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第63話 エルベルト殿下の苦悩(後)
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部屋に戻ると私は椅子に腰掛けた。
社交界デビューの歳とは言え、まだ心も体も成熟していないはずの、手を振り払ってしまった彼女のことを思って気に病んでいたが、ふと気付いた。
今、自分は倒れていないと。それどころか体の軽さを感じると。影の気配はない。いや――消えている。
立ち上がって自分の姿を確認してみたが、もちろんふらつくこともなければ、気分の悪さもない。
彼女に触れる直前まで影は確かに私に憑いていた。これまで何もしなくても影が消えたことは一度たりとも無い。
となると、消えた理由はただ一つ。
「彼女に触れたことだ」
言葉にしてみてより強くそう思った。
確認してみる必要がある。
私は立ち上がって会場に戻ったが、彼女の姿を見付けることはできなかった。
周りの者に尋ねてみると、既に帰った後だと言う。まだパーティーは続いているのに、きっといたたまれなくなってしまったのだろう。
あらためて自分のした事の罪の重さを感じる。しかし起こしてしまったことを悔やんでばかりいても仕方がない。
私は使者を出し、彼女を王宮に呼んで謝罪することにした。
翌日。
既に到着したという知らせにより部屋へ向かう。
少なからず緊張している。それは彼女の泣き腫らしたであろう顔を見るのもつらいし、影を消す力があるのかどうかということを検証するのも怖いからだ。
一筋の光を掴もうと手を伸ばして、ただその下に影を落とすだけかもしれない。それでも一縷の望みがあるのならば……。
深呼吸してロザンヌ嬢の待つ部屋をノックして入室すると、彼女もまた緊張した様子で私を迎えて挨拶をしようとしたが、早々に遮って椅子を勧めた。
一瞬だけ顔を合わせてすぐ視線を外してしまう。
十分な手入れがされたのか、彼女の目には涙で腫らした跡はないことに、少しほっとしつつ罪悪感が残る。だが、問題は影だ。普通の影の形は恐ろしく気味は悪いが、ぼんやり人の側で漂っているだけに過ぎない。しかし彼女の影はなぜ活動的なのだろうか。今にもこちらへ飛びかからんと狙っているかのようだ。
深く考え込みそうになったが、彼女を放置していた自分に気付き、口を開いて謝罪の言葉を述べると。
「謝罪というものはだね。真摯な態度で向き合って、心から謝るべきであって、嫌々謝られたって何の意味もないのであり」
彼女が不満そうに呟くので私は慌てて視線を戻して再び謝罪すると、今度は彼女の方が驚いたように眉を上げた。
おまけに。
「何とな!? こやつ、私の心を読んだ!?」
ときたもんだ……。
王族相手に、なかなかふてぶてし……肝が据わった女性らしい。時代が時代なら首一つ飛び、御家取り潰しの流れとなるだろう。
けれど私はそんな彼女に自然と笑みがこぼれた。
こうも真っ直ぐに自分の気持ちを態度で示し、言葉をそのままぶつけてくる人間も珍しい。仮面を被った人間ばかり相手にしてきたからなおさらだ。
すると彼女は私の寛大な様子からすっかり肩の力を抜いたらしい。その図々し、物怖じしない態度も見上げたものだと思う。もしかしたら昨日、号泣したかもしれないと考えたことは杞憂だったかもしれない。
私は気を取り直してロザンヌ嬢に謝罪すると、本題に入ることにした。
生憎と彼女の目には影を捉えることはできなかったが、推測通り、影を消すことが証明された。その時の私は身内でも近年まれに見るほど、気分が高揚した様子だったと思う。自分のことだけではなく、歴代の王族が苦しんできた呪い解明の鍵となる予感がしたからだ。
何も分からない彼女は若干引いていたようにも見えたが、まあ、お互い様だろう。
菓子と茶を用意すれば目を爛々とさせ、事情を話して聞かせれば興味無いとばかりに死んだ目のようになり、彼女は言葉だけではなく態度からも自分の感情を隠そうとはしない。……いや、開き直って隠さないことにしたのかもしれない。
王族相手に決して褒められた態度ではないが、彼女を前に私もまた自分を取り繕う必要はないと感じた。素の自分でいられることがどれだけ肩の力を抜いて呼吸できることなのか、きっと彼女には分からない。
「ロザンヌ嬢、あの社交界デビューの日の事だが、家に帰ってから泣いたり……したか?」
ある日、執務室にて気にかかっていた事を尋ねてみると。
「え? 泣いた? ああ! ええ。あの日は足の痺れに泣きましたねー」
「足の痺れ?」
不審そうに眉をひそめて尋ねると、彼女ははっと表情を変えた。
「あ!? い、いえ! 殿下に拒絶されたあの日のことですね! それはもう、号泣ですよ号泣。大号泣!」
「足の痺れとは」
「そんな事よりも殿下! お天気も良いことですし、窓を開けて空気の入れ替えをしてもよろしいでしょうか」
「……ああ。頼む」
話を変えたいらしいロザンヌ嬢に許可を出すと、彼女は私の背後の窓を開け放つ。すると、気持ちの良いそよ風が部屋の中へと舞い込んだ。
彼女は間違いなくこの王宮の閉ざされた窓を開け、新鮮な空気と共に眩しい光を取り込んでくれることだろう。
「よろしいですか、殿下。健康の一番はですね。自然の力を一身に浴び――あ。殿下の場合、窓を開けたままにしておいたら王家を狙う謀反人により後頭部をヒューン、ズトーンッと矢の方を浴びそうですね。失礼いたしました」
彼女はそう言いながら、拳二つ重ねて置いた自分の頭を少し前に倒して実演してみせた。
うん。実に茶目っ気のある天真爛漫な少女だ。
だが、王族の私に対して少しくらいは敬意を払ってもらっても罰は当たらない……かもしれない。
社交界デビューの歳とは言え、まだ心も体も成熟していないはずの、手を振り払ってしまった彼女のことを思って気に病んでいたが、ふと気付いた。
今、自分は倒れていないと。それどころか体の軽さを感じると。影の気配はない。いや――消えている。
立ち上がって自分の姿を確認してみたが、もちろんふらつくこともなければ、気分の悪さもない。
彼女に触れる直前まで影は確かに私に憑いていた。これまで何もしなくても影が消えたことは一度たりとも無い。
となると、消えた理由はただ一つ。
「彼女に触れたことだ」
言葉にしてみてより強くそう思った。
確認してみる必要がある。
私は立ち上がって会場に戻ったが、彼女の姿を見付けることはできなかった。
周りの者に尋ねてみると、既に帰った後だと言う。まだパーティーは続いているのに、きっといたたまれなくなってしまったのだろう。
あらためて自分のした事の罪の重さを感じる。しかし起こしてしまったことを悔やんでばかりいても仕方がない。
私は使者を出し、彼女を王宮に呼んで謝罪することにした。
翌日。
既に到着したという知らせにより部屋へ向かう。
少なからず緊張している。それは彼女の泣き腫らしたであろう顔を見るのもつらいし、影を消す力があるのかどうかということを検証するのも怖いからだ。
一筋の光を掴もうと手を伸ばして、ただその下に影を落とすだけかもしれない。それでも一縷の望みがあるのならば……。
深呼吸してロザンヌ嬢の待つ部屋をノックして入室すると、彼女もまた緊張した様子で私を迎えて挨拶をしようとしたが、早々に遮って椅子を勧めた。
一瞬だけ顔を合わせてすぐ視線を外してしまう。
十分な手入れがされたのか、彼女の目には涙で腫らした跡はないことに、少しほっとしつつ罪悪感が残る。だが、問題は影だ。普通の影の形は恐ろしく気味は悪いが、ぼんやり人の側で漂っているだけに過ぎない。しかし彼女の影はなぜ活動的なのだろうか。今にもこちらへ飛びかからんと狙っているかのようだ。
深く考え込みそうになったが、彼女を放置していた自分に気付き、口を開いて謝罪の言葉を述べると。
「謝罪というものはだね。真摯な態度で向き合って、心から謝るべきであって、嫌々謝られたって何の意味もないのであり」
彼女が不満そうに呟くので私は慌てて視線を戻して再び謝罪すると、今度は彼女の方が驚いたように眉を上げた。
おまけに。
「何とな!? こやつ、私の心を読んだ!?」
ときたもんだ……。
王族相手に、なかなかふてぶてし……肝が据わった女性らしい。時代が時代なら首一つ飛び、御家取り潰しの流れとなるだろう。
けれど私はそんな彼女に自然と笑みがこぼれた。
こうも真っ直ぐに自分の気持ちを態度で示し、言葉をそのままぶつけてくる人間も珍しい。仮面を被った人間ばかり相手にしてきたからなおさらだ。
すると彼女は私の寛大な様子からすっかり肩の力を抜いたらしい。その図々し、物怖じしない態度も見上げたものだと思う。もしかしたら昨日、号泣したかもしれないと考えたことは杞憂だったかもしれない。
私は気を取り直してロザンヌ嬢に謝罪すると、本題に入ることにした。
生憎と彼女の目には影を捉えることはできなかったが、推測通り、影を消すことが証明された。その時の私は身内でも近年まれに見るほど、気分が高揚した様子だったと思う。自分のことだけではなく、歴代の王族が苦しんできた呪い解明の鍵となる予感がしたからだ。
何も分からない彼女は若干引いていたようにも見えたが、まあ、お互い様だろう。
菓子と茶を用意すれば目を爛々とさせ、事情を話して聞かせれば興味無いとばかりに死んだ目のようになり、彼女は言葉だけではなく態度からも自分の感情を隠そうとはしない。……いや、開き直って隠さないことにしたのかもしれない。
王族相手に決して褒められた態度ではないが、彼女を前に私もまた自分を取り繕う必要はないと感じた。素の自分でいられることがどれだけ肩の力を抜いて呼吸できることなのか、きっと彼女には分からない。
「ロザンヌ嬢、あの社交界デビューの日の事だが、家に帰ってから泣いたり……したか?」
ある日、執務室にて気にかかっていた事を尋ねてみると。
「え? 泣いた? ああ! ええ。あの日は足の痺れに泣きましたねー」
「足の痺れ?」
不審そうに眉をひそめて尋ねると、彼女ははっと表情を変えた。
「あ!? い、いえ! 殿下に拒絶されたあの日のことですね! それはもう、号泣ですよ号泣。大号泣!」
「足の痺れとは」
「そんな事よりも殿下! お天気も良いことですし、窓を開けて空気の入れ替えをしてもよろしいでしょうか」
「……ああ。頼む」
話を変えたいらしいロザンヌ嬢に許可を出すと、彼女は私の背後の窓を開け放つ。すると、気持ちの良いそよ風が部屋の中へと舞い込んだ。
彼女は間違いなくこの王宮の閉ざされた窓を開け、新鮮な空気と共に眩しい光を取り込んでくれることだろう。
「よろしいですか、殿下。健康の一番はですね。自然の力を一身に浴び――あ。殿下の場合、窓を開けたままにしておいたら王家を狙う謀反人により後頭部をヒューン、ズトーンッと矢の方を浴びそうですね。失礼いたしました」
彼女はそう言いながら、拳二つ重ねて置いた自分の頭を少し前に倒して実演してみせた。
うん。実に茶目っ気のある天真爛漫な少女だ。
だが、王族の私に対して少しくらいは敬意を払ってもらっても罰は当たらない……かもしれない。
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