上 下
1 / 315

第1話 鮮烈な社交界デビュー

しおりを挟む
「ロザンヌ・ダングルベール子爵令嬢」

 夜でも闇を跳ね返すような光をたたえた金の髪に、澄み切った青空を思わせる青い切れ長の瞳、鼻筋が通った端整な顔、育ちの良さを思わせる気品ある立ち振る舞い。
 女性なら誰しも憧れる麗しのこの国の第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下は艶と深みのある低い声で私の名を呼ぶ。そして片膝をついた殿下は私を見上げ、こう請うのだ。

「私の――」

 熱っぽく揺らぐ瞳の殿下に誰しも魅了され、息を呑むだろう。

「掃除婦となってほしい!」

 ……直後、奈落へとたたき落とされるとも知らずに。
 私の答えはもちろん。



 私がエルベルト・フォンテーヌ殿下とお初見えしたのは、十六歳の社交会デビューの日。
 うちは子爵の位を持つ貴族としては弱小で、父は肩の力を抜いて楽しみなさいと笑顔の一方、母は大物を釣り上げるのよと力拳を振り上げていた。

 初めての社交界に緊張するやら、変なテンションで舞い上がる私に対して、母から好奇心でフラフラ歩き回るな、お転婆するな、暴飲暴食するな、ただ相槌を打って微笑んでおけと、くどくどと釘を刺されたものだ。

 そんな中で宮廷に入ったわけだけれど、豪華絢爛さにくらくらと目眩がした。貴族とは名ばかりのうちとはもちろん大違いだ。

 もし我が家にあるのならば、タペストリーのごとく壁に飾っておくであろう程の高級そうな絨毯から、芸術性が高すぎてちょっと理解できない絵画の数々、もし割ったら首の一つは持って行かれそうな大きな壺、人生で見たこともないような豪華な料理、それに添えられているぴかぴかに磨かれた銀食器。

 下手に動いて何かを傷つけようものなら、末代まで借金生活に陥るのは間違いない。だから母の言いつけを忠実に守り、男性から声をかけられるまではまさに壁の花、何なら空気と一体化した状態で大人しくしていた。
 社交界デビューの年で、早々にボロ――それなりに自覚はある――が出てはまずいとも思ったからだ。私だって見目良く財産家の高位の爵位持ちとのラブロマンスを少しくらいは夢見る乙女なのだから。

 だから決して。
 決して私が失態を犯したわけではない。それはここにしっかりと明記しておきましょう。

 慣れぬ大仰なドレスで派手にすっ転んだわけでも、大口開けて料理をかきこんだわけでも、ピンヒールで男性の足をぐりぐりと踏みつけたわけでもない。ひたすらおしとやかに、そう、頑強な岩のごとく微動だにせず、枯れて色あせた花のようにしおらしくしていた。

 唯一私がした事と言えば、恒例行事になっているらしい王家へのご挨拶のみだ。

 何のことはない、参加者が主催者である王家の皆様にお招きいただきありがとうございますと、爵位の高い順番からご挨拶するのみ。
 中には私と同じく社交界デビューしたての同年代の令嬢が、今か今かとウキウキした様子で待ちわびている者もいた。

 私はそこまでの度胸はなくて、緊張していたことは否めない。一応貴族とは言えど、殿下のご尊顔を間近で初めて拝見するために緊張で笑顔が引きつっていたかもしれない。喉がカラカラで少しばかり言葉に詰まったかもしれない。
 だとしても、ただそれだけだ。それだけなのに。デビューしたばかりで、緊張ガチガチの何の変哲も無いたかだか小娘に対して。

「――っ。近寄るな!」

 直前まで貼り付けたような笑顔だった殿下が、化け物でも見たかのような形相に変えて手で振り払い、私の挨拶を激しく拒絶したのだ。

 ぽかんとした。今、何が起こったのかと、呆気に取られた。
 どう思い返してみても、殿下に対して何ら無礼な真似も失態も見せてはいなかったのだから。むしろ、まだまともに互いの目すら合わせていない状態であり……。

 辺りはしんと静まり返り、視線が私たちに集中する。
 その状況に気付いて我に返ったらしい殿下ははっと表情を変えた。

「す、すまない。今日は体調が優れず……。少し失礼させていただく」

 それだけ残すと当の本人はさっさと舞台を立ち去り、茫然とした私と好奇な目をした野次馬たちだけが残される。
 しかし、国王様がすぐさま場を取り繕って何事もなかったかのように行事は続行された。

 めでたしめでたし。

 ……とはいかず、私の周りからは潮を引くように人がいなくなり、男性も女性も何かを口にしながら遠巻きで見つめてくるばかり。

 うん。
 何が起こったかは分からないけれど、少なくとも容姿端麗の上級貴族様との大恋愛という野望ロマンスが潰えたことだけは、まあ……分かりましたよね、普通に。
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

処理中です...