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第72話 私はやっぱり掃除婦
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護衛官室から出ると、私はユリアの手を両手でしっかりと握りしめた。
「それじゃあ、ユリア。ジェラルド様にご迷惑をおかけしないでね。言うことはちゃんと聞いてね。素直に従ってね?」
「そのお言葉、そのままそっくりロザンヌ様にお返しいたします。殿下にご迷惑をおかけしませんように」
「失礼ね。しないに決まっ――じゃあ。そういうことで。ジェラルド様、後はよろしくお願いいたします」
ジェラルドさんに笑顔で挨拶をすると、背後から迷惑をかけないに決まってないのかと殿下から声がかかった。もちろん無視した。
「それではね」
私たちとユリアたちは背を向け、それぞれ別れて歩き出した。
「殿下、こちらの勝手な都合を聞いていただき、ありがとうございました。ですが、ジェラルド様に付いていただかなくて本当に大丈夫でしょうか」
「ああ。元々、今の時代は安定王政だから、刺客を送ってくる奴はそうそういない。王宮内でジェラルドに護衛に付いてもらっている理由は、影に憑かれて体調を崩した時のためだ」
なるほど。それならば私だけでも何とかなりそうだ。
「ところで、今日は一応休みなのに侍女服なんだな」
この辺りはまだ人気が少ないから今は肩を並べて歩いているけれど、もうすぐ人通りの多い場所になるので、私は少しずつ歩みを遅くする。
「はい。侍女服にしたことはおかしかったでしょうか」
「いや。よく似合うことだ」
手に雑巾を持つ侍女姿の私をしげしげと見て殿下は言った。
褒めてませんよね? どうせ私は、スプーンより重い物は持ったことがないのですと微笑むようなご令嬢じゃありませんよ。まあ、自分でも侍女服が似合ってしまっている事実は否めないので、これ以上、反論することもない。
「だが、どうして侍女服にした?」
「侍女服の方が殿下との距離も取りやすいですし、場にも馴染むかと」
侍女ならば、殿下に近付いても遠ざかっても不自然ではない。
「……そうか。私との距離か」
自嘲するような殿下の笑みを疑問に思う。何かおかしな事を口にしてしまっただろうか。
「殿下? いかがされました?」
「いや。何でもない。それよりロザンヌ嬢」
殿下が足を止めると、話を切り替えた。
「あの階段の左二段目の隅に影がいる。とりあえず今はさほど強くないようだし、今日は下見のつもりだから無視しておいてもいいが」
私は殿下が指し示す指先を追って、一階へと続く階段に目線を下ろす。
そこには殿下のおっしゃる影があるわけではなく、ただの階段のみが見えるだけだ。
長く広い階段と手すりは優しい乳白色の光沢ある石造りで、うっかりすると滑りやすそうでひやひやする。材質はベルベットなのだろうか。階段中央に真紅の絨毯が敷かれている。
本物の品質とやらを知るよしもない私には分かりかねるけれども。ただ私の感想としては、掃除しにくそう! あるいは取り替え時が大変そう! とだけ言っておこう。
「いえ。気付いた時に掃除してしまいましょう。左二段目の隅ですね。承知いたしました。では、お先に失礼いたします」
本来なら殿下より先に行くなどと無礼かもしれないけれど、辺りを見回して人影が無いのを見計らうと、さっと移動する。
左二段目の隅ね。
その場所に立ち、殿下の方へと振り返ると頷いた。ここで間違いないらしい。
私にはネロがどんな形で影を消しているのか、また進行状況も分からないので、殿下の合図が出るまでは動けない。しかしここでぼんやり突っ立っていては誰かに見られた時に言い訳ができないので、私は手に持っていた雑巾で手すりを拭いてみた。
うん。まさに今、私は掃除婦だなと思う。殿下のおっしゃったことはあながち間違いではない。……いや。真実であります。
それにしても殿下の目にはどんな形で見えているのだろう。ネロと影が目にも留まらぬ速さでぶつかり合っている姿なのだろうか。熱き戦いをしている姿なのだろうか。
私は色々思い巡らせてみる。
影から棘のような武器が飛んで来て、ネロの尻尾でばーっと薙ぎ払う(語彙力)とか、ネロが影にトンとしなやかに乗り、急所のどこかをがぶりと一咬みしてやっつける(語彙力)とか、そういうの? はたまた、頭から丸かぶりだったりして。ただ、ネロが尻尾を一振りするだけで影を瞬殺するような戦いだったら、ちょっとつまんないなぁ。
空想の渦に引き込まれていつの間にか手も止まっていたけれど、殿下がこちらへと歩いてくる気配に我に返った。
「終わりましたか?」
「ああ。ご苦労様」
「そうですか」
私はネロを労うために、肩の上にいる(はず)のネロを撫でた。
よーしよし良い子だ良い子だ。
「何をやっているんだ?」
「ご覧になって分かりませんか? ネロを労っているのです」
殿下と違って私はネロを労っているのだ。
ふふんと笑うと殿下は失笑した。
「今、ネロは君の足元だ」
……それはどうも失礼いたしました。
「それじゃあ、ユリア。ジェラルド様にご迷惑をおかけしないでね。言うことはちゃんと聞いてね。素直に従ってね?」
「そのお言葉、そのままそっくりロザンヌ様にお返しいたします。殿下にご迷惑をおかけしませんように」
「失礼ね。しないに決まっ――じゃあ。そういうことで。ジェラルド様、後はよろしくお願いいたします」
ジェラルドさんに笑顔で挨拶をすると、背後から迷惑をかけないに決まってないのかと殿下から声がかかった。もちろん無視した。
「それではね」
私たちとユリアたちは背を向け、それぞれ別れて歩き出した。
「殿下、こちらの勝手な都合を聞いていただき、ありがとうございました。ですが、ジェラルド様に付いていただかなくて本当に大丈夫でしょうか」
「ああ。元々、今の時代は安定王政だから、刺客を送ってくる奴はそうそういない。王宮内でジェラルドに護衛に付いてもらっている理由は、影に憑かれて体調を崩した時のためだ」
なるほど。それならば私だけでも何とかなりそうだ。
「ところで、今日は一応休みなのに侍女服なんだな」
この辺りはまだ人気が少ないから今は肩を並べて歩いているけれど、もうすぐ人通りの多い場所になるので、私は少しずつ歩みを遅くする。
「はい。侍女服にしたことはおかしかったでしょうか」
「いや。よく似合うことだ」
手に雑巾を持つ侍女姿の私をしげしげと見て殿下は言った。
褒めてませんよね? どうせ私は、スプーンより重い物は持ったことがないのですと微笑むようなご令嬢じゃありませんよ。まあ、自分でも侍女服が似合ってしまっている事実は否めないので、これ以上、反論することもない。
「だが、どうして侍女服にした?」
「侍女服の方が殿下との距離も取りやすいですし、場にも馴染むかと」
侍女ならば、殿下に近付いても遠ざかっても不自然ではない。
「……そうか。私との距離か」
自嘲するような殿下の笑みを疑問に思う。何かおかしな事を口にしてしまっただろうか。
「殿下? いかがされました?」
「いや。何でもない。それよりロザンヌ嬢」
殿下が足を止めると、話を切り替えた。
「あの階段の左二段目の隅に影がいる。とりあえず今はさほど強くないようだし、今日は下見のつもりだから無視しておいてもいいが」
私は殿下が指し示す指先を追って、一階へと続く階段に目線を下ろす。
そこには殿下のおっしゃる影があるわけではなく、ただの階段のみが見えるだけだ。
長く広い階段と手すりは優しい乳白色の光沢ある石造りで、うっかりすると滑りやすそうでひやひやする。材質はベルベットなのだろうか。階段中央に真紅の絨毯が敷かれている。
本物の品質とやらを知るよしもない私には分かりかねるけれども。ただ私の感想としては、掃除しにくそう! あるいは取り替え時が大変そう! とだけ言っておこう。
「いえ。気付いた時に掃除してしまいましょう。左二段目の隅ですね。承知いたしました。では、お先に失礼いたします」
本来なら殿下より先に行くなどと無礼かもしれないけれど、辺りを見回して人影が無いのを見計らうと、さっと移動する。
左二段目の隅ね。
その場所に立ち、殿下の方へと振り返ると頷いた。ここで間違いないらしい。
私にはネロがどんな形で影を消しているのか、また進行状況も分からないので、殿下の合図が出るまでは動けない。しかしここでぼんやり突っ立っていては誰かに見られた時に言い訳ができないので、私は手に持っていた雑巾で手すりを拭いてみた。
うん。まさに今、私は掃除婦だなと思う。殿下のおっしゃったことはあながち間違いではない。……いや。真実であります。
それにしても殿下の目にはどんな形で見えているのだろう。ネロと影が目にも留まらぬ速さでぶつかり合っている姿なのだろうか。熱き戦いをしている姿なのだろうか。
私は色々思い巡らせてみる。
影から棘のような武器が飛んで来て、ネロの尻尾でばーっと薙ぎ払う(語彙力)とか、ネロが影にトンとしなやかに乗り、急所のどこかをがぶりと一咬みしてやっつける(語彙力)とか、そういうの? はたまた、頭から丸かぶりだったりして。ただ、ネロが尻尾を一振りするだけで影を瞬殺するような戦いだったら、ちょっとつまんないなぁ。
空想の渦に引き込まれていつの間にか手も止まっていたけれど、殿下がこちらへと歩いてくる気配に我に返った。
「終わりましたか?」
「ああ。ご苦労様」
「そうですか」
私はネロを労うために、肩の上にいる(はず)のネロを撫でた。
よーしよし良い子だ良い子だ。
「何をやっているんだ?」
「ご覧になって分かりませんか? ネロを労っているのです」
殿下と違って私はネロを労っているのだ。
ふふんと笑うと殿下は失笑した。
「今、ネロは君の足元だ」
……それはどうも失礼いたしました。
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