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第231話 この瞬間を大事に
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「……殿下」
「ん?」
耳元近くに届く殿下の吐息に、低い声にまだ慣れない。
背中に回される殿下の強い腕にたじろいでしまう。
首筋に伝う殿下の指に痺れが走る。呼吸が乱れる。
殿下の厚い胸板に高鳴る鼓動が収まらない。
自分を包み込む殿下の熱と香りに思考がとろけそうになる。
ただ今、わたくし、ロザンヌ・ダングルベールは執務室のソファーで影祓いの最中にて――殿下にしがみつかれている。もとい、抱きしめられている。
想いを伝え合ったあの日以降、殿下との距離が縮まった。……いや、いきなり縮まりすぎたと言っておきたい。人前での距離間は相変わらずだけれど、人気のない影祓いの時は手を握っていた状態から、抱きしめられる状況に変わっている。
私は殿下への気持ちを真正面から認め、そして殿下のお気持ちを受け取ったばかりなので、この急激な変化には戸惑うばかりだ。
不純異性交遊は禁止ですと言ったからか、口づけこそはしないけれど、影祓いにかこつけて必要以上の接触をしてくる。しかし、それに抵抗できない自分がいるのも確かだ。
「あ、あの……そろそろ。倒れる前に」
私が!
私が倒れる前に!
殿下の熱が伝わって、体中、煮え上がりそうです。――いえ。頭はぼんやりしているから、もう既に手遅れで煮え切っているかもしれない。
「分かった」
丁度、影祓いの瞬間でもあったようで、殿下は渋々といった態度で私から離れた。
解放してほしいと言ったのは私なのに、あっという間に消え去る熱に名残惜しさと寂しさを感じるのは不思議だ。殿下の残り香だけがそこに留まって、余計に切なさを感じさせられる。
手を伸ばせばまだすぐ側にあるのに、私にはそれができないから……。
「ロザンヌ嬢、大丈夫か? 顔が赤いぞ」
私は余韻に浸っているのに、一人冷静に戻られた気がして、くすりと笑う余裕の殿下が憎らしい。生来の負けん気の強さを発揮し、冷静になって殿下をたしなめようと思う。
ごほんと咳払いして、臨戦態勢を整えた。
「あ、あのですね。執務室で不用意に接近されることはよろしくないと申し上げたはずです」
いつ誰がやって来るか分からないのに。殿下はきっと簡単に心を切り替えることができるのでしょう。けれど私は入室前にお伺いがあったとしても、そんなにすぐ対処できません。
「何を言っているんだ? ここだから、抱きつくことで我慢してやっているというのに」
殿下は不満そうに眉をひそめた。
ここではなかったら、どういう行動を取ると言うのだ。けれど尋ねてしまったらさらに私では手に負えない答えが返ってくると予想されるので、ぐっと我慢する。
私は上げられたベールを落として表情を隠すとさらに仕事モードになり、強気な態度を取り戻す。
「とにかくですね。執務室ではわたくしに軽はずみに抱きつきませんように!」
「……二人の時は顔を隠さないでくれと言ったはずだが」
私の言葉には返事しないで、殿下はそっと手を伸ばすと下げたばかりのベールに触れようとする。
私の影は殿下に取り憑かないので、私に触れない限りは殿下に影響を及ぼすことはないにしても行動が軽率すぎる。それにベールで気持ちの切り替えをしようとしているのに。
「殿――」
「ロザンヌ」
「っ」
咎めようとした私に殿下が低い声で名を呼ぶ。
ずるい。その呼び方はずるい……。
動揺して言葉を詰まらせた私に殿下は少し笑うと、そのままベールを手に取って持ち上げた。
再び露わになった私の視界の先には、胸を締め付けるような熱っぽい殿下の瞳。
せっかく収まりかけた動悸がまた激しく暴れ出す。
仕事に打ち込んでいる時の真剣な眼差しとは全く違う。胸をざわめかせるような殿下の瞳の奥には今、一体何が宿っているのだろう。
「影が憑いているその瞬間しか君に触れられないんだ。私はこの時間を大事にしたい」
たとえ想い合っていたとしても、互いに触れられる時間が限られている歪な私たちの関係。だからこそ触れ合える一瞬一瞬を大事にしなくてはいけない。大事にしたい。
手を離した瞬間、殿下はこのフォンテーヌ王国の第一王位後継者に、私はしがない一介の侍女に戻るのだから。
「はい。……殿下」
頷いて見上げる私に、殿下はさらに熱がこもった瞳で見つめ返してくれる。
「ロザンヌ」
掠れた低い声で名を呼ばれ、殿下の顔が近づく。
「……っ。殿下」
「あ、えーっと。――だから。今は触れるのを止めて……くれる、だろうか」
「ん? あ……」
気付けば感情の赴くまま殿下の手に自分の手を重ねていた私は、殿下を深く深くソファーに沈めた。
「ん?」
耳元近くに届く殿下の吐息に、低い声にまだ慣れない。
背中に回される殿下の強い腕にたじろいでしまう。
首筋に伝う殿下の指に痺れが走る。呼吸が乱れる。
殿下の厚い胸板に高鳴る鼓動が収まらない。
自分を包み込む殿下の熱と香りに思考がとろけそうになる。
ただ今、わたくし、ロザンヌ・ダングルベールは執務室のソファーで影祓いの最中にて――殿下にしがみつかれている。もとい、抱きしめられている。
想いを伝え合ったあの日以降、殿下との距離が縮まった。……いや、いきなり縮まりすぎたと言っておきたい。人前での距離間は相変わらずだけれど、人気のない影祓いの時は手を握っていた状態から、抱きしめられる状況に変わっている。
私は殿下への気持ちを真正面から認め、そして殿下のお気持ちを受け取ったばかりなので、この急激な変化には戸惑うばかりだ。
不純異性交遊は禁止ですと言ったからか、口づけこそはしないけれど、影祓いにかこつけて必要以上の接触をしてくる。しかし、それに抵抗できない自分がいるのも確かだ。
「あ、あの……そろそろ。倒れる前に」
私が!
私が倒れる前に!
殿下の熱が伝わって、体中、煮え上がりそうです。――いえ。頭はぼんやりしているから、もう既に手遅れで煮え切っているかもしれない。
「分かった」
丁度、影祓いの瞬間でもあったようで、殿下は渋々といった態度で私から離れた。
解放してほしいと言ったのは私なのに、あっという間に消え去る熱に名残惜しさと寂しさを感じるのは不思議だ。殿下の残り香だけがそこに留まって、余計に切なさを感じさせられる。
手を伸ばせばまだすぐ側にあるのに、私にはそれができないから……。
「ロザンヌ嬢、大丈夫か? 顔が赤いぞ」
私は余韻に浸っているのに、一人冷静に戻られた気がして、くすりと笑う余裕の殿下が憎らしい。生来の負けん気の強さを発揮し、冷静になって殿下をたしなめようと思う。
ごほんと咳払いして、臨戦態勢を整えた。
「あ、あのですね。執務室で不用意に接近されることはよろしくないと申し上げたはずです」
いつ誰がやって来るか分からないのに。殿下はきっと簡単に心を切り替えることができるのでしょう。けれど私は入室前にお伺いがあったとしても、そんなにすぐ対処できません。
「何を言っているんだ? ここだから、抱きつくことで我慢してやっているというのに」
殿下は不満そうに眉をひそめた。
ここではなかったら、どういう行動を取ると言うのだ。けれど尋ねてしまったらさらに私では手に負えない答えが返ってくると予想されるので、ぐっと我慢する。
私は上げられたベールを落として表情を隠すとさらに仕事モードになり、強気な態度を取り戻す。
「とにかくですね。執務室ではわたくしに軽はずみに抱きつきませんように!」
「……二人の時は顔を隠さないでくれと言ったはずだが」
私の言葉には返事しないで、殿下はそっと手を伸ばすと下げたばかりのベールに触れようとする。
私の影は殿下に取り憑かないので、私に触れない限りは殿下に影響を及ぼすことはないにしても行動が軽率すぎる。それにベールで気持ちの切り替えをしようとしているのに。
「殿――」
「ロザンヌ」
「っ」
咎めようとした私に殿下が低い声で名を呼ぶ。
ずるい。その呼び方はずるい……。
動揺して言葉を詰まらせた私に殿下は少し笑うと、そのままベールを手に取って持ち上げた。
再び露わになった私の視界の先には、胸を締め付けるような熱っぽい殿下の瞳。
せっかく収まりかけた動悸がまた激しく暴れ出す。
仕事に打ち込んでいる時の真剣な眼差しとは全く違う。胸をざわめかせるような殿下の瞳の奥には今、一体何が宿っているのだろう。
「影が憑いているその瞬間しか君に触れられないんだ。私はこの時間を大事にしたい」
たとえ想い合っていたとしても、互いに触れられる時間が限られている歪な私たちの関係。だからこそ触れ合える一瞬一瞬を大事にしなくてはいけない。大事にしたい。
手を離した瞬間、殿下はこのフォンテーヌ王国の第一王位後継者に、私はしがない一介の侍女に戻るのだから。
「はい。……殿下」
頷いて見上げる私に、殿下はさらに熱がこもった瞳で見つめ返してくれる。
「ロザンヌ」
掠れた低い声で名を呼ばれ、殿下の顔が近づく。
「……っ。殿下」
「あ、えーっと。――だから。今は触れるのを止めて……くれる、だろうか」
「ん? あ……」
気付けば感情の赴くまま殿下の手に自分の手を重ねていた私は、殿下を深く深くソファーに沈めた。
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