性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~
黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※
すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!
妹に婚約者を奪われました。後悔してももう遅い。
マルローネ
恋愛
子爵令嬢のアリスは妹のわがままに日々、悩まされていた。
また婚約をした侯爵も非常に高圧的で、精神的に削られる板挟みの生活を送っていた。
「お姉ちゃん、侯爵様を頂戴!」
妹のわがままも度が過ぎたものになる……しかし、これはチャンスだった。後悔してももう遅い。
俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。
ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。
俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。
そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。
こんな女とは婚約解消だ。
この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。
わたしとの約束を守るために留学をしていた幼馴染が、知らない女性を連れて戻ってきました
柚木ゆず
恋愛
「リュクレースを世界の誰よりも幸せにするって約束を果たすには、もっと箔をつけないといけない。そのために俺、留学することにしたんだ」
名門と呼ばれている学院に入学して優秀な成績を収め、生徒会長に就任する。わたしの婚約者であるナズアリエ伯爵家の嫡男ラウルは、その2つの目標を実現するため2年前に隣国に渡りました。
そんなラウルは長期休みになっても帰国しないほど熱心に勉学に励み、成績は常に学年1位をキープ。そういった部分が評価されてついに、一番の目標だった生徒会長への就任という快挙を成し遂げたのでした。
《リュクレース、ついにやったよ! 家への報告も兼ねて2週間後に一旦帰国するから、その時に会おうね!!》
ラウルから送られてきた手紙にはそういったことが記されていて、手紙を受け取った日からずっと再会を楽しみにしていました。
でも――。
およそ2年ぶりに帰ってきたラウルは終始上から目線で振る舞うようになっていて、しかも見ず知らずの女性と一緒だったのです。
そういった別人のような態度と、予想外の事態に困惑していると――。そんなわたしに対して彼は、平然とこんなことを言い放ったのでした。
「この間はああ言っていたけど、リュクレースと結んでいる婚約は解消する。こちらにいらっしゃるマリレーヌ様が、俺の新たな婚約者だ」
※8月5日に追記させていただきました。
少なくとも今週末まではできるだけ安静にした方がいいとのことで、しばらくしっかりとしたお礼(お返事)ができないため感想欄を閉じさせていただいております。
【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
喋ることができなくなった行き遅れ令嬢ですが、幸せです。
加藤ラスク
恋愛
セシル = マクラグレンは昔とある事件のせいで喋ることができなくなっていた。今は王室内事務局で働いており、真面目で誠実だと評判だ。しかし後輩のラーラからは、行き遅れ令嬢などと嫌味を言われる日々。
そんなセシルの密かな喜びは、今大人気のイケメン騎士団長クレイグ = エヴェレストに会えること。クレイグはなぜか毎日事務局に顔を出し、要件がある時は必ずセシルを指名していた。そんなある日、重要な書類が紛失する事件が起きて……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる