上 下
23 / 315

第23話 殿下の秘めたる悪意

しおりを挟む
 学園に行く前にエルベルト殿下にご挨拶をとクロエさんに相談したら、既に執務室でお仕事中だと言うので連れて行っていただいた。
 扉の前の若い護衛官に入室許可を取ってもらったが、クロエさんは外で待っていると言う。

「おはようございます、エルベルト殿下」
「おはよう」
「学校に向かう前にご挨拶をと参りました」
「そうか。ありがとう。昨夜はよく眠れたか?」

 書類から顔を上げた殿下は、朝に相応しいキラキラした爽やか笑顔でお気遣いいただいた。

「ありがとうございます。眠れは……いたしました」
「それは良かった。しかし、その割に十は年齢を重ねたように見えるが?」

 唇を薄く引いて面白そうに笑うこの目の前の男は間違いなく確信犯だ。ええ、間違いない。
 私は口元がひきつった笑顔で尋ねる。

「一つお聞きしたい事があるのですが、クロエさんにわたくしのことを何とご説明されたのでしょうか」
「もちろん私付きの侍女だと説明した」
「それだけでございますか?」
「そうだな」

 ペンを持ったまま手の甲を顎に当て、白々しい様子で少し視線をそらす。

「ああ、そう言えば私付きの侍女にしたいから、すぐに使い物になるよう可及的速やかに教育を叩き込んでくれとは言ったかな」
「なっ。どうして、どういうことです! 朝起きてからこの場所に足を運ぶまでに百は注意されたのですよ」

 私が何かしようと一歩動くごとに、クロエさんから注意が飛んでくる。しかも常に笑顔だから余計に恐ろしい。最後の方はいつクロエさんの声が飛んでくるかと、一挙一動がカクカクした動きになってしまったぐらいだ。

「百か。それは伸びしろが多いな」

 殿下は私に視線を戻してふっと笑う。
 今、明らかに小馬鹿にしましたね!?

「殿下は学業を優先にとおっしゃったではないですか」

 クロエさんの厳しさを思い出して身震いし、抗議すると殿下は確かにと深く頷いた。

「もちろん私は学生の本業は学業でそれを優先すべきだと考えていた。だが、君がこれからしっかりと勉強させていただきたいと向上心溢れる宣言をしていたので、それならばこちらも応えなければと思い、侍女のクロエを手配させていただいた流れだ」
「なっ。そ、それは!」
「彼女は格別に優秀な侍女だ。存分に学んでくれ。ああ。私への口の利き方を真っ先に学んでくれるとありがたい」
「――っ!」

 にっこりと極めつけの笑顔の殿下に、私はすっかり反論を失って口をパクパクとさせてしまう。
 やはり殿下は引き寄せ体質などではなく、内に秘めたる悪意なるものが影を引きつけるのだと、私は確信したのだった。


「行ってらっしゃいませ、ロザンヌ様」
「……はい。行って、参りま……」

 常に目を光らせるクロエさんに馬車の停留場所へまで見送られながら私はふらふらと馬車へと向かった。
 そこで待機していたのは護衛官のジェラルド様だ。私と目が合うとわずかに笑んでくださった。

「おはようございます、ロザンヌ様。本日より馬車でのお出迎えは私がお供させていただきます」
「ジェラルド様、おはようございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「私のことはジェラルドとお呼びください」
「い、いえ。そんな滅相もありません!」

 慌てて手を振って否定する。
 でも心の中だけは親しみを込めてジェラルドさんと呼ばせてもらおう。

「ロザンヌ様、段になっておりますので足元をお気を付けて。どうぞお手を」

 優しく忠告して、手を差し伸べてくれる紳士なジェラルドさん。

「ありがとうございます」

 ううっ。
 今日は何とも人の優しさが目に染みることよ。
 私は彼の大きくて頼もしい手を取った。

 馬車に乗り込むと、ジェラルドさんと向き合って座る。
 学校までの距離はそう無いが、疑問に思っていたことを尋ねた。

「殿下の護衛官は交代制なのですか? 執務室の前にジェラルド様はお見かけいたしませんでしたが」
「ええ。確かに執務室前での護衛は交代制です。ただ、私は護衛官をまとめる人間ですので、執務室前での護衛はありません」
「護衛官をまとめる!? ジェラルド様は護衛官長様なのですか!?」
「ええ。光栄にもそういった称号を下賜されております」

 何と! お若いのに護衛官長様とは!
 でも確かに殿下は誠実で真面目な性格で、心技体がしっかりした信頼のおける護衛官だとおっしゃっていた。それに加えて、官長だからと言って驕ることもない。

「あ、でもそんな偉い護衛官長様がわたくしになど付いておられて良いのですか? 殿下のお側に控えていらっしゃらなくて良いのでしょうか」
「私は偉いわけではありません。それに殿下がロザンヌ様のお側に付くようご命令なさいました」
「え?」
「殿下はあなた様を大切な方だと思われているのでしょう。私も全力でお守りすることをお約束いたします」
「大切な……」

 大切な、ね。ははっ。
 私は本日二度目の引きつり笑いをした。

 違うな。私が逃げられないように優秀な護衛官長様を付けたのだ。
 ――昨日の私の感動を返せっ!
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

《完結》《異世界アイオグリーンライト・ストーリー》でブスですって!女の子は変われますか?変われました!!

皇子(みこ)
恋愛
辺境の地でのんびり?過ごして居たのに、王都の舞踏会に参加なんて!あんな奴等のいる所なんて、ぜーたいに行きません!でブスなんて言われた幼少時の記憶は忘れないー!

王太子様お願いです。今はただの毒草オタク、過去の私は忘れて下さい

シンさん
恋愛
ミリオン侯爵の娘エリザベスには秘密がある。それは本当の侯爵令嬢ではないという事。 お花や薬草を売って生活していた、貧困階級の私を子供のいない侯爵が養子に迎えてくれた。 ずっと毒草と共に目立たず生きていくはずが、王太子の婚約者候補に…。 雑草メンタルの毒草オタク侯爵令嬢と 王太子の恋愛ストーリー ☆ストーリーに必要な部分で、残酷に感じる方もいるかと思います。ご注意下さい。 ☆毒草名は作者が勝手につけたものです。 表紙 Bee様に描いていただきました

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

処理中です...