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第2話 王家からの使者
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社交界デビューを終えて帰宅した夜、私はふかふかのベッドの上で腐っていた。
「あ、足が痺れ……」
あの出来事は瞬く間に母の耳に入り、何があったかきちんと説明しなさいとその晩、床に座らされてこんこんと説教されたからだ。
いや、私が聞きたい。一体私に何の落ち度があったというのでしょうか。
母をなだめる父や優しい兄二人たちによってようやく解放された私は、足が痺れてすぐには立ち上がれず、肩を借りて何とか部屋に戻った。そしてベッドの中で主に心の休息を取りながらあらためて考えてみる。けれど、やはり殿下に対して何かをしでかした記憶は無い。
もし非があるとしたのならば、それは……殿下だろう。気分が優れないと言っていた。元々虫の居所が悪かった殿下が、うんざりするぐらいの人数を相手にしていて、丁度私の順番の所で溜まっていた何かが爆発したに違いない。
殿下だって人間だ。そんな日もあるでしょう。大人な私は殿下の振る舞いを許してしんぜよう。
そう結論づけたところで、安心した私の意識は真っ白な所に吸い込まれて行った。
翌日。
母から遠慮なく接して頂戴と言われ、私に全く容赦が無い侍女、ユリアにベッドから早々に叩き出され、特にいつもと変わらぬ朝が訪れようとしていた矢先。
国一番の早馬でも飛ばしたらしい。王室からの使いという者が朝も早よから王都から離れた辺鄙な場所にある我が家に現れた。
私はその時丁度大口を開けて拳大のパンを放り込もうとしていた時だったけれど、いつもは冷静沈着のジョルジョ侍従長の緊張の色を隠せない態度と言葉に不覚にもぽとりと落とした。
――なお、パンはもちろんその後、手でさっさと払って美味しく頂きました。
慌てて席を立って対応に駆け付ける父の背中を見ながら考える。
まさか私の失態でお怒りを買ったとか、そんなわけないよね。お怒りを買う要素などどこにも無いのだから!
父の姿が玄関へと消えて不安そうだった母が、ドンと構えた私を見て呆れた表情に変えた。
「明らかにあなたのことでしょう。よくそんな吞気な態度でいられるわね」
「あら、お母様。何も恐れることはありませんわ。昨日も申しました通り、わたくしは何もしていないのですもの……多分」
「多分?」
眉を上げる母に私はそっと視線を横に流した。
垂涎ものの豪華な料理の誘惑に負けて、人が見ていない瞬間に少しぐらいがっついたところがあったかもしれない。……少しだけね。少しだけ。そこを殿下に見られてはしたない奴! と思われたのかもしれない。
でもお料理が用意されているのだから、食べないのは食材と料理人に申し訳が立たないでしょう。私は間違っていない!
「多分ですって!? やっぱり何かしたのね、あなた!」
「し、してませんったら!」
「お母様、落ち着いてください。まだ何か断罪を受けると決まったわけでもありませんし」
「そうそう。ロザンヌは何もしていないと言っていますし、とにかく殿下の言付けを聞いてからでも」
目をつり上げた母に兄二人は私を擁護してくれる。
おまけに、なぜかますます胸を張る娘に母はそうねとため息をついた。
若い頃は母もなかなかのお転婆だったと父からこっそりと聞いたことがある。腹の据わり方はきっと私より年季が入っていることだろう。ただ、そんな事を口に出そうものなら大変な事態になるのは火を見るより明らかである。
私は口から今にも出てきそうだった言葉を、パンで奥へと奥へと押し込んだ。
そうしている内に、父が神妙な面持ちで戻って来た。
途端に室内の空気はぴりりと引き締まる。
「あなた、やはり昨夜のロザンヌのことでしょうか」
父は皆の不安を払拭するように、すぐに柔らかな笑みを見せた。
「大丈夫だよ。確かに昨日のロザンヌの事だったが、殿下が謝罪したいとのお話だったから」
「謝罪……殿下がロザンヌに、でしょうか」
「そう。殿下がロザンヌに失礼な態度を取ったことを謝罪したいと」
繰り返す父の言葉に一同、ほっと息をついた。
私と言えば。
「ほぉぉぉら。でしょうでしょう! わたくしには分かっておりました!」
足を組み、椅子を背にふんぞり返ってみせる。
「ロザンヌ!」
途端に大きな態度を見せる私に兄たちは苦笑し、母はたしなめた。
父は微笑みながら、さらに言葉を続ける。
「本来ならこちらが出向いて謝罪すべきところだが、立場上そうもいかないので、申し訳ないが王宮に来てほしいとのことだったよ」
「王宮にですか? 今、そのお言葉を受け取っただけでは駄目なのですか?」
わざわざこちらが王宮に出向いてまで謝罪していただくこともない。後で何らかのフォローさえしてもらえれば。
「どうもね……。事情があるらしく。使者様ではその事情までは分からないようだが。とにかく待っていただいているから準備しなさい」
「え? 今!? 今からですか!?」
「ああ。使者様の馬車で一緒に来てほしいとのことだ」
「まあ、大変だわ! ユリア! ユリア!」
母はユリアを呼びつけながら私を見た。
「ロザンヌ、あなたも早く準備を」
「は、はい。そうですね! すぐに準備を!」
慌てて手を伸ばして、本日二個目のパンを頬張ろうとした私に。
「ロ・ザ・ン・ヌー!」
母の特大な雷が落ちた。
「あ、足が痺れ……」
あの出来事は瞬く間に母の耳に入り、何があったかきちんと説明しなさいとその晩、床に座らされてこんこんと説教されたからだ。
いや、私が聞きたい。一体私に何の落ち度があったというのでしょうか。
母をなだめる父や優しい兄二人たちによってようやく解放された私は、足が痺れてすぐには立ち上がれず、肩を借りて何とか部屋に戻った。そしてベッドの中で主に心の休息を取りながらあらためて考えてみる。けれど、やはり殿下に対して何かをしでかした記憶は無い。
もし非があるとしたのならば、それは……殿下だろう。気分が優れないと言っていた。元々虫の居所が悪かった殿下が、うんざりするぐらいの人数を相手にしていて、丁度私の順番の所で溜まっていた何かが爆発したに違いない。
殿下だって人間だ。そんな日もあるでしょう。大人な私は殿下の振る舞いを許してしんぜよう。
そう結論づけたところで、安心した私の意識は真っ白な所に吸い込まれて行った。
翌日。
母から遠慮なく接して頂戴と言われ、私に全く容赦が無い侍女、ユリアにベッドから早々に叩き出され、特にいつもと変わらぬ朝が訪れようとしていた矢先。
国一番の早馬でも飛ばしたらしい。王室からの使いという者が朝も早よから王都から離れた辺鄙な場所にある我が家に現れた。
私はその時丁度大口を開けて拳大のパンを放り込もうとしていた時だったけれど、いつもは冷静沈着のジョルジョ侍従長の緊張の色を隠せない態度と言葉に不覚にもぽとりと落とした。
――なお、パンはもちろんその後、手でさっさと払って美味しく頂きました。
慌てて席を立って対応に駆け付ける父の背中を見ながら考える。
まさか私の失態でお怒りを買ったとか、そんなわけないよね。お怒りを買う要素などどこにも無いのだから!
父の姿が玄関へと消えて不安そうだった母が、ドンと構えた私を見て呆れた表情に変えた。
「明らかにあなたのことでしょう。よくそんな吞気な態度でいられるわね」
「あら、お母様。何も恐れることはありませんわ。昨日も申しました通り、わたくしは何もしていないのですもの……多分」
「多分?」
眉を上げる母に私はそっと視線を横に流した。
垂涎ものの豪華な料理の誘惑に負けて、人が見ていない瞬間に少しぐらいがっついたところがあったかもしれない。……少しだけね。少しだけ。そこを殿下に見られてはしたない奴! と思われたのかもしれない。
でもお料理が用意されているのだから、食べないのは食材と料理人に申し訳が立たないでしょう。私は間違っていない!
「多分ですって!? やっぱり何かしたのね、あなた!」
「し、してませんったら!」
「お母様、落ち着いてください。まだ何か断罪を受けると決まったわけでもありませんし」
「そうそう。ロザンヌは何もしていないと言っていますし、とにかく殿下の言付けを聞いてからでも」
目をつり上げた母に兄二人は私を擁護してくれる。
おまけに、なぜかますます胸を張る娘に母はそうねとため息をついた。
若い頃は母もなかなかのお転婆だったと父からこっそりと聞いたことがある。腹の据わり方はきっと私より年季が入っていることだろう。ただ、そんな事を口に出そうものなら大変な事態になるのは火を見るより明らかである。
私は口から今にも出てきそうだった言葉を、パンで奥へと奥へと押し込んだ。
そうしている内に、父が神妙な面持ちで戻って来た。
途端に室内の空気はぴりりと引き締まる。
「あなた、やはり昨夜のロザンヌのことでしょうか」
父は皆の不安を払拭するように、すぐに柔らかな笑みを見せた。
「大丈夫だよ。確かに昨日のロザンヌの事だったが、殿下が謝罪したいとのお話だったから」
「謝罪……殿下がロザンヌに、でしょうか」
「そう。殿下がロザンヌに失礼な態度を取ったことを謝罪したいと」
繰り返す父の言葉に一同、ほっと息をついた。
私と言えば。
「ほぉぉぉら。でしょうでしょう! わたくしには分かっておりました!」
足を組み、椅子を背にふんぞり返ってみせる。
「ロザンヌ!」
途端に大きな態度を見せる私に兄たちは苦笑し、母はたしなめた。
父は微笑みながら、さらに言葉を続ける。
「本来ならこちらが出向いて謝罪すべきところだが、立場上そうもいかないので、申し訳ないが王宮に来てほしいとのことだったよ」
「王宮にですか? 今、そのお言葉を受け取っただけでは駄目なのですか?」
わざわざこちらが王宮に出向いてまで謝罪していただくこともない。後で何らかのフォローさえしてもらえれば。
「どうもね……。事情があるらしく。使者様ではその事情までは分からないようだが。とにかく待っていただいているから準備しなさい」
「え? 今!? 今からですか!?」
「ああ。使者様の馬車で一緒に来てほしいとのことだ」
「まあ、大変だわ! ユリア! ユリア!」
母はユリアを呼びつけながら私を見た。
「ロザンヌ、あなたも早く準備を」
「は、はい。そうですね! すぐに準備を!」
慌てて手を伸ばして、本日二個目のパンを頬張ろうとした私に。
「ロ・ザ・ン・ヌー!」
母の特大な雷が落ちた。
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